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(15)

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簡単に話を聞くだけって言ったのに。
ウイユヴェールはむすっと不機嫌あらわな表情で、鳴り響く電話へ手を伸ばす警察官を睨んだ。
警察署に入ってすぐの窓口で昨晩の電話の事を伝えると、愛想の良い受け付けによりウイユヴェールはオフィスへ案内された。
コーヒーが出された。
そこまでは良かった。が。
そこからが悪かった。
すこぶる悪かった。
遺体が発見された建物で本の買い付けが行われていたため、名簿を頼りに、担当者である年若い警察官は参加者を片っ端から呼んでいるらしい。
そのため、ウイユヴェールと一緒にいたが名簿には記載のなかったVについて根掘り葉掘り訊ねられた。
ウイユヴェールも予想はしていた。
事実Vは、上半身はほぼ刺青、黒の袖無しロングコートにアンティーク調の杖を手にした、色白痩身の不健康そうな外見なのだから。
「──外の防犯カメラに映った姿を見た限り、本に興味がある男には見えないな」
不審な青年か…またはロックバンドのメンバーとでも思われて仕方がない。
「それをいうのなら、買い付けに来てたバイヤーも全員が本の虫みたいな顔をしてたわけじゃないと思うけど」
「まぁ確かに、アンタみたいなタイプもいたようだし?」
「…なに?……私が遊んでそうって言いたいの?」
「ああ、いや。そんな年なら本以外の方がよっぽど興味がありそうだと思っただけで、別に言葉に悪気はないさ」
ウイユヴェールを無遠慮に上から下まで眺めて適当にカテゴライズした警察官は鼻で笑って次の質問に移行する。
この時、ウイユヴェールは手の中にコーヒーカップがなかったことを幸運に思った。
持っていたら間違いなくプラスチック容器をへこませていただろう。
警察官は幾つか年上のようだが、この男の感覚に於いては本の存在も、若い女も、だいぶ軽く見ていることはよくわかった。
「それで?そのVとかいう男とはこの街で初めて知り会ったんだな?」
「…そうよ。私は仕事で、Vは人と会うために。お互いに時間があったから食事をして観光をしたの」
「会ったのは昼だけ?」
「そう」
「夜は?」
「私はホテルに帰ったわ。Vの方は知らない」
「本当かよ?信じられないな」
何が言いたいのとウイユヴェールが瞳に力を込めると、それすらも面白いものだと言わんばかりの表情を返す。
もはや捜査の協力をしているのか小馬鹿にされに来ているのかウイユヴェールにもわからなくなった頃、デスクの電話が騒がしく鳴った。
頭の奥まで響くような、激しいコールだ。
思わず顔をしかめる──…

警察官は受話器を耳に当てて背中を向けて話しはじめた。
ウイユヴェールはうんざりして脚を組み替えると椅子の背凭れに沈む。
「…興味本意の話ばっかり。…警官ってこんな人しかいないの?」
「──人手不足なんじゃね?悪魔は市民にカウントされねェし」
ウイユヴェールの独り言に不明瞭な"声"が答える。
室内を見回しても二人以外に人はいない。
いや、"鳥"はいない、というべきだろうか。
「グリフォン──…??」
「おうよ!…って、ウイユヴェールそっちじゃねェ、コッチだって!もうちょい左、ヒダリだ…、イヤ──チョイ行き過ぎッ」
「??」
グリフォンの声に導かれて窓に顔を近づける。
するとそれはガラスの外に…可愛らしい小鳥がぱたぱたと。
「……幸せの青い鳥に転職したの?」
「ご挨拶だな!お前を迎えに来てやったのさ。下にゃVも来てるゼ!」
ウイユヴェールが窓を押し開けると、言葉の通り、杖を手にしたVがこちらを見あげていた。
「うそ──…、待っててって言ったのに」
「チンタラ待ってたら日が暮れちまう!そしたらアレよ、またホテルのベッドでお寝んねして?お前はお仕事、Vは悪魔退治。同じ一日の繰り返しってな!ウイユヴェールにゃそっちの方がお望みだったかもしれねェけど?」
「そ、そんなことないわ…!」
「だったら即決!選択は一つ!飛び下りな!」
「──は?」
「ダ・カ・ラ!飛び下りろっつってんだよ!この窓から!ポリ公が余所見してるうちにジャンプだジャンプ!とっとと逃げちまおうゼってコト!」
「ジャンプだなんて簡単に言うわね…私はあなたと違って羽根なんてないのよ……、ちょっと…?…だめっ、まだ決心がついてないのにっ──」
スズメサイズのグリフォンが思わぬ力でウイユヴェールの袖を引き、ぐいぐいと上半身が窓の外に引っ張り出される。
必死に窓枠を掴んで抵抗をすると、
「ウイユヴェール──」
今度は下からVに呼ばれる。
駄々をこねる子供を諭すような落ち着いた声で。
「何も怖がることはない」
Vは杖を腕に掛けてウイユヴェールを迎えるように両手を広げた。
「受け止めてやる」
くらりとする背中に手を添えるような優しい囁きだ。
ウイユヴェールはおずおずと窓枠に膝を乗せ、
ついに身を乗り出す──

身体の半分がずきずきと痛い。
床に倒れたウイユヴェールは、見晴らしの良くなったオフィスの半分から空を見ていた。
室内にいた自分がどうして広い空を目にしているのだろう…?
