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(16)

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記憶はすべてバージルの記憶
しかし今、胸に涌き出でる感情は間違いなくバージルから放り出された"己"のもの、
"俺"だけのもの──

人間界に染み出すように街の一部を陥没させて根を広げた"クリフォト"。
見上げるほどに高くそびえ立った巨大な"樹"に驚き足を止める市民らを追い抜いて、Vは杖をつきながらそこへ向かう。
はじめは早足で、そのうちに駆け足となり、人々の意識が異変に向いているのを良いことに足元の影となったシャドウに乗って滑らせた。

バージルという男にとって、"力"を持っているということは生まれたときからの正に"当然"だった。
父親である伝説の悪魔スパーダに憧れ、その憧れは野心となって、ひたすらに強さを求めた。
弱いまま生きて何の意味がある?強い者に蹂躙されて喰い潰される、そんな生に意味はあるのか、と。
「(…弱い者に強くなれなど、酷なことを言う…)」
幼い頃に母を殺されて家族はばらばらになった。
"力"さえあれば母を守れたかもしれない──その悔しさも憎しみも一つの教訓としてバージルの心に焼きついたからだ。
"力"さえあれば何も奪われない。
誰からも、如何なる者からも不利益を被らないために…自分が自分らしく在るためには"力"が必要なのだと。
「(──この力馬鹿め…)」
いつか耳にしたダンテのセリフを思い出し、Vは皮肉に唇を釣り上げる。
"力"を持ち得る者など極少数だ。
ほとんどの人間は半魔のバージルからすれば弱者であり、腕を切り落とされれば失血で死ぬだろうし、串刺しにされても同じく死ぬ。
そんな人間の弱さも省みず、技を磨き、魔力を求めたバージルは、いつしか強者にしか興味を持たなくなった。
Vはバージルから別たれた身ではあるが、弱者となった身として彼に同情している。
スパーダの子に生まれた瞬間から、バージルは悪魔という禍に関わってしまったのだから。幼さを言い訳にはできず、降りかかる火の粉は自分の手で払うことが当然だった。
バージルもまた、強くならなければ生きられなかったのだ。
だが、そのための"力"を、望むものを手に入れるため弱者の命を奪っても構わないという言い分にVは賛同するつもりはなかった。
「(…なんとも悪魔らしいやり方だ)」
Vの感情がそれを拒絶する。
かつてのテメンニグルも、目の前のクリフォトも、悪魔の力を求めようとすれば人間の血が必ず流れる。
悪魔を前にして、弱い人間に抗う力はない。
母…エヴァがそうであったように。
「(…お前は、スパーダのように強くなりたいと望んだのだろう──…)」
強くなりたい。
誰よりも強く。
「…俺も──…、俺のしたいようにさせてもらう」
強くなければ大切なものさえも守れない──。
Vを切り棄てたバージル…いや、彼から出でた"魔王"は人間の血を求めている。はじまりの場所であるこの街の人間たちを贄としてクリフォトに与え、"力"の源となる果実を実らせようとしている。
…その一部に、ウイユヴェールを使うなど認めるものか。

クリフォトに近づくに連れて、惨状を一目見ようと外へ出てきた野次馬たちと逃げてきた人々が道に溢れて混ざりあう。
シャドウを刺青に戻したVはその合間を自らの足で走り抜ける。
進むほどに疲弊と恐怖の表情を張りつけた人々が増し、泣き声や助けを求める声が耳を掠めた。
地図を見た記憶ではこの先に目的の建物があったはずだ。
人混みを避けるように一つ狭い路地を進み、破壊の余波でひび割れた壁やコンクリートが目立つようになった頃、視界が開けた。
整えられた街並みが続くはずの区画は陥没により崩れ落ち、クリフォトを越えた向こう側まで建物の瓦礫と荒れ果てた地層を晒していた。
…ウイユヴェールがいるはずの警察署も、この付近にある。
「──なァ、Vよォ…こりゃァちっと……さすがにヤベェ状態じゃね…?」
Vから抜け出したグリフォンはゆっくりとした羽ばたきを繰り返す。柄にもなく酷く歯切れの悪い喋り方だ。
「…こうなっちまったら、ウイユヴェールももしかして…その、なんつーか……」
「………」
建物が消え、ぽっかりと抜け落ちた街にクリフォトを囲む空が大きく映える。
グリフォンの言わんとすることもVには理解できた。
「…警察署は向こうの通りだ」
しかし納得などできない。
可能性があるのなら諦めるつもりはない。
つい昨日まで言葉を交わした。ウイユヴェールの体温だってまだ覚えている。それだけ近くにいた者が前触れもないなくなることを、率先して納得できる者がいるならば愚か者か不感症か…あるいは悪魔なのだろう。
「俺は迂回しなければ近付けない。グリフォン、お前は先に行って崩れた対岸を探せ」
「そりゃ…探すのは構わねェけどよ」
「けど、何だ」
「時間がかかるかもしんねェぜ…?」
言い淀むグリフォンをVは鼻で笑って一蹴した。
「それがどうした」
「それがどうした、だァ?…ったく、オレがいなくなったらお前がクリフォトの根っこにブッ刺されちまわねェかって心配してやってんのよ、オレは」
「甘く見られたものだな。お前こそお喋りばかり達者になっていないで鳥の本懐を果たしてみせろ。地上の獲物のひとつも満足に探せないのか」
「は──?…ア"ア"ッ!!?…ほ〜お、お言葉じゃねェの、根暗のお坊ちゃん?そんなに言うんなら?ウイユヴェールなりその切れっ端なり見つけるまで探してやるよ!その代わり見つけるまで帰ってこねェからなッ!」
言葉の勢いを表すようにグリフォンが飛び立つ。
「いい返事だ」
同時に、震えるように地面が揺れ、Vの背後の石壁を無数のクリフォトの根が突き破る。
「見つけるまで…俺もここを離れる気はない」

