ゴウンゴウン、と乾燥機が回る音が静かなコインランドリー内に響いている。
 その音を太一は室内に置いてあった椅子に座りながらぼうやりと聞いていた。

 壁際へと椅子を寄せ、背中をくたりと壁に付けながら乾燥機のなかでぐるぐると回っている亮のマフラーやカーディガンを眺めていた太一が、ふいに亮との優しい思い出にふっと表情を和らげる。

 毛嫌いしていた亮を、こんなにも好きになるなんて。

 そう出会った時には想像すらしていなかった自身の変化に、あの時の俺は本当に最悪だった。なんて反省しながら、それでもこの三年弱、本当に夢みたいに幸せだったなぁ。と目元を弛めた太一。

 友人が出来て、好きな人が出来て、そんな青春を謳歌する普通の高校生みたいな事が出来て、嬉しかった。

 そうふにゃりと微笑んだあと、ピーッと回り終わった乾燥機の音を聞いた太一は、でももう夢は終わりだ。とすくっと立ち上がり、ほこほこと温い洗濯物を綺麗に畳んでは鞄に押し込め携帯を取り出す。
 時刻は深夜の三時になっていて、それを眺めた太一は、ダメ元で行ってみるか。とコインランドリーを後にした。


 街頭が連なる夜道。
 一人ぼっちの足音がひたひたと響いている。
 ほぅ。と吐く息は白く、さみぃと腕を擦りつつ歩く太一は暗がりにぽわりと浮かぶよう煌々と輝いている『香南新聞社』の看板を見た。


 中からは楽しげな笑い声が聞こえ、しかし太一がカラリと扉を開け中に入った瞬間その声がぴたりと止む。

 途端突き刺さる、何しに来たんだ。という視線。

 その視線を気にもせず太一は奥に座っている社長の机の前まで向かい、

「連絡もせず休んですみませんでした」

 と頭を下げた。

「今後こんな事がないよう気を付けます。だから、まだここで働かせてください」

 そう頭を下げ続ける太一は自分の汚れた靴の爪先を、じっと見た。

 ほぼ身一つで出てきた為何もなく、貯金も高校を卒業し独り暮らしする為のお金ぐらいしか貯まっていない。
 それを切り崩して生活費やら銭湯代なりを工面するとなるとやはり少しでも働き口が欲しく、そう必死に頼み込んだが返ってきた返事は、

「馬鹿を言うな。お前はもう要らん。さっさと消えろ」

 という言葉だった。


「……お願いします。朝も夕方も出ます。休みも要りません。だから、」
「三ヶ月に一回長期の休みを取る奴が何を言ってるんだ」
「っ、それは……、」
「ったく、だからオメガなんか雇いたくなかったんだ。どうせこの一週間馬鹿みたいにセックスしまくってたんだろう。そのくせ発情期は仕方がない事だからって開き直りやがって。厚かましいんだよ」

 そう蔑んだ瞳で太一を見下ろす社長の言葉が胸に詰まり、そして同調するよう、

「社長〜、流石にそれセクハラですよ〜」

 なんて庇っていると見せかけ共に笑う他の人の声が耳にこびりついていく気がした太一はそれでも唇を噛み締めながら耐え、……分かりました。と小さく呟き、お世話になりました。とまた頭を下げた。

 大丈夫だ。こんな事ぐらいなんでもない。

 そう心のなかで自分を奮い立たせ、突き刺さる視線のなかを通りすぎ新聞社を出た太一。
 カラカラ。と扉を閉め、それからもう一度ぺこりと頭を下げた太一は暗い道を歩きながら携帯を取り出し時間を見た。

 時刻はもう四時で、いつ亮が目を覚まし自分が居ないことに気付くか分からない。と焦りながらも太一は足早に商店街の方へ向かった。

 どうしようもなく優しい亮はきっと書き置きも残さず消えた恩知らずの自分をそれでも探してくれるだろう。
 それが分かっているからこそ太一は、速く、もっと速く。ともつれそうになる足を動かし早朝とも呼べぬ街を走った。


 太一の口から零れていく白い息がたおやかに揺れ踊り、ゆっくりと掻き消える。
 頬も鼻も寒さでじんじんと痛み、それでも走ることを止めない太一はヒュッヒュッと喉を鳴らしじわりと汗が滲み冷えていく感覚も気にせず、寂れた商店街の中へと入っていった。



 通る風がゴォ、という音を鳴らし商店街内を闊歩している。
 その断末魔めいた音を聞きながら太一はバイト先である本屋の前へと来たが当たり前だがシャッターが降りていて、……そうか。そうだよな。何やってんだろ俺。と脱力しそのまま座り込んだ。
 へたり込み、それから、どうしよう。と太一は考えあぐねたあと、携帯を取り出し迷ったが意を決して、

