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(8)

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「お昼までは籠ることになると思うわ」
ウイユヴェールはそう宣言すると本の海へと入っていった。
残されたVもしばらくは空気を楽しんだり、手に取った本のページをぱらぱらと捲っていたが、ふと感じた気配に部屋を出た。
開け放たれた扉を出て廊下へ。
ひとが通る真ん中部分がくたびれた絨毯を踏み、階段を見下ろせる吹き抜けの通路に到達する。
先程までいた部屋は、それこそ商談に熱を込める人々で活気が満ちていた。
しかし館内の他の階層は静かなものだ。
「館内行事の本日の目玉が読書クラブ?一周回って最先端じゃね?ついでにアレよ、魔獣にもデキる一夜限りのお友だちの作りかたとかあったりする?」
Vの身体から抜け出したグリフォンが、バサッと羽ばたいて手摺りに留まる。
「お前の相手が何を指すのかは知らないが、ちょうどお友だちが訪ねてきたらしい」
「あらヤダ、ドレスなんてもってないわよアタシ」
「速やかにお帰り頂くとしよう」
Vは手摺りに手をかけると躊躇なく飛び越えた。
全身に風を受けながら吹き抜けのフロアを落下して、最下層──エントランスの床まで数メートルという高さで、滑空したグリフォンの脚に掴まり勢いを殺す。
「帰るは帰るでも"塵へのお還り"だけどなァ!まぁ古くせェ建物だし、ちょっとくらいホコリが増えたってバレねェよな?」
年代物の燭台の横をグリフォンが戯れに翔び過ぎる。
Vは天窓からの光を背に受けながら、廊下から地下へ続く階段へ。杖のかしらを手のひらに打ちつつ、段を降りた。
「あまり散らすな。ウイユヴェールが嫌な顔をする」
「ホーホー。ずいぶんとお気に入りじゃねぇの、あのお嬢ちゃんのコト。ママ似の美女とどっちが好み?ポエム詠んじゃう?」
笑い声をあげてバッサバッサと頭の周囲を翔び回るグリフォンを無視して、左右に伸びる廊下を見渡した。
湿気を帯びた空気は地階よりもひんやりと冷たく、分け入るように片方を選ぶ。
「ジメ〜ッとしてんなァ。本の保管とかよ、こんな場所が向いてんの?」
「向かないだろうな」
ぴたりと閉まった幾つもの扉の前をゆったりと過ぎて、灯りの乏しい最奥の部屋の前に立つ。…扉は少し開いている。
杖の持ち手で押せば小さく軋みをあげた。
室内から冷気が流れ出る。
「ハローハロー?空気が籠ってやがる、もしかしてお取り込み中だった?」
暗闇の奥から硬質の何かがパキッと割れる音が弾けた。
次いで、無数の氷の礫石が鋭く飛んでくる。
屈んで回避し、中へと進んだVは壁を叩くように照明のスイッチを入れた。
低い音を立てて電気が供給された室内が明るく照らされる。
物置として使われているのだろう、ガラス戸が嵌められた棚が壁際に並び、布を被せられた大小の立体物は部屋の隅に、テーブルには積まれた書物やファイルが目に入る。そして──…
「Vちゃんよォ、ありゃ胸像ってヤツ?」
「…"本物"で作られた、な」
埃の匂いが満ちる部屋の角に浮かぶタールのような黒い塊──、その下に転がるのは氷漬けにされた人間の上半身と下半身だ。
折られた断面から血液が流れないのは体内まで完璧に凍っているためだ。
「ル、ルー…ルルル……ルサー…??なぁV、ソイツ、ええとその悪魔。なんつったっけ?」
「さあな。片付けるぞ」
黒いタール状の悪魔──ルサキアの表面に、縦や横、何本もの筋が入る。
隆起してぱっくりと開いた口には人間のものに似た歯列が存在し、各々がくぐもった"音"を紡ぐ。周囲の空間に現れた炎と雷の呪詛が光りはじめる。
「させねェぜッ!」
グリフォンが詠唱を妨げる雷を放ち、Vはルサキアの真下を狙って"影"を生む。
"影"は漆黒となって膨れ上がり、何本もの鋭い棘でルサキアを空中に縫い止めた。
中断された呪詛の雷が弾けて火花が絨毯を焦がす。
「口数が多いな。少し削ってやろう」
Vの言葉に従うように"影"が形を変化させる。
棘を"身体"へと戻すと、今度は弾むように床から跳び、巨大な刃となってルサキアを抉るように切り刻む。
「口は災いの元と…昔から云うだろう?」
呪いの断片を響かせながら、苦痛と絶命の恐怖に蠢く体躯にVは杖を片手に近づいた。
「ルサキア…?そうだ、ルサキアだ!やーっと思い出したぜ!って、アァッ!?終わっちゃったのっ?」
「とっくに」
グリフォンが羽根を叩くように喜びを表現した時、ルサキアを突き崩したVの杖は言葉の通りとっくに床に着いていた。
「んだよー、Vもネコちゃんもよォ。終わったなら終わったって早く言ってくんね?オレだけはしゃいじゃって恥ずかしー」
「──」
悪魔が空気に溶ける様を鼻先で追っていた"影"──黒豹の形を成したシャドウが無音でVの足元へ寄り添う。
Vは部屋の隅に転がった氷漬けの遺体を見遣った。
「…他の部屋も確かめるか」
「リョーカイ。んでその死体は?放ったらかし?」
「運の悪い人間もいる」
悪魔が死のうとも遺体に絡んだ魔力は強く残されたままだ。氷の呪いも時間が経たなければ解けないだろう。
「犯人不在の猟奇殺人をわざわざ表に出す必要もあるまい」
Vは手近な美術品を保護する布を杖で引っ掛けると遺体に被せる。
今日の仕事は時間がかかるとウイユヴェールは言っていたが、面倒は手早く済ませるに越したことはない。

