『宣誓!僕たち、私たちは、スポーツマンシップに則りーーー』

 晴れやかな青空にこだまする声。

 十月の半ばになり、いつの間にか季節はすっかり冬になりかけ風がグラウンドの土を巻き上げ土埃を渦巻かせている。
 そんな寒空の下にずらりと並んだ生徒達がジャージや体操着に身を包む様は圧巻で、パンッと乾いたピストルの音が響きパチパチと弾ける拍手と共に、香南高校体育祭が幕を開けた。



 香南高校は一年ごとに体育祭と文化祭が変わり、去年は文化祭だったが九月だった為ちょうど発情期にぶち当たってしまい不参加だった太一は、今年は行事に参加できたと顔を輝かせながら隣に並ぶ亘を見たが、寒い寒いとでかい体を縮こませジャージに体をすっぽりと埋めながら、寒いのは苦手なんだよぁ俺。それに体育祭より文化祭のが好きなんだよなぁ。なんて小さく文句を垂れていて、なんだよもっと気合い入れろや! と太一は体当たりをした。
 そうすれば、うわっ、と声をあげ、袖を通さずジャージの腹の中で腕組みしていたためバランスが上手く取れず後ろにグラッと揺らいだ亘。
 しかしその体を後ろから受け止め、

「何やってんの」

 なんて亮が笑い、真面目に聞けよな。と亘の体を前に突き飛ばす。
 それにまたしても、うあぁっ、なんて情けない声を出した亘が振り子のようにぐらぐらと動くのを見た太一がははっと笑っていれば斜め後ろの亮とバチッと目が合ってしまい、その途端太一は若干顔をひきつらせ小さく目を伏せた。


 あの日以来どことなく気まずく、亮と二人で夕食を食べる間も太一はなんだかきちんと目を見ることが出来ずにいて、そんな自分にモヤモヤしつつもう一度ちらりと亮を見やれば、ん? と優しい笑顔で見つめ返され、やはり太一は顔をひきつらせ慌てて前を向き高鳴り始めた胸を抑えては深呼吸を繰り返した。


 そんな太一自身良く分からない感情を抱えたまま始まった、体育祭。
 こういうお祭りごとが大好きな龍之介が無駄に張り切ったせいでクラスでお揃いのハチマキを付けさせられていて、しかしそれもまぁ青春だと思えば悪くなく、太一も張り切りながら学年で行われる組体操やら綱引き(先頭に居た龍之介がずっこけたせいで将棋倒しのようにクラス全員が倒れ引きずられ完敗した)に参加し、それから亘が出る障害物競争を応援するため身を乗り出していた。


「途中で転びそうじゃない?」

 そう笑い隣に並び立つのは亮だったが、祭り独特の雰囲気のおかげで今だけはちゃんと顔を見て話せるようになり、太一も笑いながら、それな。と亮を見上げる。
 そしてその時ちょうど開始のピストルが鳴り、その音にびっくりしたのかスタート地点で麻袋に足を突っ込んだまま飛び跳ね転んだ亘に、二人していやそこでかよ! なんて大笑いをした。

 それでも持ち前の麻袋テクニックにより(俺まじで麻袋マスターだから。なんて障害物競争に出ると決まった時嬉しそうに豪語していた亘はどうやら中学時代一時期麻袋にはまり麻袋登校していたらしい)立て直し、一気に加速してはごぼう抜きを見せたので、見ていた観客席から歓声が沸き上がった。
 そしてそのまま二種目めに一番乗りで到達し、長い足を駆使し五段の跳び箱を軽々飛んだあと無駄にバランス感覚が良いのか完璧なフォームで平均台を渡りきり、あと残すところ縄抜けのみになった亘に、クラスからまさかのまさか一位取れるんじゃね!? なんて期待があがる。


「わたるーー!! いけええぇぇぇ!!」

 亮の隣で応援している龍之介が大声を張り上げ、その声にこちらを振り向いた亘が先ほどの転倒で全身土埃まみれになりながらもニカッと笑い親指を立てるので、その男らしい姿に、おぉ!! と更に沸く運動場。

