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「#エロ」のBL小説を読む
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(21)

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Vが言葉をかけてもウイユヴェールは答えなかった。
Vと杖に手を添えたまま一点を見つめて長い睫毛を瞬かせる。
グリフォンとシャドウ、そして"ナイトメア"。
手札のすべてを喚び出したVの肌からは刺青が消えた。 しかし変化はそれのみに留まらない。
黒色から白銀へと色を変えたVの髪──。
大な瞳をさらに大きく見開いたウイユヴェールからVは視線を逸らした。
ナイトメアを喚ぶことは多くの魔力を消費する。
半端な魔力を辛うじて溜め込むVから一気に引きずり出された力によって、肉体は一時的に半人半魔の状態へと変化する。
銀髪もその一端だ。
多少慣れなくても我慢してくれ、とVは言い捨てるように伝えた。しかし、
「──もう驚くことなんてないと思ってたのに」
ウイユヴェールの声が感嘆に弾む。
「天使かと思ったわ…!」
鼻先が触れそうな間近できらきらと輝く瞳。
そこには驚きの表情を晒す男が映っている。
呆気に取られて間の抜けた顔が自分自身であることに、Vは一呼吸を置いてからやっと気がついた。
ウイユヴェールは「天使はちょっとポエミーすぎるわね…」と恥ずかしげに咳払いをすると、忙しなく今度は下を向く。
「ね、彼の名前は?」
「──彼…?」
「ゴーレムみたいな、彼の名前っ」
声を弾ませながら揺れる背中で斜めに傾き、その危なっかしい身体を支えるVは思わず手に力を入れた。
「背中に…その、杖を刺して掴まってるけど痛くはない?それに普通ならVが一人で乗るんでしょう?私まで乗せて重たくはないかしら…」
立て続けに疑問をぶつけて眉根を寄せる。
「それは……気にしたこともない」
「そうなの?平気ならいいんだけど…」
気遣うような面持ちで…そしてほぼ好奇心という動きでウイユヴェールはナイトメアの背中をなでなでペタペタと触る。
攻撃の指示か何かと勘違いをしたらしいナイトメアが大きく旋回をして悪魔が2体か3体ふっ飛んだ。
「……」
「Vがピンチにならないと出てくることはないって聞いてたから、見られると思ってなかったわ」
「?…誰がそんなことを」
「昨日グリフォンが言ってたけど」
余計なことを…といわんばかりの視線をVが送ると、ナイトメアの援護に飛び回るグリフォンがびくっと身を震わせた。
「ゲッ…!切り札ってのは間違っちゃいねェし、嘘も言ってねェし!だよな、シャドウ!?」
シャドウは静かに目を遣ると興味がないとそっぽを向いた。
「ナイトメアは喚び続けりゃあ魔力切れでブッ倒れちまうっつー"超"のつく取り扱い注意物件だ。現にVがウイユヴェールんちの前でダウンしてたのだって、ガス欠を我慢して歩き続けたせい──」
「もういい、グリフォン」
「ガス欠?…それってどういう…」
「そろそろ終わらせるということだ」
Vの声に反応するように、ナイトメアの眼の先に仄かな紫苑を帯びた光がちらちらと集まりはじめる。
「V、いつもそんな無茶な戦い方をしてるの?」
「…。線引きはしている」
心配するウイユヴェールにVははっきりとした言葉で返した。
脆弱な人の身体で放り出されたVにとって"死"とは決して遠いものではない。残された時間も短い。
だが、逃げ隠れたところで一体何になるというのか。
短い時間の中で前に進むことはできる。
悪魔を殺すことも。
バージルはダンテに勝つために己の魔力を斬り分け"魔王"を生み出した。"悪魔としての力"をひたすらに求めて。
では、"V"は?