疑問が綿雲のように漂う。
斜めに傾いた床に手をついて、アンバランスな平衡感覚に戸惑いながらウイユヴェールは身体をゆっくりと起こした。
Vとグリフォンに呼ばれた光景、それは夢だった。
その夢を押し潰して記憶に蘇るのはオフィスに響いた電話のコールと、頭が割れるような甲高い耳鳴りと低い地響き。そして轟音。
「……なにが…起こったの………?」
先程まであったはずの警察署の壁も廊下も存在しておらず、その先にあったはずの建物も道路も姿を消していた。
ウイユヴェールの瞳にはすり鉢状に陥没した街並みが映る。
陥没の広さはグラウンドほどだろうか。
むき出しになった水道管から流れ出る水音が聞こえ、ウイユヴェールと同じように建物に取り残された人々が誰かを探す声が微かに響く。
声の主を探して身を乗り出そうとすれば、床の淵から小石がぱらぱらと転がって落ちた。
「……っ、」
ウイユヴェールは傾斜の高い方へ慎重に身体をずらす。
先程まで目の前にあったデスクや棚、…警察官も、吹きさらしのオフィスにはもう見当たらない。
轟音と崩落の衝撃で気を失っている間のことだろう。
「…避難しないと……」
茫然と呟きながら、しかし言葉は空虚な響きとなって鼓膜を震わせた。
どこへ?一体どうやって?
廊下は無くなった。
その先にあった階段ももちろん無い。
背後にあるのはひび割れた壁と土に埋もれる窓。陥没で沈みこんだのだから、降りるのではなく登らなければ。
すがる思いで崩れた街に視線を戻す。
惨状ばかりに動揺していたが、異変は崩落だけではない。巨大な"柱"のようなものが崩落の中心に屹立している。
「……あれは…?」
数十メートル先に立つ"柱"の表面には、太く大きな網目があり、仄暗く光る網の内部が鼓動するようにゆっくりと明滅する。
建造物として捉えるには生々しく歪曲し、また有機物と考えるには鉱物めいた輝きを帯びている。
恐る恐る身を乗り出したウイユヴェールは空を仰ぎ見た。
薄らと雲が掛かる上空で、網目の先が絡まり合って枝を伸ばすように蠢いている。
「…あれは、樹……?…動いて…成長してるみたい──…」
異様な"大樹"に目を奪われていたウイユヴェールを現実へ引き戻したのは空を過った一筋の青い煌めきだった。
優雅に異形の"大樹"を横切り、高く、低く、飛翔する。
「──グリフォン…!」
「ウイユヴェール!!本物かよッ!?探してたんだゼ!」
ウイユヴェールに気がついたグリフォンが翼を広げて滑るように降りてくる。
髪を乱す風圧すら、この状況では懐かしく心地好い。
「よく生きてたな!!強運ってヤツ?イヤ、巻き込まれた時点でそもそも不運?どっちでもいいか!とにかくラッキーだ!なァオイ!」
放っておいても賑やかしく響くグリフォンの声にほっと気を弛めそうになったウイユヴェールは、しかし急勾配の床についた手を握る。
「…周りはこんなにめちゃくちゃで……たぶん人も…たくさん…。もう何がなんだかわからないわ。でも、空中にいるあなたは問題なく動けるみたいね」
「当然!地面がひっくり返ったってオレにゃカンケーねェ。ただし留まり木と宿主がいなけりゃ、ソイツは困っちまうけど」
「宿主──…。Vは無事…?あなたがいるってことは、まさか近くにいるの…?」
「細けェ話はあとあと!…ンな心配そうな顔すんなって。連れてってやっから自分の目で確かめな!」
ほらよ!と羽ばたくグリフォンがウイユヴェールに脚を向ける。
「ほらよ?」
「ダ・カ・ラ、掴まれっつー意味!見たトコVよか軽そうだし、ヒュッとひとっ翔びの瞬く間にご到着だ」
「し、失礼ねっVよりは軽いわよっ!………、でも…待って、この感じ……さっきもこんなシチュエーションだったような…」
「アアン?ナニ言ってんだウイユヴェール。アタマでもぶつけた?いいからとっとと手ェ出せよ、オテッ!」
「やだ、そんな心の準備がまだっ…、だって……ねえグリフォンっ!夢よりも高いわ──!」
「ヒャハッ!落ち着けよウイユヴェール、これからもっと高い高いしてやるからよォ!ってコトで平らな地面までご案内ィー。ただし"アレ"の根っこにゃ注意しろよ?捕まったら"ヤツ"に根こそぎ血を吸われちまう!」
さらっと恐ろしげな忠告をしたグリフォンが、その脚でウイユヴェールの手首を掴んでバサッ!と飛び立つ。
