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(17)

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手首の傷が熱を帯びてじんじんと痛む。
立ち上がって背を向けたVの後ろで、ウイユヴェールは血の滲む手首をブラウスの袖で隠した。
Vが教えてくれた"クリフォト"は急速に成長を続け、ぱらぱら、みしみしと鳴る崩壊の音は止むことがない。
畳み掛けてくる非日常に恐怖と無力感でへたり込みそうになる。
しかし現実から目を背けようとも根っこは次から次へと生えてくる。
ついでに立ち上がろうとして運悪くコンクリートの割れ目に嵌まってしまったハイヒールも益々深く埋まるだけだ。(やだ、うそ…こんな時に早く抜けてっ……)
今日に限って動きにくいタイトなスカートを選んだことを後悔しつつ、ウイユヴェールがこっそりと、しかし必死にヒールを引っこ抜くべく苦心しているとグリフォンが降りてきた。
「手、穴開けちまって悪かったな。でもよ、このカラダじゃ他の運び方なんかできねェし、勘弁しろよ」
「ん…気にしてないし大丈夫よ。傷だってすぐに治るもの。それより、その……」
「その?ナンだよ」
「グリフォン、私…やっぱり重かった?」
「ハァ?んなコトまだ気にしてんのか」
「女は常に気にしてるのよ」
「つって仕事のご褒美で毎日食いまくってんだから、捨てっちまえそんなもん。イヤ、コイツは違うな、捨てらんねェで増えてくヤツか。体・重」
「なっ…!?そこはもっと遠回しにっ……うぅ、Vっ!あなたも酷いと思わないっ…!?」
ばさばさと羽ばたくグリフォンを避けてウイユヴェールは佇むVに助けを求めた。しかしVは浮かない表情をしたきり、ちらと視線を向けるとすぐに逸らしてしまった。
再会して一時はほっとしたような表情を見せたのだが、その一瞬以来、はっきりとは目を合わせようとしない。
仕方がないこと…とウイユヴェールもわかっている。
ウイユヴェールに戦う力はない。
悪魔の知識があるわけでもない。
好奇心と…Vへの仄かな気持ちを引きずって街に留まり続けた挙げ句がこの状況なのだ。
Vには目的があるというのに。
彼の力を借りなければここから逃げることもできず、無いこと尽くしの今はウイユヴェールの落ち込みをさらに深くした。
「…落ち着いたならここを離れよう。歩けるか、ウイユヴェール」
「ええ…大丈夫」
それなら、少なくとも足手まといにならないようにしなければと、ウイユヴェールはじわりと血の滲む袖からきゅっと目を上げた。
何かを言える立場ではないが、せめてもの決意を胸にする。
「V、私…頑張るからっ…」
「?……ああ」

チカチカと光る歪んだ信号機の下をくぐり、Vはウイユヴェールの手を引いて横転した車の脇を縫うように交差点を進む。
「人がいないっていうことは…この辺りの人たちは逃げられたのよね…?」
「…恐らくはな」
「オレたちが公園でクリフォトを見てから時間も経ってるしなァ。逃げられたのか、じゃなきゃ"ああ"なって崩れちまったのかも?」
パトカーの二色灯に留まったグリフォンが首をめぐらせる。
視線の先、歩道の隅に黒っぽく丸まったものがあることが遠目にわかる。一つのものもあれば、繋がっていたり、地面に広がり歪んだ形をしたものもある。
しかしそれが何なのかウイユヴェールにはわからない。
「あの黒っぽい塊は…?」
「…気にしなくていい」
「でも、V──」
「そんなことよりも今は安全な場所へ行くことが先だ」
Vが言葉を遮るとウイユヴェールは「そうね」と口をつぐんだ。
元は高級車である凹んだ車体のフロントにまずVが上がり、次にウイユヴェールが手をかけて恐る恐るといった様子でよじ登る。
「普通だったら怒られるだけじゃ済まないわね」
「この車の価値でどうこう騒ぐ人間は、少なくともここにはいない」
「人には言えない体験だわ」
おずおずと、こっそり告げられる声にVは思わず表情を緩めた。
しかしそれもウイユヴェールの手を取ると、気持ちが再び沈み込む。軽い身体を支えてトランクから降ろしてやり、手を掴んだまま歩き出す。
「…V…?」
「……」
ついてくる足音に後ろめたさを感じる。
車から降ろす最に目にしたウイユヴェールの怪我をVは頭から振り払った。
目を離した間に大切なものが失われる──。
幼い頃のバージルの記憶が蘇る。バージルはある時から強さを求めて悪魔と戦うようになったが、それらの苦い記憶の中でも誰かを失う恐怖は一度きり…母を失った記憶だけだ。
今になって呪縛のようにその光景が目蓋にちらつく。
「なァV…。大切にしてェ〜、ってのはわかるけどよ…」
「グリフォンっ…」
「…?」
翔んできたグリフォンが視線を投げ掛けるとウイユヴェールが慌てて言葉を遮った。
呆れと制止を同時に受けたVは、少し間を置いて一羽と一人の視線が意味するものを知った。
早く危険な場所から離したくて掴んだウイユヴェールの手。
赤い血がじくりと白い袖を染めている。
「ね、V…?これ…見た目よりは痛くないからね?」
「……すまない…」
「平気よ、だってそろそろ血も止まりそうだし」
「…そうか…」
「グリフォンが掴んでくれてなかったら私、落ちちゃってたと思うし」
「重かったから…深く食い込んだんだな」
「そうなの体重がね──それは忘れてってば…!」
掴んだままの手は痛々しく、実際に痛みを伴うだろうこともわかっている。
しかしVは離すことができなかった。
今さら守ろうしたところで、ウイユヴェールの怪我が癒えることはない。崩壊に巻き込まれた恐怖心が消えることもない。
ウイユヴェールの負担を減らせる何かができるわけでもないのに、意地に近い感情で子供のように手を離せない。
「謝るのはナシよ。…私だって反省したいこととか恥ずかしい思いでいっぱいなんだから」
「…お前は巻き込まれただけだ。反省することなんてないだろう」
「色々とあるの。でも…恥ずかしいから気持ちの整理もなしに打ち明けることはできないわ」
「なんだそれは…」
「あ。納得してないって顔?」
普段は結われているウイユヴェールの髪も今はほどけてしまい、傾げる頭につられてさらりと肩口へ流れる。
思案の変遷をなぞるように唇は結ばれ、「ここから逃げられたら…」とゆるやかに弧を描く。
「安全な場所に着いたら教えてあげる。だからそれまでは…私を助けて」
「改めて言うまでもない。…はじめからその約束だったろう」
「そうだったわね。…うん」
ウイユヴェールの手がVの手を優しく握る。
互いの体温があたたかく伝わり不安の影が引いていく。
記憶とは違うのだ、とVは頭の奥にちらつく光景を静かに閉じた。
何もできず途方に暮れていた子供はもういない。
少なくとも今の自分は、何ができるのか、すべきかを知っている。
「今の俺にもクリフォトの取り巻き程度なら退けられる」
「頼りにしてるわ」
ウイユヴェールがふわりと笑う。
傍らで羽ばたくグリフォンは物言いたげな眼差しをしていたがVは視線で黙させた。
この惨状はVが望むものの延長にある。
どれほど言葉を尽くそうとも、行動で示そうとも、これは覆ることのない事実だ。
…何も知られずウイユヴェールを助けたいなどと、自分のエゴでしかないことも知っている。