 しかしその瞬間、

「必殺奥義!! 切り抜けの術!!」

 だなんてどこに隠し持っていたのか知らぬハサミを高々に翳し叫んだ事により不穏な空気が漂い、そしてその予感通りジョキジョキと縄を切り始める亘に、一気に会場が凍り付いた。


 そんなぶっ飛んだ事をする亘に、おま、まじか!! あははっ!! と笑っているのはいつものメンバーで、龍之介と優吾、それから太一と亮はお腹が痛いと早々に崩れ落ち地面に踞ってしまった。

「あはは!!」

 弾ける四人の笑い声に釣られるようクラスの皆も笑い、その声が辺りにも伝染し始めたが、慌ててやってきた体育教官に、

「何をやっとる貴様ぁぁぁ!!」

 と怒鳴られ、え、駄目だった? やべぇ! なんて逃げようとした亘だったが首根っこを掴まれ強制退場させられてしまい、そんな亘に四人はやはり息も絶え絶えに笑った。
(この一件はのちのち、香南高校体育祭事件として語り継がれる事となる)



 そんなハプニングと伝説を残した亘に涙を流しながら、

「駄目だったのって普通に考えて駄目だろあんなん、やべぇ腹いてぇ」

 と未だ笑う太一。
 そんな太一の隣で亮も口を開け笑っていて、二人して苦しいと地面に転がっていれば次の種目のアナウンスが鳴った。


『四百メートルリレーの選手は、本部席横のゲートにお集まりください』

 そう鳴り響く放送部員の声に、あ、俺だ。と顔をあげた亮がひとしきり笑ったせいで目に涙を浮かべつつ立ち上がり、そのあと砂埃を払っては、ほら太一もそろそろ立って。と手を差し出してくるので、太一はその手に一瞬ピクッと身を固くしたが、そろりと自身の手を重ねた。

「頑張れよ」

 亮に引っ張られながら、応援してる。と笑えば、

「うん」

 だなんて微笑み見つめ返してくる亮。
 その穏やかな顔が自分に向けられていることに途端にやはり恥ずかしくなってしまい、太一は視線をうろうろとさ迷わせたが、

「この種目だけ一位になったらメダルがあるんだって。それ、太一にあげるね」

 と完全に勝つ前提で話をしてくる亮に、いやこれリレーだろ。お前だけ足早くても、と顔をあげたが、亮は自信満々な顔で手を振りゲートの方へと向かっていってしまい、ポツンと一人残された太一はしばし呆けたあと唇を小さく尖らせ、

「……ていうかなんで俺にくれんだよ」

 なんて呟き、俯いて足元を見た。



 そうしてなんだかむず痒い気持ちを抱えたまま、第四走者、アンカーのたすきを肩からかけウォーミングアップするよう体を捻ったりしている亮をクラスの応援席から眺めている太一は、なぜだかドキドキと緊張し手に汗を掻いてはごくりと唾を飲んだ。

 ……ああ、亘の時はただ笑っていられたのに。

 なんてどことなく失礼な事を思う太一だったが、遠いトラックの向こうで真っ直ぐ背筋を伸ばし立っている亮を見ればやはり息苦しく、無意識に胸元を握った。

 逸る気持ちが喉を狭ませ、緊張した面持ちで太一が見つめていれば、

「それでは位置について、よーーい、」

 と声があがり、振りあげられたピストルがパァンッと音を鳴らせ、第一走者が一斉に走り出す。

 クラスから代表で選ばれただけあって皆速く、ぐんぐんと進んでいき団子状のようになりながらあっという間に第二走者へとバトンが渡ってゆく。
 太一もその様子を一生懸命同じクラスの奴の名を叫び応援しながら見守っていたが、しかし第二走者でだんだん先頭と離され、あっという間に六組中三位という順位になってしまい、けれどもまだまだ巻き返せるとクラスの連中と共に食い入るよう見つめていたが、第二走者から第三走者にバトンを渡す際上手くいかなかったのか、カランッ……、とバトンが地面に落ちたのが見えて、あぁぁ! と固唾を飲んでしまった。

