それからあっという間に新学期を迎え、とうとう三年生になった太一はクラスが離れてしまった亘や亮と学校で話す機会は滅多になくなり、しかし三年連続同じクラスになった龍之介と優吾と相も変わらずわちゃわちゃと騒ぎ(優吾と龍之介は受験組だが勉強している姿を見たことはない)、夜は以前と変わらず亮と一緒に食事をしていた。
 その時しか亮とゆっくり話す時間はなかったが、恋を自覚したが故に四六時中一緒に居ると死んでしまいそうになるためこのくらいが丁度良く、なんだかんだ太一は平和な日々を過ごしている。


 そんな日常のなか、進学は望んではいないがテストで赤点は取りたくないと五月の半ばにある定期テストに備え放課後図書室で勉強していた太一は、そういえば一年の時にもこうして勉強していた時に亮からカーディガンを掛けてもらったんだった。と思い出し、ふっと窓際で一人微笑んだ。

 カチ、カチ。と静かな図書室に響く、秒針の音。

 暮れかかる空は橙色で、柔らかく差し込む夕日をしばしぼうやりと眺めていた太一は、

「なにたそがれてんの」

 だなんて突然声をかけられ、バッと振り向いた。
 そこにはいつの間に来ていたのか気付きもしなかった亮が笑いながら向かいの席の椅子を引き腰掛け、頬杖を付きながら太一を見つめてくる。
 そんな突然の亮の登場にぱちくりと目を瞬かせた太一は、びっくりした。とバクバク鳴る心臓を抱えつつ、ふにゃりと無意識に目を弛ませた。


「たそがれてねーわ」
「テスト勉強? 相変わらず頑張ってるね。龍之介と優吾に爪の垢飲ませてやりたいくらい」
「ふっ、それな。あいつら受験ほんとに大丈夫なんかよ」
「ちゃんとやれよとは言ってるんだけどね」
「龍之介と優吾は明さんの通ってる大学受験すんだっけ」
「そう。ていうかまぁ明が龍之介の学力に合わせてそこ選んだんだけど」
「それほんとすごいよなぁ。明さんならもっと上狙えたのに」
「明にとっては龍之介が人生の最優先事項なんだろうね。他人には分からない二人なりの絆ってやつだよ」

 そう静かに告げる亮の言葉に、

「……絆かぁ」

 と太一が呟く。

 例え将来どちらが結婚したとしても、きっと龍之介と明は死ぬまで一生一緒に居るのだろう。
 そう思えばその関係が少し羨ましく、そして二人の根本が友愛なのか何なのかは知らぬが、それが太一にはとても眩しく感じた。

 そんな事をぼうやりと考えていれば、

「そういえばさ、この席って三年の教室がある棟から丸見えって、知ってた?」

 なんてふいに亮に聞かれ、へ、と間抜けな声をあげた太一。
 その太一の表情に、やっぱ気付いてなかったかぁ。と亮が笑い、

「太一この席好きだよね。一年の時と全く同じで見ててちょっと笑っちゃった。まぁ今日は寝てないけど」

 なんて言うので、もしかしなくても自分を見かけたからあの日も今日もわざわざ図書室に来たのだろうか。とようやく理解した太一は堪らず俯き、ほんとうにこの男はどこまで……。と顔を真っ赤にさせた。
 そんな太一を、亮は見られていたから照れていると勘違いしたまま、ふふっと犬や猫を見るような慈愛に満ちた眼差しで見つめていた。



 そして、その日の夜。
 図書室で勉強し、それから今日はバイトがなかったので亮の塾が終わるまで物置小屋で待ち、そしてそろそろだと待ち合わせの公園でぶらぶらと時間を潰していた太一は、いつも自分を待ってくれている亮はこんな感じだったのかな。なんて物思いに更けつつ、でも、こんなにも会いたいって、早く顔を見たいって思ってるのは俺だけなんだけど。と小さく微笑み足元を見た。