バージルが放棄した"人間"としての記憶や想いをすべて引き受けた"V"は。
母を助けられなかった無力を忘れはしない。力を持たなかった故に蹂躙された怒りと悔しさ。
そして悪魔への憎しみ。
矜持もなく、誇りもなく、ただただ喰らい殺すことだけに満たされるのみの悪魔という存在を、"V"は心から軽蔑する。
無為に人間を殺す悪魔を見過ごすのか。
目の前の屑共をのうのうと生かすのか。
「すべて殺す」
「…。線引きっていうの?それ」
「諦めろってウイユヴェール」
重たい羽ばたきが髪を揺らす。
「こーゆー性格なんだよ、ひ弱そうでも。"元"のヤツがちょっとアレだからよ。負けん気だけは一級品てな」
グリフォンの言葉にウイユヴェールは困ったように唇を結ぶ。
その身体が突然、乗っかっているナイトメアへ吸い込まれるような感覚に包まれた。
目の前の光景が歪み、気がつくと先ほどいた場所よりも後ろへと瞬間的に移動していた。
ナイトメアの眼の先に集まる不可思議な光の粒が煌めきを強める。
「ウイユヴェール、先ほどお前は妙な喩えをしたな。だが…」
瞬きをするウイユヴェールの瞳にVが映る。
Vにとってそれは元の姿形とは似ても似つかない貧弱な身体だ。けれど黒髪が銀髪に変わり、多少は以前の状態に近づいたのではと錯覚をさせる。
「どちらかというと悪魔だ」
チリッ と大気が引き攣った。
ナイトメアから光線が放たれ、辺り一帯を眩しく照らし出す。
時間にすれば、ほんの数秒──。
ゆったりと空間を撫でるように横へ薙ぐ高密度の魔力。
目も眩むほどのまばゆい光に曝された悪魔たちが、端から順に一欠片の塵も遺さず消えてゆく。
緩慢に悪魔を喚びだしていたクリフォトの赤い瘤も、繋がる太い根も。ごっそりと焼き尽くされ、光線に触れた部分が断面を見せて残り火が燻る。
悪魔が一掃され、グリフォンの羽ばたきが響いた。
「さっすが魔帝もビビった兵器、チビっこくても暴君だぜ!」
攻撃を掻い潜りシャドウを掴んで空へ避難していたらしく、感嘆の声を降らせる。
ウイユヴェールがそちらへ顔を向けると、ナイトメアの身体が大地に沈み込むように大きく揺らいだ。
溶け出した身体が幾筋もの黒い流線となってVへと帰還をはじめる。
「──ナイトメア、の…出番は終わり…?」
「ああ。見たいと強請られてもしばらくは無理だ」
とぷり──…。
水音が聴こえそうな滑らかさで空をうねる。
最後の一滴が、石畳に座り込んだウイユヴェールの額にぶつかり、ぽちゃっと弾けた。
「…ありがとうって言う暇もなかったわ」
「気にするな。あれも気にしてはいまい」
「もう…、それで?Vは?」
「なんだ?」
「今回は倒れないで済みそう?」
「…そうだな。多少の意地くらいは張らせてくれ」
心地好く弾んだ言葉の応酬にVの表情はやわらかくなり、ウイユヴェールもまた頬を緩ませた。
ウイユヴェールは立ち上がるとVの深みを湛える瞳を窺う。
杖に軽く身体を預けているが、アパートの前に倒れていたあの夜ほどは疲弊していないようだ。
いっときの静穏を取り戻したぼろぼろの街並みに囲まれて、ひっそりと息を吐く。
悪魔がいなくなり、残るのは砕けたコンクリートや掠れた血痕。活動を止めたクリフォトの根がじくじくと赤黒い雫を滴らせる。
数日前までは知り得なかった、悪魔の存在する世界だ。
この混乱を逃げ延びた住人たちも、そしてウイユヴェールも、いずれは元の生活を取り戻せるだろう。
しかし昼日中の薄暗い路地に、光の届かない地下に、無意識の不安に誘われて目を向けるはずだ。
だとしても──…、
「しっかしまた綺麗スッキリ片付いたじゃねェか。こんだけ掃除すりゃ、しばらくは平和に歩ける?」
ウイユヴェールの思考をグリフォンの声が引き剥がした。