『ごめん。急用が出来たからちょっと出てる。戻ってくるから待ってて』

 とだけメールを書いて亮へと送った。


 それからそのまま店の前にちょこんと座り、いつ来るだろうか。と太一は店長が来るのを待った。




 ◇◆◇◆◇◆



「太一君!? どうしたんだい!?」

 不意に聞こえる声に座り込んだままうつらうつらとしていたらしい太一がハッと顔を上げる。
 視線の先にはひどく驚いた様子の店長が慌てて駆け寄ってくる姿があって、太一は立ち上がりピシッと背筋を正してはおはようございます! と挨拶をした。

 気が付けばもうすっかり朝陽が昇り、幾分か寒さが和らいでいる。
 けれども鼻の頭を赤くし、ずびずびと鼻水を啜る太一の様子と遠目からでも分かるほど血色が悪い唇に店長は何かを言い掛ける太一を制し、

「とりあえずお店に入ろう。話はそれからだよ」

 と裏口の扉を開け太一を中へと押し込んだ。





「それで、いつからあんな所に居たんだい?」

 スタッフルームに設置されている簡易給湯室で温かいココアを入れた店長がブランケットにくるまり椅子に座っている太一の目の前にコトリ。とそのカップを置き、机を挟んだ向かいに腰かける。

 ほこほこと湯気を立たせているそのマグカップを持ち、ありがとうございます……。と呟いたあとフーフーと息を吹き掛けながら、太一はちびりとココアを口に含んだ。

 それから、この一週間連絡もせず休んですみませんでした。と謝り、どうして待っていたのかを同じオメガであるし境遇も分かってくれている店長にはきちんと説明しようと、太一は、淳との事やそのあとの亮との事、そして自分は亮を好きな事、だからこそ亮とは一緒に居られない事、それから行くあてがない事を辿々しい口調ながらも説明した。


 そんな太一の言葉を遮る事なく黙って、しかし優しい瞳で聞いてくれた店長に、

「だから、その、本当にご迷惑だってのは分かってるんですが、ここで昼も働かせてもらえませんか」

 とおずおず告げれば、それは構わないけど。と困ったような顔をしたあと、学校は? と聞かれた。

「十二月からは自由登校なんで……」
「ああ、そうか。もうそんな時期だね。……お店で働いてくれるのは大歓迎だけど、太一君はやっぱり進学はしないのかい?」
「……はい」
「今ならまだ願書取り寄せにギリギリ間に合うと思うけど……」
「……いえ、大学とか行ってる暇ないんで……」
「お金が問題なら僕が大学費用くらい出すよ?」
「な、い、いいです! 大丈夫です!」

 さらりと重大発言をかます店長に慌てて首をぶんぶんと振り、そこまで迷惑掛けられない。と眉を下げる太一。
 そんな太一の困り顔にしかし真剣な表情をした店長がゆっくりと口を開き、

「どうして? 未来ある若者を援助してあげるのが、大人の役目だろう?」

 それに勝手だけど、もう僕は太一君を自分の息子みたいに思ってるから、少しは頼って欲しいな。なんて言ったあと優しく微笑むので、太一は母が他界したその日から大人にそんな優しい言葉を掛けてもらった事などなく目を見開き、それから弛みそうになる涙腺を叱咤して、くしゃりと笑った。


「……ありがとう、ございます……」

 呟いた声は涙声でなんとも情けなく、それでもそんな太一を優しく見つめた店長が、まぁ、チャンスは今年だけじゃなく来年もあるからゆっくり自分の将来を考えてみれば良いよ。と優しく頭を一度ポンと撫でてくれ、その温かさにまたしても弛みそうになる目元を引き締め俯く太一。

 なんだか自分が本当に店長の息子になったような気分に、父親が居たらこんな感じなのだろうか。と思いつつ、それからどうしてもこれはお願いしたくて待っていたのだ。と太一は顔をあげた。

「あの、店長……それで実は相談があって、」
「うん?」
「……三ヶ月、絶対に三ヶ月で出ていきますから、その間だけ、この店で寝泊まりさせてもらえませんか?」

 お願いします。そう頭を下げた太一に店長がぽかんとした表情を見せ、その気配を察知しつつなんとも厚かましいとは分かっているがとりあえず住む所を確保しなければいけないから。と太一はひたすらにじっと頭を下げた。
 最初は安い宿でどうにかしようとも思ったが、そうすればこの街から出て一人暮らしをする予定がどんどんと延びてしまう為、それは避けたい。と迷いに迷った末店長にお願いをしに来たのだ、と息を飲みながら返答を待っていた太一だったが、

