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「#エロ」のBL小説を読む
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(11)

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庭を駆けまわり、キャッチボールをするのと同じくらい、本を読むことが好きだった。
空想の世界に浸り、窓の外に、ドアの向こうに、地図にも図鑑にも載っていない場所や生き物がいたらと密かに心を楽しませたこともある。
しかしそれは幼少の頃のひとり遊び。
この現代で、図鑑に未登録の生き物が発見されればネットニュースとなり、地図にない島が現れれば地殻の変動を学者たちが討議するであろうことを、大人はだいたい知っている。
「(…ブランドのロゴみたい…)」
満月に向かって、どこかコミカルに吹っ飛ばされたトカゲの悪魔をウイユヴェールは瞳で追う。
屋上には依然として"トカゲ"もいる。"虫"もいる。
死神のような大鎌を持った"骨ミイラ"も現れた。
一番それが悪魔っぽいかもしれない。
何杯かのビールと荒っぽい運搬のコンボにより落ち着かない腹具合を、ウイユヴェールはどうにか治めようと胸元をさすった。
「吐きそうか、ミス・ウイユヴェール?ならいつでも言ってくれ。紳士らしくそっぽ向いててやるから」
「…紳士らしさを発揮するのなら、もう少し早めにお願いしたかったわ。ミスター・ダンテ…」
Vにダンテと呼ばれていた男は足元に座り込むウイユヴェールに肩を竦める。
ホームランの要領でさらにもう一体、トカゲを場外に飛ばした 一振りの大剣を、赤いコートの背に納めた。
いつの間にそんなものを携えたのか…それとも隠していたのかも、最早摩訶不思議の領域だ。
「…もう何を訊ねたらいいのかわからないけど…ここは剣と魔法の世界になったの…?それとも、本当の私はまだパブにいて一人で酔って夢をみているだけなのかしら…」
「俺の存在も"夢"のひと言で片付けるつもりか」
Vはコンクリートを撫でるように杖を振る。
動きに添って黒い影が滑り、影はウイユヴェールの傍らで漆黒の豹へと変化する。
「シャドウ、ウイユヴェールを守れ──。これを悪夢で済ませたいなら目を閉じ、耳を塞いでいろ。明日、街を出るまではお前を守ってやる」
「ヒャハ!細っせェ魔法使いに中年魔剣士たァ、白馬の王子サマにゃ程遠いけどなァ!」
悪魔の一体をグリフォンの雷が叩き伏せた。
「ま、酔っ払ってゲロ吐いちまいそうなお姫サマじゃ?その位がお似合いってもんだぜ、ウイユヴェールちゃん」
グリフォンの声にウイユヴェールはゆっくりと微笑む。
白い顔のまま中指を立てた。
Vは呆れたように視線を天に巡らせ、ダンテがさも愉快とばかりに大きく笑い、戦いが再開される。
それは時間にすればものの数分という短さだった。
しかし絵本などでは想像も及ばない、血肉の跳ね飛ぶ生臭さと断末魔に飾りつけられた、濃密で凝縮された時間だった。
グリフォンが雨のように降らせる雷撃が屋上一帯を真昼の如き光で包み、動きを止めた悪魔を、Vの作り出した"杖"が、あるいはダンテの拳銃のから放たれる弾丸が撃ち抜く。
焦げつき見過ごされた悪魔がウイユヴェールへ腕を伸ばせば、足元から這う黒い影が油断なく貫いた。
隣で四つ足を張る黒豹に「あなたなの?」と訊ねても当の本人は知らんぷり。
首を傾げる間に、すべての悪魔は塵となり姿を消した。
静寂を取り戻した屋上でダンテがVに不満を吐き出す。
「雑魚ばっかだな。ストレッチにもならん」
「雑魚ばかりでも、数は日を追うごとに増している」