バージルだったら、こんな気持ちにも想いにも気づくことなく進んだだろう。
"力"を持つ故にバージルが信じられたものは結局、自分だけだった。
脆い身体で脆弱な力しか持たず、けれど進まなければならない自分にとってウイユヴェールとはどんな存在だったのか…。
「(──よく笑う女だ。グリフォンのお喋りに付き合い、無駄話をするのも、聞くのも上手い)」
蠢くクリフォトの根を横目にVは陥没に沿って道を走る。
「(好奇心で悪魔を見たがるのは…危なっかしくて誉められた趣味ではないが…。よく食べて、深く、深く眠る──)」
シャドウを喚び、行く手を阻む根を切り崩させた。
「(悩んでいる時ですらウイユヴェールは楽しそうだ。…どうしてだろうな、見ているこちらにも彼女の感情が伝播する……)」
瓦礫を踏み越え、迂回路を探す。
クリフォトの根は道であろうと建物であろうとお構い無しに生えてくる。ぱらぱらと小石が転がり落ちる音が、絶えず何処かしらで聞こえている。
逃げる人々とすれ違い、惨状をありありと見せつけられ、怪我人や血を流して動けない者ばかりが目に入った。
ウイユヴェールとて、そうなっていない保証なんてどこにもないと頭に過る。
「(…すでに命を落としている可能性も──…)」
望みに縋らなければ足が止まってしまいそうだった。
遠い空に煌めくグリフォンの影を時折建物の向こうに垣間見て、少しでも近づけるように道を探す。
気ばかりが急いて足元がふらつけば、代わりにシャドウが根を食い千切った。
低い唸りがVを叱咤するように耳を打つ。
倒れた市民を引っ張り起こし、逃げろと告げて、また進む。
零れ落ちる誰かの命を一つ掬えば別の場所にいるウイユヴェールが助かるのではと、根拠のない天秤で釣り合いを取ろうとする。
グリフォンの声が響いたのはそんな最中だ。
「──ブン投げっから!ちゃんと着地しろよッ!」
「は…!?冗談よねっ──…!?」
グリフォンに負けじと言い返す女の声。
冗談でも、幻聴でも。
否応なく意識が惹き寄せられる。
「V、…っ!どいて──!!」
咄嗟にシャドウへ敵を近づけるなと指示を出したVはその声を求めて空を仰ぐ。
気がついたときにはすでに、何かを必死に叫ぶウイユヴェールがいっぱいに視界を占めていた。
ばふ──っ…!
風を押し潰す音。
ウイユヴェールを抱き止めたVは息切れも眩暈も忘れて地面に尻餅を着いていた。
尾てい骨がじんじんと痛む。
腕の中で短く荒い呼吸を繰り返して震える身体。
記憶と少しも違わないウイユヴェールの体温。感触。
「ご、ごめんなさい、V…!大丈夫!?怪我はないっ!?私、…あなたをクッションにするつもりなんて──」
頬や額を土埃で汚し、血の滲む小さな傷ごとウイユヴェールが表情を歪ませた。
クリフォト出現による崩落に巻き込まれたのだろう。あの場所にいて、たったそれだけの傷で済んだことを本来ならば喜ぶべきだ。
しかしVは自身の表情も同じように歪むのを感じた。
「(人間は脆い…)」
やわらかな身体や細い背中も、悪魔の牙を以てすれば空気にも等しく引き裂かれるだろう。
グリフォンが落とすまいとして爪を食い込ませていた手首からも血が滴り、Vの視線に気がついたウイユヴェールは隠すように身を引いた。
「(たったこれだけのことでも血を流す…)」
「…V?」
血の色など見慣れているはずなのに、考えずにいようとしていた現実が途端に重さを増す。
Vを棄てた半身が──"魔王"がクリフォトを出現させて次に起こるのは街の魔界化だ。
もちろん広がらない内に全てを終わらせるつもりだが、魔界に侵食されるこの場所に、これ以上ウイユヴェールがいてはいけない。
「(──これ以上、ウイユヴェールを街に留めてはいけない…)」
もし自分に"力"があったなら、悪魔から守ってやると確かな言葉と行動で証明しただろう。
しかしVに、それだけの力はない。
むしろ力を取り戻すためにVはこの惨状を待っていたのだ。
今もなお、空気を振動させて成長を続けるクリフォトにウイユヴェールが不安を滲ませる。
その背中に今一度Vは手を回す。
「…あれも…悪魔のせい、なの…?」
Vの正体を、思惑を、ウイユヴェールが知ったら。
「…こうなってはもう、街に留まれるとは思わないだろう…ウイユヴェール……」
自嘲を含んだ呟きが他人事のように鼓膜を揺らす。
「(…今になって身に滲みる。つくづく馬鹿だな…俺たちは)」
力を持たない自分には何も守れない。
力を求めた自分は全てを壊そうとしている。


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