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(9)

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裏路地に女の声がこだまする。
しかし路上に人影は無い。
声の主は頭上にあった──。
「やっ…きゃっ! 待って待って待って!落ちちゃう!これほんとに落ち──…っ、いやぁぁあ!」
「はっ!こりゃまた喰いつきがイイな。お前さんは悪魔に好かれる素質がある」
「全力で!そんな素質いらないわ!私はVを待つからっ、いいからもう降ろして…っ!」
「遠慮するなよ。あのポエム野郎より俺のが頼れるぜ?」
「遠慮じゃなくてっ…!」
「よっ、と!あー…次はちょいと遠いな。落とす気はないがしっかり掴まってろよ」
「………。はい?」
「通りを飛び越えたアッチの屋上のが戦いやすそうだ」
!?
夜空に優雅なアーチを描いて。
肩に女を担いだ赤いコートの男がメインストリートを飛翔した。

──遡ること30分前。
ウイユヴェールは上機嫌でこの一日を終えようとしていた。
連日、寝泊まりをするベッドは半分ながらも、ふとした会話を楽しめる同行人や鳥がいて、任せられた仕事も順調にこなせた。
本音をいえばもうしばらく多くのものを見ておきたかった。
けれどレッドグレイブに長く留まることを同行人が勧めなかったため、そろそろ街を離れようと考えていた。
そんな同行人──Vを、テーブルに頬杖をついてウイユヴェールが眺める。
「食事にグリフォンは呼ばなくて平気だったの?」
Vとウイユヴェールが座るパブのテーブルにはグリフォンが着席できるスペースはない。
彼が相伴するならばホテルでの食事を選んだのだが…。
「あれは魔力でかたちを保っている。俺が存在していれば、そもそも食事は必要としない」
「ふーん。そのわりにお肉をねだられた記憶はあるんだけど。どういうこと?」
「あくまでも鳥だ。許してやってくれ」
気を使わなくていいというVの言葉に甘えて適当な店に落ち着いた。
店内の席はほぼ埋まっており、グラスに注がれたビールの泡がゆっくりと循環する。
すでに何杯かグラスを空けていたウイユヴェールは、ほろ酔いに撫でられるように頬をゆるめた。
「ひとにばっかり勧めてないでVも飲んだら?」
「俺はいい」
「苦手だった?」
「ウイユヴェールが潰れるのを眺めるだけで十分楽しめている」
本気なのか冗談なのか、Vの白い顔には普段通りの薄い笑みが浮かぶ。
深い感情の読めないペリドットの瞳は、常に一歩引いた場所から物事を観察するように静かな光を帯びている。
無関心。
興味がない。
冷めている。
どれもが当てはまるようでいて、またそれらの言葉では捉えきれない印象も受ける。
Vが探しているという人物を見つけたとき、彼の視線はどの様な熱を帯びるのだろう…。
ビールの泡越しにじっと考えていると、ウイユヴェールの眼差しにも気がついているだろうにVは余裕の微笑みで「なんだ?」と訊ねる。
「Vの美形っぷりをしっかり見ておこうと思って。明日にでもさよならしたら、あなたみたいな特殊な人とは二度と縁がないと思うし」
「明日…街を出るのか」
「いちおうはそのつもり。でね。いつかまた、この街に来ることになったとしても、Vにはきっと、もう会えないと思うから」
「……」
「だから見溜めしとくの」
「……。ウイユヴェールの祖父はこの街に住んでいたと言ったな」
「うん…?」
「お前の祖父だ。レッドグレイブにいた」
「ええ、そう」
「お前自身はこの街で暮らしたことはないのか」
「ないわ」
「…昔、ここで起こった事件については?」
「じけん?」
「話を変えよう。…お前の祖父が本をやった子供は…その後どんな大人に成長したと思う?」
「どんな…?」
Vの興味の向かう先がわからず、ウイユヴェールはふわふわと漂うような思考で言葉を返す。