「見つけてちまちま殺してんのか。ご苦労なこった」
「際限がなかろうと…湧き出た悪魔を殺さなければ何倍もの住民が殺される」
「本命の魔王はどうした?親玉を始末すりゃ全部解決するんだろうが」
「生憎、魔王のスケジュールまでは把握していなくてな。…良かったら教えてくれないか?魔王の寝相も、散歩のタイミングも、どうせお前と似たようなものだろう」
「突っかかるなよ。お前の情報で来たんだぜ?俺が知ってんのはアイツが力馬鹿の負けず嫌いってことくらいだ」
険悪に睨み合う二人の周囲をグリフォンが「前哨戦ヤっちまう?」と囃し翔び、シャドウがVの足元へ馳せる。
仕事を依頼したVと話を持ちかけられたダンテが同業ではあっても特別に良好な関係ではないことは十分に理解した。
ウイユヴェールはVの前に割り込んだ。
「魔王だなんていよいよファンタジーね。でも──」
ダンテの胸を押し留める。
「私が知ってるこの街にはファンタジーに聞く耳を持たない警察があって、ついでに酔っぱらいの幻聴じゃなければ彼らのサイレンも近づいてきてるわ」
一呼吸に捲し立て、再び大きく息を吸う。
「私たち、これからどうしたら良いと思う?」

三人(と一羽と一匹)の意見は一致した。
響き渡るサイレンを背後に聞きながら屋上を移動して、ダンテとV、ウイユヴェールは裏路地に降り立った。
「──Vの連れってことで、おっかない女がまた増えちまったのかと思ったが。まさか本当に一般人だったとはな」
表通りへ合流し、繁華街の夜を楽しむ人々の流れに入ってしまえば、数分前まで殺し合いの場にいたことなど幻のように思えてくる。
「あなたたちみたいな人が他に何人もいることのほうが私には驚きよ」
歩道まで溢れるように広がるテラス席からは、テーブルに供される多種多様な料理の匂いが混じり漂う。
「おっかない女の一人目ならもう街に到着しているぞ、ダンテ。…昨日の夜、ウイユヴェールが地下鉄で助けられた」
「昨日も?よほど悪魔に好かれてるらしいな。旨そうな匂いでも出てんのかね」
「そんなの、こっちが訊きたいわ」
まさかダンテの言葉を信じたわけではないがウイユヴェールはつい、手や身体を確かめるように鼻を寄せた。
馬鹿馬鹿しい、とVが手首を掴む。
「単純に確率の問題だ。ヤツらが出現しやすい場所にウイユヴェールが通りかかった。それだけだ」
「やっぱりそう…?」
「下級の悪魔に知性はない。人間を見つければ誰でも襲う」
「悪魔と出会ったことなんて人生でただの一度もなかったもの。何を言われても信じちゃうわよ」
「ほーお?じゃあこれは知ってるか?悪魔を殺した男と一夜を共にすると魔除けになるらしいぜ」
「嘘ね」
「愚かしいな」
「息ぴったりか」
仲良しさんだなとダンテは笑うと、ひらひらと手を振って二人から離れた。一杯やるのに丁度良い店を探しに行くという。
「俺は適当にやってるからな、V。ウイユヴェール、アンタも早いうちに見切りをつけて逃げた方がいいぜ」
「それはVに?それともこの街に?」
「両方だ」
「……」
「じゃ、魔王が現れたらそこで集合な」
まるで飲み仲間との待ち合わせを伝えるようにダンテは人混みの中へ紛れていった。
Vは無言で視線を向けていたが、ウイユヴェールが声をかけると歩き出した。
二人には特に目指す場所があるわけでもない。
ただ騒ぎを経て、もう一度どこか別の店に入り直すという気にもならなず、雑踏の流れるままに足を進める。
「…ダンテ、って。…何となく馴染んで呼んじゃってるけど。好き勝手に喋っていなくなっちゃったわね」
「……」
「"同業者"の彼らと合流して、"魔王"を倒す──…それがVの、レッドグレイブでの目的……これで合ってる?」
