新年の瞬間を亮と共に過ごし、抗えぬほどの恋をようやく認めた太一だったが、だからといって亮とどうこうなりたいとも、どうこうなれるとも思ってはいなかった。

 出会い頭、魂の番いだからといってお前と番いになるつもりはない。などと言ってしまった手前今さら掌を返すように好きだなどとは口が裂けても言えぬというのもあるが、何よりそもそもオメガがアルファと結ばれる事自体珍しく、アルファは血統を守るべく同じアルファ同士で結婚する事がこの世界の常識であり、ごく希にオメガと結ばれる事もあるがそれは歴とした家柄のオメガというのが定説となっている。
 勿論亮が家柄や名声のためだけにそんな事をする人間だとは思ってはいないが、だからといって何の取り柄もない、ただ魂の番いだからという理由だけで自分を選んでくれる訳はないと分かっているし、そんな事は太一自身望んでもいなかった。
 父と母のように恋に落ちて結婚をして子どもを育てる。という幸せな未来など自分には出来ないと重々分かっているし、それでも、こんなにも誰かに心惹かれ、苦しいほど恋をして、そしてその相手も自分を友人として好いていてくれているという事自体が、太一にはこの上ない幸せだと思うのだ。


 そんなささやかでちっぽけで、見方によっては自虐的すぎる想いを抱えたまま新学期が始まり、あっという間に二月を迎え、そして校内が色めき立つバレンタインデー、当日。
 案の定亮の靴箱や机の上には山積みのチョコがあり、休み時間もひっきりなしに呼び出しをくらっているのを、大変だなぁ。だなんて他人事すぎることを思いながら見ていた太一は自分の席に座りながら、チョコレート募集。というプラカードを持ち教室を練り歩いている龍之介と亘を見てゲラゲラと笑っていたのだが、

「「いや、笑ってる場合じゃねぇかんね!? お前だって一個も貰ってねぇだろ!!」」

 だなんて二人にチョップをかまされ、いってぇ!! と顔をしかめた。
 そんな太一の様子に気を良くしたのか、練り歩くことを止め太一の机の上に胡座を掻き座り出した亘。
 そんな亘を龍之介が後ろから立ったまま抱き締めていて、いやそこ座る場所じゃねぇから。亘の股間が常にこんにちは状態なんだけど。なんて太一は青筋を立てながらも、亘も龍之介も見目はそこまで悪くねぇのになぁ。しかも龍之介なんてアルファなのに。だなんてぼうやりと思う。
 そんな太一を他所に、

「くそ〜……なんだって亮ばっかりモテるんだ……あいつ許嫁居るくせに……」

 と悔しそうに龍之介が言ったので、太一は一瞬ズキンと痛んだ胸を無視し、ああやっぱりそういう人がちゃんと居るんだなぁ。と小さく笑った。


「えっ!? 亮許嫁居んの!?」
「うん。俺も何度か会った事あるけど、めちゃくちゃ金持ちで美人で才色兼備って感じの女の子だよ」
「まじか〜〜!! 勝ち組すぎんだろぉ!」

 そうジタバタと悔しげに唸る亘に、ほんとだよなぁ! と賛同する龍之介。
 そんな会話を聞きながら、夕飯を一緒に食べてくれるのも、あの花火の時に繋いだ手も、わざわざ買ってくれたストラップも、俺のためだって言ってくれたメダルも、亮にとってはやはり大した意味なんてなくて、俺が魂の番いだからっていうだけのちょっとしたオマケみたいなもんなんだろうな。と誰にでも優しい亮の、それでも自分じゃなければきっと望みを持ってしまいそうな今までの態度に知らず知らずのうちに俯いていた太一は小さくかぶりを振って、だからそもそも望みなんてねぇっつうの。と薄く笑った。


「え、ていうか亮っていつから許嫁いんの?」
「いつからって、そりゃ生まれた時からに決まってるじゃん」
「まじかよすご! ていうか結構長い付き合いだったのに俺全然知らなかったんだけど……って、あれ、でも亮って中学の時にめちゃくちゃ美人の年上の彼女居なかったっけか?」
「え? あー、あの大学生の家庭教師かぁ。いや別に付き合ってるわけじゃなかったみたい。付き合ってんの? って聞いたらそういうんじゃないとか言われたし。まぁあれじゃね、世にいう、セフレという……」
「まぁじかよ!! 遊んでんなあいつ!! こりゃあ告ってきた子も喰っちゃうんじゃ、」

