そうしてバイトに励みつつ夜に遊んでばかりだった夏休みが終わり、未だ夏休みの気分が抜けないまま始まった新学期。

 昼のじゃんけんは、俺と太一で行くよ。という亮の一言によって廃止され、その代わり、お前ら飲み物班な。と龍之介と優吾はジュース担当にさせられている(なので龍之介と優吾はどっちが四人分のジュースを買いにいくか、二人でじゃんけんしている)
 亘は相変わらず何を考えているのか今一掴めないためたまに屋上に来ないときもあるし、明は生徒会に入っているので忙しいらしくいつも少し遅れてやってくるので各々好き勝手に屋上で過ごす事が常になっていた。

 そうしていつの間にか夏が過ぎ去った秋雲を眺めていた太一は、隣に座っていた亮がすんと小さく鼻を鳴らして口元を手で覆った事に、ん? と少しだけぽやぽやとした瞳を向けた。
 そんな太一から目を逸らし、いや、なんて言い淀んだあと、

「……太一、今日なんか、いつもより甘い匂いする」

 とぼそり呟く亮に、あ……、と太一は呟き、ボボッと顔を赤くしてしまった。


 ……そろそろ、発情期だから……。でもまだ二週間ぐらいあるのに。

 なんて思いながらも、自分でも少しダルいぐらいしか感じていなかった変化をいち早く察する亮の、きっと魂の番いだからだろうその気付きに何とも言えない空気が漂い、けれどもその空気を打開するよう亮が、そうだ。と声を発した。

「今日ちょっと用事があってさ、その帰りにそのまま運転手さんに頼んで太一とご飯食べに行こうかと思ってるんだけど、大丈夫?」
「へっ、あ、用事あるなら今日はいいって。ていうかほんとお前こそ毎日大丈夫なのかよ? 」
「俺が太一と食べたいだけだって」

 そう甘い笑顔で言われてしまえば何も言い返せず、うぐっと押し黙った太一。
 そんな太一をやはり亮は蕩けてしまいそうな笑顔のまま見つめていた。





「お疲れ様」

 いつもの様にバイト終わり店の横に立って待っていた亮にそう声を掛けられ、太一もまた、うん。と返事をする。
 それから、こっちに車停めてもらってるから。と言っては歩き出す亮の後ろを太一も付いていった。

 商店街を出た所に一目見て高級だと分かる車がガードレールに寄せて停まっていて、その夜を反射して艶々と光る漆黒のボディがなんとも綺麗で気が引けてしまう太一を他所に颯爽と後部座席へ乗り込んだ亮がほらと手招きし、太一もおずおずと車の中へ入った。


「何食べようか」
「……な、なんでもいい」
「え、なんで緊張してんの?」
「いやするだろ普通に。こんな車乗ったことないもん俺」
「ははっ、なにそれ可愛い」

 乗ったことのない高級車にカチカチに固まってしまった太一を見ては小馬鹿にしたようにさらりと可愛いなんて言う亮。
 それがムカついて肩に一発パンチを入れた太一は、それでもそのお陰で緊張がほぐれ、ふっと笑った。
 それから、じゃあラーメン。またかよ。なんてやり取りをし、どうせだったら少し遠出しようよ。なんて歩きでは行けないラーメン屋まで連れていってもらい、腹を満たした二人。
 その間運転手さんはずっと車で待っていて、申し訳ないやら気まずいやらの気持ちでいっぱいになりながら車へ戻った太一は、そのまま送ってくれるというのでやはり申し訳なくなりながらも、その申し出をありがたく受け取る事にした。


 繁華街を抜け、車が細い十字路を曲がり、夜道をライトが明るく照らしてゆく。
 エンジン音もせず、静かな空間のなかそわそわと落ち着かない様子で亮を見れば窓枠に肘をつき夜を見ていて、二人分ほど空いた距離がなんだからしくなく、それでも太一もそっと亮から視線を逸らして窓の外を見た。