 その声を振り払うようさっと拾い第三走者が走り出したが後続が次々と抜いていき、気が付けばビリになっていて、太一がハラハラとしながら亮を見れば亮は一番端のレーンでそれでもしっかり準備万端で待ち構えていた。
 横から自分を抜いていく人達を見向きもせず、それでも顔だけ振り返り第三走者をしっかりと見ていて、なぜだか太一はその姿に胸が苦しい。と息を詰まらせる。
 そしてなんとか一人抜いた第三走者が、頼んだ! というように亮にバトンを渡し、亮は一瞬だけ安心させるよう笑顔を見せ、それからグンッとグラウンドを蹴った。

 力強く地面を蹴り、長い体を槍のように尖らせ閃光の如く切り裂き進む亮の姿はどんどんと遠ざかり小さくなって、あっという間に一人、また一人と抜いていく。
 その度にクラスからは割れんばかりの声援があがり、けれども太一は何も発せず、息すらも止めてその姿を食い入るよう見つめていた。


 陽に照らされた広く真っ白な背中。
 その眩しい後ろ姿を隠すよう砂埃が軌跡のように揺らぎ、……ああ、心臓が痛い。と胸元を握ったまま、はくはくと口を開ける太一。

 そしていつの間にか一位の背中を捉えた亮が一気に隣に並び立ち、お互い譲らないというように白いテープ目掛けて駆けてゆく。

 渦巻く声援が冬の晴れた青空にこだましているが、その声すらも耳に入らない。とまるで全てがスローモーションのように流れていくその最後のデッドヒートに太一がヒュッと息を飲んだその瞬間。



 パンパンッと勝敗が決まったピストルの音が響き、それにつられるようワァァァと割れんばかりの歓声が一気に耳に流れてくる。
 そして遠い先のゴールテープを切った亮の筋肉が浮く腕が天に伸びキラリと光っていて、その美しい姿を見た太一は自分が走った訳でもないというのに息を乱しては、ぺたん、と腰を砕けさせその場に座り込んでしまった。


 ……はは、ほんとに、一位取りやがった。

 そう心のなかで呟いた太一の胸は未だにドクドクと高鳴っている。
 その息苦しさにハァハァと浅く呼吸をしながらまさかの逆転劇を見せ一位をかっさらっていた亮の姿に体が熱くなってゆく感覚がし、ぽわりと目尻を染め太一が呆けていればクラスメイトにもみくちゃにされ笑いながら近付いてきた亮と、目が合った。

 バチッ。と体に電流が走ったような衝撃がし、ビクッと身を震わせた太一。
 そんな太一に目を見開き、それから慌てて駆け寄ってきた亮が、

「たいち!? どうしたの体調悪い!?」

 だなんて焦ったように声を掛けてきたので、太一は、……え? と瞬きをした。

 座り込んでいる太一を覗き込むよう膝を土に付けて心配そうな顔をする亮に、え……、あ、これは別に、体調が悪いとかじゃなくて。と慌てて平気だと伝え、座り込んでいるせいで心配をかけてしまったと思いつつ、いやでも別に俺虚弱体質って訳じゃねぇんだけど。なんて亮の過保護な態度にようやく平常心を取り戻した太一が、くしゃりと笑う。
 その太一の表情を見てホッと胸を撫で下ろし、なんだよびっくりした。てかじゃあなんで座ってんの? なんて笑い、それから膝を浮かせ座り方を変える亮。
 体育座りのように膝を抱えちょこんと縮こまる亮がなんだか不覚にも可愛く見えてしまって、太一は小さくコホンと咳き込み、緊張しすぎてへたった。なんて言えるわけがないと視線をさ迷わせたが、

