太一と亮が突然仲良くなり、おいおいどういう心境の変化だよ。と龍之介達に弄られる事ももうなくなり二人が一緒に居ることが日常になった頃。
 季節は青々と繁る葉が暑い風に吹かれ揺れる夏になっていた。


 そして今日もバイトが終わり店を出て、壁にもたれ携帯を弄っていた亮に太一が声を掛ければ、

「お疲れ」

 と亮が携帯をしまい微笑み、それに太一も眉をへらりと下げて笑い返した。


 人通りもあまりない、夜の商店街。
 街灯だけがやけに明るく連なっている。

「何食べたい?」

 そう笑う亮の顔に、気兼ねなく食べたい物を太一が言えるようになったのは確か三回目ぐらいの時。
 馬鹿みたいにたっけぇレストランに連れていかれそうになって、慌ててファミレスがいい! と叫んだのがきっかけだったと思う。
 今思えばあれも気遣いだったのかもしれないが、配慮なのか天然なのかいまいち分からない亮に太一はやっぱり振り回されてる。とは思ったが、そんな亮と一緒に居ることがだんだんと心地よくなり、一緒に居る事にも慣れ、というか毎日毎日顔を付き合わせ夜も一緒に外食するようになればもう触れるだけで敏感に反応する事もなくなり、二人はどんどんと距離を縮め十年来の友人のようにくだけた雰囲気で話せるようになっていた。


「ん〜……、ラーメン」
「いいね、じゃあ駅前のラーメン屋さん行こっか」
「ん」

 そう話しながら歩く夜道は優しくて、高校に入る前や亮と出会うまでは鞄の紐をきつく握りしめながら一人夜道を歩いていた事がもう遠い過去のようで、たった半年なのに随分ともうこの生活に慣れてしまった。なんて太一は気付かれぬよう小さく笑った。


 それから店に着き、熱いし暑いとラーメンを啜り、ピッチャーの水を無くす勢いで食べ終わった二人は、明日から夏休みだなぁ。なんてぽつぽつと会話を溢した。

「夏休み、皆でどっか行こうよ」
「無理。バイト」
「毎日じゃないでしょ?」
「そうだけど、」
「じゃあ海とか行こうよ」
「海かぁ……行ったことねぇなぁ」
「えっ!? まじ? じゃあ行くしかないじゃん」

 幼い頃から働きづめの母と二人だったのでどこかに遠出した事があまりなく、特に今思えば母はオメガである自分と太一を守る為に人が多い所を避けていたのだろうと気付いた太一は、海かぁ。とまたしても一人ごちた。


「ね、行こうよ。昼からは無理でも、夜バイト終わったあととかに近くの海で皆で花火とかして遊ぼうよ」
「……ん、いいよ」
「はいじゃあ決定ね」

 言質取りました。と言わんばかりの顔で笑う亮につられて笑っていれば亮の携帯が鳴り、ズボンのポケットから携帯を取り出した亮が着信履歴も見ずに電源を切っていて、いやいや、出ろよ。と太一は思ったが口にはしなかった。

 それからテーブルの上に置かれた亮の携帯をちらりと眺め、今まで必要性を感じなかったし金もなかったしで持っていなかった携帯をそろそろ持つべきか……? と悩んだ太一だったが、お金はなんとかなるにしても未成年後見人として伯母を連れていかないといけないしと考え、きっと行ってくれないだろうからやっぱり無理だな。という結論に至ってしまうのであった。

 そんな太一の百面相を、亮は向かいでにこにこと眺めていた。





 そうして迎えた夏休み。

 稼げるときに稼がないと。と朝から晩まで働く太一だったが、バイトが終われば皆で近くのファミレスでご飯を食べたり、約束通り近くの海で花火をしては騒いだりと、母が亡くなってから楽しいこと全て捨てたように生きていた太一は高校に入ってから一変した環境に夢のような気持ちでいっぱいだった。
 そして今日もバイト終わり来ていた皆と一緒に夜の海に向かい、遠くの方で龍之介と優吾が服のまま海に飛び込んだり、明も仲間に引き入れようと腕を引っ張り騒いでいて、その横で亘ははははと笑いながら足を滑らせ自ら海にダイブしていた。

 ゆらり、ゆらりと揺らぐビロードのような黒い塊。
 それでも月明かりに照らされた海は漆黒をきらりと煌めかせていて、砂浜に体育座りしながらその景色を眺めていた太一は、潮風が頬や髪を撫でていく気持ちよさにそっと目を閉じた。