「……。馬鹿げていると思うか」
ゆっくりと歩幅を合わせながらもVが振り返る。
ウイユヴェールは首を振った。
Vの連れているグリフォンと接してきて、悪魔という存在を甘く考えいた。
本能のままに襲ってくる生き物と対峙した時、人間はあまりにも無力で無防備だ。警察や法律に守られるこの街で、人間以外の存在に殺されることや、まして喰われることなど有り得ないと思い込んでいた。
「…あなたは最初から忠告してくれてたのに。さっきダンテに運ばれてる時、悪魔が飛びかかってきて、あ、死んじゃう、って身が竦んだわ」
その時に感じた肌寒さを思い出すように、ウイユヴェールが己の身体をさする。
夜風すらも冷ややかに思えて、少しでも早くあの、二人で寝泊まりするには手狭なホテルに帰りたいと心の底で望む。
…あの部屋に閉じ籠ったとしても、Vの予見する状況になってしまえば、それも無駄なのだろうけれど。
「人って案外動けないものね。悲鳴すら出なくて…できたことといえばダンテのコートにしわを作ったくらい」
思い出すほどに諦めたような笑いしか浮かばず、少し先の石畳を追いかけるように視線を落とす。
隣を歩くVが足を止めた。
「……すまなかった…」
「うん?」
「傍に居ると言っておきながらこの様だ…。誰かを守るのは…やはりダンテの方が向いているのだろうな」
「まさかV、責任でも感じてるの?」
「……」
Vは口を閉ざし、ウイユヴェールはきゅっと眉をしかめた。「もしそうなら、それは違うからね」と否定を添えて。
「この街に留まることを決めたのは私。店の外に一人で出たのも。あと悪魔を甘く見たことだって、私の判断」
ひとつ一つを言い含めるように指を立てる。
「それにVだって私を守ってくれたでしょ。メモを落とした地下の廊下で。悪魔から」
「…気づいていたのか」
なぜかVはやや驚いたように瞳を見開く。
「廊下の空気が妙にイヤな感じで…息苦しくて。でもVが…、その……守ってくれてるような気がしたから…じっとしてたの」
「……正しい判断だな」
「でしょう?…だから、ほら……Vはちゃんと役目を果たしてくれてるわ。落ち込む必要なんてないのよ」
「落ち込んでいるのか、俺は」
「そう見えたけど、違うの?」
微妙な顔つきになったVが顎に指をあてる。
「…」
「ダンテに対して、むきになるっていうか。Vにしては珍しく熱くなってるみたいだったから。その反動で今はへこんでるのかなって…」
思ったんだけど。
今度こそVは不快で心外極まりないという色を宿したペリドットの瞳でウイユヴェールを見返した。
「むきにはなっていない」
「ほら、そういうところ」
「……。」
「あっ、ちょっと待ってってば……っ、きゃ──」
人々の流れに混じって早足で帰ろうとするVに慌てたウイユヴェールがつまずいた。
咄嗟に伸ばされた刺青の腕が転ぶ寸前の身体を支えてよろめく。
ウイユヴェールを軽々と担いで運んだダンテの腕に比べればだいぶ細く頼りないことは否めない…が、Vはそれ以上のふらつきをぐっと堪えた。
「…っ」
「ご、ごめんなさい…あと、ありがとう」
「………、帰るぞ…」
「うん…。……あの、V…?」
ウイユヴェールは礼を言ったのだが、Vは支えた腕を離さない。さらには手を取ってそのまま歩き出した。
傍から見れば腕を絡ませて歩く恋人同士…、しかし実際には容疑者を確保したかのごとき力強さだ。
約束を違えたことが許せないのか、
ダンテと比べられるのが嫌なのか、
それとも単純にダンテとの相性が悪いのか…
もしかしたらその全部か。
ウイユヴェールはこっそり、取扱注意と心にメモをした。


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