二人の足音とグリフォンの羽ばたきが通りに響く。
転がった破片を避けてコツリ、コツリと不安定に歩くウイユヴェールの様子を見ながら、Vはクリフォトの根が少ない道を選んで進む。
微弱に地面が揺れる。
収まるとウイユヴェールが「そういえば…」と口を開いた。
「魔王が出たら集合ってダンテは言ってたわよね?なら…二人はクリフォトの根元へまた戻るっていうこと?」
「根元つーか、まぁ魔王はどうせクリフォトの中だからなァ」
「ダンテの言葉の通りに、というのは場所として難しいだろうな。だが放っておけばあの男は一人で実行しかねない…」
「クリフォトのどてっ腹に?派手なヤツぶっ放して穴開けて?ヤる気あんのはイイけど突っ走られても他のヤツらがついてけねェっつーの」
「そう、なの…?うーん…あっ、ならあれを使ってみたら?」
Vは自分で口にしながらも"ダンテ"の名前に顔をしかめるのを抑えられず、気づいたウイユヴェールが苦笑する。
気分を紛らわせるようにVの手を引いた。
向かう先には公衆電話が佇む。
「電話は繋がるかしら。V、ダンテの連絡先はわかる?」
「さあ」
「さあ?…えっと、じゃあ泊まってるホテルとか」
「知らないな」
「仕事場の…番号とか…」
「事務所は訪ねたが電話番号までは知らない」
ぽつんと。
赤い個室の前でウイユヴェールも佇む。
手助けになるかと期待をかけた妙案も無惨に潰れ、情けなく下がってしまいそうな眉をぐっと堪えて唇を結ぶ。
「総却下とかよォ、Vー」
「いや…すまないウイユヴェール。だが事務所を訪ねた際にダンテが電話線を引き抜くのを見ている。かけてもどうせ繋がらない」
「うぅ…どんな状況か全然わからないわ…」
「そうだな…、…?待て──」
「え…?」
耳をそばだてるようにして辺りへと視線を走らせたVは、ウイユヴェールを公衆電話から離れさせる。
二人が広い場所へ移動したとき、ひゅるると青空に尾を引いて翔んできた塊が、遠くの建物の一角へ着弾した。
石材が爆ぜ、遅れて伝わる低い爆発音にグリフォンがヒューッと歓声をあげる。
「あーゆーの!威力上げりゃクリフォトにも穴開きそうじゃね?」
「ちょ、ちょっと待ってっ、今のって…悪魔じゃなくて重火器じゃない!?…戦争でもはじまっちゃったの…?」
「確かに戦争でも使える代物だろうな、あれは」
「軍が派遣されたとか…」
「それにしては音が少ない」
「……まさかと思うけど、もしかしてVの同業者?」
「恐らく」
「……。私、同業者の人って、もっとファンタジーっぽい戦い方をするのを想像してたんだけど」
「ダンテが銃を使うのを見ただろう。単純に好みの問題だ」
離れた区画から立て続けに響いてくる振動に鼓膜が震える。
音のみで優劣まではわからないが、重装備をした──恐らくデビルハンターが近くで戦っている。
「あれを使ってるのがダンテだったら探す手間も省けるのに」
「ヤツが好きそうな玩具だが可能性は低い」
「どうして?」
「あれを維持するマメさがない」
「…事務所のことといい、今になってダンテっていう人に興味が湧いてきたかも…」
「Vチャン顔渋〜」
「…うるさいぞグリフォン」


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