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(12)

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「──ひとつだけ、お願いがあるの…」
組んだ指をもじもじとさせてウイユヴェールが睫毛を伏せる。
ドアの施錠も済ませ、ホテルの狭い部屋に二人きり。
そんな吐息も肌に感じる密室で頬を薄く染め、おずおずとVに迫ったウイユヴェールは長い睫毛を震わせて、その艶やかな唇を開いた。
「V……さっきの黒い豹に触らせてくれないっ!?」
「てめェこら!トキメキを返せッ!」
「グリフォン!?ちょっと、もうっ!邪魔をしないでっ!」
狭い部屋だというのにVから流れ出た大型猛禽類がばっさばっさと翼を羽ばたかせ、ウイユヴェールが風圧を避けるように手を翳す。
「…そんなことだろうとは思ったがな」
「V、さっき呼び出してくれたでしょ。あの黒豹、ずっと私の隣にいてくれたんだけど、たまに悪魔が近づくと、なんていうのかしら…、にょろー!って」
「それがネコちゃんの得意ワザだっての!シャドウっつー名前の通り、自分のカラダを影みてェに自在に変化させんのよ」
Vのため息を掻き消して、グリフォンが椅子の背凭れに留まる。
「ったくオレってもんがありながら、ウイユヴェールはネコちゃんをもみもみしたいって?ニューフェイスが現れりゃすーぐ心変わりかよ、エエッ?」
「……」
「べ、別に揉みたいわけじゃ……ただ撫でてみたいなって思っただけよ」
「ハァ〜っ…。ちったァその手をVのストレスのナニに使ってくれりゃ、コイツも突然キレたり、魔獣遣いが荒くなったりしねェんだケド」
「は?グリフォン、何がなに?」
「…グリフォン、少し黙っていろ」
「こうなったらオレ様もお説教を…って、アッ吸い込まれるッ…!ブイ!?Vちゃーん!?強制送還反対!オレはただ焦れったいチェリーどもをくっつけてやろーとォッ──…」
グリフォンの羽ばたきが空を切り、青い体躯がはらはらとほどけてVの腕に戻っていく。
「…今のは何だったの?」
「忘れていい」
ウイユヴェールの問いにVは短く言葉を被せた。
それ以上の言及も遮るように一体の魔獣を呼び出す。
Vの身体から刺青が流れ出て、漆黒の豹のかたちとなって絨毯を踏むとウイユヴェールが小さく歓声をあげた。
「…シャドウだ。お前が獲物ではないことは理解しているはずだが、揉ませてもらえるかはこれ次第だ」
「ひ、人を変態みたいに…」
シャドウは悪魔との戦いでもないのになぜ呼ばれたのかと胡乱気な眼差しで二人を見あげる。
しかしさほど興味もなかったらしく、すぐにその大きな鼻先を室内に巡らせた。
「でも、ありがとう。…じゃあその…、触らせてもらえるか…交渉してみるから」
「……」
「良かったらシャワー、先にどうぞ」
わくわく。
そわそわ。
ちらちらとシャドウを横目で見ながらVに勧める。
浮き足立っているのは一目瞭然で、勧めながらすでに気もそぞろだ。
普段ならば一呼吸をゆっくりと含むようにして物事を考えるウイユヴェールが、本を前にしたときと同様に瞳をきらきら輝かせている。
喋らないシャドウとどう交渉するつもりなのか…。
Vは少し興味を覚えたが、ダンテのせいで先ほど余計な汗をかいた。早くさっぱりしたいと思い、バスルームのドアを開いた。
入る直前。
「おてっ!…とかしてくれる?…ない?…クールなのね。あぁ…でも、前肢がとっても立派だわ…」
吐息混じりにウイユヴェールがうっとりと呟いていたが、Vは聞かなかったことにした。

バスルームのドアが閉まる。
しかしウイユヴェールは全く気づかず、狭い部屋を散策するシャドウを見守っていた。
「あなたは、お喋りをする悪魔じゃないのね」
「──人間の言葉を喋れんのは上級の悪魔。そのシャドウは、まぁまぁ中級ってェトコだ」
顔を上げると、シャワールームのドアの隙間からするりと抜け出したのだろう、グリフォンが再び椅子に留まる。
「Vに怒られてたのはもう平気?」
「お前が喰われちまったら困るから出てきてやったんだヨ。中級だからってナメると痛い目に遇うぜ」
シャドウは窓やカーテン、ウイユヴェールの雑多な私物の乗るテーブルなどをしばらく嗅いでいたが、見回りをして気が済んだのか、ベッド脇の床にのそりと身体を落ち着かせた。
「それでも触りてェなんて太い神経してやがる」
「私の悪魔の第一印象はお喋りな鳥だったんだもの。これはいわば、あなたのおかげ」
「オレ様はフレンドリーな悪魔だからな。こんな親切なヤツは中々いないゼ」
「そうなの?なら試してみないとね」
「ヒゲとか引っ張んなよ」
「そんなことしません」
黒い体躯を絨毯敷の床に伏せたシャドウは、バスルームのドアを見ている。主の帰りを待っているのだろうか。
ウイユヴェールが隣に膝をつくと瞳だけを向けた。
手を伸ばす衣擦れの音に黒い耳が横を向く。
触らせてね…?
