亮に帰った方がいい。と言われ大人しく物置小屋へと帰り、幸運にも金曜日だった為バイトに休みの連絡を入れ安静にしていた週末。
 しかし月曜日、やはり来てしまった発情期に太一は今日から修学旅行だったのに。と目元を潤ませたまま、それでも修学旅行中になるよりはマシだと自分に言い聞かせていた。

 薬は飲んでいるもののまだまだ体の熱は渦を巻いたままで、うんうんと唸りながらなんとかやり過ごそうと必死に耐える太一の額には大量の汗が浮いている。

 ……今頃皆はもう北海道に着いて馬鹿みたいに騒いでいるのだろうか。

 そう思えばこんな狭く薄暗い物置小屋の煎餅布団の上で一人縮こまる自分が情けなくて、それでも太一はぐっと歯を食い縛り、目を瞑った。

 耐えろ、耐えろ、耐えろ。

 そう唱える言葉のなかに込められた、数多の思い。
 それが漏れ出さぬようきつくきつく唇を噛む太一の唇の端からは、ツゥ、と血が滴り、じわりと布団に染みを作っていった。





 そうして、苦しくて辛い発情期をなんとか耐え、ようやく五日目を迎える頃。
 太一は大分落ち着いた体にふぅと息を吐き、一人ぼっちの部屋のなかで膝を抱えていた。
 そして手元にあった携帯を開きカレンダーを眺め、そういえば今日は金曜日か……。それじゃあもう皆は帰ってきてるなぁ。なんて窓から外を見た太一。
 隙間から吹く冷たい風が頬を撫でてゆき、星がキラキラと瞬く夜空をぼうやりと眺めながら、早く、早く月曜日になれ。と願っても変わらない時の流れをそれでも祈った太一がギュッと膝を抱えていれば、不意にプルルッと携帯が鳴った。

 表示されている名前を見れば亮からで、それを認識した途端になぜかドクンッと盛大に高鳴り始める胸。
 それが自分自身でもよく分からないまま、けれども太一はドキドキと苦しくなる胸を抑え震える指で通話ボタンを押した。


「……も、もしもし」
『あ、太一? 俺だけど、今電話大丈夫?』
「う、うん」
『良かった。……体調は、どう?』
「ん……もう大分ましになった」
『そっか。……ね、今から少しでもいいから会えない?』
「えっ」
『あ、無理ならだいじょう、』
「む、むりじゃない! 会いたい!!」
『っ、』
「あ、いや、その、」

『……嬉しい。じゃあ、香南公園で待ってる』

 ひどく優しい亮の声が耳元で溶け、そのむず痒くなる声色に、なにだっせぇ返事してんだ。なんて顔を赤くさせていた太一は、待ってると囁いた亮に更に顔を赤くさせ、それはもう湯気さえ立たせてしまいそうな程に全身も赤く染めていた。

 それから二三喋ったあと電話を切り、ドキドキと息苦しささえ感じるほどの高鳴りにギュッと胸元を握った太一が、無意識に熱い吐息をこぼす。
 それからよろよろと立ち上がり物置小屋を出ようとしたが薬袋が目に留まり、さきほども飲んだしもう終わりかけている発情期だが、念のため。と薬を取り出し飲んでから、上着を羽織ることなく薄い長袖一枚で外へと飛び出した。
 亮の家の方が指定された公園より遠いので早く行ったところで居るわけはないのは分かっていたが何故か走らずにはいられず、太一は息を乱し胸をときめかせたまま、夜の道を駆けた。



 そうして程なくし角を曲がり公園へとたどり着いた太一は、されど目を丸くした。

 街灯一本だけが煌々と公園名を照らす、その下。
 アーチ状の車止めボラードに腰掛け足元を見ている亮が居て、その夜に浮かぶすらりとしたシルエットがなんとも格好よく、ヒュッと太一が息をのんだその時。
 ぱっと顔をあげた亮が太一に気付き、

