なんだかんだ目まぐるしかった一月があっという間に過ぎ、季節はいつの間にか骨身を震わせる寒い二月へと変わっていた。

 そんな寒々とした街中でしかし太一はそれどころではないと言いたげに、とぼとぼと肩を落とし一人歩いていた。

 太一の手に握られているのは、不動産屋の物件情報。

 それは来る三月から一人暮らしをするために父と母の墓がある場所の近くに住むため調べて印刷した、数件の不動産情報だった。
 その情報を便りに取り扱っている不動産屋を回っているのだが、けれども叔父夫婦とはほぼ絶縁するよう家を飛び出した手前保証人になってくれとは言えず、そうなればそんな怪しい、そして未成年の太一に貸せる物件はないと門前払いされ続けている。
 もちろん、保証人不要。と書かれていた物件もリストアップしていたが、太一がオメガだという事が分かればやはり皆一様に不快そうな表情へと変わり、そんな輩には貸せられないと今出てきたばかりの店にも追い出される始末だった。

 そうしてことごとく出鼻を挫かれ、露骨にオメガは帰れと蔑まれ、更にはこうして肌を突き刺すような寒さに体と心まで荒んでゆく気がした太一は一度寒さで赤くなった鼻をずずっと啜りながら、木枯らしが揺らす枯れ木を見つめた。

 カサカサと揺れ動く枯れ葉が、ひらりと地面に落ちていく。

 それをぼうやりと眺めていた太一はしかし一度深呼吸をしたあと鞄に用済みとなった紙をずぼっと押し込んでは首をふるふると横に振り、いや、難航する事ぐらい覚悟してたしな。よし! こうなりゃ手当たり次第あたるしかねぇか! と両頬をパンパンと手で叩いては気合いを入れ、とりあえずパッと目についた不動産屋に駆け込んだのだった。





 しかしそんな太一の虚しい努力は半月を過ぎても報われる事はなく、休みの日は決まって不動産屋へ行くため朝から出掛けていた太一が夜遅く店長の家に戻れば、

「太一くん、お帰り」

 とリビングで本を読んでいた店長が顔をあげ、寒かったでしょう。と太一にホットココアを淹れてあげようと立ち上がった。

 そんな店長の気遣いに太一は、今日も収穫がなかった。と肩を落としつつも、ありがとうございます。と頭を下げながらしゅるりとマフラーをほどき、

「……今日もだめでした」

 だなんてボリボリと頬を掻いて笑う。
 その声にコンロに火を点けるため俯いていた店長が顔をあげ残念そうな表情を浮かべながら、……そう。と呟いた。

 カチッ。とコンロに火が点く音が静かな部屋に響く。

 その音を聞きながら太一はダイニングテーブルの椅子を引き、小さく溜め息を吐いては座った。

 それから暫くしホットココアが入ったマグカップを持った店長がキッチンから戻りいつものように太一の向かいに座っては、はい。飲んで。と微笑み、その柔らかな笑顔と差し出されたいつものココアに太一は湯気が浮かぶそのマグカップを受け取り、ありがとうございます。ともう一度頭を下げた。


「……ねぇ太一くん、そんなに無理をしてまで今すぐ一人暮らししなくても良いんじゃないかい? ここで良ければずっと居てくれて良いんだよ。それに、卒業したらどっかの工場で働くって言ってたけどそれなら給料も今と変わらないだろうし、ならうちでバイトしながら将来の為に貯金する方が全然良いと思うんだけどなぁ」

 優しくそう言いながらふわりと湯気の向こうで柔らかな笑みを浮かべ太一を見つめる店長。
 その言葉はとても温かくて、けれども太一はぐっと拳を握り、いえ。と頭を振った。


「そう言ってもらえるのは凄く嬉しいんですけど、でも、俺一人で頑張ってみたいんです」

 なんて、何を偉そうな事を。と言われてしまいそうな言葉を告げながらも笑った太一は店長からそれとなく目を逸らし、……それに、三月になればきっと発情期がきてしまうから。と心のなかで呟いた。

 今までも物置小屋といえど叔父の家という罪悪感があり、そしてましてや今は店長の家に居候の身である。
 けれども来てしまう発情期はどうする事も出来ないわけで、もちろん今なってしまったら急遽どこかホテルに泊まってやり過ごすつもりだが、そんな出費をしている余裕はないし、そして何より、大好きで尊敬している店長にそんな姿まで見せたくはなかった。

