夏休み

 

「……あっちぃぃぃぃ」

 少し離れた横で今にも溶けそうになっている龍之介がぼそりと呟く言葉に、余計暑くなるから言うな。と目だけで制してぽたぽたと顎先から垂れる汗を、ティーシャツの裾で拭った。



 目の前に広がるのは海岸を埋め尽くさんとする人、人、人の群れで、そこかしこで楽しげな笑い声が響いている。

 夏真っ盛りの照りつける太陽が砂浜を焼き、その太陽をキラキラと反射させる海はまるでレフ板みたいで、客に頼まれて組み立てるパラソルの準備をするため砂浜に穴を堀りながら『海の家』なんてなんの捻りもセンスもなく背中にでかでかと書かれたプリント越しからですら太陽がじわじわと肌を焦げ付かせてきている気がして、……いっそもうバイトをさぼって海にでも入ろうかなぁ。なんて糞みたいな事をぼうやり考えてしまった。


「ねぇねぇ、お兄さん」

 不意に後ろでパラソルが組み立てられるのを待っていたお客に声を掛けられ、はい? と一気に気を引き締めて人当たり良さそうな笑顔を取り繕い振り返る。

「さっきから思ってたんですけどぉ、すっごいイケメンですよねぇ」
「え、あー……、あはは、ありがとうございます」
「背もすっごい高いしぃ、さっきちらって見えた腹筋もちょう割れてて格好良いなぁって」

 やけに語尾を砕けさせる猫なで声が暑さでただでさえイライラしているのに余計に癪に触り、貼り付けている笑顔の仮面にぴしっとヒビが入る。
 それでも、いやでも我慢だ我慢。ここで邪険にすればこの手の女の子は直ぐさま掌を返してあることないことバイト先のオーナーにいちゃもん付けそうだし。と、一週間だけバイトをさせてもらっている雇われの身でトラブルを起こすのはまずい。と必死に自身を奮い立たせた。

 ……それに、別に俺たちお金には困ってないけど一夏の体験って事で海の家でバイトとかしてみたいよね。なんて俺から太一を除く皆を誘導しておいて、揉め事を起こしました。なんて知れたら明に怒られそうだし。


「ありがとうございます。もうすぐパラソル出来るんで、ちょっと待っててくださいね」

 そうにっこりと笑みを浮かべながら、これ以上話しかけんなよ。というオーラを出しざくざくと砂浜に穴をあけ続けていたが、横で同じくパラソル設置班として同じように客に頼まれて少し離れた横で汗だくになりながら穴を掘っている龍之介から恨みがましい視線が突き刺さっているのを感じる。
 おおよそ、お前ばっかりモテてずるい。というそのくだらない視線を無視し、そういうとこがモテないんだよお前。とはあえて言わないでやった。


「……っし、はい、設置終わりました。ご利用ありがとうございます。返却の際はまた海の家のスタッフにお声かけくださいね」

 グイッと最後強めに棒を押し込み、足早に去ろうとすれば、あっ、待ってください。なんて腕を引かれる。

 ふに、と腕に当たる柔らかな胸の感触。
 ビキニ姿のその女の子は真っ白な肌を惜しみなく晒していて、胸の谷間を強調させながら上目使いで俺を見る。

 くびれた細い腰に、すらりと伸びる脚。
 大きな瞳と、長い睫毛。
 甘い、匂い。
 栗色の長い髪の毛を弛くアップし、あの、と呟く唇は可愛らしいリップに彩られグロスで艶々と輝いている。

 そんな、自分に自信があります。と見て分かる女の子の大胆な行動に、夏ってのは人を大胆にさせるって本当なんだなぁ。なんてどうでもいい事を考えながら、そっとその腕を剥がした。


「すみません、バイト中なんで」
「え〜、じゃあ、バイトが終わったら遊んでくれますかぁ?」

 やんわりと拒否した筈なのに尚も食い下がる女の子に、いやいや、と愛想笑いを浮かべていれば、お連れのトイレへと行っていたらしいもう一人の子も帰ってきては同調するよう反対側の腕を取られてしまい、……めんどくさいな。と思わず真顔になってしまった。

 しかしそれも一瞬で、何の為に働くって決めたの俺。と自分を叱咤し、絶対太一に自分の稼いだお金でプレゼント買うって決めただろ。と頭を冷やしながら、気付かれぬよう小さく深呼吸をした。

「いやあのほんと、すみません」
「えー、行っちゃやだぁ!」
「……あはは」
「じゃあお兄さんの大学名教えてくれたら離してもいいですよ?」
「あー、いや、俺高校生なんで」
「えー!? うそぉ!? じゃあ私達より年下じゃん!?」

 途端タメ口になり、見えなーい! なんて騒ぐ二人。
 それがもう本当にウザくなってきたしそろそろ海の家に戻らねば怒られる。と愛想笑いをやめ、

「うん。だからごめんね。お姉さん達と遊ぶとお姉さん達の方が未成年淫行で捕まっちゃうから、……離してね」

 なんてアルファのオーラを出しじっと見下ろしたあと含み笑いを浮かべれば、へなへなとその場に腰砕けになりながらへたりこんだ女の子たちに、もう一度ごめんね。とあとで海の家のオーナーにいちゃもんつけられたら堪んないからと謝りのフォローを入れながら、やっと解放された。と息を吐いて海の家へと戻った。



「おーまーえー! 見てたぞ!! なんで毎回毎回亮ばっかモテんの!!?」

 海の家に戻った途端開口一番そう怒鳴ってきた龍之介に、いや近いし唾飛んでくる汚い。とその顔をグイグイ押し返して、だからそういうとこ、そういうとこが女の子引くんだって。とはやはり言わないでやった。