囁くようなウイユヴェールの声をシャドウがどの様に受け取ったかはわからない。
しかし、指先がそおっと、薄い耳と耳の間の頭にちょこんと触れても、シャドウはじっと前を向いていた。
「グリフォン…!みてる…!?」
「へーへー」
指先から、続いて手のひらをシャドウの頭に乗せる。
短い毛足はつやつやと滑らかであたたかく、猫と比べるには頑丈な頭蓋骨はウイユヴェールの手には収まらない大きさだ。
大型の猛獣に触れているという興奮と、しなやかに流れる体躯の美しさに見蕩れた。
頭から太い首筋へ、白い手がゆったりと撫でる様子を眺めていたグリフォンは身体を揺する。
「嫉妬してるの?」
「つまんねェジョーダンだな」
反射のように返される言葉にウイユヴェールは噛みしめるように微笑んだ。
「こんな体験ができるなんて、レッドグレイブに来て…ううん、あなたたちに会えて本当に良かった」
「あン?今さらのお世辞かよ」
「最初は本当に、お金のない行き倒れだって思ってたもの」
「怪鳥を連れた?」
「そ。あなたが喋るのは…百歩譲ったとしても、悪魔のことも自分の目で見るまでは半信半疑で。Vがあんな風に真剣に戦う姿にも、びっくりして……」
「…。ァ?どしたよ」
「えっ?あ…うん……。えっと、その…Vって走ったり飛んだりも一応できるんだって驚いたりもして」
「……。ウイユヴェールよォ、そりゃV本人には言ってやるなよ。たぶんアイツ、へこむから」
「えっ…わ、わかったわ…」
シャドウの眉間のくぼみをなでなでしながらウイユヴェールが頷く。
「Vのヤツだって今の状態に満足してるわけじゃねェし」
「魔王と戦うのはやっぱり大変?」
「ヤツとヤんのはダンテの仕事。アイツらに発破掛けんのがVの役目。で、オレらはVを守んのさ」
「グリフォンとシャドウと、まだ他にも仲間がいるのよね?」
「何でそうなんだよ」
「だってさっき、あなたたちを呼んでもVの刺青はまだ残ってたわ」
「ゲッ。ウイユヴェールお前、悪魔に襲われながらVのカラダを見てたのかよ。ヤラシ〜」
「違うってばっ」
「で? 残る魔獣も見たいの〜、ってか?」
「うん」
「欲かきやがって」
えへへと笑いながらウイユヴェールはベッドにもたれかかる。
「ピンチにでもならねェ限り、アイツの出番はないぜ。オレたちよりも更に特殊なヤツだからな」
明日、ウイユヴェールが街を離れることを思えば、おそらくそのチャンスも無いだろう。
ウイユヴェールの記憶にはVとダンテが悪魔と戦う姿が強く焼きついている。
敵を知り尽くしているからの余裕だろうか、二人の動きはまるで悪魔と踊っているように綺麗だった。流れるように屠り、わずかな逡巡も停滞もない。
そのVが、より強力な力が必要として呼び出す魔獣だとしたら。
「…ピンチと引き換えなら……我が儘は言えないわね」
その出現を願わない方がVのためなのかもしれない。
伸ばした手でシャドウの頭を撫でながら、ウイユヴェールは漆黒の刺青を纏うVの痩身を思い浮かべた。

シャワールームから出ると、ベッドにもたれて眠るウイユヴェールが目に入った。
「ずいぶんと懐いたものだな」
「ウイユヴェールのお嬢、ついさっきまで宣言通りにシャドウをなでなでしてたんだぜ。今は…悪魔との戦闘で疲れちまったのかね」
グリフォンのくちばしの指す先には、床にずり落ちたウイユヴェールの手と、その手のひらに乗っかるようにシャドウがしっぽを置いている。
Vの言葉に答えるように、シャドウはしっぽの先だけを動かした。
「お前たちに子守りの才能があるとは知らなかった」
「弱っちい人間だからなァ。ついつい慈悲とか?優しさとか?与えちまうっていうか。ま、昔のオレらだったらゼッテー考えられねェな」
「そういうことにしておくか」