 こだまのように響く、笑い声。
 ザァ、ザァと揺蕩う、海の波。

 それに耳をそばだてていれば、

「太一、なーにたそがれてんの」

 なんて声がし、ぱちりと目を開ければ足元だけ海に入ったのか砂で素足を汚した亮が隣に腰掛けてくる。
 パンパン、と手に付く砂を払いながら微笑む亮の顔が夜に溶けていて、それでも浮かぶ白い歯が綺麗でふっと笑った太一は、別にたそがれてねぇ。なんて呟き足元の砂を撫でた。


「あははっ、いけー龍之介! 明を沈めろー!」

 遠くの龍之介に声を張り上げ、悪戯っ子のような笑顔を見せる亮。
 隣に座る亮の肩が触れてしまいそうで触れない距離に、ティーシャツから伸びる逞しい腕に、なぜだか分からないがドキドキとしてしまって太一は慌てて目を逸らした。


「ははっ、眼鏡死んだねあれ」

 そうぽそりと呟いた亮の言葉に、目の前の海を眺める太一。
 ふんばっていた明がとうとう龍之介達に海に引き込まれ、猿のような雄叫びをあげる龍之介の声が響いてくるなか、俺の眼鏡が消えた!眼鏡どこいった!? と騒ぐ明の声に、ほぼ毎晩小学生のような遊びばかりしている馬鹿らしさに太一がははっと声を上げて笑う。

 それから、こてん。と腕に頭を乗せ、

「……楽しいなぁ」

 なんて染々と呟いた太一の無防備過ぎる声に亮が太一を見つめれば幸せそうに微笑んでいて、そろそろ夏が終わりまた学校が始まる事を惜しんでいるようなその儚げな言葉に亮はそっと目を伏せ、

「来年もこうやって遊ぼうね」

 と呟く。
 その声がひどく優しくて、……うん。と素直に返事をした太一に、亮もふっと笑った。


「よっしゃ! 俺らも行くか!」

 突然どことなくしんみりとした空気を裂くよう、ばっと立ち上がってにかっと笑い見下ろしてくる太一。
 その笑顔に一瞬呆けた亮が、それでもははっと笑いながらつられるよう立ち上がる。
 それから二人はにししっと歯を見せながら、わーわーと煩い海へと駆けていった。


 それから普通に海に入って遊んだり、突然亘が考案した砂浜に打ち上げられた魚対決やらで散々騒いで遊んだ帰り道。
 びっしょびしょになりながら各々散り散りに解散したが方向が同じ太一と亮は必然的に二人になり、塩水でべたべたとする体に最悪だわ。と笑いながらも深夜をとうに過ぎ寝静まっている街のなかをこそこそと歩いた。


「あーべたべたする。でも帰っても風呂入れんからなぁ……」
「え、……あぁ、……じゃあうちで入ってく?」
「は?」
「どうせ親居ないし」

 そうさらりと言ってのける亮の台詞と、本当に毎日毎日夜ご飯を一緒に食べてくれる事に太一は小さく俯いて、……寂しくねぇのかな。とふと思ってしまった。
 今は太一だとて親戚の家で一人だが、母と暮らしている時はいつも側に居てくれた母と過ごした温かさを知っている。
 けれども亮はもうずっと昔からそうだよ。といつだったか笑っていて、その時太一は何とも言えない気持ちになったのだ。

 そんなことを考えていれば、

「ね、おいでよ。あっ、勿論なにもしないよ!?」

 と、太一が答えあぐねていると思ったのか慌ててそう言う亮に、太一は一瞬ぽかんとした表情をして、あ、そ、そうか、こいつアルファで俺オメガか。なんて改めて実感し、ぼっと顔を赤くさせた。

「い、いや、別にそんな事思ってねぇから……」
「え、あ、そ、そうだよね、なんかごめん」
「いや……、あー、あの、うん、じゃあ亮が迷惑じゃなかったら、お願いしたい」

 まるで付き合いたてのカップルのギクシャクとした雰囲気が流れ、いやいや。とそんな空気をぶち壊すべく、太一がゴホンッと咳をする。
 そんな太一に亮も少しだけ照れた顔をしては、冷えてしまったのかずずっと鼻を啜っていた。



 そして亮に連れられ後ろを歩いていた太一は、ここだよ。と紹介された家を見て、やっぱりな。と大きな家を見上げた。
 そこは新聞配達で最後に回る家で、相変わらず大きな柵の門とその奥には大きな家がどっしりと聳えている。
 門の横に【近衛】と書かれた表札に、あの雨の日俺も近くなんだよ。と言われた時もしかしてと思ったのだが、結局うやむやのままで終わってしまっていて、

「だろうと思ったわ」

 と得意気に笑った太一。
 それに、え、なにが? なんて言いながらも、とりあえず入って。と促す亮にようやく想像のなかの住人と目の前の亮がリンクした気がし、ははっ、イメージぴったりすぎ。とさらに笑った太一は、うん、ありがと。お邪魔します。と家のなかに入った。