 時刻はもう十一時を過ぎている。

 家々の、低い塀。
 裸電球だけの、街灯。
 何年も前から貼り付けられ破れかけた、選挙のポスター。

 そんなどこか田舎臭い雰囲気の中を金魚のように泳ぐ車が狭い路地へと入り、それから親戚の家の前でぴたりと停まった。


「ありがとうございました」

 運転手にそう声を掛け、じゃあ、と太一が扉を開ければなぜか亮も車を降り、

「帰すの遅すぎたから、親戚の人に俺からすみませんって謝るよ」

 なんて言ってくるので、太一は何を言ってるんだお前は。と首を振った。


「いやいいって」
「でも遅くまで連れ回しちゃったし、親戚の人も心配してるんじゃない?」
「ないない。つうかお前も早く帰れよ」
「いやでもやっぱり、」

 なんて押し問答を繰り広げていたらガチャリと玄関の扉が開き、物凄く不機嫌そうな顔をした叔母が出てきて、太一はやばい。と表情を曇らせた。

 しかし亮はこれ幸いといった表情をして近寄り、今晩は。と頭を下げていて、いやだからお前なんなんだよ。未成年を連れ回しちゃった大人みたいな対応すんなよ。なんて内心呟いた太一。
 そんな亮をじろりと眺めては、物凄く嫌そうな顔をした叔母が開口一番、

「人の家の前に車停めて、なんなの。近所迷惑を考えなさい」

 と怒鳴った。


「すみません」
「制服着てるって事は、なに、友達なの」
「はい」
「……こんな夜中近くまで……常識ってもんがないのあんた達は」

 そうはっきりとトゲを刺す叔母の物言いに、亮まで悪く言われてしまった。と太一が申し訳なさそうに亮を見たが、それでも亮はにこやかに笑っているだけだった。

 それからずいっと一歩前に出て、

「すみません、僕が連れ回しちゃったんです」

 なんて言った亮。
 それに太一が慌てて、違う。と声をあげようとしたが、それを手で制した亮がちらりと太一を見ては、大丈夫だよ。と言いたげな表情をしてまた叔母に向き合った。

「非常識でした。すみません」

 そう頭を下げる亮のそれでも醸し出される圧にようやくアルファだと気付いたのか、少しだけ怯んだ叔母が、……分かればいいのよ、分かれば。なんて視線を逸らす。
 そこで太一はホッとし、ほらお前早く帰れよ。と亮の背中を押そうとしたが、亮はそれだけでは由としなかった。


「僕、近衛亮っていいます」
「……あ、あぁそうなの」
「はい。すぐ近くの家に住んでます。……今日は遅くまで太一君を帰さなくてすみませんでした」
「え、ち、近くのって、」

 亮の近衛という名字と、近くの家というワードに慌て始めた叔母。
 それがなぜか分からなくて太一がいいからもう帰れよ……と眉を下げていれば、

「も、もしかしてあなた、あの近衛財閥の、」

 と叔母が恐る恐る聞く。
 その言葉ににっこりと微笑んだ亮が、

「あぁ、うちをご存じなんですね。ありがとうございます」

 とまたしても頭を下げ、その瞬間態度を一変させあわあわとし始める叔母に太一はその時ようやく、どうやら亮の家は相当に有名な家なのだな。と気付いたのだった。


「あらやだ私ったら! 近衛さんの息子さんにとんだご無礼を、すいません!」
「いえ! 僕が悪いので。本当にすみません。ちゃんと連絡出来れば良かったんですけど、太一君携帯持ってないですし、しかも電話番号も知らないみたいで連絡の取りようがなくて、それなのにこんな夜遅くまで、本当にすみませんでした」

 そう困ったように笑う亮に、はぁ? 電話番号とか聞かれてねぇよ? と太一が眉間に皺を寄せていれば、叔母がまずい、という顔をしそれから慌てて取り繕うよう、

「そ、そうなのよぉ〜、この子ったら、こっちがいくら携帯持ちなさいって言っても持たないって言ってて、ほんともぉ〜私達も困ってまして、」

 なんて言ったので、太一は目を丸くしてしまった。


「あ、そうなんですか? だめじゃん太一、心配かけちゃ」
「……へぁ?」
「バイトとかしてるし夜遅くなりやすいんだからさ、やっぱり携帯持ちなよ。……東さんもその方が安心しますもんね?」

 ちらりと表札を見て、名字を呼び叔母に同意見ですよね。と無言の圧をかける亮に、叔母がまたしても慌てて首を縦にしては、

「そ、そうよ太一君。携帯ぐらいちゃんと持ちなさい。少しは頼ってくれてもいいのよ!」

 なんて絶対に本心ではないだろうが亮の手前そう言わざるを得ない台詞を吐いたので、太一は呆気に取られながらも、コクコクと頷いた。
 そんな太一に微笑み、良かった。これで連絡出来るね。なんて言っては、

