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そうして、二人だけで出掛けようと計画していた亮と太一だったがなんだかんだお互いの都合が合わず、気が付けばもう七月の半ばになっていた、そんなある日。
学校が終わり、じゃあな。と皆と別れ二人きりになった時、
「今日バイトじゃないよね? ちょっと付き合ってよ」
なんて亮に言われた太一が連れて行かれた先は、海だった。
ザァ、ザァ。と耳にこだまする波音。
もう夏に近く陽が落ちるにはまだまだ時間があるのか空は快晴で、明るい陽射しがキラキラと飛沫を白く煌めかせている。
風が髪の毛を撫ぜ、鼻を擽る潮の匂いをめいっぱい吸い込んだ太一は、そういえば明るい内に海に来たのは初めてだ。と目を輝かせた。
「夜の時と全然違う!」
平日の夕方だからか海には誰も居らず、テンション高く太一が亮を見上げれば、
「ね。綺麗」
と穏やかに見つめ返され、途端なんだか恥ずかしくなってしまった太一は俯き、足元の灰色の砂浜を見た。
「……で、なんでわざわざ海なんだよ」
「まぁまぁ。ちょっと目瞑っててよ」
「は?」
突然の台詞に困惑の表情を浮かべる太一を他所に、ほら早く。なんて促す亮。
そんな亮に、いやまじで意味分かんねぇんだけど。と眉間に皺を寄せつつ、それでも太一は大人しく言われた通りに目を瞑った。
それから数分後。
よし。なんてしゃがみこんでいたのか足元から亮の声がし、
「目、開けていいよ」
なんてやっと目を開けることを許された太一は、ほんとなんなんだよ。と眩しい陽射しにうっと目を細めつつ、足元を見た。
「……え、これ、」
そう表情を固まらせた太一に、尻を浮かせつつ膝を抱えて砂浜に座っていた亮がにこりと満足げに微笑む。
ほら、太一も座って。と腕を引かれるまますとん。と座った太一の目の前。
そこには何か良く分からないものの上に綺麗な筆記体で『happybirthday』と綴られた文字があって、驚きに目を見開いたままの太一に、
「今日、太一の誕生日でしょ?」
なんて亮が笑った。
その顔に、そうだけど、なんで知ってんの。とまさか知っていたとは思わず未だ驚く太一。
そんな太一を見て、ふふっ。と返答になっていない笑いを返した亮が、サプライズだよ。なんて言いながらも、
「俺バイトもしてないしさ、でも親から貰ってるお金で太一に何か買うのは嫌だったから、どうしようってずっと考えてたんだけど、結局俺から太一にあげられるものってこんくらいしかなくて。ごめんね」
と項垂れたので、太一は首をぶんぶんと振り、
「嬉しい……めちゃくちゃ、嬉しい!」
と叫んだ。
母が死んでから、誰かに祝ってもらう事なんてなかった誕生日。
それをこんな風に真剣に考えてくれた事が、祝ってくれた事が嬉しくないわけがなく、太一がもう一度めちゃくちゃ嬉しい! と力強く言えば、その熱にぱちくりと瞬きをしたあと亮がホッとした表情で笑った。
それから太一はもう一度、さんきゅーな。なんて笑ったが、そこでふと筆記体の下の謎の絵が気になり、表情をピシリと固めた。
「……えーと、ごめん。めちゃくちゃ気になるんだけど、これなに?」
「ん? これって?」
「この丸? とおびただしい線、なに?」
「え? いやどう見てもケーキでしょ。ケーキの上にロウソクが立ってる絵だよ」
そう真顔で返され、太一は、
「……は? 嘘だろ」
と思わず呟いてしまった。
歪な、丸と呼んでいいのか分からない丸におびただしい数の線が引かれている、まるで生け花の剣山にしか見えなかったそれの正体にもう一度、は? と呟いた太一がじわじわと迫るおかしさに、こいつまじか。と堪らず吹き出せば、恥ずかしくなったのか亮に、なんで? 普通じゃん! ていうか笑いすぎ! と軽く足を蹴られ、仮にも誕生日の俺にその態度はないんじゃないの? なんて思いつつ、太一はゲラゲラと笑った。
「あははっ、やべぇ〜!」