「何言ってるんだい。家においで」

 なんて少しだけ怒ったような声で店長に言われ、顔をあげた。

「こんな場所で生活できるわけないでしょう。頼ってくれるかと思ったらこんな埃臭いスタッフルームに泊まりたいだなんて……。太一君、君はもっと他人に甘えるべきだな」
「……いやでも、さすがにそこまでご迷惑は、」
「迷惑じゃないから言ってるんだよ」

 そうふわりと微笑む店長の、耳障りの良い柔らかな声が静かなスタッフルームに響く。
 その声に太一は、……こんな大人もいるんだなぁ。と、本当にこの店で働けて良かった。あの時、駆け込んで良かった。なんてへにゃりと口元をひしゃげては、……すみません。ありがとうございます。と呟いて、笑った。

 その笑顔はまるで、母親に抱き締めてもらった子どものように幼く見えた。





「よし。それじゃあとりあえず当面の問題は落ち着いたね。というわけで大変だろうけど訴訟の準備をしていこうか」

 和やかな雰囲気が漂っていた室内で、にっこりと微笑みながらもしかし聞きなれない単語を放った店長に、太一がポカンとした表情をする。

「その親戚の子、訴えよう」

 またしても更なる追撃をしては太一を見つめてくる店長は笑っているのに目の奥が怒りの炎で揺れているのが見てとれて、けれど太一は自分の事だというのにどこか他人事のような感覚に陥りながら、呆気に取られたまま見つめ返した。

「太一君、こんな事に慣れてしまっては駄目だよ。オメガだからといって何をされても良いなんて道理がある筈はないのだから。尊厳を踏みにじられた事に、君はもっと怒りの声をあげていい」

 静かに諭すようそう言った店長もきっと、太一と同じ目に合ってきたのだろう。
 だからこそ真摯な眼差しで見つめてくる店長に、太一は一度ぱちくりと瞬きしたあと、ふっと目を細めた。


「……ありがとうございます。でも俺、本当に平気ですから。……まぁ平気っていうのとはまたちょっと違うしやっぱり傷付きますけど、でも、ずっと憤りとか悲しい気持ちを抱えてる方が嫌だなって、最近思えるようになったんです。あの人達や、俺を蔑んでくる人達の事を考えながら生きるのってなんか虚しい気がして。そんな事に労力を使うなら、俺はこれからをどう生きるかを考えていたい。前だけを見て、踏ん張ってたいんです」

 ……亮は俺を綺麗だと言ってくれた。
 だからこそ、今後はそう言ってくれた亮の気持ちを汲める俺でいたい。

 そう心のなかで呟き微笑む太一に店長は目を見開き、それから、

「……そうですか。君はとても強いね」

 と柔らかく笑ってくれ、しかし、

「でも今一度ちゃんと考えてみて。君が今言ったように前を向いて歩く事はとても大事だけれど、それと同様に踏みにじられた尊厳への対価はきちんと貰うべきなのだから」

 という店長に太一はへにゃりと眉を下げ、ありがとうございます。と照れ臭そうに笑った。





 それから暫くしてトイレへと店長が席を立ち、一人スタッフルームに残された太一はなんとか今後の目処が立った事に一安心だと胸を撫で下ろしながら、ポケットに突っ込んだままの携帯電話を取り出した。

 時刻はもう朝の九時を記していて、亮からの連絡を示すメールが届いている事に太一はきゅっと唇を一度噛み締め、メールを開いた。

『分かった。待ってる。遅くなるようなら迎えに行くから、連絡して』

 そう書かれている文面にぐしゃりと唇の端をひしゃげたが、それから深呼吸をしぷらんと揺れるストラップを一撫でしたあと、太一はそっと目を伏せた。

 ……ごめんな、亮。ごめん。

 そう心のなかで呟き、抱えきれないほどの優しさを沢山貰ったのに恩を仇で返すとはこの事だろうと心苦しくなりながらも、

『ありがと。でもやっぱお前の家には戻れない。話したい事あるから今日の夜十時にあの展望台で待ってる』

 とだけ書いてから、太一はそっと携帯の電源を落とした。

 待っててと送ったくせに本当は亮からの連絡に返事をするつもりは無く、そのまま消えようかと太一は思っていたのだが、けれどそれはあんまりにも亮の優しさを踏みにじる気がして、どうしてもそれだけは出来なかった。

 それから太一は鞄に携帯を押し込み、その時に見えたカーディガンとマフラーにひくっと喉を鳴らして泣きそうな顔をしたが、それを振り払うよう大きくかぶりを振っては戻ってきた店長に、

「今から働かせてください! お願いします!」

 と立ち上がり頭を下げたのだった。






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