「なぁ太一、今年もクリスマス皆で集まろうって話してんだけど、参加出来る?」

 そう小首を傾げて聞いてきた龍之介に太一は一瞬だけ小さく息を飲み、それからなんてことない事を伝えるような口ぶりで、

「あー、多分無理。そこら辺発情期だと思う」

 と返す。
 そうすれば屋上に居たメンバー全員が一斉にピタッと動きを止め、太一を見た。


 木枯らしが吹き荒れている、屋上。
 太一を見つめる皆はブレザーの中に各々厚手のパーカーを着込んではいるものの、鼻の頭を赤くしている。
 そんな、なぜわざわざ寒い場所で昼ごはんを食べているのだと言われそうな寒空の下、太一の突然のカミングアウトにポロッと亘の口からパンくずが落ち、それと同時に、

「「「「えぇぇぇぇぇ!!!??」」」」

 なんて太一と亮以外のメンバーの口から驚きに満ちた大声が上がった。





「え、はつ、え、てことは、えぇぇ!!??」

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてはボロボロとパンを口から溢す亘の隣に居る亮は、はは、このタイミングで言うんだ。なんて笑いつつ、さっと胡座を掻いていた足をパンくずが落ちてきてばっちぃと言いたげにずらしている。
 そんな通常運転な亮を向かいで見ていた太一がぶっと吹き出していれば、亘と優吾が、だからよく休んでたんだ! と合点がいったと顔を見合せ、その優吾の隣に座っている龍之介が、

「いや、いつ言ってくれるのかと思ってたけど、まさかの今!?」

 だなんて驚きながらも笑ったので、二人は、へっ、龍之介知ってたの!? と二重の驚きに目を見開かせていた。


 そんな優吾と龍之介のやり取りを見ては煩いと眉間に皺を寄せたあと、少しだけふっと表情を和らげた明が、

「じゃあクリスマスパーティーは前倒しでやるか?」

 と自然に会話を繋げてくれ、それにやっぱり明さんにも勘付かれてたか。と俯きつつ、それからまた元通りのようにそうだなぁ。だなんて言っている皆の声を聞きながら、太一は小さく唇を噛んだ。

 ぐっと目元に力を入れて、耐える。
 そうでもしないと、なんだか泣いてしまいそうだった。

 けれどもそれは決して人生の不条理からくる怒りでも悔しさでも悲しさでもなくて、

「……わざわざ俺に合わさなくてもいいっての」

 と顔を上げて笑ったが、向かいで自分を見つめる亮の、ほらね。絶対大丈夫だって言ったでしょ。と得意気な笑顔に堪らず眉を下げ、今にも泣きだしそうな、それでいてひどく幸せそうな笑顔を浮かべた。




 そうして太一の突然のカミングアウトから早いもので月日は過ぎ、それでも龍之介達は今までと何も変わらず、結局前倒しで行われたカラオケ店でのクリスマスパーティーはいつも通り笑い声に溢れていた。
 もう何も隠す事などないと晴れやかに友人らと共に日々を過ごし、生きる事だけに執着していた太一のささくれ些か意固地になっていた心はゆるやかに、まるで雪山が春の穏やかな風にじわりじわりと溶けていくように、人の尊厳を取り戻していった。

 しかしそんな日々がずっと続けばいいとらしくもない夢物語を願うほどのあとにはやはり現実に引き戻すかのように発情期が襲い、太一は今年も終業式の前に学校を休みながらひっそりと心を殺し、生理的に浮かぶ涙と死んでしまいそうな熱に侵されながら、ひたすらに堪え忍んでいた。
 けれどもここ最近さらに症状が悪化している気がし、一回二錠と決められている薬を三錠、多いときは四錠飲むようになっていて、その副作用で酷い吐き気に見舞われ体を軋ませ、それでも気を失うように眠れる事だけが救いだといわんばかりに、太一は薬に手を伸ばしていった。

 勿論、母の死の原因を忘れたわけではない。

 だがそうでもしないとこの耐え難い疼きに、狂暴なまでの性に、奴隷にされてしまいそうで怖かった。
 そして朦朧とする意識のなか想い描いてしまう未来に歯を食い縛り、発情期さえなくなれば。発情期さえ治まれば、きっと大丈夫だ。と誰に言うでもなく祈るような気持ちで過ごし、太一は一人きり疲弊していった。

 十二月後半の冷たいすきま風が吹き荒れる、物置小屋。

 去年と同じように窓の外にはちらちらと美しい雪が舞い踊り、太一は無意識に携帯を握りしめながら四日目になっても治まらない衝動に息を乱し、冷たい煎餅布団の中でもがいていた。