ハイヒールの踵、そして爪先が床から離れて両足がぶらんと揺れた。
ウイユヴェールの頭の上で重たい羽ばたきが一つ聞こえるたびに身体全体に風を感じ、腕を引っ張られて高さが増してゆく。
二人で一つとなった影が断崖を降り、遥か下方の瓦礫を滑るようについてくる。
地上と比べて障害物はない。しかしその代わりに、重さと風圧に耐えなければならず、進路が少し曲がるたびに身体が大きく振られる。
落とすまいと力を込めたグリフォンの鋭い爪が手首に食い込み、ウイユヴェールが小さく呻いた。
「〜!…アトチョットだから踏ん張れよッ!」
「…っ、──…!」
ウイユヴェールは両手の力を振り絞ってグリフォンの脚に必死にしがみつく。
足の下を流れていく光景は、倒壊した建物の断片と土砂が混ざり合った悪夢だ。
元の街並みを思い出すことを許さないほどに崩れ落ち、所々に先ほど目を奪われた巨大な"樹の根"が蛇のように這っている。
網の目がちらちらと暗い光を放ち、内部をどくりどくりと何かが流れている。
あれは…?とウイユヴェールが訊ねようとした時、グリフォンが「見えたぜ!Vだ!」と叫ぶ。
声の示した先のコンクリートの断崖にVとシャドウの姿を見つける。
「…っ、こんな場所でシャドウを連れてて大丈夫…!? 」
「人間どもは混乱中! 誰も気にしちゃいねェって!それよかブン投げっから!ちゃんと着地しろよッ!」
「は…!?冗談よねっ…!?ちゃんと普通に──!?」
ウイユヴェールの言葉は途切れた。
それまで手首に食い込んでいた痛みは軽くなり、手の中にあった鳥足は消えた。
ふわっ──と。
なにもない空を飛ぶ。
そうなってしまってはもう。
強くぶつかる落下地点を見定めて腹を括るしかない。ウイユヴェールは唇を噛む。しかしそこには、
「V、…っ!どいて──!!」
シャドウに指示をしながら自身も杖を振るうVがいる。
スローモーションのようにウイユヴェールは時間を浮遊する。
空中で垣間見たのは、地中からコンクリートを突き破って生えてくる"樹の根"たち。陥没に巻き込まれなかった周囲の建物を貫いて、内部にまで"それ"は侵入している。
建物から逃げる人々と、悲鳴──…
「きゃあっ──!」
「…っ──!」
身体に強い衝撃を受けてウイユヴェールの意識が引き戻される。
身構えていたコンクリートの硬さよりも、ずっと柔らかい感触を下敷きに倒れ込み、しかしすぐに、それの正体に悲鳴をあげた。
ウイユヴェールを受け止めて尻もちをついたVが倒れている。早く降りなければと不器用に手足を動かす。
「やだ、うそっ…ごめんなさい、V…!大丈夫!?怪我はないっ!?私、こんな…あなたをクッションにするつもりなんてなかったの──」
「……」
「…V?」
「……クリフォトだ」
「え?」
「……」
退こうとするウイユヴェールの背をVの手が静かに阻む。
"クリフォト"とは…きっとあの大きな"樹"のことだろう。首だけで振り返ればウイユヴェールの瞳にも"それ"は映った。先ほどよりも太くなった幹が内部から膨張するように地面を押し、瓦礫を砕いて広がっていく。
「…あれも…悪魔のせい、なの……?」
みしみしと絶えず軋み続ける振動に、怪我人の呻きや咽び声が混ざる。
自然の理でも、人の手で成せる業でもない光景を前にして、ただただ見ていることしかできない。
常識も知識も及ばない全くの"異物"が、当たり前に存在していた街の一部を容易く破壊して押し潰した。
今も少しずつ、"あれ"は──分かりやすい言葉で表すならば"成長"を続けている。
「…こうなってはもう、街に留まれるとは思わないだろう…ウイユヴェール……」
自嘲を含んだ低い囁きが鼓膜を揺らす。
ウイユヴェールはVに答えようとして唇を震わせた。
早く街から逃げろとはじめから言われていた。
こんな大変なことになるなんて思わなかった。
異変が起こらなければ、まだVと一緒にいられると──
「…っ……」
そんな風に思っていたのだ。
言葉を飲み込んでウイユヴェールは項垂れる。
悪魔を知らないただの人間にできるのは、この街から逃げること。それだけだ。
無言となったウイユヴェールの背をVの手が小さく撫でた。


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