「だから何が?」
「亮にも苦手なもんあったんだな」
「いやあるから普通に。ていうかこれは結構自信作だったんだけど」
「っ、じ、じしん、ぶっ、あははっ! まじか!」
「だから何が? もーうざいんだけど。良いからはやく吹き消してよ!」
なんてまたしてもげしっと足を蹴られた太一がヒーヒー笑いながら、
「これを? 吹き消す?」
と聞き返せば、
「そーだよ」
なんて真顔で言われてしまい、えっ物理的な意味で? とまたも笑った。
それから横でいいから早くしろ。と言わんばかりのオーラを出してくる亮に、分かったって! と顔を屈め思いっきり息を吹き掛ければ、やはり舞い上がった砂が目や口に入り込み、太一は蒸せてしまった。
「ゲホッ、ゴホッ」
「えっ、わ、 あはは! まじかぁ!」
「ゲホッ、いや、そうなるの目に見えてたよな!? ウェッ、ゲホッ」
涙目で太一がじとりと睨めば今度は亮が笑い転げながら、
「いや、なんかいっぱいいっぱいでそこまでは想定してなかった! ごめん! 確かにそうなるよね! ごめんね!」
なんていいながらも物凄く良い笑顔で笑うので、太一はこめかみをひくつかせ、こいつ……。と思いつつも頭にまで付いていたらしい砂を払い落としてくる亮の指を甘んじて受け入れた。
「うー……口の中までジャリジャリする」
「あははっ、ほんとごめん」
「いや思ってないだろ絶対」
「思ってるって、ごめんね?」
「……まぁ、いいけど」
そうむすっとしたまま、けれど祝ってもらえたのは本当に嬉しかったから。というような態度をする太一に亮がにっこりと笑ったかと思うと、
「ね、海入ろうよ。せっかく海に来たんだから入らなきゃ損だよ」
だなんて太一の腕を引き立たせてくるので、制服のままでとか無理だろ! と太一は拒否したが、足だけ足だけ! なんて笑う亮に引きずられるよう、結局最終的には笑いながら砂浜を駆けた。
二人の背を照らす太陽を反射する白いシャツが、どこまでも白く美しかった。
◇◆◇◆◇◆
太一の誕生日が終わり、なぜか誕生日を過ぎたあとに、太一誕生日だったんだって。なんて皆に伝えた亮により龍之介達からもおめでとうと声を掛けてもらった太一がありがとうと素直に笑ってから、程なくして季節は本格的な夏に変わり、夏休みを迎えた。
一年前と同じように夏休みの間はバイトに精を出しつつ、夜は皆で馬鹿みたいにはしゃいでと過ごしていた太一は、去年なんだかんだ皆のタイミングが合わず行けなかった夏祭りに今年こそ行こう! と誘われ、その日は夕方でバイトを上がらせてもらった。
いつもは寂れている商店街もこの日ばかりは祭りへと向かう人で活気づいておりガヤガヤと煩く、そんななか店の前で待っていた龍之介達にお待たせ。と声をかけた太一が、龍之介と亘がなぜかお揃いで色違いの甚平を着ているのを見て、いや女子かよ! と笑う。
それから、よーし行くぞ〜! と龍之介が号令をかけ、彼女と行くから。なんて言った優吾(クリスマスの時の彼女とは別らしい)を除いたいつものメンバーでぞろぞろと歩く人波へ同化した。
「お疲れ様」
そう当たり前のように隣に並んだ亮に声をかけられ、太一もまた、その肩が触れそうな距離を当たり前のように受け入れ、ん。だなんて返事をする。
「人すごいな」
「ね。はぐれないでよ太一」
「はぐれないわ」
「どうかな〜」
「うわうざぁ」
ぽつぽつと話す亮の声が心地よく、ふっと微笑みながら亮を見やり、亮は甚平着ないんだ。いやでもこいつは甚平より浴衣のが似合いそうだな。なんて考えていたが、視線に気付いたのか、ん? と微笑んだ亮に太一は慌てて、なんでもない。と前を見た。
人々の熱が更に暑さを際立たせ、垂れる汗を拭いながら祭り会場へと向かった皆はようやく着いた会場に顔を輝かせ、夏だ〜! と叫んだ龍之介の声に同調するよう、弾けた笑顔を見せた。
むしむしと蒸し暑い夜のなか、赤に白に黄色にと出店の灯りが泳ぐよう闇に浮かんでいる。
