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(2)

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くつくつと鍋の煮える音が聞こえる。
流れる水音がキュッと止まり、移動する誰かの足音。
目蓋を開くと、ぼやけた視界に天井の灯りが滲む。
体を起こそうとしたが、腕をあげる力すら入らず呼吸だけにとどまった。
「──…」
なぜ動けないのか、ここは何処なのか。
己が何者なのか、何を求めていたのか。
まるで煙をかき集めるように思考が霞む中、しかし真っ先に思い浮かんだ倒すべき相手の名に笑いが漏れる。
不要だと切り離されて捨てられた"己"でも、"彼"への執着はこれほどにも強かった。
憎しみのような。
羨望のような。
安堵のような。
様々な想いが"自分"にはあったことに、"己"になってしまった今更になって気づかされた。
力の入らない重たい身体が求めるまま目蓋を閉じる。
食器が運ばれる音。
カトラリーが配置される音。
足音が近づき毛布が頬を優しく覆う。
眠りへと落ちてゆく意識に混ざって、鼻を掠める匂いが心を落ち着かせた──。

五階まで階段を上り、ウイユヴェールはふぅと呼吸を整える。
下げた袋から良い匂いが立ちのぼって鼻腔を抜けた。
建物にはエレベーターもあるが、罪悪感を減らしたい日は階段を使うと決めている。
女性が呼ぶ"罪悪感"といえば答えはひとつだ。
「こんなに買っちゃったけど、晩ごはん…ちょっと買いすぎ?」
仕事の帰りにデリやファストフードでテイクアウトすることはたまにある。けれどCMで見かけるようなパーティーBOXを買うことはあまりない。
食べきれないとか言ったらドヤ顔で勝ち誇ってやろうとウイユヴェールは心に決めていた。
昨日の夜に急遽現れた客人(鳥のほう)は、朝食にパンとスープ、ベーコンとフルーツを用意したところ、
「シケてんなァ。牛一頭とかねェのかよ」
とブーイングをした。
もう一人の客人(人間のほう)は居間のソファーで眠ったきりで、朝食を作っているときに少し身動ぎをしたような気もしたが、結局、目を覚まさなかった。
仕事の支度をしながらウイユヴェールが、
「そろそろ私、出掛ける時間だから──」
「気を付けていけよ。留守番しててやるゼ」
「…」
そろそろ出ていってくれない?という意味を言葉に込めたところ、しかし悪魔には伝わらなかった。
今日も居座る気満々の様子で、さらには「晩メシは肉を喰わせろ」などと注文をつけてきたため、この荷物に至る。
ただいま、と声をかけてウイユヴェールはドアを開く。
部屋の奥からバサッと羽ばたきが聞こえた。
「遅かったじゃねェかッ!もう腹ペコだぜ!」
キッチンのテーブルに荷物を置きに行くウイユヴェールをぐるりと回って食卓の椅子の背凭れに留まる。
「ナニ買ってきたんだ?肉か?」
「肉よ。あなたのご主人様はどう?まだ起きない?」
「アイツがご主人?そりゃどんなジョーダン?」
「飼い主だと思ってたけど違ったのね。なら、どんな関係?」
「ハッ!オレもアイツも附属品、そんだけよ」
「附属品…?」
「──グリフォン、お喋りを控えろ。寝起きにお前の声は響く…」
ウイユヴェールが訊き返そうとした時、会話に新しい声が加わった。
キッチンの入り口に寄り掛かった黒い青年が一羽と一人を見比べる。
青白い顔は相変わらずだが意識ははっきりしているようだ。
沈んだペリドットの瞳が部屋を見渡してウイユヴェールを捉える。
「…お前が俺を助けたのか」
「まぁ一応ね」
「V、ようやくのお目覚めかよッ!オレにも感謝していいぜ。お嬢ちゃんを引き留めたのはオレだからなァ!」
「帰宅の邪魔をした、の間違いじゃないかしら」
別にいいけど、とウイユヴェールが三人分の皿を並べてVにも席を勧める。