 そう亘と龍之介がわちゃわちゃと言い合っている声を聞きながら、いや別に俺にはなんの関係もないけど、ないけどさ、……知りたくはなかったなぁ。なんて太一がギュッと拳を握ったその瞬間。

「俺がなんだって?」

 と突如聞こえた亮の声に、亘と龍之介がバッと後ろを振り返る。
 そこには満面の笑みの、けれども一ミリも目の奥が笑っていない亮が立っていて、亘と龍之介の壁によって前が見えていなかった太一もなぜか自分まで怒られているような気がしてピシッと身を固まらせた。


 蛇に睨まれた蛙のような面持ちで亮を見る三人に、

「くだらない話してんじゃないの」

 なんて亘と龍之介の頭をぺしぺしと叩きながら亮が空いている太一の隣の席に座り、

「昔は、まぁ、興味本意でというか、あれだったかもしれんけど、今はそんな事してないから。ほんとに。高校入ってから女の子と遊んですらないし。告白してきてくれた子に手を出したりもしてないし、しない。絶対に」

 となぜか太一の目を見つめながら亮が言ってくるので、太一はその真剣さに気圧されつつ、そ、そうか。なんて呟いた。

「ほんっとうに、本当に今は何もないから」
「分かったって! なに! こえぇよ! すごむな!」

 ずずいっと顔を近付けて力説する亮に、たじたじになりがら太一が叫ぶ。
 そんな二人のやり取りを見ていた亘と龍之介は、ん? と二人で顔を見合せ、変な亮。だなんて頭の上にはてなを浮かべていた。




 ◇◆◇◆◇◆



「明、ほんとに卒業しちゃったね」


 そうぽつりと亮が呟いたのは、冬の寒さが幾分か穏やかになった、三月。

 綿のような雲を散らした青空に仰げば尊しが響き渡ったのが、今から約七時間前。
 滞りなく卒業式が終わり、胸に花をさした明を囲んで街へと繰り出し、騒ぎ、それからいつものようにまた明日。と龍之介達と別れ、太一と亮は帰り道を二人並んで歩いていた。

 明日もまた同じように学校へ行き、同じように友人たちと笑い合う。
 そんな当たり前の日常は続いてゆくのに、そこに明だけが居ないと思うとなんだかひどく寂しくて、太一は春先だとはいえ未だ寒く凍えそうな鼻先をマフラーに埋めた。


「……なんか、変な感じ」

 ぽそり。そう独り言のように呟いて足元を見る、太一。

 いつも馬鹿な事をする自分達を優しくたしなめ、しかし時には一緒になって馬鹿な事をし、ずっとそっと見守ってくれていた明。
 そんな明をまるで兄が出来たかのように太一は慕い、そして明もまた太一を弟のように可愛がってくれていたと思う。
 だからこそ、明ともう学校で顔を合わすことはないと思うとどうしようもない焦燥感に苛まれ、そして今日の別れ際、太一は卒業したらどうするんだ? と明に聞かれた時に何も答えられなかった事を太一は思い出していた。

 高校に入る前は、ただこの学校を卒業する事だけが唯一の親孝行だとしか考えておらず、卒業してからのそれからの自分の未来など、太一は考えた事がなかった。
 いや、正確には自分の未来に選択肢があるなんて、思ってもいなかった。

 高校を卒業したら親戚の家から出て、どこかの工場などでひっそり細々と働く。

 それだけが唯一太一が思い描ける自分の未来で、そしてもっと言ってしまえば高校を卒業さえすれば、いつどこで死んでもいいとさえ思っていた。
 けれども亮や龍之介達と一緒に居るうちに、生きるという事がどれだけ楽しいのかを思い出させてもらい、ただ死ぬためだけに生きる。それだけが自分の生き方ではないのではないかと、もっと、自分は生に対して貪欲に足掻いてみてもいいのではないだろうか。なんて夢物語のような事を思い始めていて、そうぐちゃぐちゃと考えていれば結局何も言えず、太一は押し黙ってしまったのだ。
 そんな太一にふっと穏やかに微笑み、