「たいち」

 なんて満面の笑顔で手を振るので、太一は上がった息をハァと吐き、なぜか情けない顔でくしゃりと笑い返してしまった。


「ごめんね、突然呼び出して」
「いや、いいけど、なんでお前が先に着いてんの」
「え? あぁ、実はここで電話掛けたんだよ。でもすぐ近くに居るとか言ったら断れないかと思って黙ってた」

 そう笑う亮の笑顔がきらりと夜に輝く。
 最後に見たどことなく怖い雰囲気とは打って変わっていつも通りの亮に少しだけホッとした太一も、隣の車止めボラードに腰掛けた。


「実は渡したいものがあってさ。これ、修学旅行のお土産」

 そう言いながら亮が珍しく大きめの鞄のなかから取り出し差し出してきたのは、冷凍されパックに詰められた蟹で、

「四人でお金出したんだよ」

 なんて言う亮に、太一はぱちくりと目を瞬かせ亮の手元の蟹を見たあと、……まじかよ。と堪えきれず口元をひくつかせた。


「……わ、わざわざ、あり、ありが、……っ、あははっ! お土産これって、どうやって持って帰ってきたんだよ! てかなんで蟹! はははっ!」
「っ! 笑わないでよ! 俺だってなんで蟹なんだよって抵抗したんだよ!? でも龍之介と亘が蟹にしようって譲らなかったんだって! それで気付いたら優吾に勝手にクール便で俺の家宛に送られてたから、だから仕方なくっ!!」
「まじか!あはは!」

 ひーひーと目尻に溜まる涙を拭い、久しぶりに笑ったわ。と表情を崩す太一に、いいから早く受け取って。と恥ずかしそうにしながら蟹を保冷用バックに戻しその袋ごと太一に突き出す亮。
 そんな亮に、さんきゅ、と言いながら保冷バックを受け取ればひんやりと冷たくて、またしても太一はゲラゲラと笑ってしまった。


 それからしばらく蟹を見ては笑う太一を見ていた亮だったが、ジーンズのポケットをごそごそと漁り、

「もう一旦蟹は置いといて」

 なんて言ったかと思うと、

「これは、俺から」

 と小さい紙袋に包まれた何かを差し出してきたので、太一はまたしても目を瞬かせ、亮の顔を見た。

「太一の携帯、ストラップ付ける所あったなぁと思って」

 そう目を伏せ笑いながら紙袋を開け、自分の掌の上にチャリ。と音を立たせそれを取り出した亮が、見て。綺麗でしょ? なんて笑う。

 亮の掌の上で輝くのは綺麗な青色の石がぶら下がるストラップで、暗闇でキラキラと光る深い青色のその綺麗さを目に映したまま、え、これ……。と言葉を詰まらせる太一に、

「誕生日プレゼント、結局何も渡せてなかったから」

 なんて笑う亮。
 あ、ちゃんと夏のあいだ近所の海の家でバイトした時のお金から買ったんだよ。と得意気な表情をする亮に、まさか、だからこいつ夏休みの間少しだけ海の家で昼間バイトするって言ってたんか。なんて金持ちのくせになぜかせっせとバイトに励んでいた亮を思い出し、太一は亮の掌の上でキラキラと光るその美しいストラップを見つめては、ぐしゃりと唇の端を歪めた。


「……俺、たかがシャーペンしかあげてないのに……」
「たかがじゃないよ」

 そう微笑む亮の声には、太一が頑張って働いたお金で買ってくれたものなんだから。というニュアンスが含まれていて、でも、と明らかに自分のあげたシャーペンよりも高そうなそのストラップに太一が眉を下げていれば、

「俺が太一にあげたかっただけなんだから気にしないでよ。ね、携帯貸して」

 なんて笑い、ほらほら。と亮が促してくるので、太一は未だどうすればいいのか分からないといった顔をしたまま、それでもズボンのポケットから携帯を取り出し、亮に渡した。

 俯き、器用にストラップの紐を穴に通している亮の顔を街灯が柔く照らしている。
 夜の公園に二人の影が伸びていて、もう虫の声は聞こえず、そろそろ秋から冬になりかける気配が辺りを包むなか、なぜかドキドキと胸をときめかせ息を詰めた太一の首を、冷たい風が撫でていくばかりだった。