祖父は何の本を渡したと話してくれただろう。
名前を書き込んだ男の子。
小さな双子の兄弟。
彼のことをもっと聞きたかったけれど、訊ねると祖父は…なぜだか少し、悲しそうな顔をした。
「その子は……名前を書いたくらいだから…隠したり、自分だけで読むつもりはなかったのよね。兄弟ケンカもするけど…。仲は良かったのかしら…」
グラスの表面を伝って落ちる水滴を目で追う。
頬杖から、くたりとテーブルへ乗っかるようにウイユヴェールの頭が落ちる。テーブルに点々と溜まった水滴を、繋げるように指でなぞった。
「ケンカもするし、活発な性格…?でも…本を読む男のひとの横顔は色っぽいと思うわ」
「後半は想像というより願望のようだな」
Vの声が降ってくる。
ふっと視界も暗くなり、Vの手が影を作ったことに気がついた。
ウイユヴェールの頬に落ちた髪を梳いて耳にかける。
「…女の髪に触るなんて、やらしい指先ね」
「同衾は倫理違反にならないのか」
「ふん。一緒のベッドで横になっただけよ」
この数日の記憶をどう掘り返しても、Vとの関係は見事に爽やかに健全に、楽しく過ごしたルームメイトとしか表現のしようがない。
ボトルを煽るVの白い喉は薄暗い照明に色っぽく映り、やはり負けた感の否めないウイユヴェールが、すん…と鼻を鳴らす。
ついでに携帯電話がコールしたため頭を起こした。
「──…ごめんなさい、少し外すわ」
静かに応えたVに背を向けて、ウイユヴェールは店から出る。
隠れ家のような裏路に面した扉から離れて携帯に視線を落とす。見覚えのない番号は鳴り続けている。
こちらに来て以来、仕事の関係で連絡先の交換は何度か行った。その関係かと耳に当てれば男の声が事務的に伝える。「中央署の者ですが──」と。
ウイユヴェールは眉をひそめる。
[貴女が──、──の地下で男性の変死体が見つかり、その時間に現──いた──もお話を──]
しかし建物に阻まれて電波が弱いのか、音声は途切れがちで大事な部分が聞き取れない。
「…地下…、変死…?」
不穏な言葉を無視するわけにもいかずに場所を移動して耳を澄ませた。
けれど途端に通話終了を伝える電子音がツーと響く。
「…なんなの…」
ウイユヴェールはため息と同時に視線を伏せた。…一番最近に地下へ降りた記憶を問われれば、何を隠そう、つい数時間前だ。
何も見ていないし、何も聞いていない。
ただ、訊ね方を変えられれば違う答えをせざるを得ない。
──湿った風が通り抜け、ぞくりと肌が粟立った…。
記憶と現実が被るように、ぬるりと空気が動く。
虫のような鳥のような…キチキチと身体のどこかを擦り合わせる耳障りな音がした。
振り返ると人間とほぼ同じ大きさの"虫"がいた。
コツ、コツ、と細い脚が石畳を打つ。
虫を好んで観察したことはないが、幼い子供なら誰しも、蟻や蟷螂に顔を近づけて眺めたことくらいはあるだろう。
人間よりも遥かに小さく感情を持たないその生き物は、自分より大きなものを運ぶ力があるそうだ。
仲間と行動し、縄張りに入り込んだ同種を攻撃したり、生きるため同族を殺し喰らうこともある…。
眼前の"虫"の背丈はウイユヴェールを軽く越える。
丸く膨れた血の色の尻には産毛に似た突起が生え、鎌のように鋭く曲がった前肢にはギザギザと硬質な棘が光る。
こちらに向く一対の眼は機械のように無機質だ。いや…
"虫"の顔には…その中心に存在する凹凸は…なんだか人間の顔にも見えて……、
「…うぇ…、…きもちわる……」
生理的嫌悪が脊椎をぞぞっと這いあがり、自分の身を抱き締めて後退ると、"虫"が一歩、ウイユヴェールに近づいた。
虫は苦手。来ないでほしい。ていうか虫?おっきい虫?かれは新種?それとも何かの実験サンプル?研究所がナニしちゃって街に流出?…待って、これは違うお話だわ…。