 外灯が太一以外誰もいない公園内を静かに照らしている。

 ひっそりと佇むベンチに腰掛ける太一の髪の毛を夏になりかける風が撫でてゆき、そろそろ梅雨が来る。と砂粒が混じる地面を見ていれば、ジャリ。と遠くから足音が聞こえ、太一はパッと顔をあげた。


「また待ってる……公園に着いたら連絡するから家で待っててって言ったのに」

 そう困ったように溢しながら近づいてくる亮。
 それに、

「お前だって俺が何度言ったって未だに朝家の前で待ってるじゃん」

 と反論すれば、それはそうだけど、なんて亮が言うので、ならおあいこだろ。と歯を見せて太一が笑った。

 その笑顔に、でも太一はオメガだから夜一人きりになるのは危ないじゃん。という言葉を投げつけるのはあまりにも酷で差別的であると重々理解しているからこそ亮は押し黙り、それでも、

「でも俺を待ってる間に太一に何かあったらって思うと怖くて不安になるから、家で待っててくれた方が俺は嬉しい」

 と、ただのエゴの押し付けでしかない言葉を吐く。
 そうすれば太一は一度ぱちくりと瞬きをしたあと、お前はいつも心配しすぎなんだよ。なんて笑い俯いたので、その顔に影を浮かせる睫毛の長さが、どこか儚い表情が他人の目にどう映るのか太一は自分の事を良く分かっていない。と溜め息を吐きつつ、それでも亮はもうこの押し問答を終わりにするべく、ご飯食べに行こうか。と笑い促した。



 それからいつものように今日あった事を話しながら夕食を取り、太一を親戚の家まで送る帰り際、亮は隣を歩く太一をちらりと見た。
 自分よりも背が低い太一の旋毛が目に入り、『龍之介と優吾がこの間エロ本持ってきてたんだけど、それが担任に見つかって没収されてさ、めちゃくちゃ落ち込んでたわ』と話をしている太一に、そうなんだ。と相槌を打ちながらもぴょこぴょこと揺れる後ろ毛に目尻を弛めていれば、ふいに太一がこっちを見たので、亮は訳もなく小さく息を飲んだ。


「え、なに、」
「……いや、ただ亮もそういうの普通に見るんかなぁと思って」
「なにその質問。見ないよ」
「ほんとかよ」
「ほんとだって。そんな事で嘘付いてどうすんの」

 そうくしゃっと笑いながら、俺エロ本とかは興味ないもん。と言う亮に、太一が小さく、ふーん。と溢し、……変なの。だなんて笑う。
 そしてそのまま足元に転がっていた石を蹴りだしたので、まるで小さい子どもみたいな呟きと仕草に、なにそれ可愛いなぁ。だなんて破顔した亮も、そのあとを大人しく着いていった。




 ◇◆◇◆◇◆



 そしてそんな夜から時はあっという間に過ぎ、中間テストも無事終わり季節はもう梅雨入りをする六月となっていた。

 じめじめとした重苦しい雲が空に浮かぶなか、それでも太一は心を浮き足立たせていて、その原因は勿論、そろそろ亮の誕生日が来るからである。
 それなので何を買おうかとひっそり考えており、けれども亮が何をあげれば喜んでくれるのか分からない太一はああでもない、こうでもないと頭を悩ませつつ、それでもそれが楽しいと表情を綻ばせていた。

 好きな人が、この世に生まれた日。
 それを祝えるということが、こんなにも幸せなのか。

 そう目尻を柔らかく下げていた太一だったが、ふらりと目眩がし思わず机に突っ伏した。
 なんだか最近調子が良くなく、今日も学校に着いてから何度か目眩や動悸が起きている。
 どうせそろそろくる発情期のせいだろうとは思っているが、どうか亮の誕生日と被りませんように。と信仰などしていない神に祈る太一は、それでもキリキリと痛む胃に違和感を覚えつつ、ぎゅっと拳を握って耐えた。