Vが気だるそうに「だといいが」と答える。
「オイオイ染みっ垂れた返事すんなよ。たまにゃ希望的観測とかしてみ?世界から悪魔はいなくなったんだぜ?男と女がゆっくりと立ち去ってハッピーエンド!だろ?」
「世界がこの半径数十メートルであればな」
Vは呆れたように鼻で笑ったが、グリフォンは満足したらしくウイユヴェールへと身体の向きを変える。
「文学根暗はマイナス思考でいけねェな。つーワケでオレとシャドウは帰るから後は任せたぜ、ウイユヴェール」
「……。えっ?」
突然話を振られて驚くウイユヴェールを他所に、シャドウも心得たように刺青に戻り、次いでグリフォンがVの頭上を翔んだ。
「Vは、なんつーかアレだ。ナイトメア喚んでバテちまってっから。オレらも大人しくしといた方が楽なのよ。たぶん。なんとなく?」
「そんなこと言って。Vが倒れてもあなたが動く余裕くらいはあるんでしょう?はじめて会った時もそうだったじゃない」
「ありゃ緊急措置。今はお前がいんだろ?」
グリフォンはヘッと笑うと、しかしそれ以上は答えずにバサッ!と一つ羽ばたいて刺青に戻ってしまった。
無駄に騒がしいのがグリフォンだというのに、やけにあっさりと身を引かれてしまいウイユヴェールは呆気にとられる。
「なんなの、中途半端に」
「柄にもなく気を遣ったようだな…」
「グリフォンが?どうして?」
「…指を鳴らしただけで髪の色が変わる"人間"がいると思うか?」
ゆっくりと杖をつく音に諦め混じりの声を重ねる。
ウイユヴェールが「確かにありえないけれど…」と返すと会話は途切れた。
Vの髪はいつの間にか黒色に戻り刺青が上半身を覆う。
模様の意味もかたちもウイユヴェールには見分けがつかない。
そのひとつひとつが彼らを表す欠片なのだろうが、どうすればそんな魔法めいたことが出来るのかも想像がつかない。
グリフォンが語った魔力というものも、Vが疲弊して倒れる魔力切れという状態についても。
…ただの人間が"魔力"というものを扱えるのかどうかも。
「……あなたたちと出会ってからは常識を越えたものを見てばかり。悪魔とか魔王とか、私の許容量だってそろそろいっぱいよ。だから──…ねぇ、これ以上何に驚けっていうの?」
「…。怒っているのか」
「なんかこみ上げてきたのよ。Vが無茶をしてふらふらになっても戦うっていうから」
足を踏み出してウイユヴェールはVの瞳を真っ直ぐに見上げる。
恥ずかしながらも"天使みたい"と口をついて出たあの表現は、ウイユヴェールの心に浮かんだものを正確に表していたように思う。
人間に有り得ない身体の変化も。
悪魔を屠るに嬉々とした横顔も。
圧倒的な"力"を振るうVの姿は人間としては異質だと。
…けれど、今さらそれが何だというのか。
ウイユヴェールは心を決めた。
Vの目許にかかる黒髪に手を伸ばしかけ、──片手では伝えるに足りないと両の手でVの頬を包む。
血の気が薄く、皮膚も薄いVの頬。
「…あなたが無謀な行き倒れでも、天使じゃなくて本当に悪魔だったとしても関係ないわ。私はあなたが心配」
心配という言葉とは裏腹に挑むような眼差しで宣言する。
「魔力切れで倒れても、私はまたあなたを助けるわ。…だから、人間だとか悪魔だとか、変な気なんて遣わなくていいんだからね」
添わせる手のひらの温度が頬に伝わる。
Vは黙ったままウイユヴェールを見下ろす。
一秒また一秒と過ぎてゆき、少し居心地が悪くなってきた頃。
ウイユヴェールが離そうとした手をVが阻んだ。「出会ったあの日…」と口を開く。
「…助けてもらったアパートで…お前がグリフォンと話す声を、俺は夢うつつに聞いていた」
「…ずっと寝てたんだと思ってたわ」