取り引きを終えた者たちがエントランスホールを抜けて建物から出て行く。
まばらになった客のほぼ最後にウイユヴェールはいた。
廊下脇の柱に背中を預けて到着を待っていたVが「首尾はどうだ?」と声をかけると、待っていたわと言わんばかりに瞳を煌めかせて答えた。
「予想を上回るいい感じだったわっ…! その、詳しく話されても面倒だろうから省略するけど……ええ、とにかく上々よっ…」
興奮冷めやらぬ様子で収穫を思い出してウイユヴェールはほうっと吐息を零して睫毛を伏せた。
うっとりとした微笑みには艶やかさがあり、見る者の視線を惹き寄せる華を纏うが、しかし次に出てきた言葉が、
「一日中あの背表紙の収まる棚を見て店番できるわ…」
であったため色気は消滅した。
「──やっぱ考え直した方が良んじゃね?V。コイツはヤベェ、ちょっとアレだ、重の病だ」
「俺は何も言っていない」
「あら、グリフォン。ここで出てきていいの?」
「お前がトランスしてる間にみーんな帰っちまったヨ」
瞳を瞬かせたウイユヴェールがホールを見渡し、吹き抜けの上階を見上げ、Vとその腕に留まるグリフォンへ視線を戻す。
「私ったら…少しはしゃぎすぎ?」
「満足のいく仕入れができたということだろう」
「ほら、グリフォン聞いた?」
「へーへー。どーせオレだけ読書クラブメンバーじゃないですよォ」
バサッ!とグリフォンはいじけたように羽を広げてVの腕から翔び立つ。
すると、その羽ばたきでウイユヴェールのバッグから一枚の紙切れが舞い上がった。買いつけの際に確認していたメモだ。
「おっと!悪ィ悪ィ。取ってくるぜ」
「あっ、待ってグリフォン。私も行くわ」
小さなメモ用紙はひっそりと絨毯を滑って地下へ続く階段を落ちていった。
青く煌めくグリフォンの体躯を追いかけて、声を弾ませたウイユヴェールも階段を降りた。
「ありがとう。でもそのくちばしで拾えるかしら──」
そこは地階よりも涼しく、湿った空気が満ちる。
薄暗い照明に絨毯と壁が滲むように浮かび、その真ん中に白い紙切れを見つけたウイユヴェールは手を伸ばそうとした。
しかしVがその手を強く掴んで阻む。
「え…?」
「急で悪いが、ウイユヴェール。肩を貸してくれるか」
振り返らせた勢いのまま、Vはウイユヴェールの身体をきつく抱き寄せる。
気がつけばふわふわとウェーブした黒髪がウイユヴェールの頬をくすぐっていた。
「はっ?い、いいけど……。その…か、肩を貸すって…こういうのだっけ…?」
「…少し眩暈がするんだ」
「だ、大丈夫…?」
「ああ…」
すぐに治まる──。
ウイユヴェールの頭を抱き、視界まで覆い隠したVの瞳には廊下の暗がりに浮かぶ異形が映る。山羊の頭に人間の身体を持つ悪魔が、獲物を──ウイユヴェールを狙うようにこちらを窺う。
地下の掃除はすべて終えたと思ったが、どうやら取り零しがあったようだ。
悪魔が動くよりも素早くVはシャドウを呼び出して動きを封じさせた。
悪魔は人間を喰らう。
本能か、それともただの趣向なのか、悪魔の好みなぞ興味もないが、人間界に染み出した害悪を生かしておく理由などない。それに、これは、
──俺のものだ──
宣告するように悪魔を指し示した杖の先に、同じ形をした無数の幻影を生む。
魔力で作られた"杖"は一瞬で悪魔を貫いて砕いた。
はらりはらりと、それが空気に溶けて消える様をVが眺めていると、ウイユヴェールが服の裾を引いた。
「──V、誰か…人を呼んできた方がいい…?」
「……いや」
腕の中でじっとしていたウイユヴェールは、どうしたらVを支えられるか迷っていたらしい。
身体を離して見おろせば緊張が解けたように息をした。
「…驚いたか」
「当たり前でしょ…。いくら細身でも、あなたが倒れたら…助け起こせるか真剣に考えちゃったわ」
「それは悪かった」
「…なんか笑ってない?」
Vの腕の中でウイユヴェールは借りてきた猫のように全身をぴんとさせていた。
そのためか悪魔の気配にもまったく気づかず、今はただただVの体調は本当に戻ったのかと訊ねてくる。
そんな鈍く無防備な人間を、かつての"自分"なら疎ましいと感じただろうとVは思う。
…守るべき存在だとは決して思わなかっただろう。
「ウイユヴェール。このあとの予定は?」
「ひとまずお昼ごはん。…長く待たせちゃったみたいだし、奢るわ。どこかで休憩しましょ」
ウイユヴェールはメモを拾うと階段を上がり、Vも続いた。
地階へ上がりきる手前。
廊下の窓からそそぐ陽射しの反射に目を細めると「大丈夫?」と声が降ってきた。
逆光でウイユヴェールの表情は見えない。
それでもやわらかく微笑んでいる気配を感じて、Vは伸ばされた手に、自身の手を重ねた。


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