 それから数日後。
 本格的に梅雨入りを迎えた亮の誕生日当日、太一は願い虚しく物置小屋の薄い煎餅布団の上で丸まり踞っていた。

 はぁはぁ、と上がる息。
 ずくんと重い腰はむずむずと疼き、生理的な涙がポロポロと頬を流れ落ちては、布団に染みてゆく。

 そのどうしようもない暴力的なまでの性欲をなんとか抑え込んでいる太一は赤らんだ顔のまま、ぎゅっと目を閉じた。
 そうしなければ、目に留まる亮から貰ったモノに体が浅ましく反応してしまいそうだったのだ。
 だからこそ太一はそれだけは絶対に嫌だと、亮の優しさを性的な感情で踏みにじりたくはないと必死に歯を噛み締め、そして薬を飲もうと枕元に置いてある薬を入れている簡易ポーチを取ろうと震える腕を伸ばし掴めばガシャガシャと音を立てて薬が散らばってしまった。
 それを眺めながら、こんなものに頼らなければならない不条理さに唇の端をひしゃげた太一は、抑制薬と共に一緒に散らばったアフターピルを忌々しげに睨み、ぐしゃりと握り潰した。


 薬を貰いに行くと必ず、『アフターピルは残っていますか?』という質問をされる。
 それがどういう意味なのか十分に理解しているからこそ、その言葉を投げ掛けられるたび太一はオメガの歴史がどれだけ闇深く、人権を無視し不道徳さに虐げられてきたのかを思い知らされるのだ。

 そしてその理不尽さは、今もなおこの世界から消える事はない。

 太一はベータ寄りのオメガであるため妊娠する確率が極めて低く、そして幸いそういった目に合う事はなく最初に貰った時から一度も使った事はないが、何かあった時の為に。と一応こうして持ち歩く簡易ポーチにアフターピルも忍ばせている。
 それがなんとも屈辱的でやり場のない怒りにも似た哀しみに襲われ、もう一度ぐしゃりと握り潰した太一はそれからアフターピルを投げ捨て、抑制薬を手にした。

 もう既に一日の規定の量以上の薬を飲んでいたが、太一はどうしても今日、亮に会いたかった。
 なぜなら今日を逃せばもう一生亮の誕生日を一緒には祝えないだろうと、太一は思っているのだ。

 高校を卒業してしまえばお互い違う人生を歩んでゆく。

 そうなればもう、顔を見ておめでとうと言える事はないだろう。
 去年も結局、当日には言えなかった。
 だからこそ、最初で最後、今日だけは少しだけでいい、一瞬だけでいいから、おめでとう。と顔を見て言いたかった。
 その一心で震える手で錠剤を飲み込み、それから暫くしてふっと意識を飛ばした太一の目からは、つぅと生理的な涙が一筋流れ落ちていった。





 その数時間後。

 すっかり夜になり窓から差し込む暗さにうっと眉間に皺を寄せながら目を覚ました太一は、キリキリと痛む胃を抑え携帯に手を伸ばし、時間を確認した。
 すると時刻はもう夜の十時を回っていて、やばいと慌てて立ち上がった太一は目眩と吐き気にふらっと体を揺らしたが、それでもなんとか足を踏ん張り、汗を掻いた服を着替え亮の誕生日プレゼントを大事そうに抱えて物置小屋を出た。

 ガラリと引き戸を引けば纏わりつくような暑さが肌を撫でていく。
 どんよりと重いその空気に、雨が降りそうだと空を見たが、それでも傘を持つことさえ忘れてよろよろと歩きだす太一の足元ではジャリジャリと砂利道が音を立てていた。
 それから、キィ。と門を開け、亮の家を目指し歩く太一の顔には脂汗が浮かんでいて顔面は蒼白く、どこからどう見ても健康とは言い難かったが、そんな事など太一は気にしていられなかった。

 亮の家までの道はそんなに遠くはないのに今日は驚くほど足が重く、思うように歩けない。
 薬を飲んだお陰で発情期特有の体の熱さはなくなっていたが、そのせいで目眩とだるさに苦しむ太一がヒュッヒュッと息を乱しながらなんとか亮の家へと辿り着いたのは、物置小屋を出てから実に一時間後だった。