「じゃあ夜も遅いのでこれで失礼します。今日は本当にすみませんでした」

 とまたしても丁重に頭を下げ、車に乗り込む亮。
 そんな亮に叔母も頭を下げ、それから太一をちらりと見ては、今度携帯ショップに行きましょうね。と白々しい笑顔を浮かべ家のなかへと入って行ってしまったので、太一は一人ぽつんと道に立ち、なんだこの展開。と呆けてしまった。


 そんな太一に車の窓を開け顔を覗かせた亮が、

「携帯買ったら番号教えてね。じゃあまた明日。おやすみ」

 なんて笑うので、こいつまさかここまで計算してたのか? と顔を引きつらせつつも、なんと言っていいのか分からず、太一は、あ、あぁ、おやすみ。なんて呟いたのだった。



 そうして未だ整理が追い付かないといった様子の太一を残し、ゆっくり進んでゆく車。
 車内は相変わらず静かで、時折ウィンカーを出す音しか響いていない。
 そんななか小さく微笑んだままの亮が、

「斎藤さんごめんね、こんな遅くまで付き合わせちゃって」

 と運転手の名を呼びごめんと謝ったが、しかしそれに斎藤さんは目を細め微笑み、

「とんでもございません。少しでも坊っちゃまのお役に立てたのなら、むしろ光栄で御座います」

 なんて返事をしたのだった。

 そんな斎藤さんに、坊っちゃまはやめてって。と言いながらも笑った亮。
 それから窓枠に肘をつき空を眺めては、……甘いなぁ。とくらくらしてしまいそうな太一の残り香に目を閉じた亮は、自制心を保つよう窓を開けては深呼吸をした。





 それから数日後。
 携帯料金は自分で払うんだよ。と念を押され、けれど携帯ショップへと連れていってくれ契約してくれた叔母に、ありがとうございます。と頭を下げ明日亮に見せてやろう。と浮き足立っていた太一だったが、運悪くその翌日から発情期になってしまい結局学校へ行けたのは一週間後だった。

 辛くて、苦しくて、熱い。そんな最悪な一週間を終え、ようやく学校へと向かった太一は一年四組のクラスの前で亮がやって来るのを今か今かと待った。

 朝の校舎の騒がしさが、波のように揺らいでいる。

 そのなかで一人そわそわと落ち着かない様子で待っていた太一は、周りの生徒より頭ひとつ分抜きん出ている亮が階段をあがってくるのを見ては、瞳を輝かせた。


「りょう!」
「あれ、太一、」

 おはよう。早いね。という言葉は太一のきらきらとした瞳に消え、あまり見たことがないその屈託のない笑顔に亮が面食らった表情をしたが、そんな事など気にもとめていない太一は鞄から携帯を取り出し、にやりと笑った。


「え、あ、携帯! わぁ、買ったんだ?」
「ん」
「へぇ〜、あはは、携帯可愛いね」

 ずいっと目の前に差し出された携帯を見ては目を丸くし、すごいすごい。となぜか自分の事のように喜ぶ亮の可愛いという発言は良く分からなかったものの(このご時世でわざわざガラケーな事が亮には物珍しく面白かったらしい)、へへっと鼻の頭を掻く太一。

「これで連絡取りやすくなるね」
「まぁな」

 そうへへんと身を反らし、亮のお陰で携帯を持てるようになった事など忘れたよう自慢してくる太一のご満悦な表情に、ははっ、かーわい。なんて内心思いながら、

「あ、ていうか体もう大丈夫?」

 と顔を覗き込んだ亮。
 その近さに思わず後ずさり、ち、近い。と我に返った太一が、あ、まぁ、うん。別に病気でもねぇし。なんて視線を逸らして、それからなぜか気まずくなってしまいそうな空気を打破するよう、またしても亮の鼻先に自身の携帯を突きつけた。

「わっ、なに」

 ふいに目の前に現れた携帯に驚く亮を見ず、

「……使い方、まだよく分かんねぇからお前の電話番号……登録してくれ」

 なんてぶっきらぼうに言う太一の、けれども照れて耳の縁を赤くしている姿に息を飲み一瞬真顔になった亮は、それでもすぐにニコッと微笑み、勿論。と太一の手から携帯を受け取った。


「……よし。はい、これが俺の電話番号」
「……ん、さんきゅ」
「他に誰も登録してないの?」
「……あー、えっと……、」
「うん?」
「……一応お前のお陰で携帯持てるようになったもんだし、一番最初に亮に知らせようと思ってた、から……」
「……そ、そっか」