 ◇◆◇◆◇◆



 そうして苦しく地獄のような一週間を過ごしようやく発情期が終わった太一は大晦日の朝、晴れやかな気持ちで携帯画面と数分ごとににらめっこをしながら逸る気持ちを抑えつつ夜になるのをじっと待っていた。


 亮との約束は去年と同じく、夜の十一時。

 それでももう夕方の五時頃には支度を終えていた太一は、小さなタンスの上に飾られた父と母の写真や体育祭の時に亮から貰ったメダルをぶら下げている壁を何度も何度も意味なく見つめた。
 そうして落ち着かぬ様子のまま部屋の隅で膝を抱え、体の間に以前貰った猫のぬいぐるみを抱いた太一は人知れず目元をぽわりと染めていて、その顔は本人が見たらきっと羞恥で顔を赤くし途端に掌で隠してしまうだろうと思えるほど弛みきっていた。

 そうこうしている内に時刻は夜の十時になり、太一は亮のカーディガンをダウンジャケットの中に着込み、マフラーを巻いて物置小屋を出た。

 空は星さえ見えずどんよりと暗くて、今にも雪が降りだしてしまいそうなほど寒い。

 しんしんと深まる夜が寒さをより一層強め、垂れてくる鼻水をずるずると啜りながらもじっと家の前で待っていた太一だったが、それからまさか十五分ほどで遠くの方から、

「たいち!?」

 だなんて驚いたように名前を呼ばれ、太一はバッと勢い良く顔をあげた。


 遠くから、バタバタと慌てて走ってくる音がする。

 夜を背にしているその姿がよく見えなくて思わず目を細めていれば、一気に距離を詰めてきたかと思うと白い息を纏わせながら、なにしてんの!? だなんて待ち人である亮が眉をしかめ、その顔になんだか堪らなくなって怒られているにも関わらず太一はふにゃりと頬を弛めてしまった。


「亮、久しぶり……」
「いや久しぶりじゃなくて、……まぁ久しぶりなんだけど、ていうか待ち合わせまでまだ三十分以上あるのに、なんで外で待ってんの?」
「……え、と……」
「去年も外で待ってたから念のためにって早目に出てきたのに……。なにやってんのほんと。風邪引くよ」

 鼻の頭を赤くしながら、心配そうに見下ろしてくる亮。
 その顔を見上げながら、うん、ごめん。なんて素直に謝る太一はどこかふわふわとしていて、そんな太一に小さく目を瞬かせたあと亮は視線を逸らし、マフラーに鼻先を埋めジャンパーの中に入れていた掌を人知れずぎゅっと強く握った。


「亮?」
「……とりあえず、歩こうか」
「……ん」

 不思議そうに名前を呼ぶ太一を見ず、視線を逸らしたまま歩きだした亮の隣に太一も並び立ち、歩き始める。

 ちょうど一年前と同じよう冷えて露を浮かび上がらせるアスファルトは黒々と輝いていて、キラキラと揺れながら二人の足元を照らしている。
 その道を言葉もなく歩く二人はされど、その沈黙を心苦しいとは思いながらも嫌だとは感じなかった。




 それから辿り着いた去年と同じ神社で新年を迎え、以前同様無病息災を祈ったが、その時先に顔をあげた太一は亮の綺麗な、それでも夜に紛れてしまいそうな横顔をじっと見ていた。
 その後二人しておみくじを引き、亮は大吉、太一は小吉となかなかに新年から差が開いてしまった結果に笑いつつ、けれども太一は無意識にその占いのひとつの項目をちらりと見てはトクンと胸をときめかせ、それから慌てて、何見てんだ。とぐしゃぐしゃに潰したおみくじをポケットに突っ込んだ。



「あ、甘酒。今年も飲んでこうよ」

 人よりも高い身長のお陰ですぐさま甘酒を配っている場所を見つけた亮が笑い、こっち。だなんて腕を引いて歩きだしたので、太一は途端にカァッと熱くなる頬の火照りを抑えるよう俯き、人を掻き分け進む亮の後ろを歩いた。


 はい。と亮から渡された小さいカップに入った甘酒を、さんきゅ。と言いながら両手で受け取りちびりと口を付けた太一。

 冷えた顔に湯気が当たり、独特の甘さが鼻を抜けていく。

 それでも冷えきった体に流れていく温かな温度が実に正月らしくて、ほぅ。と息を吐けば、それを見ていたのか柔らかく笑っている亮と目が合ってしまって、太一はぱちぱちと数回瞬きをしたあと、ボンッと顔を赤くした。

「え、たいち、なんか急に顔赤くなってない? 大丈夫?」
「っ、だ、だいじょうぶ、」
「でも、……やっぱりあんな寒いとこで待ってたから風邪引いちゃったんじゃ、」
「大丈夫だから、まじで。……甘酒のせいだから、まじで」

