亮と太一が来年の約束をした日から、数日後。
 未だ夏の残りが肌を焼くなか、とうとう夏休みが終わり三年生は皆受験モードでピリつく二学期が始まった。


 太一は進学はやはり難しいだろうと就職を希望していて、夏休みの間バイトが午後からの日は学校に向かい進路指導の先生と話しをしたりと、一応は夏休み明けてすぐに始まる就職試験の応募に向けてある程度の準備はしているが、けれどもきっとどこも正社員としては採用してくれないだろうと踏んでいて、まぁせいぜいアルバイトで細々暮らせればいいぐらいに考えている。
 それでも進学組を見ていればほわりと微かに湧く気持ちがあるのも事実で、明に言われた言葉がやはりぐるぐると胸に渦を巻きモヤモヤとした気持ちのまま始まった新学期だったが、太一の心境とは正反対に香南高校文化祭に向けて、学校はどことなく浮わついた雰囲気が漂っていた。

 三年生にとっては完全に受験戦争の合間のちょっとした息抜き程度のためどこのクラスもただの展示を予定しているが、二学年、一学年は催し物や出店などするらしく、その活気が校舎に溢れているのを太一は机に座りながら眺め、一年の時は発情期で参加出来なかったため今年こそは。と一人神に祈るよう、手を組んだのだった。





 そうしてやはり就活をしても全滅だった九月、十月が終わり、どうしたもんかと太一は頭を悩ませつつもまぁ分かっていた事だからと深く捉える事はせず、そして進学校だからか期末テストやら何やらを終え三年生は受験に向けて自由登校になる直前の、十一月後半。
 香南高校文化祭は当日を迎えた。



 校門には大きく色鮮やかなアーチがかかり冬空は実に快晴で、そんな華々しい文化祭の空気に心を踊らせながら太一はそわそわと落ち着かない様子で辺りを見回していた。


「あ、亮」

 人波の奥、頭一つ分大きい亮が見え太一は校門の壁から背を離し小さく手を振る。
 自身の読み通り幸い発情期になる事はなく、発情期になるだろう予定の一ヶ月前のため体調も万全で、今年は文化祭に参加出来ると張り切っていた太一は朝、精一杯の勇気を振り絞り、【龍之介達と合流する前にちょっと一緒に回らねぇ?】と亮にメールしていて、だからこそソワソワと落ち着かない様子の太一だったが、そんな太一の心情を知る由もない亮はしかしふわりと柔らかな笑みを浮かべながら人を掻き分け、太一に手を振り返した。


「おはよ、太一」
「はよ」
「メール、ありがとね。俺も誘おうかどうかずっと迷ってたんだけど……」

 そう眉を下げ、体調とか本当に平気? と見つめてくる亮。
 きっと、約束をして発情期になってしまった時に自分がまた罪悪感に苛まれてしまうかもしれないという配慮から誘わなかったのだろうと分かる言葉に、なんだか大事にされていると勘違いしそうだ。なんて太一はへらりと口の端を歪め、それでも全然平気だっての。と歯を見せて笑った。


「つうか亮、珍しいな。寝癖付いてる」

 ぴょこんと跳ねた髪の毛が可愛らしく、いつも綺麗にセットされている亮のあまり見たことのない寝癖に太一がくすりと笑えば、ばっと髪の毛を押さえ、

「……メール貰ってマッハで準備してきたから……くそ……俺ダサすぎる」

 なんて耳を赤くしながらもう片方の手で顔を覆う亮に太一も堪らず顔を赤くし、……本当に勘違いしてしまいそうになる……。と目を伏せた。


「……え、と、じゃ、じゃあ、行こっか」
「……お、おう」

 なんだかお互い気まずい空気のまま、歩こうと促した亮に小さく頷き、それからざわざわともう賑わいを見せている中へと二人は入って行った。

 校舎のなかはまだ早い時間だというのに人で溢れ返っていて、至る所で出店の掛け声が聞こえる。
 焼きそばやわたあめの良い匂いが鼻を擽り、なんだか本当に祭りみたいだなぁ、と太一が表情を弛めていれば、

「本当のお祭りみたいだね」

 なんて今しがた自分が考えていた事そっくりそのままの台詞を言った亮。
 それがおかしくて、だなぁなんて吹き出した太一が亮を見上げたままへらりとだらしなく笑った、その時。

 ドンッ。

 と後ろから来た人にぶつかられ、太一は、うおっ! と情けなく声を上げながら踏んばりきれず前に倒れそうになったが、その腕をパシッと掴んだ亮がグイッと自分の方に引き寄せたので太一はそのまま亮の胸の中にポスンともたれてしまった。


「っ、くそ、人多すぎてどいつか分からないじゃん」

 人波から守るようギュッと太一の肩を抱き、しかしぶつかってきた奴を探そうとしている亮の声が耳のすぐそばで聞こえ、呆けていた太一は香る亮の匂いや体温にボボッと顔を赤くしヒュッと息を飲んだ。

 ドキドキと鳴る心臓の音が雑音すら掻き消し、触れられている肩がじわりと温かい。
 亮の胸板の感触が頬に当たり呼吸の仕方すら忘れたよう息を詰める太一を他所に、覗き込むよう見下ろす亮。


「大丈夫?」

 心配げに聞いてくる亮の琥珀にも似た綺麗な瞳が目の前にあって、それにやはり顔を真っ赤にしながらもなんとかコクコクと頷き、だい、じょうぶ、と太一は絞り出すよう呟いた。