『たくさん悩んでいいんだ、太一。俺達はまだ若くて、無限の可能性が目の前に広がっているのだから』

 なんてまるでどこかの本の一文のような台詞と共に、頭をくしゃりと撫でてきた明。
 その温もりがまだ頭に残っていて、太一はずずっと垂れてきそうな鼻水を吸いながら、亮をちらりと見た。
 亮の鼻先もやはり寒さで赤くなっていて、それがなんだかとても可愛く目尻をゆるりと弛めた太一だったが、それから、……未来、か。と夜空を仰いだ。

 見上げた空はどこまでも深く星がキラキラと瞬いていて、世界は果てしなく広いのだと思い知らされたが、でもきっと俺の未来に亮は居ない。例えどれだけ選択肢が広がろうとも、その選択肢のなかに誰かと、ましてや亮と寄り添って生きる未来など、自分にはやっぱりない。と太一は目を伏せた。

 前に一度、亮は卒業したらどうするのだと聞いた事がある。
 その時少しだけ寂しそうに、うーん、どうだろ。とりあえず両親が行った大学に通って、普通に卒業して、それから普通に会社を継がないといけないと思う。なんて笑った亮の横顔がひどく悲しく見えたが、何と声をかけて良いのか分からず、太一は亮と自分はやはり生きる世界が違いすぎる。と打ちのめされたのだ。

 こうして一緒に居られる事が奇跡で、そしてその奇跡は永遠ではない。

 そんな当たり前の事を、大事な人との別離を経験した事のある太一だからこそ痛いほど分かっていて、それでもあと一年、あと一年だけこうして側に居させて欲しい。とじっと亮の顔を見る。
 その視線に気付いたのか、ん? と微笑み太一を見つめ返す亮。
 その顔が本当に穏やかで、太一は唇の端を一瞬だけ小さく歪めてしまったが、それからニカッと歯を見せて笑った。

「もうすぐ俺らも三年かぁ」

 そう伸びをしながらぼやき、実感わかねぇ〜だなんて呟く。
 そうすれば、ほんとだよね。と笑った亮が、三年になっても宜しくね。だなんて言うので、改めて言うなや、はずい奴。と太一は亮の肩に小さくパンチを打ちながら目を伏せた。


「……亮もさ、受験とかで忙しくなるだろうし、もう俺に付き合って夜ご飯誘ってくれなくていいから」
「……まぁ、今さら遅すぎるけど予備校には通わないといけなくなるから、」
「……ん。だから、」
「だから、太一のバイト終わりとちょうど同じくらいに予備校終わってむしろ暇潰しに最適でラッキーだと思ってるんだよね」

 だからこれからは俺に構わなくていい。と言おうとした言葉はにっこりと微笑みながらも同じ言葉を使い遮ってきた亮によって掻き消され、

「……俺が好きでやってる事だし、むしろ俺が太一と一緒に居たいだけだからさ、俺のためだって言うなら、今まで通り一緒に夕飯食べてくれたら嬉しい」

 だなんて捨てられた子犬のような顔で見てくる亮のトドメの台詞に、太一はヒュッと息を飲んだ。

 ……なんで、そんな顔をするんだろう。
 ……なんで、そんな事を言うのだろう。

 こんないとも簡単に柔いところを見せられると、どうするべきか分からない。
 友人として、どう振る舞えばいいのか、分からない。

 そう切なさに身を裂かれながら目を伏せた太一は震えそうな声を叱咤し、……お前がそれでいいなら。と笑う。
 そうすれば途端に声のトーンをあげた亮が、もちろん。だなんて嬉しそうに溢しまたしても歩きだしたので、今の言葉は変ではなかっただろうか。態度は、おかしくはなかっただろうか。なんてぐるぐると考えながら、夜に紛れてしまいそうな亮の背中を見つめた。

 その背はどこまでも真っ直ぐで逞しく、見惚れてしまうほど美しくて、……ああ、好きだな。と抑えきれぬ想いを心のなかで吐き出しながら、太一もゆっくりと歩きだした。


 夜に響く靴音は二つだけで、それでも影が交わることもなく歩く二人の背を外灯だけが優しく照らしている夜だった。






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