 そうぼそりと呟き、顔を赤くさせ俯いて上履きの先を眺める二人。
 そんな甘酸っぱい会話をする二人の耳にはもう、ざわざわと煩い喧騒すら聞こえていないようだった。


 そうして太一が携帯をゲットし、昼休みに龍之介達の番号を四苦八苦しながら入力しようとしているのを、そこはここ。こっちはここ。なんて教えている亮に、いや最近のお前らの仲の良さなんなん。と皆が笑い、その声にうるせぇ気が散る! と怒鳴る太一に更に笑いが生まれていった。




 ◇◆◇◆◇◆



 ジリリッと鳴る時計にぱちりと目を開けた太一は、物置小屋の隙間から入ってくるすきま風の冷たさにぶるりと身を震わせた。

 太一が高校に入学し、友達ができ、充実した日々を過ごすようになってから早いもので、もう八ヶ月が過ぎようとしていた。




 十一月の肌寒さにふるふると震えながらも伸びを一度して、今日も今日とて新聞配達のバイトへと向かった太一は相変わらず突き刺さるような視線を受けながら朝刊を受け取り、夜の街へと漕ぎ出してゆく。
 体を刺すような冷たさに思わず身をすくめながら一件、また一件とポストに朝刊をさし、最後の家である亮の家に朝刊をさそうとしたその瞬間、ガラッと窓が開いた音がしたかと思えば、

「え、たいち!?」

 なんて声がし、太一は顔を上げて大きな家を見た。

 大きく豪華な門の向こう。
 奥にそびえる家の二階の窓から寝癖を付けて見つめている亮が居て、バレた。と太一は小さく笑い、それから、おぅ。と小さく手を上げる。
 そんな太一に、ちょ、ちょっと待ってて。なんて珍しく慌てた様子の亮が部屋へ引っ込み、その慌てた姿がおかしくてクスクスと笑った太一は自転車に股がったまま、大人しく待っていた。


 ガチャンッ。と扉が開く音がし、スウェット姿のまま出てきた亮。

「え、なにしてんの」

 なんて言いながら近付いてくる亮に、太一は見ての通り新聞配達してんだよ。と腕を広げて見せた。


「新聞配達?」
「ん」
「え、いつから?」
「中学の時から」
「えっまじか」

 そう口元に手を当てて驚く亮がそのあと、え、じゃあ夏休みに俺の家に来たとき、だろうと思ってたって言ったのって、なんて聞いてくるので、太一は思わず吹き出しつつ、そう。お前の家に配達してた。と笑った。


「なんで言ってくんないの!?」
「いや、言うタイミング逃してて。それにここまで来たらバレるまで黙っとこうかなと思って」

 なんて悪戯っ子のように笑う太一に、なんだよそれ。と亮も笑う。

「毎日配達してんの?」
「平日だけ。休日は違う人が配達してる」
「ふーん。毎朝この時間に来るの?」
「まぁ、大体は」
「ぜんっぜん知らなかったんだけど」
「だろうな」
「ははっ、びっくり」
「ていうか亮めちゃくちゃ早起きじゃん。その方が俺的にはびっくりなんだけど」
「いやたまたま目が覚めただけ。……水でも飲みに行こうかなって起きた時に窓から太一が見えて、ほんとびっくりした」
「あははっ、確かに。珍しく声張り上げてたもんな」
「まぁね……ていうか太一が配達してくれてるんだったら明日からは早起きして待ってようかな」
「はぁ?」
「健康にもいいし」

 そう笑った亮がそれから、

「……ほんと頑張ってんね」

 なんてひどく優しい声で呟くので、その声になんだか気恥ずかしくなり思わず俯いてしまった太一が小さくくしゃみをすれば、あ、待ってて。とまたしても家の中へと入っていった亮。

 それからマフラーを手に戻ってきた亮がふわりと太一の首にマフラーを巻き、

「風邪引かないようにね」

 なんて微笑むので、太一は途端香る亮の匂いにボッと顔を赤くした。


 寝癖が付いたスウェット姿のまま、それでもとても優しく笑う亮の普段と違う格好がなんだか特別に思えて、太一はきゅっと口を結び、ありがと……。と呟く。
 それから、じゃ、じゃあもう行くから。と自転車を漕いで去っていく太一に、また学校でね。と笑い手を振る亮。

 そんな亮の声を背に、亮の匂いにも、触れる事にも慣れた筈なのに……。と冬の朝露に濡れるアスファルトの上を走りながらマフラーに鼻先を埋めた太一だったが、その顔は季節にそぐわないほど火照り、真っ赤だった。


 木枯らしが絶えず強く吹き、辺りはもう冬の匂いがした。



 to be continued……






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