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(7)

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「──あの女とは、昔、一緒にいたことがある」
ダイナーの窓際のソファー席に落ち着いて。
ウェイトレスが運んできた朝食にウイユヴェールが瞳を輝かせたその時、Vが言った。
物静かな言葉とはそれだけで重みが増すものか。
朝食を供にする男女に亀裂が入った瞬間と勘違いをしたウェイトレスが、ご愁傷さま的な視線を残して去っていく。
「………。えっ?ちょっと待って。今?それいま言う?」
「早い方がいいと思ったが」
「タイミング!なんか私、気まずい今カノみたい」
「……。ツイてないな」
「顔が笑ってるわよ」
ウイユヴェールの眼差しもVは露ほども気にせず、重なったベーコンとパンケーキをナイフで切り分ける。意外と可愛い好みをしている。
「…昨日のあの女の人と知り合いだったのなら、呼び止めれば良かったのに」
「いずれ嫌でも顔を合わせることになる」
「嫌でもなんて」
「同業者…のようなものだ。他にも何人か、この街へ呼んである」
Vはフォークを口に運ぶ。
ウイユヴェールも自身の皿に載るホットサンドへ手を添えた。
しかし、ほんの今まで満ちていた食欲は波が引くように消えていた。
何気なく視線を周囲へと向ける。
「どうした」
「…その、この街から離れた方がいいっていう助言とか、Vの他にも人手が必要なんだっていうのが、ずしんときたっていうか…。何となくだけどね」
眺める瞳にはトレーを運ぶウェイトレスや、労働者らしき格好の客、コーヒーを飲みながら新聞に目を通すスーツの男、テイクアウトを待つ客たちが見るともなしに映る。
毎日、少しずつ違って、けれど大きくは違わない生活が繰り返されている。
そこに悪魔などという非科学的な存在の入る余地などない。
「実感が涌かないのも仕方はあるまい。目に見える場所では、何も変わっていないのだから」
「見えない場所では…そんなに変わってる?」
「ウイユヴェール。お前も昨晩、肌で感じたのだろう?」
考えないようにしていたものを明言されて、ウイユヴェールは困ったように眉根を寄せた。
「…。ただの…停電だって思っていたかったわ」
「魔力で生まれた雷は自然のものとは明らかに違う」
Vはフォークを皿に置くと指先でパチリと紫の光を弾く。
それは静電気と呼ぶにははっきりと形を保つ。続けて手のひらを返せば、その上には青い鳥──グリフォンの姿となって羽ばたいた。
瞳を丸くするウイユヴェールにVは驚きをひそめるように、しー、と息を吐く。
ウイユヴェールは慌てて周りを気にして、それからそっと顔を近づけると羽をたたんだ小さなグリフォンに鼻先をつつかれた。
「きゃっ」
「暗闇の中であの女が悪魔を仕留めた。停電の中で見た光もこれと酷似していたはずだ」
「……そうね」
「あの女は…ある男の相棒だ。戦力としては劣るが、今は力のある者が一人でも欲しい──」
人の気配を察してVが手のひらを握ると、グリフォンの姿は青い光の欠片となって消えた。
客の姿が少しずつ増え、身を乗り出していたウイユヴェールも席に戻る。
カウンターの頭上にあるテレビからは、朝のニュース番組の音声が昨日の晩に市内で起こった事件について伝えている。──死傷者の出る事件が、このところ続いていると。
「他の者が到着しているか定かではないが、早く来てほしいと伝えてある」
「それで……その人たちが到着するまでは私の護衛をしてくれることにしたのね?」
「ああ」
昨晩。
なぜかまた、ベッドを半分こすることになったウイユヴェールは、いっそ腹を決めてもう一部屋、Vのために取ったほうが良いのかもしれないと頭を抱えながら朝を迎えた。
互いに寝相が悪くないことが救いだ。が。男女が同じ部屋に寝泊まりしておいて、問題はそこじゃない。
「…私はへこんでいるわ…」
「気にするな。レッドグレイブに戻ってきたものの、今の俺にできることもどうせそれぐらいだ…」
「…傷心はお互い様ってことね……。え?戻ってきた?」
「そんなことより、このペースで食べていて、約束の時間とやらには間に合うのか」
「ん?…ああっ、その通りよ!味わう時間がないわ!」
仕事の時間を思い出したウイユヴェールはホットサンドをわし掴む。
腕時計を確認しながら険しい顔をして食らいつく女とは如何なものか…。
ナイフとフォークを使って静かに着々とパンケーキを減らすVに負けている感も否めないが、一先ず捨てて、ウイユヴェールは目の前の朝食に集中した。

