美しい世界
未だ暗い街のなか、等間隔に並んだ橙色の街灯が、今だけは君が主役だよ。と言いたげにアスファルトを照らし引き立てている。
その静まり返った、だが劇めいた街並みを太一は何を思うでもなくベランダの柵に顎を乗せては見つめていた。
大気は水分を含み少しだけ冷たくて、太一がぶるりと身震いをした、その時。
「……パンツ一丁でなにしてんの」
なんて寝起き特有の掠れた亮の声がした。
だがそれでも太一は振り返る事なく街を見続けていて、その背後からぺたり、ぺたりと乾いた足音が響き、ギシッと床の窓枠が軋む音がする。
途端ふわりと体を包む温かさは、絶対コレ。と頑として亮が譲らなかったソファの住人ブランケットで、その柔らかで滑らかな肌触りが、今となっては太一も大層お気に入りとなっている。
後ろから亮の長い腕が太一の腹に回り、ごつごつとした肘の部分が多少脇腹を痛め付けてくるが、太一はこうして亮に抱きすくめられることも大層気に入っているので、ぬくぬくとしたブランケットと亮の腕のなかでだらしなく笑みを見せた。
もたれ掛かる太一の体を受け止め、
「太一はほんと夜明けが好きだよね」
と亮が呟きながら太一の旋毛に顎を乗せる。
そのまま旋毛にちゅっ、ちゅっ、とキスを落としていれば、
「まーな、てか痒いって」
なんて太一が痒いと言いながらも笑い声をあげ、その声が静かな夜明けに吸い込まれてゆく情景を亮もじっと見つめたあと鼻先を掠める冷たさにスンッと息を吸い込み、
「はい、もう終わり。昨日体を拭いただけだからまだべたべたするでしょ? 朝風呂しようよ」
と言いつつ今度は太一の体をぐらぐらと揺すった。
「わはっ、わははっ、揺れる、分かった、分かったから、」
なんてまたしても腕のなかで弾ける太一の笑い声。
昨夜の情事の痕を色濃く残したまま、しかし朗らかに響く太一のその声に亮も笑みを見せていれば、くるりと向きなおった太一が亮の首に腕を回し、
「お前のせいで俺の体バッキバキだから、だっこ!」
と歯を見せてがしりと引っ付いてくる。
そんな太一の悪戯っ子めいた表情に、……ンンンッ! さいっこうに可愛い!! と愛しさに喉を詰まらせた亮がへにゃりと笑っては、お望みのままに。と太一の体を引き寄せ、抱き抱えてまたしても笑った。
◇◆◇◆◇◆
ぴちょん、と水滴が浴槽に落ちるその静かな音を掻き消すかのように太一は亮の泡立った頭をサイヤ人にしては笑い、仕返しだと亮も太一の頭をトルネードスタイルにして、わははと笑い合う二人。
それから背中をごしごしと雑に擦られ、
「いてっ、いてて」
と真新しく付いた引っ掻き傷がジクジクと痛んだ亮が堪らず声をあげれば、
「えっ、あはは、わりぃ」
だなんて全くもって悪いと思っていない太一がへらりと笑う。
その顔に、太一ってばほんと、最近良く悪戯っ子みたいな表情するよね。と痛いだなんて言ったくせ同じようにへらりと亮が笑ったので、その顔が可愛くて太一はまたしてもにししっと笑ったあと、かぷっと亮の綺麗な鼻を噛んだ。
「いてっ。もー、また噛む……それも最近癖だよね」
「なんかお前の鼻噛みたくなんだもん」
「……まぁた可愛い顔して」
そう小さく呟いた亮がザパァッとお湯を被り、それから溜めていた浴槽へと浸かったあと、微笑みながらおいでと手を広げてくる。
その顔に太一は、お前こそ可愛い顔しやがって。と心のなかで呟きつつ、泡を落とすのもそこそこにその腕の中に飛び込んだ。
「……あー、生き返る……」
「ふっ、おっさんくせぇ事言うなよ」
「働くのって、疲れるんだね……俺海の家の短期バイトしかしたことなかったからさぁ」
太一を後ろから抱きすくめ、そう溢した亮がぐりぐりと頭を肩に押し付けてくるその重さにふはっと笑った太一は、大学に入り社会生活を学ぶ一環としてバイトを始めた亮の言葉に、ほんっとナチュラルに上流階級発言するよなぁこいつ。と思いながらも、よしよし。と腕を上げて濡れそぼった亮の髪の毛を撫でてやった。
二人分の重さで溢れ出た水がゴポポッと排水溝へと渦を巻き流れてゆく音が消え、静けさが揺れ始めた風呂場。
先ほどまで煌々と風呂場を照らし役割をきちんと果たしていた照明は、いつしか小窓から差し込む朝日のせいでその存在に影を落としている。
差し込む光がきらりきらりと水面を泳ぎ、もくもくと湯気がこもりぬくぬくとした温かさが体を包むそのなかで今度は太一が亮の肩に頭を乗せ、ゆるりと目を閉じた。
そうすれば小窓の外から車や休日の早朝だというのに元気に笑い声をあげる子どもたちがアスファルトの上を走る音が聞こえ、主役が代わった街の景色を頭のなかで想い描きながら、太一は胸を打つこのどうしようもない幸福さに、やはりにへらと口元に笑みを浮かべるのだった。
「今日はお互いバイト休みだし、風呂上がったらもう一眠りでもする?」
「……いいなそれ」
「で、起きたらダラダラ過ごして、夜にもっかいえっちしよ?」
「ふはっ、お前ほんと欲望に忠実だよな」
「えー、そうかなぁ」
「そうだろ。でもまぁ、最高な休日の過ごし方って感じする」
「でしょ? よーし、じゃあ今から十秒数えたらお風呂上がろっか」
「ははっ! 子どもかっ! ……ちゃんとゆっくり数えんだぞ」
「分かってるって」
「「いーち、にぃーい、さーん、しぃーい、ごぉーお……」」
【 おやすみ夜明け、また明日 】