片手に持った上着を椅子に掛ける。
痩身に残される最後の刺青が照明のもとに晒されている。
「ウイユヴェールは"ナイトメア"もご所望だとよ。呼んでやんの?」
「馬鹿を言うな。あれを街中で呼べると思うか?」
「映画の撮影とか誤魔化しゃインジャネ?」
「…妙な知恵をつけたな」
「そりゃウイユヴェールの仕業ってモンよ」
シャドウはVの指示がなければ姿を現すことはないが、グリフォンはこの性格のため、気軽にVから抜け出す。
気がつけばウイユヴェールと並んでテレビを観ていることすらある。
「魔帝の腹心だったプライドはどうした」
「さァなァ。今のオレはしがない群れの二番手だ」
「動物的な考えだな」
「所詮トリなんでね。"今"しかねェのさ」
グリフォンの言葉にVの口許も弛む。"今"しかないのは皆同じだ。
バージルの負の記憶の、さらに欠片として放り出された彼らにとって、宿主となったVの存在こそが命となる。
"V"が"バージル"へと戻った時、彼らが統合というかたちを取るのか、それとも消滅するのか、その時にならなければわからない。
未来への怯えも持たず、ただ刹那的な愉しみを優先させるのは悪魔の持つ業かもしれない。
「"オレたち"はセイゼイ楽しませてもらうぜ。お前とダンテの喧嘩をよォ」
「それとウイユヴェールとの深夜番組か」
「ァ?…それもまァ……悪くはなかったな、ウン」
グリフォンにとってウイユヴェールは良い暇潰しだったのだろう。以前から一人でも煩く喋っていたが、まさかこんな頻繁に出入りするようになるとはVも考えていなかった。
気持ちを誤魔化すように身体を揺らしたグリフォンが、わざとらしくゴボンと喉を鳴らす。
「で?ウイユヴェールは寝ちまってるけど?起こすか?シャワー空いたぜって」
「いや…。寝かせておいてやれ」
Vはベッドからシーツを捲ると枕を引いた。
先ほどはウイユヴェールを受け止めてふらついたが、それは戦いで消耗していたからで、今なら人間の一人くらい…女くらいなら抱えられるはずだ。
傍らに膝をついてウイユヴェールの腕を肩に回すと、何かにぴんときたグリフォンが含み笑いを漏らす。
「無茶ヤんなよお前ー?体力ねェんだからよォ。腹上死とかマジで」
「……シャドウ、トリ肉は好みか?」
「待て!マッテ!怒ンなよジョークだって!コレ笑うとこッ!」
「──…、」
「シャドウもコッチ見んな!ヨダレヤメロ!」
慌てたように激しく羽ばたくと、グリフォンは逃げるようにバサッ!と刺青に戻った。
シャドウもまた、立ち上がってウイユヴェールの匂いを覚えるように鼻を寄せて刺青へと姿を戻した。
二人きりに戻った部屋に無防備な寝息が響く。
ウイユヴェールを抱き上げたVは起こさないようにゆっくりと、その身体をベッドへ下ろした。
出会った時から近すぎる距離で過ごしてきて、同じ空間にVがいることに慣れてしまったのだろう。
「…ウイユヴェール、少しは自分の心配をしてくれ」
ウイユヴェールは親切であり情も深い。グリフォンはああ言って煩いが、関係を持ったとしても、きっぱり忘れられるタイプではないことも想像がつく。
Vにとっても今だけの悦楽のために手を伸ばすことへ漠然とした畏れがある。…この先、自分が彼女に何かを返してやれる確証などないのだ。
Vの思惑がすべて上手くいったとして、次にウイユヴェールの前に現れる自分はもう"V"ではない。
「(悪魔とは無縁の世界で生きてきた人間だ。これまでも、これからも)」
そう、心のどこかで囁きを感じているというのに。
持て余した心の向かうままに、眠りから覚めないウイユヴェールの頬をVはひっそりと撫でた。


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