いよいよ"虫"の顔っぽい部分までもがはっきりと見える距離に近づき、ウイユヴェールが、ひっ…と悲鳴を詰まらせた。
「害虫駆除は便利屋の仕事──と言いたいところだが、このサイズじゃあコッチの領分だな」
男の声がしたと思ったら肩をぐっと引かれる。
「到着して早々ツイてねェ。さっさとコイツらを片付けて一杯やりたいもんだが、アンタ、どこか良い店を知らないか?」
"虫"からウイユヴェールを離すように声の主が前に立つ。
赤いコートを羽織った銀髪の男だ。
場にそぐわない陽気な声色と、"虫"に狙いをつける漆黒の拳銃。
ウイユヴェールは、命の行く末を握る男の太い腕から、髪と同じ色の不精ひげへと視線を移す。
「…コイツ、ら…?」
「よく言うだろ?一匹見たらナンとやらだ」
掴まれた肩を操られるように反対側に身体を向ければ、さらに"虫"がもう一体、路地に現れていた。
上にもいやがるなと男は不快そうに舌打ちをする。
「派手にヤると巻き込んじまう…。悪いがアンタにも付き合ってもらうぜ」
言うや否や、あっさりと男はトリガーを引く。
ウイユヴェールの視界の端で赤い飛沫が上がる。
発砲音に身を竦めていると、次の瞬間には腹部に腕が回され、荷物のように男の肩に担がれた。
「え?…ちょっ…!ちょっと、何するの──!? 」
「ナイト・パレードに御招待だ。アトラクションに乗ってるつもりで気楽にしてて良いぜ、ミス──」
「……ウイユヴェール?」
「ウイユヴェール」
ニヤリと満足の笑みで頷いて、男は動いた。
背後から接近する"虫"へ向かって走る。
担がれているウイユヴェールは、つまり後ろ向きに進むことになる。男に頭部を吹っ飛ばされて血溜りの石畳で痙攣する"虫"を見てしまい、思わず赤いコートにしがみついた。
「──悪い夢さ。すぐに忘れる」
男は"虫"を踏みつけて真上に飛んだ。
不要になったその足元に向けて銃声が一回。
手近な非常階段の手摺りに足を掛けてさらに飛翔──ウイユヴェールの目には建物の壁が流れるように過ぎ去り、ついには裏通りに連なる屋根と屋上が広がる。
遠くまで見通せる一瞬の無重力。
夜空に包まれるような感覚を経て、屋上に着地した。
腹部に伝わる圧迫感に、先ほどまで摂取していたアルコールを思い出していると、今度は聞き慣れた声が下から響いた。
「ウイユヴェール──…!」
「けほっ…、ブ、イ…!?」
「ミス、あの優男と知り合いか?」
男もまた、屋上の縁から路地を覗き込むように訊ねる。
「今まで一緒にいたのよ……。やだ、うそ…本当に屋上?何が起こったの……、とにかく降ろして…っ」
「残念だが途中下車はさせられないな」
「どういう──…」
意味──
想像を越える移動と乗り物酔い(?)の息苦しさを押さえて、上半身を起こしたウイユヴェールは言葉を呑む。
夜風が運ぶのは微かに漂う血の匂い。
屋上を見回せば先ほど男が撃ち抜いたのと同じ"虫"が、さらには"トカゲ"のような体躯をした何かが闇に蠢いている。
見たこともない姿の"それら"は、人間に本能的な恐怖を呼び起こす。
これが"悪魔"という存在だと。
「…Vが言っていた同業者ってあなたのこと…?」
「同業者…?こっちは向こうを知らんがな。まぁアイツも参加するってんなら広い場所に移動してやるとするか」
それまで下を見ていた男は突然、身体を反転させた。
落ちそうになったウイユヴェールが悲鳴をあげる。
「きゃぁ…!やっ、落ちちゃう…!場所を移動って…あなた一体何する気──」
「欲しがりだな。わかってるクセに聞きたいのか?」
人間一人を抱えて建物を駆け上がるような男だ。
ウイユヴェールが抱いた予感は、残念ながら外れるアテがない。
毛を逆立てる仔猫が相手の如く男の腕はびくともせず。
そして夜空に絶叫がこだまする──。


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