 ……それに、もうこれ以上店長や店長の家族に迷惑をかけたくない。

 その一心で、だからこそ俺はこの家にお世話になったままではいられないんです。と太一は心のなかで呟きへらりと笑ったが、店長は未だ渋るような表情をしたあと、

「……それに、亮くんとの事このままでいいのかい? もう一度ちゃんと話し合って、せめて気持ちを伝えるだけでも……」

 と心配してくれ、その言葉に太一は小さく息を飲み、またしてもへらっと眉を下げて笑った。


「……話す事なんて、ないっすよ」

 ぽつりと呟いた声に、店長が寂しそうな顔をしたのが分かる。
 それでも太一は一度自身の腹部分の服をぎゅっと握りしめ、これ以上は何も言わないでください。と目を伏せた。


 沈黙した二人の空気を裂くよう冷たい風が家の窓枠を揺らし、ごうごうと鳴る音がどこか物悲しい悲鳴のようにも聞こえた。




 ◇◆◇◆◇◆



 あれから季節は流れ、二月がもう終わる、寒い夜。

 結局太一は目ぼしい職場を見つける事も住む場所も見つけられないまま、それでも店長に職場も住む場所も見つかったと嘘をつき、お世話になりました。と家を出るため玄関で頭を下げていた。


「……何も今日出なくても、……それにこんな遅くに……」

 そう寒々と体を震わせながら店長が引き止めようとするが、太一はそんな店長を見つめ、早く中に入らないとまた風邪引いちゃいますよ。と笑う。

「明後日から出勤して欲しいって言われてるんで今日の夜に出ないと間に合わなくて……バタバタですみません」
「でも、明日は卒業式じゃないか」
「それは……、でも担任の先生には説明してあるし新しい住所に卒業証書送ってもらう事になってるんで、大丈夫です」
「でも、」
「あっ、もう夜行バス来ちゃう時間なんで、すみません! 落ち着いたらまた改めて挨拶に来ます! ……ほんとに色々、ありがとうございました! お世話になりました!」

 ビシッとお辞儀をしながら、わざとらしく明るい顔と声を出した太一。
 けれどもその声はどこか震えてしまっているように聞こえて、……いつからこんなに自分は弱くなってしまったんだろう。と心のなかで呟きながらも、太一はばっと顔をあげた。

 泣きそうな表情をして、それでも歯を食い縛り笑うそんな太一に店長はやはり困惑したような心配滲む表情のまま、それじゃあ、と走り遠ざかっていく背に、

「っ、太一くん! とりあえず、新しい家に着いたら電話して!」

 と言う事しか出来なかった。





 店長と別れ、道の角を曲がり店長の姿が見えなくなったあと走っていた足を弛めた太一は肩に食い込む大きな鞄の紐をぎゅっと握りながら、とぼとぼと夜の道を歩いた。

 三月になりそうだとはいえ、まだまだ夜は寒く、吐く息は白い。

 鼻も頬もじんじんと痛くて、夜露に濡れるアスファルトに足音を散らしながら歩いていた太一が向かったのはしかし、バス停でも、もちろん駅でもなく、あの寂れた展望台だった。


 暗がりに佇む、展望台。

 それを見上げたあと目を細め、それからゆっくりとのぼり始めた太一の、たん、たん、と階段を上がる足音だけが辺りに静かに響いて溶けていく。

 それを聞きながら一歩、また一歩と踏みしめる度に、太一は何故だか泣きそうになってしまった。

 ……夜行バスなんて、仕事も住む場所も決まっていないので行ったところでどうしようもないからと本当は取っていないし、卒業証書を送ってもらうというのも嘘だ。
 ただ、発情期になりそうなので後日学校に取りに行きますと電話で担任に告げただけ。
 しかしもちろん父と母が眠るあの土地で暮らしたいのは本当なので、今日、陽が昇るのを見届けてから少しお金はかかるが新幹線に乗り朝に向かうと決めていた。
 そんな嘘ばっかりで自身を固め店長の家を出てきた太一は心のなかで店長に、嘘ついてごめんなさい。と謝りながら、しっかりと最後にここからの景色を目に焼き付けるため、階段をのぼっていった。


 だんだんと上がっていく視界。
 ぐるりと回る螺旋階段の一番上。

 そんな見慣れた、けれどももうきっと見ることはない頂上へとたどり着き、太一がほぅ、と息を吐きながらマフラーに鼻を埋め前を見つめたその時。

 手すりの向こうに広がる夜景を見るよう立っていた人が居て、そして太一の足音に気付いたのか振り返ったその人と目が合い、太一はひゅっと息を飲み、目を見開いた。



 茶髪の短い髪に、長身の男。
 暗がりで良く見えないが、きらりと光る綺麗な瞳。

 その知りすぎている姿に一気にドクンッと心臓が高鳴り、突如身体中の血液が沸騰したかのように熱くなる体。
 電流が流れているのではと思うほどのその衝撃に太一が呆けていれば、その数秒の沈黙を破る、

「えっ……」

 という男の溢した小さな声。

 その声は、そこに居たのは紛れもなく、会いたくて恋しくて、でも側には居られないと決意した、亮だった。






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