 家の中は想像の範疇を越えていて、玄関だけでもあの物置小屋より遥かに広く、差し出されたふかふかのスリッパにおずおずと足を通した太一は不躾ながら辺りをキョロキョロと見回した。

 玄関を開けた先の豪華な階段。
 大理石なのかつやつやと輝く廊下。
 壁に掛けられた絵画。

 そんなシックでモダンな家に、情報が多すぎる。と目を回していれば、こっち。と亮に案内され太一はふらふらとしながら後を付いていった。


「ここがバスルーム。タオルはあっち。服は俺のしかないけど、パンツは新品の出しとくから安心してね」

 廊下の先の扉を開けた亮がそう言いながら太一を中に押し込め扉を閉めたので、いやお前の方が先に入れよ。という言葉すら言わせてもらえなかった太一はおろおろとしながらこれまた物置小屋よりも広いそのバスルームのなか、あまりにも違いすぎる暮らしぶりに感嘆の息すら漏らしてしまった。

 バスルームのなかの、脱衣所兼洗面所と風呂場を仕切るガラス張りの扉。
 なぜガラスにする必要があるのだろうか。なんて思いながらも広すぎる脱衣所で服を脱ぎ、風呂場のなかへと足を踏み入れ太一はシャワーのコックを捻った。
 それから烏の行水の如く風呂を借りた太一が亮の匂いのするぶかぶかの服を着て汚れた服を抱えながら扉から出れば当たり前だが誰も居らず、電気は煌々と輝いているのになんの音もしない広すぎる廊下にぽつんと取り残された気分になった太一は、うろうろと来た道を辿りながら、亮の名を呼んだ。


 その声にガチャリと横の扉が開き、

「え、早すぎない?」

 なんて笑いながら顔を覗かせた亮が、とりあえず座って。とこれまただだっ広いリビングにと案内してくれ、テレビのなかでしか見たことがないようなまさに豪邸というに相応しいリビングのこれまた高そうなソファに所作なくちょこんと座った太一。
 ふかふかと沈むその柔らかさに、……おぉ、これがソファ……。なんて初めて座るソファにひっそり感動していれば、じゃあ俺も入ってくるね。と亮はそそくさと歩き始め、あ、好きなの飲んでいいよ。なんて言い珍しく視線を合わさずリビングを出ていってしまった。
 その少しだけ普段とは違う態度に、ん? と首を傾げつつ、太一はお洒落な掛け時計を見る。
 時刻はもう深夜の三時を過ぎていて、今日新聞配達のバイト無くて良かった。とホッと胸を撫で下ろした太一は、カチッカチッ、と時計の鳴る音に気付けばうつらうつらと頭を揺らし、そのたびにハッとしては、亮にお礼言ってから帰るまで頑張れ俺。と顔をぶんぶんと振った。




 その頃、リビングから出た亮は大急ぎで風呂場へと向かい、ガチャリと扉を閉めては、ハァ、と溜め息を吐いていた。

 風呂上がりの上気した頬や、濡れた髪。

 それから自分のだぼだぼの服を着て、なんだか心許なさそうにしていたのに自分と目が合った瞬間にふにゃりと目尻を弛ませた太一の表情を思い出し、……ヤバイなぁとぼやいて口を掌で覆った亮は先ほどの自分の宣言を今一度心に刻み込み、落ち着こう。とシャワーを浴びた。



 そうして邪念を振り払い頭をタオルで拭きながらリビングへと戻ってきた亮は、ソファに座り今にも寝てしまいそうになっている太一の姿にまたしてもうぐっと喉を詰まらせたが、そのあと自分を戒め、