「はじめまして、私はこの部屋の主のウイユヴェールよ」
「お嬢ちゃんの名前はウイユヴェールってのか」
「そういえば紹介してなかったわね。私も、そっちのお兄さんの名前…Vっていうの?はじめて知ったわ」
冷蔵庫から出したミネラルウォーターとジンジャーエールのボトルを置いてウイユヴェールが席に着く。
グリフォンも当たり前の様子でテーブルに降りて皿の前に陣取ると、Vが呆れを滲ませた。
「その曖昧さでよく同じ空間にいられる…。その鳥は悪魔だぞ」
しかし、着席して夕食を待ちわびる一羽と一人の視線が注がれると根負けをして仕方なく椅子に座った。
「昨日はお酒が入ってたから夢だと思ったの。朝起きて怪鳥に朝ごはんをねだられた時は、さすがにビックリしたけど」
「それも"キャー!悪魔だわ!助けて!"じゃなくて"ウェッ!馴れ馴れしい鳥が羽根を散らかしやがった!オェッ!"みてェな顔だったしな!」
グリフォンがゲラゲラと大笑いをする。
しかしウイユヴェールがにっこりと笑って皿を取り上げると、くちばしをパカッと開いてすぐに謝った。
無言でやり取りを眺めるVにウイユヴェールが小さく肩を竦める。
「私ね、昔から拾い物は得意なの。良いモノか悪いモノか、直感で決めて失敗したことがないんだから」
「…。此れが人生初の失敗にならないといいがな」
Vの皮肉にも「そうね」と軽く笑った。
サラダボウルからトングで掴んだサラダを皿に盛りつける。グリフォンは嫌がったため、ナッツだけを選んでよそった。
「私もVって呼んで良い?」
「ああ」
「ありがとう。じゃあ、V。うちの前に倒れていた理由も訊きたいんだけど」
テーブルの中心に置いたクラフトボックスを開くと閉じ込められていた肉の匂いがふわりと広がる。
「…ある者を追っている。その途中で行き倒れた」
「だいぶ雑な説明ね…まぁいいわ」
「ハッ!お嬢ちゃんもテキトーだよな──ゲフッ!?」
「お肉は美味しい?グリフォン。…それで、Vの追いかけてる人の居場所はわかってるの?」
「…ヤツが何処で何をしたいか……俺は知りすぎるほど知っているさ」
沈んだ色のVの瞳がテーブルを見つめる。
唇に薄い笑いを浮かべながらも、脳裡に描いた相手を掴むような堅さが瞳には宿る。
お喋りなグリフォンに対してVはだいぶ性格が異なるらしい。
「……。まぁ、あなたが動けるようになったのならいいけどね」
ウイユヴェールはそれ以上の質問はせず、ひとまず話を終わらせた。
探し人の途中で行き倒れるなど普通に考えればありえないことだ。それ以上に、悪魔という存在もグリフォンに絡まれる前はオカルト雑誌のネタとしか考えていなかった。
Vもグリフォンも、ウイユヴェールは驚いていないと思っているらしいが、これでも本人は結構びっくりしている。
ただ、そのびっくりを上回る好奇心がウイユヴェールの心を占めている。
飼い主ではないと否定しながらもVを気遣うグリフォンや、そのグリフォンという"自称・名のある悪魔"と行動を共にするVという青年に興味を覚えた。
取り分けられた肉をガツガツ喰らうグリフォンを眺めていたウイユヴェールはこっそりとVを窺う。
すると、それよりも先にペリドットの瞳がこちらを見ていた。
「──ええと……V?…サラダのおかわりはいかが?」
「……。ああ。貰おう」
物静かに皿を手渡されてウイユヴェールは狼狽えた。
寝顔だけでもイケメンだったが直視されると威力が増すものだと思い直す。
バリバリと骨を噛み砕くグリフォンが次の肉を催促してきたために、そちらも取ってやってからウイユヴェールも自分の皿に一つを移した。
骨の少なそうな部位にかじりつく。
「人間のメシも悪かねェなッ!ウイユヴェール、こりゃ何てェんだ?」
「フライドチキンよ」


190419
("22 加筆修正)
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