 ぺたり、と門に手を付き、必死に息を整える太一が携帯を取り出し、震える指で亮へと電話を掛ける。
 早く。早く。と祈るようコール音を聞く太一がきゅっと口を結んだその瞬間、プツリ、とコール音が途切れ、『もしもし?』と耳元に亮の声が流れ込んできた。

 太一? と紡がれる自分の名前。
 その声がとても優しくて、それだけでひどく嬉しく、鼻の奥がつんと痛くなる感覚に堪らず小さくかぶりを振った太一は一度深呼吸をしてから、夜遅くにごめん、と前置きをした。

『いや、全然大丈夫だけど、どうしたの?』
「あの、いま、ちょっと出れる?」
『え?』
「今、お前の家の前に居るんだけど、」
『え、は!? 俺の家!?』
「……ん」
『え、ちょっと待って、太一今発情期なんじゃ、』
「……ん、そうなんら、けど、」

 ……ああ、上手く呂律が回らない。なんだか意識も朦朧としてきた。と門に体を預けた太一が、

「……りょうに、どうしてもきょう、あいたくて、」

 と思わず本音を溢してしまい、あ、と口元を押さえたが、時既に遅し。
 ばっちりその声を拾った亮が小さく息を飲む音が鼓膜を揺らし、それから、今いく。と慌てたように切れた電話。

 プーッ、プーッ。とこだまする音に、太一も通話終了のボタンを押し、それでも、ああ畜生、立ってられない。とズルズル座り込む。
 息は絶え絶えで、こんな姿を見られたくないとなんとか必死に呼吸を整えようとしたがそれから少しもしない内にガチャリと玄関の扉が開く音がして、こちらに走ってくる足音が夜に響いた。

 まずい。と慌ててふらふらの体を気力で動かし立ち上がる、太一。
 ギィッ。と重たい扉が開き、たいち!? と亮が辺りをキョロキョロと見回していて、もう寝る前だったのかスウェット姿の亮を見た太一が、りょう、と声を掛ければ、振り向いた亮は嬉しそうな顔をしたあと、しかし太一の姿をみてぎょっと目を見開かせた。


「太一、やっぱり具合悪いんじゃ、」

 そう駆け寄り、太一の体を支えようとする亮。
 しかし太一の体からぶわりと香るフェロモンの匂いにぐらりと理性が揺れそうになって慌てて一歩身を引き、けれどそんな亮の葛藤など気にしていられない太一が、ヒュッヒュッと喉を鳴らしながらも、

「たん、じょうび、だから、」

 と呟き、亮を見る。


「……たんじょうび、おめでと、りょう」

 苦しそうに息を乱しながらも、本当に嬉しそうにそう呟く太一の声はひどく震えていて、その今にも消えてしまいそうな声と笑顔に、嬉しさと心配でごちゃごちゃになった亮が何も言えず泣きそうな顔をしたが、そんな亮に太一は大事に抱えていた誕生日プレゼントを差し出し、

「りょうのほしいもん、わかんなくて、ごめん」

 なんて呟くので、亮は、ごめんなんて言わないでよ。と慌てて差し出されたプレゼントの包みを受け取った。
 しかしその瞬間太一の体がぐらりと揺れ、亮が咄嗟にその体を支えれば驚くほど熱く、

「たいち!?」

 と叫んだが、太一は誕生日おめでとうと告げられた事と、プレゼントを受け取ってもらえた事になんとか保っていた気力を手放してしまったようで、その声に応える元気はもうなかった。


「たいち、たいち!!」

 亮が自分を必死に呼ぶ声がする。
 その声に、ごめん、迷惑かけたかったわけじゃないのに。と落ちかける意識のなかでそう自分を責めた太一の頬に、ポツッ、と雨粒が当たり、その温度を最後に完全に意識をなくした太一を亮は抱き抱えながら必死に何度も何度も名前を呼んだが、その声を掻き消すほどの雨が二人を、辺りを瞬く間に包み込んでいった。






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