それがとても美しく、そして道の端を彩る赤提灯が連なる世界はどこと無くこの世とあの世の境目を曖昧にするかのように、ひどく幻想的に見えた。
「俺射的やりたい!」
「お好み焼きないのお好み焼き」
「龍之介、さっきから俺の足を踏んでるんだが。下駄が刺さって痛いぞ」
「あ、見て太一。お面屋さんだよ。懐かしいねぇ」
各々好き勝手に話すその自由気ままな友人達に、お前らうるさすぎ。と太一も笑い、それから射的をしたり(やっぱり一番上手かったのは亮だった)どうしてもお好み焼きが食べたいと喚く亘に付き合ってお好み焼きを食べたり、誰が綺麗に抜けるか。なんて型抜きをしたりと夏祭りらしい遊びに興じ、しかし早々に型を折ってしまい観戦していた太一はふいにくいっと腕を引かれ、顔をあげた。
腕を引いたのは、俺は見てるよなんて最初から傍観を決め込んでいた亮で、え、と思う間もなく、しー。と唇に指を当て、黙ってとジェスチャーで伝えた亮がそのまま太一の手を握り、歩き出す。
その突然の出来事に目を見開いた太一がつんのめりながら、え、なに。なんて声を出そうとしたが、人混みの中でも頭ひとつ抜きん出て真っ直ぐ歩く亮の背中と握られた掌の熱さに思わず口をつぐんで、それから大人しくついていった。
じわじわ、じわじわ。
大きな掌から伝わる体温が自分の体温との境目を分からなくさせ、はぁ、と熱い息をこぼした太一は目尻を紅く染め、この今にも壊れてしまいそうなほど高鳴っている心臓は魂の番いのせいだ。なんて決め込み、唇を噛み締めてはそっと目を伏せた。
太一の震える睫毛が、赤い提灯の色に染まっていた。
「ここら辺でいいかな」
参道の脇道に入り、少しだけ開けた草木が生い茂る場所で止まった亮がそう呟きそれからくるりと振り返ったかと思うと、
「もうそろそろ花火始まるからさ。多分ここなら凄く綺麗に見えると思う」
なんて笑うので、いやでも龍之介達……。と言葉を濁したが、そんな太一に、あいつらばかだから多分花火始まってもそっちのけで型抜きしてるよ絶対。付き合いきれんでしょ。なんて亮がけらけらと笑う。
それから、
「それに、結局まだ二人で遊びに行けてないし。だから今だけは二人っきりね」
なんて言った亮のその顔が夜に紛れて暗く、それでもきらきらとしているのだろうと分かる太一は未だ繋がれたままの手をちらりと見たが、結局何も言えず、ん……。なんて小さく呟いた。
人気もない林のなかは緑に囲まれているお陰か幾分か涼しく、どこからかコオロギの鳴く声がする。
頬をさわりと撫でていく風はどことなくやはり涼しくて、すっかり影を潜めもうセミの声も聞こえないその夏の終わりに、太一は夜空を見上げた。
空には満天の星が瞬いていて、すげぇな、と隣に居る亮を見ずに太一が声を掛ければ、うん、綺麗。なんて声が返ってくる。
その返事が何を指しているのかなんて露ほども知らない太一は相変わらず景色のことだと勘違いしたまま、だよなぁ。なんて呑気に笑った。
そのまましばらく待っていると、ヒューッと空気を裂く音が聞こえ、来るぞ、と太一が未だ空を見て言う。
その言葉にようやく空を見上げた亮もまた、美しい大輪の花が夜に浮かぶのを待った。
一瞬の静寂。
その後、パッと艶やかな赤色の花火が打ち上がり、おぉ、と興奮した様子の太一の声はその後すぐに聞こえたけたたましい爆音に掻き消えた。
次々に上がる、色とりどりの花。
ドォン、と内臓まで震わせる大きな音。
パラパラとしなだれ落ちていく、光。
その美しい花火を見るよりも隣の太一をじっと見ていた亮が、
「……きれい」
とぼそり呟いたが、その声は太一には届いていないようで、亮は赤や緑や青色に彩られた太一のその美しい横顔を眺めては未だ繋いだままの手にほんの少しだけ、力を入れた。
繋いだままの手は、もう振り払われる事はなかった。
to be continued……
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