「そうだ。はい、これ」

 だなんて自分の首に下げていた一位のメダルを外し太一の首にそのメダルをかけふふっと笑う亮に、太一はとうとうぐぬぬ、と唇を噛み締めた。


「……もーー!! おまえなんなん!!?」
「わっ、びっくりした。なんなんってなにが?」
「なんかもうずるくね!?」
「え、ずるなんてしてないけど」
「そうじゃなくて!」
「え、ほんとなに。なんで怒ってんの?」

 そう聞く亮に答えず、フーフーと息を整える太一。
 そんな、亮の格好良さに完敗だと喚く太一と、その太一の言っている意味が分からない。と困惑する亮というなんとも間抜けな光景が広がるなか、それでも少しだけ落ち着いた太一が自身の首にぶら下がるメダルをそっと大事そうに抱えては、

「……ほんとに俺がもらっていいの」

 と呟き、俯く。
 突然の癇癪を見せ、しかし落ち着いたかと思うと俯いてしまった太一に、いやほんとどうしたの。と思いつつ、

「そのために頑張ったんだよ」

 なんて亮が笑うので、……だからなんで俺なの。という一言が喉まででかかったが、けれどなぜかその疑問を問いかける勇気はなく、太一はそっと睫毛の先をふるりと震わせながら、

「……お前、格好良かった。メダルありがと……大事にする」

 と呟いた。


 その太一の真っ赤に染まる表情にいつもの余裕そうな笑みはどこへやら、亮も顔を赤くしながら小さく、……ありがと。なんて褒められた事へのお礼をし、足元を見る。


 そんなさながら付き合いたての中学生カップルのような空気を醸し出す二人を、クラスの連中は、何こいつら。と遠目で見ていた。




 ◇◆◇◆◇◆



「……おはよう」

 白い息を揺蕩わせ、くしゃりと笑う亮が冬の早朝の暗さに溶けている。

 いつものように座って太一が来るのを待っている亮に、もう何も言うまい。といった態度で、おう、と返事をする太一。
 すっかり冷たくなった風が二人の髪や顔を撫でてゆくばかりで、鼻の頭を赤くした太一がずずっと鼻水を啜る音が静かな朝に響く。
 寒い寒いと震える太一がふわりと首に巻いているのは随分前に亮から借りたマフラーで、そのマフラーに鼻先を埋めては目を細める太一を、亮はへらりと笑いながら眺めた。


「もう十二月とか信じられないよね」
「まぁ、あっという間だよなぁ」
「ねぇ太一、今年も二人で一緒に新年迎えようよ」

 そうにこやかに微笑む亮に、

「……いい、けど」

 と気恥ずかしそうに俯き、太一が小さく自転車を揺らす。
 そのキィキィと錆びた音が街に響くなか、未だ朝は顔を出さず眠ったまま。
 そんな暗がりで密やかに交わす会話は二人だけの耳にしか届かず、それがまるで世界に二人ぼっちになったみたいだ。なんて馬鹿馬鹿しい事を考えた太一は一度ふぅと息を吐き、それから自転車に跨がった。


「……じゃあ、もう行く」
「あ、うん。じゃあまた、学校でね」
「……ん」

 顔も見ずに自転車を漕ぎ出した太一に亮は最近なんだか太一がおかしい気がする。とは思いつつも、別に避けられているわけでも嫌われているわけでもなさそうなので首を捻りながら遠ざかっていく背中を見つめた。

 そんな亮の視線に、……背中が熱い。と息を吐き、ギュッとハンドルを握っては漕ぐ足に力を入れる太一。
 冬の凍えそうな寒さとは別にその頬は真っ赤に染まっていて、目を伏せ暗いアスファルトを目尻が赤く染まった瞳で見つめるだけで精一杯の様子の太一は、ただがむしゃらに自転車を漕いでいた。

 二人の吐く白い息だけがゆらゆらと街に浮かんでは消えていく、そんな朝だった。



 to be continued……






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