 しかしその瞬間バッと体を離され、またしても太一は情けない声を出したが、

「……っ、ごめん、太一すごい甘い匂いする……」

 とボソリ呟かれ、目を瞬かせてしまった。



 ガヤガヤと煩い校内。
 楽しげな声と熱気が籠るその廊下の隅で眉間に皺を寄せ口元を覆う亮のその顔だけがやけに浮き彫りになっていて、太一はドッと汗を掻きながら慌てて一歩後ろに下がり、ご、ごめんと呟いた。

 なんで、まだ発情期じゃないのに。それに朝も全然平気で……。

 そう思ったがなんだか息苦しく、しかもふらふらとしてきてしまい、嘘だろ。と自分自身嫌でも分かる発情期になる前のサインに太一がハァッと熱い息を吐く。

 途端辺りに香る太一のフェロモンの匂いに数人がざわつき始め、それにハッとした亮が、

「ジロジロ見るな」

 と無表情のまま冷たい目で辺りの人間を牽制し、その顔や態度から滲み出る圧倒的なアルファのオーラに一気に人波が割れ、だがしかしそれがさも当然だというように亮はもう周りを見る事なく慌てて片手で自分の口や鼻を塞ぎながら、とりあえずここにいちゃ駄目だから。と太一の腕を掴み走った。

 腕を掴まれ走る最中、霞み朦朧としだす意識のなかで太一は亮の綺麗な髪の毛の色だけがやけに目に焼き付いたような気がしていた。




 ◇◆◇◆◇◆



 それから一旦保健室へと連れて行かれ、そして珍しく早く学校に来ていたのかとりあえずアルファじゃないからと亮に保健室まで呼ばれたらしい亘にまるで俵のように裏門まで担がれた太一は、ヘロヘロになりながらそれでもなんとか必死に理性を保ち、……ごめん。と呟いた。


「いーよ、気にすんな。それにしても俺多分オメガのそういうフェロモンっていうやつがあんま効かないタイプなんだな。お前見ても一ミリもムラッとしねぇもん」

 そうハハッと笑う亘のその馬鹿みたいな笑顔と台詞に目を見開いたあと少しだけ救われた気になった太一が小さく笑えば、それよりお前軽すぎ。ちゃんと飯食えよ。とぐしゃぐしゃ頭を撫で、それから、

「……人生ってのは難儀よなぁ」

 と空を仰ぎつつ独り言のよう呟いた亘。

 普段誰よりもブッ飛んだ事ばかりして龍之介と一緒に糞ガキめいた笑顔で笑う亘の、そのどこかとても穏やかで優しい声に何故か泣きそうになり慌てて涙腺を引き締めていれば目の前に見慣れた黒い高級車が停まり、

「太一さん、お待たせしました」

 だなんて斎藤さんがわざわざ降りてきて後部座席を開けたので、太一はふらふらとする体のまま、いや、一人で帰れますから! てかなんで斎藤さんがわざわざ俺を送ってくれるんすか! と慌てたが、乗ってください。と有無を言わさず後ろに詰め込まれ、颯爽と運転席へと戻っていく斎藤さんに、もう本当は足すら上手に動かせそうになかった太一はくたりと背もたれに沈んだまま、……ありがとうございます。すみません……。と呟いた。

 それから、じゃあな! と手を振る亘と共に遠ざかっていく学校を熱に侵されかける脳のままぼうやりと眺め、それでも、……亮、どこ行っちまったんだろ。やっぱ呆れたのかな……。と保健室に連れて行って貰ったあとからどこに行ったのか分からない亮を想えばここ最近迷惑しかかけていない自分の不甲斐なさに鼻の奥がツンと痛み、きつくきつく拳を握る太一。
 ……それなのにやっぱりこうやってわざわざ斎藤さんを呼んでくれて気遣ってくれる亮の優しさが余計に苦しい。と罪悪感やら良く分からない感情でぐちゃぐちゃになったままの太一を乗せ、車は晴れた空のなかを進んでいくばかりだった。





「……見送るの、やっぱ俺じゃなかったんじゃねぇか」

 太一が去ってから数分後。
 そうぼそりと太一を見送った体勢の時と同じく立ったまま腰に手を当て、近くの木の方をちらりと見た亘が声を掛ければ、

「……無理だろ」

 なんて木の後ろから普段のアルファオーラ溢れる亮の声とは思えないほど弱々しい声が返ってきて、亘は堪らずぶはっと吹き出してしまった。

 それから近付けば踞り膝を抱えて座っている亮が居て、それが何を意味しているのか理解した亘が少しだけ目を見開いたあとまたしてもぶはっと吹き出しつつ、まぁそっちで言えば俺が適任だったかもな。と含み笑いをしながら亮の隣にドサッと腰を下ろす。

「ていうかならいっそもうお前ら番いになっちまえば良いじゃん」

 そうあっけらかんと亘が言えば、

「っ!? ゴホッゲホッ! つ、番いとか簡単に言うなよ馬鹿かよお前!!」

 と盛大に噎せながら亮が吠える。
 大体そういうのはお互いの意思をちゃんと尊重してだな、とブツブツ呟いている亮のその余裕のなさにやはり、珍しー。と笑った亘は、いや端から見たらお前らどう考えても。とは思ったが、あえてそれは言わないでやった。


 遠くからはキャーキャーと楽しげな声が響き、青空に浮かんでは溶けていく。

 それを聞きながら、高校生活最後の文化祭に俺は何してんだこんな所で。とは思ったが、なんだかごちゃごちゃと考えては落ち込んでいるらしい友人を一人にしても置けず、

「……人生ってのは難儀よなぁ」

 と亘はまたしても空を仰ぎ独り言のよう呟いたのだった。






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