 パタパタと甘酒を持っていない方の手で顔を扇ぐ太一に、ほんとかなぁ。と訝しげな瞳を投げつつ、でもまぁ体調は本当に悪くなさそうだから大丈夫か。と亮も納得し、ぐびっと甘酒を煽る。
 それから、相変わらずあまぁ。だなんて顔をしかめ笑う亮が一気に飲みきった甘酒のカップを近くのゴミ箱に捨てたので、太一も慌ててぐびぐびと甘酒を飲み干した。



「わ、もう四時じゃん。遅くまで付き合わせてごめんね。帰ろっか」

 自身の腕時計を覗き込み、それから、行こうか。と歩きだした亮。
 その遠ざかっていく背中に思わず腕を伸ばし服の裾を咄嗟に掴んでしまった太一は、ん? と振り返り自分を見てくる亮の瞳に、何やってんだ。と恥ずかしさでいっぱいになりながらも、いやなんでもない。などとはもう言えぬ雰囲気に口を小さくモゴモゴと動かした。


「太一?」
「……、あの、」
「うん?」
「俺、きょう、新聞配達のバイト、ねぇから、その……、」

 言い淀み、視線を俯かせ、ほんと何言ってんだ。と顔を赤くする太一の旋毛を見下ろした亮は堪らずんぐっと息を飲み、それから口元を手で隠しながら一度小さく深呼吸をして、

「ほんと? なら、まだ一緒に居られるね」

 だなんて笑う。
 その言葉にバッと顔をあげた太一の表情がやけに嬉しそうで、ライトアップされた神社の灯りでキラキラと輝く瞳がとても美しくまたしても息を飲んだ亮は、ここ最近の太一ほんとに俺に対して無防備すぎっていうか、なんていうか……と自惚れてしまいそうになるのを抑え、いやいや、平常心、平常心。と心のなかで自身を強く律したのだった。




「でもどこか行くっていってもどこもお店やってないだろうしなぁ……」
「……あ、」
「ん?」
「いや、亮の家の近くに展望台あるだろ。あそこからなら初日の出綺麗に見えるかもと思って」
「展望台? ……あぁ、あそこかぁ。生まれてからずっとここに住んでるけど全然行ったことないや」

 この街の事太一の方が詳しいのウケるね。だなんて亮が笑いながら、じゃあそこ行こうよ。と目尻を弛めるので、その笑顔をじっと見たあと、おう。と呟いて歩き出す太一。
 神社の中は並んでいる人や今来た人、帰る人でごった返していて、はぐれちゃうから。だなんてぎゅっと手を握ってきた亮に太一は今日何度目か知らぬほど顔を赤くしながら、とぼとぼと大人しくあとをついていった。







「……うわ、すごいね。街全体見れるじゃん」


 三階までのぼりきり、手すりの向こうに広がる景色を見た亮が感嘆にも似た息を吐きながら、表情を綻ばせている。
 冬の冷たい風が亮の髪をさわさわと揺らし、夜にぽっかりと浮いたかのような暗がりの、それでもぽつぽつと灯る街の街灯が下から柔らかく照らしているなかで柔らかく微笑み自分を見つめてくる亮に、太一は目尻をぽわりと薄紅色に染めながら、目を伏せた。


「ここ、良く来るの?」
「……ん、毎朝来てる」
「え、毎朝?」
「……ここから朝日を見るのが好きなんだよ」
「……へぇ、知らなかったや。新聞配達のあとにここに来てるんだ?」
「ん」

 母が死に、この街に引っ越してきてからの毎朝のルーティーンになっているここからの景色は、一人ぼっちだった自分を優しく包んでくれている気がして、太一は好きだった。
 しかし高校に入学してから目まぐるしく日々が一変し、友人が出来て、亮が側に居るようになって、もう一人ぼっちだとは思わなくなった。
 けれどもここから見る朝日はやはり綺麗で美しく、亮と友達になれた日や、皆に自分がオメガだと伝え受け入れてもらえた日の翌朝は一段と綺麗に輝いているように感じて、太一はやはり毎朝ここで美しい景色を眺める事が好きだった。
 そんな自分だけの、ひっそりと大事にしてきた場所に亮が居る事がなんだか不思議で、それでもひどく嬉しくて、太一は手すりに凭れながら腕に頭をこてんと乗せ隣に並び立つ亮をちらりと盗み見た。