「泊まっていく? ゲストルームあるよ」

 と優しく囁いた。
 その声にハッとした太一が、いや、と声をあげたがその声もふにゃりと柔らかくて。

「でもこんな状態で歩けないんじゃない?」
「……いや、かえる」

 頑なに帰ると呟く太一にひどく優しい表情で向かいのソファに腰掛けた亮が、強情だなぁ。と笑う。

「本屋のバイト、何時から?」
「……くじ」
「じゃあその一時間前に起こしてあげるから。ほら、立てる?」

 そう声を掛けても太一はもう生返事しか返さなくて、どの口が帰るなんて言ったんだか。なんて苦笑し、よっこいしょと立ち上がっては太一の体に腕を回した亮。

「太一、腕だけ俺の肩に回して」

 抱き上げ、お姫様抱っこの体勢でそう亮が囁けば、

「……ん……」

 と呟きのろのろと腕を肩に回した太一。

 それからすりっと亮の胸元に顔を寄せ、

「……あったけぇ……いいにおいする……」

 なんてもう意識は夢の中なのかふにゃりと微笑み寝息を立ててしまった太一に、亮は深呼吸をしながら堪らず天を仰いだのだった。




 ◇◆◇◆◇◆



「ち……いち……、太一」

 心地よい夢の淵に沈んでいた太一はゆさゆさと揺さぶられる体と囁かれる声に眉間に皺を寄せ、んぅ、と唸り声をあげた。

「そろそろ起きないと遅刻するんじゃない?」

 そう言われ遅刻という言葉にハッと覚醒したのか目を見開いた太一は、目の前にある亮の顔と広すぎる天井を見つめては、ぱちくりと瞬きをひとつした。


「おはよう。寝れた?」

 優しく微笑む亮の爽やかな顔に状況の整理が追い付かない。といった様子で、は? と昨日の記憶を辿った太一は、うわ、俺……風呂借りるだけでも厚かましいのに何寝てんだ! と思い出し慌てて起き上がって頭を下げた。

「わるい! めちゃくちゃ迷惑かけた!」
「ははっ、いや全然気にしないでいいから」
「いやまじで何やってんだ俺……はずい……」
「はずいって」
「もうまじでごめん」
「いやいいからほんとに。ていうか朝ごはん作ったから食べよう。そんですぐ出ないと時間やばいかも」

 そう言いながら、はい立って立って。と促し、

「この部屋の洗面所に歯ブラシ新しく出しといたからそれ使って、顔洗ったら降りてきて」

 なんて笑い、部屋を出ていく亮。
 その至れり尽くせりさに、ああどこまで迷惑掛ければいいんだ。穴があったら入りたい。と頭を抱えた太一は申し訳なさやら恥ずかしさやらでいっぱいになりながらふかふかのベッドから抜け出し、部屋のなかにある洗面所に驚きながらも歯を磨いて顔を洗い流し、部屋を出る。
 今居た部屋は二階だったらしく、これまた長い廊下を歩いて階段を降りた太一は、多分ここがリビングだったはず。と扉を開け、正解した事にほっと表情を和らげた。


「あ、来た。よし、じゃあ食べようか」

 そう言いながらダイニングテーブルに座っていた亮が突っ立ってないで太一も座りなよ。と促し、太一は亮の向かいに置かれた皿の前に座った。

 スクランブルエッグにベーコン。それからサラダにパンといった、映画やドラマのなかでしか見たことがない朝食に驚く太一をよそにいただきます。と亮は手を合わせて食べ始めていて、

「お前完璧人間すぎねぇ?」

 とここまできたら嫌味を通り越して尊敬するレベル。なんて呟いた太一が、

「……ありがと。いただきます」

 と手を合わせ、慣れないながらもナイフとフォークを握った。


 それからポツリポツリと会話をしながら食べていたのだが、

「前から聞きたかったんだけどさ、太一って携帯持ってないじゃん。それって携帯要らない派ってだけなの?」

 なんて亮に聞かれ、いや、そういう訳じゃねぇけど。と太一は言葉を濁してしまった。

「契約するにも書類とか色々必要だろうし、おばさん忙しいから頼めねぇよ」

 そう呟き目を伏せる太一に亮は一度考えるような素振りをしたあと、ふぅん。と呟き、それでももうそれ以上深くは聞いてこなかった。



「あ、太一、そろそろ出ないとやばいよ」
「へ、まじだ!」
「太一の服、昨日洗濯して乾燥機回してバスルームの棚のとこに置いてあるから、着替えてきなよ」
「えっ」
「ほら早く早く」

 そう時計を見ては席を立ち、太一も早く。と促す亮に、ベーコンを無理やり口に押し込めた太一はモゴモゴとしたまま、ありがと! と叫び、バスルームで昨日の服に着替えては玄関へと向かった。


「今運転手さん居ないから車は無理だけど、歩いて送ってこうか?」
「いやなんでだよ。要らんわ」
「はは、そうだよね」
「ん、じゃあ、ほんと、色々ありがとな」
「うん。じゃあね、また夜に」
「……ん」

 見送りにとやってきた亮が腕を組みながら微笑むので、なんだかとても離れがたくなってしまい、……魂の番いのせいだ。なんて思いながらも目を伏せた太一は、もう一度ありがとな。と呟いては玄関の扉を開けた。


 外に出れば一気に降り注ぐ日差しが目に痛く、家を囲う木々からはけたたましい蝉の声が響いている。
 それが未だ消えたくないともがく夏の灯火に思えて、蝉の声に目を伏せた太一はそれでもその声を振り切るよう、駆け出した。

 走っている間、ずっと亮の匂いがしていた。






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