「よし、できた」

 自慢げに太一の携帯をかざして笑う亮が、はい。と差し出してくるので、太一は震えてしまいそうな指をなんとか堪えそっと携帯を受け取り、それからストラップをまじまじと見ては、

「……あり、がと……」

 と、泣きそうになりながらくしゃりと顔を歪めて笑う。
 胸が苦しくて痛くて、悲しいわけじゃないのに。と浅く呼吸を繰り返しながらももう一度ありがとうと呟いた太一に、……うん。だなんて呟いた亮も、なぜか同じような顔をして笑った。



 二人の間を、冷たい風が通り過ぎてゆく。

 お互い口をつぐみ、その沈黙が息苦しいような、焦がれるような、それでもそのまま居たいような、そんな良く分からない気持ちに太一が駆られていれば、

「……それとさ、そろそろ龍之介達にも話した方がいいと思うよ」

 と亮がその沈黙を裂くよう、けれども穏やかな声で呟いた。


「龍之介はバカだけど流石にアルファだから気付いてると思うし、明辺りも感づいてると思う。まぁ亘と優吾は全然気付いてないけどね。それでもあの二人は優しいから、太一しょっちゅう休むし病気とかあんのかななんて言ってて。……話してもらえないってのも、寂しいと思うよ。きっと」

 そう静かに微笑み見つめてくる亮に一瞬目を見開いた太一は一度俯き、それから、……やっぱそうだよなぁ。逆の立場なら、俺も寂しいもん。と、そろそろきちんと龍之介達に言おうとしていたのだが中々に踏ん切りが付かずにいたその迷いを、大丈夫だから。絶対。と亮が優しく後押ししてくれている気がし、……ん。と小さく呟いた。

 誰かに自分の事を話そうと思う日が来るなんて。と思ったが、そう思えるほど共に過ごしてきた時間は長く、そしてなんだかんだいっつもそのたんびに亮に後押ししてもらったり、話を聞いてもらってるなぁ、なんてへにゃりと微笑んだ太一が亮を見つめれば、

「っ、ごめん、送る」

 なんて突然慌てて亮が言ったので、太一はきょとんと目を丸くした。


 そんな太一をもう見れないとばかりに口を手で覆いながら、

「……甘い匂い、する」

 とボソリ呟いた亮。
 その言われた言葉を理解した途端、っあ、まだ、でもちゃんと来るときに薬飲んだのに……。と太一も顔を真っ赤にし、なんでだろう。……最近本当に自分の体が自分のものじゃないみたいだ。なんて思いつつも、

「っ、な、なんかごめん、でも別にひとりで帰れるから!」

 と慌てて走りだそうとしたが、

「だめ。何かあったらどうするの」

 だなんて太一の腕をぱしりと取り、歩き出す亮。
 そんな亮の突然の行動に、ちょ、待てって。と腕を引こうとしたが、いっぱいいっぱいなのか太一を振り返る事なく引きずるようどんどんと歩いていく亮に、太一は顔を真っ赤にしたまま俯いた。

 触れた所がじわじわと熱を持ち、まるで初めて会った時のようにビリビリと体に走る電流。

 吐く息は熱く、もう発情期は終わりそうなのに。だなんてクラクラと揺らぎそうな思考に太一がふるりと睫毛の先を震わせ、亮の背中を見る。
 冷たい風にはためくシャツがやけに眩しくて、なんだかその背に無性に触れたくなってしまった太一はハッと息を乱し、なに考えてんだ、俺。と鼓膜の奥でドクドクと高鳴る心臓の音を聞きながら、ギュッと目を閉じた。

 ……ちがう、これは魂の番いのせいで、だから、

 そうとりとめのない言葉を頭のなかで泳がせ、それから太一は目を開けたが、やはり目に映る亮のその逞しい背中はどこまでも眩しかった。


 そしてそんな背後の太一の様子など今は気に留めていられない。と足早に歩く亮は、風が強く吹き荒れ太一の匂いを掻き消してくれる事が唯一の救いだ。とただひたすら真っ暗な夜道の先を見つめていた。






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