 街は未だ夜に沈み、寝静まっている。

 その深い眠りのなかで見る亮は普段とどこか違って見えて、出会った頃よりも精悍さが増したその横顔を眺めた太一は、けれど何も言わず視線を街へと戻した。



 それからどれくらい経っただろうか。
 ぽつりぽつりと会話を交わしながらも互いに静かに街を眺め、そうしてうっすらと世界が明るくなり始めた頃。
 寒さに鼻先を赤くしていた太一が小さくクシャミをし、それを見た亮は太一の首に巻いてある自分のマフラーを見ては、

「ほら、ちゃんと巻かないと」

 とほどけかけていたマフラーをしゅるりと一旦ほどき、ぐるりと太一の首に巻き直す。
 鼻までふわりとくるみ、よし。と満足げな顔をした亮に気恥ずかしくなりながらもありがとう。と呟けば、うん。だなんて笑った亮がそれから、ちょっと待ってて。と言い残し階段をかけ降りて行ってしまったので、一人ぽつんと残された太一はパチパチと瞬きをしたあと、マフラーのなかでふっと柔く口元を弛めた。

 鼻を擽るのはもう自分の香りだけ。

 それがなんだか寂しくて、ふっと瞳を翳らせた太一だったが、慌ててぶんぶんと首を振った。


 それからほどなくして戻ってきた亮が息を切らしながら、

「はい」

 と手にしていた缶を差し出してきたので、目の前に差し出された、きっと下の自販機で買ってきてくれたのだろうほかほかと温かいそのコーンスープ缶を、太一はなんとも言えない表情のまま、恐る恐る受け取った。


「……さんきゅ」
「うん」

 にっこりと微笑み隣に立つ亮が、寒いね。と言いながらブラックコーヒーの缶を頬に当て暖を取っていて、それを真似るよう太一も鼻先にコツン、と缶を当てる。
 そうすればじわりじわりと温かくなってゆく鼻先に、はぁ。と太一が息を吐いた、その時。

 目の前の地平線から、ゆるりと顔を覗かせた太陽が街を一気に目覚めさせた。


 艶やかな赤がじわじわと世界に広がり、朝ですよ。と言いたげに街を明るさで包んでゆく。

 キラリと光る、家々の屋根。
 息吹くかのように揺れる、木々。
 朝日を待ちわびていた鳥が、大空を優雅に羽ばたいている。

 空から差し込むいくつもの天使の梯子が美しいカーテンのようで、いつもよりとてもとても綺麗に見える街並みに目を煌めかせた太一が、ほぅ。と息を吐く。
 その横で同じように朝日を浴びてきらりきらりと輝く亮も美しい景色に陶酔するかのよう息を吐き、その互いの口から出た白い息が、藍色の空を裂く赤に混じって揺蕩い溶けていった。



「すごいね……」

 心ここにあらず。と言った風にぽそりと呟く亮。
 その声に太一は手にしていた、すっかり冷えてしまったコーンスープの缶を握りながら、……な。と呟き返す。

「教えてくれて、ありがとう」

 そう心底嬉しそうに自分を見つめてくる亮の柔らかな笑顔が朝に映えてとても眩しく、太一はうっと目を細めたあと、カシリ。とコーンスープのプルタブを開けた。
 それから勢い良くそれを飲みだせば、詰まるよ。なんて言いながらも亮が笑っていて、甘ったるいコーンスープと粒に眉間に皺を寄せながらも太一はぐびぐびと煽った。


「……っ、ぷはぁーー!!」
「え、飲み切った? そんな喉渇いてたの?」
「うるせぇ」

 太一の突然の奇行に楽しそうに体を捩らせて笑う亮を見ず、ぐいっと口元を手で拭った太一はぽっかりと空洞になった空き缶を眺めては、もう一度口元を拭ったあと、隣で笑う亮を見た。

「ん?」

 鼻の頭を赤くし、白い息を吐きながら目を細めてこちらを見る亮の瞳がひどく優しくて、その顔をなんだか泣きそうな顔で見つめ返した太一は、もう誤魔化せない。と自身のなかで芽生えてしまった感情を痛切に自覚しつつも、

「……なんでもねぇ」

 と目を逸らした。

 このドキドキと高鳴り死んでしまいそうなほど痛む胸も、優しくされると嬉しくて泣きたくなる事も、あの大きな掌で頬を撫でて、それから逞しい腕に抱き締めて欲しいと思う事も、運命の番いのせいだなんて、もう誤魔化せない。

 ……苦しいくらいに、自分は亮に恋をしている。

 そう心のなかで呟き、けれどもどうする事もできないと目を伏せた太一の睫毛を、新年のめでたい、それでもいつもと変わらぬ朝日がきらりきらりと輝かせていた。

 それは、高校三年生に上がる前のなんの変哲もない、美しい冬の朝だった。






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