 そのあとは焼きそばを作ったり、かき氷を作ったり、その間女の子に絡まれてはメールアドレスを渡されたりされ、それを目敏く見ていた龍之介に絡まれたりとしつつ、なんとかバイトを無事に終えた。


「つっかれたぁぁ……」
「足がパンパンだ……」
「焼きそばつまみ食いしたら怒られたんだけど」
「海は出会いがあるって本当だよね」

 各々会話をするという能力が欠落しているのかと思うほど好き勝手に話しながら夜道を歩いていたが、にんまりと笑いひらりと女の子から貰ったらしいメールアドレスを見せびらかす優吾に龍之介が、なんで大体の女の子は亮かお前ばっかに寄ってくんの!? とやっと会話を成立させ、喚く。
 その横では明が煩そうに顔をしかめ、もう夜だぞ。ご近所に迷惑だろう。と至極糞真面目な事を言っては説教し始め、亘は散々食い物をちょろまかして怒られてしまった事を反省しているかと思いきや明日は何味のかき氷を食べようかなぁなんて溢していて、そんなアホ過ぎる集団にははっと笑いつつ、あ、俺こっちだから。と笑いながら手を振った。


「あれ、一緒に飯食いに行かねーの?」
「うん」
「あー、今日も太一の所か。お前らほんと仲良いよなぁ。一年の始めが嘘みたいだわ」
「俺の努力の賜物だよ」
「タマモノって何語? まぁいいや。よーし、じゃあ俺らも、」
「今日は太一と二人で食べたい気分だから」

 俺らも一緒に、と言い掛けた龍之介を制し、お前ら最近こうやって金魚の糞みたく引っ付いてきて俺と太一の二人きりの時間邪魔すんのそろそろやめろ。と言外に示せば、その空気を察知したのか優吾が、はいはいじゃ〜俺らは退散しますか。なんて龍之介と亘の肩を抱き回れ右をさせた。

 そんな優吾に、え、なんで? 皆で食べた方が美味しいじゃん! と喚く龍之介に、だからそこ。そこがお前と優吾の差なんだよ龍之介。とは思ったが、絶対に言ってやる気はない。なんて笑いつつ、また明日な! と手を振った。





「お待たせ」

 本屋の横で携帯をいじりながら待っていれば不意に声がし、振り返ろうとしたがピタッと頬に冷たい感触がして思わずビクッと身を震わせる。
 そのまま心臓をバクバクと言わせながら後ろを振り返れば、ポッキンアイスを持って悪戯っ子のような顔をしている太一が居た。


「はいこれ、お前の分。店長がお前と二人で分けて食べろって」
「……お疲れ様。ありがと。明日店長さんにもありがとうございますって言うの忘れないようにしなきゃ。ていうか不意打ちやめてよ。めちゃくちゃ冷たくてびびったんだけど」
「にししっ」

 ポッキンアイスを咥えながら笑う太一の顔が本当に悪戯が成功したのが嬉しかったのか楽しそうで、その顔をうぐっと喉を詰まらせながら見下ろす。

 ……かわいい顔しちゃって。

 だなんて横目で見つめつつ、はい。と渡されたもう片方のポッキンアイスを受け取り、ありがとう。と呟いた。



 もうやっていないお店がほとんどのため商店街は薄暗く、そのなかを二人して歩いていると、あっ、やべ。なんて太一が言ったので、ん? と見つめれば、口の端からたらりとアイスが垂れたのか慌てて指で拭い、その指を舐めている太一の姿があって、その伏せられた瞳と睫毛の長さに、ちらりと覗く赤い舌に一気にドクンッと心臓が高鳴り、なんだかすごくエッチだ。なんてドギマギとしたまま、見下ろした。

 思わず、ごくり。と喉が鳴り、太一がふらりと体を揺らしたのか、とん、と肩がぶつかるその些細な接触でさえ、ときめきで呼吸が苦しくなっていく。
 ティーシャツからすらりと伸びた腕は細く、全然柔らかそうではないのにその白さがなんだか妙に生々しくて、太一の真っ白なうなじや線の細い体を凝視していれば、ん? 何? なんて見上げてきた太一とバチッと視線が合ってしまった。
 その意図的ではない上目使いが更に心臓の高鳴りに拍車をかけ、もう可愛すぎていっそしんどい! なんて思いつつ、取り繕うよう、へらりと笑う。

「な、なんでもない」
「ちょっとぶつかっただけじゃん。怒んなよ」
「へっ、あ、あぁ、いや別に怒ってないよ」
「嘘つけ。お前すげー顔してたぞ。今」

 そうけらけらと笑いながら、にしてもあちーな。と太一が服の裾を捲り顔を拭ったので、日に焼けていない真っ白なお腹や可愛らしいおへそが見えてしまい、またしてもごくりと唾を飲み込んだ。

 何これ拷問? 試練? 誘惑に耐えてみせろよとかいう神様の悪戯? なんてこんな据え膳食わぬは男の恥めいた状況にいっそ憤りを感じつつ、それでもなんとか欲求を深呼吸でいなし、未だに暑い暑いと顔を拭っている太一を見下ろしては、……夏ってのは人を大胆にさせるって本当なんだなぁ。夏最高かよ。だなんてデレデレとした表情をしながら、何食べたい? と太一に気付かれぬよう、いつも通りの声で聞いたのだった。





【 在りし日の夏の一時 】










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