部屋に満ちるのは埃や古びた紙の匂い。
同種なのか紐で纏められて高く積まれたものや、テーブルには置けずに無造作に床に置かれたものもある。
その部屋を埋め尽くすのは──膨大な量の本だ。
「これは…売り物なのか…?」
「業者向けのね。売り買いのどちらもあるけど、私は買うだけ」
ウイユヴェールは「お店に出す本の買い付けに来たの」と、眼前の光景に圧倒されるVに答えながら、メモのようなものを書き入れる。
朝食を摂った店から移動をして、古めかしい石造りの建物へVは案内された。
ホール中央の階段を上って絨毯の敷かれた廊下を進み、幾つもの木製の扉を横目に通りすぎ。
「ここよ」と言われて覗き込んだ一室は、どこぞの書庫を丸ごと運んでひっくり返したかのような雑多さで満ちていた。
次々にやって来る客に通路を開けて、Vはウイユヴェールの隣に立つ。
売買のために貸し切られた広間を、本の合間を縫うようにして年配の仲買人が品定めを行っている。
ウイユヴェールのように若い者もちらほらとはいるようだが、それも少数といっていいほどだ。
扱う品に寄った人種らしく、表面的には物静かという印象ではあるものの、室内は静かな熱気に包まれている。
「…この匂いは嫌いじゃない」
「若い人にはカビくさいって顔をしかめられちゃうのよね」
ウイユヴェールが積まれた本の傍に膝をつき、一冊を手に取る。
「Vも年季の入った詩集を読んでたでしょ?あの本、あの挿し絵のものはけっこうレアなのよ」
「……」
「大切にしてるのね」
つい、上着の中に仕舞った本を思い出すように視線を遣るVを見あげてウイユヴェールは嬉しそうに笑う。
次の本を取るその手つきは美術品を扱うように繊細だ。
「…いつからこの仕事を?」
「祖父がはじめて、今はお店は父が継いでて。実のところ、私はまだほとんど見習いなの」
昨日や一昨日の外出も、親の知り合いへの挨拶を兼ねた買い付けだったとVに話す。
「祖父はね、自負しちゃうくらい本好きな人で。昔、このレッドグレイブに住んでたんだけど。その時に出会った男の子に衝撃を受けたんだって」
「衝撃…?」
「本が好きな男の子で、祖父はある時、本を一冊プレゼントしたの。そしたらその子は受け取った本にすぐ自分の名前を書き入れたの」
ぱらぱらとページを捲りながら、どこか楽しげに形の良い唇が弧を描く。
「双子の兄弟と取り合いになっちゃうから、これは自分の大切なものなんだぞ!っていう、しるしだって」
入札額を書き入れたメモを本に乗せて、ウイユヴェールが立ち上がる。
「祖父にとっては、本は美しく、そのままの状態で楽しむことが読書家の条件だった、から。その子の行動も執着も大きな衝撃だったみたい」
滲む微笑みを堪えきれない表情で話す。
「私も本が好きよ。だからそんな風に求めてくれる人に渡すことができたら嬉しいかもって。思ってね」
「……」
「Vが本を見てるのを見てたら思い出しちゃった」
「…その子供は、その後どうなった?」
「さあ。そこまでは…。ちっちゃい子だったみたいだし、今はもう大人になってるんじゃない?でも…昔の習性とか?成長しても残ってたりしたら楽しいわね」
新たに手にした本の最後のページ。
そこに貼られた蔵書票は誰かが所有した証だ。
手離したくないと強く願って、しかし今はウイユヴェールの手の中にいる。
「本棚で大切に収められるのも居心地いいかもしれないけれど。 風通しが良くて、明るい場所で読むのが最高」
本の匂いを吸い込みページを閉じると、添えられたメモにウイユヴェールは美しく数字を書き込んだ。
一冊の行く末を夢見て表情のやわらぐ横顔へ、Vの視線が引き寄せられる。
「その本を売る自信はあるのか」
「そうね、う〜ん……まぁ。私、拾い物って得意だし」
書き入れた0の数にもかかわらず、あっけらかんと答えるウイユヴェールにVは嘆息した。


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