「食事の支度をする音や、話し声を聞いていた。それから…毛布を掛け直されたのも覚えている」
「ふふ、そう。安眠を妨げちゃった?」
ウイユヴェールの苦笑にVは、いや、と答えた。
「…昔を思い出した。…家族が……いた頃の記憶だ」
「あなたにとってそれは良い記憶?」
「ああ」
ウイユヴェールが目許をほころばせると、Vは身を屈めてウイユヴェールの額に自身の額を合わせる。
この数日という短い時間で自分の中で多くの変化があったと伝える。
「…死にたくないという恐怖や、減りゆく時間への焦り以外の…、人間としての感情や想いをこれ程多く思い出せたのは…ウイユヴェール、お前のおかげだ…」
ゆっくりと低く掠れた声がウイユヴェールの耳を打つ。
身長の差のせいで合わせるというよりも乗っかるようになった前髪がくすぐったく擦れた。
Vの言葉に驚き、そして瞬きをしたウイユヴェールが「私も、Vの役に立てたのね」と噛み締めるように笑う。
体温が交じり合い穏やかな呼吸が重なる。
互いの存在を感じて、互いの心地好さに瞳を伏せて、今胸に灯る想いもきっと同じなのだと思えた。
どちらともなく身体を離せば停滞していた空気が肌を滑る。
「じゃあ──」
そろそろ行きましょ。
軽やかに続くはずだったウイユヴェールの声が途切れた。
不自然に詰まった言葉と違和感をVへ訴えようとして表情を歪ませる。
Vも、本人すらも何が起こったのかわからずに視線を下へと向けて、それを見つけた。
ウイユヴェールの脇腹から飛び出した黒い棘。
子供の指ほどのクリフォトの根の先端が赤い雫をぽたりと落とす。
「ゃ──…」
混乱から理解へ、Vの思考が切り替わる。
ナイトメアが焼き尽くした断面に視線をはしらせる。
その脇から細く伸びる根の元へとウイユヴェールが引き摺られそうになる。
急いで身体を掴まえると棘が引き抜け苦痛の悲鳴が漏れた。痛みに悶える身体をVは強く抱いて離さない。
捕らえ損ねた獲物を再び狙ってしなる根へ、刃を扱うように杖を振り下ろす。
鋭い音とともに弾かれて銀の欠片が飛ぶ。
舌打ちをしたVはシャドウとグリフォンを解放した。
「V!?オイ何がどーなって──…、!?」
「根を…っ!壊せ!!」
「なッ…クソ!くたばってなかったのかよッ!」
二体の魔獣による追撃は瞬時に敵を破壊した。
はらはらと萎れる根を横目に睨み、Vは倒れたウイユヴェールを支え起こすがブラウスに染み出した血がゆっくりと広がっていく。
「ウイユヴェール、傷を押さえるぞ。腹と、それから背中──」
「そ、なの…?わからない、けど、なんか……」
「痛むか」
「…いたいのと……吸い…られ、たみたい、に…力が…」
入らないの、と浅い呼吸の合間に声が揺れる。
「急いで連れていく。どこか治療のできる場所…病院か──…ウイユヴェール?聞こえるか──」
意思とは関係無くウイユヴェールの目蓋は閉じようとする。
貧血でも起こしたように血の気が失せて全身が重く、目眩のような感覚に包まれる。
鈍く暗くなってゆく意識の中、ウイユヴェールは地面に転がる銀の光へ手を伸ばした。
それはVが鋭く振るった杖の、
「…杖が……」
「シャドウ、来い…!」
「急げVッ!けどあんま揺らすなよ!自己修復なんて人間にゃできねェんだからなッ!」
「わかっている──!」
「(…杖、欠けてしまったわ……)」
ごめんね、V──
唇からは呼吸が漏れるばかりでウイユヴェールの呟きは声にならならった。


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("22 加筆修正)
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