早朝とも呼べぬ時間に、けたたましく鳴る時計。
 そして疲労を引きずったまま起き、新聞配達や朝食を作り終えいつも通りの一日の始まりを終えた太一は、ハンガーに掛けていたブレザーを着ながら、よし。と顔を引き締め学校へと向かった。


 もう既に沢山の人で校舎の中は賑わっていて、太一達一年の色であるえんじ、二年の緑、三年の青、と分けられたネクタイが人々の首を彩っている。
 女生徒の軽やかな笑い声や男子生徒の豪快な声が鞠のように弾み揺れる校舎のなか、太一だけ昨夜ないがしろにしたまま寝てしまった亮との問題をやはり腹の奥で燻らせ顔を曇らせていて、それでもあいつだって俺と魂の番いだなんてばれたくはないだろう。と思い直した太一は、とりあえず会わなければいいんだ。と思うことにし、教室へと入った。


 それから自分の席に着いた太一は、あいつ昨日居なかったよな。という視線をひしひしと感じていたが、我関せずといった表情で鞄から教科書を出していく。
 この高校に進学し卒業さえ出来ればそれでいいので誰かと友達になるなど考えておらず、むしろその方がオメガだとバレにくくなるし好都合だ。と遠巻きに自分を見るくせ近寄ってはこない人達を無視し続けていたが、

「あ、お前!」

 なんて突然声を掛けられ、太一は顔をあげた。


「昨日亮と出ていった奴やん! 亮の友達?」

 そこにはあのチャラそうな男が立っていて、にこにこと人懐こそうな笑顔を向けられる。
 しかしその言葉に顔をしかめた太一は、友達じゃねぇよ。と腹のなかで悪態を吐き、いや、べつに。と無愛想に返事をした。
 そんな、お前と話す気はありません。と言わんばかりの太一の態度に大体の奴は眉間に皺を寄せ去っていくのだが、けれどこの男はそんな態度を気にもしないのか、あろうことか笑うばかり。

「俺、佐伯龍之介。宜しく〜」
「……」
「名前なんていうの?」

 少年のような無垢な瞳で覗き込まれ、しかもつっけんどんな態度をとったというのに居なくならない龍之介と名乗った男に動揺してしまった太一が、

「……さ、さかもと」

 と返せば、いや下の名前だろそこは。なんてまたしても笑われ、その弾けるような笑い声と顔につられた太一も小さく眉をさげ、たいち。と呟いた。
 そんな太一の小さな笑顔に満足気に笑った龍之介が、昨日一緒に教室に入ってきた男が今しがたやって来たのを見て、おはよーす! と声を掛ける。
 その声に手を小さく上げた男も近付いてきて、太一にもおはよう。と笑った。

「りゅうの友達?」
「うん。太一」
「へぇ〜、俺林優吾。宜しく」

 そう柔らかな笑顔で優吾と名乗った男。優しそうなオーラが滲み出ている。
 その顔を見つめ、龍之介の先程の友達という発言に、いや友達じゃないんだけど。という突っ込みすら与えられなかった太一が困り顔のまま、小さく会釈をする。
 そんな太一などお構いなしに二人は他愛もない話をし始め、それを太一は状況が良く理解出来ない。と困惑の表情を浮かべるだけだった。


 そうして太一は事あるごとに龍之介と優吾に絡まれ、初めのうちは極力関わらないようにと避けていたのだが、それすら面白いと言わんばかりに絡んでくる二人にとうとう根負けをし、というより二人の馬鹿馬鹿しさに太一もつられて笑うようになり、いつしか三人で行動するようになっていった。

 入学してから、一ヶ月。
 気が付けば太一は久しぶりに、友達と呼べる人達が出来ていた。




 ◇◆◇◆◇◆



 五月の晴れた空が頭上に広がり、太一はさわさわと髪を揺らす風に目を閉じながら昼休みの屋上でごろりと寝転んでいた。


「たいち〜、お待たせ〜」

 そこに購買で熾烈なパン争奪戦に行っていた龍之介と優吾がやって来たので、太一は笑いながら、おせぇよ。と身を起こす。
 じゃんけんで負けた二人が昼飯の買い出しに行く。というルールがいつしか三人の間で出来上がっていて、この日勝利した太一は頼んでいたパンを今か今かと待ちわび、胡座をかいた。
 お金は勿論渡すが、わざわざもみくちゃにされながらパンを買わずに済むというルールは大変ありがたく、太一が早く早く。と手を広げ満面の笑みを浮かべたのだが、

「ごめん、太一から頼まれてたパン売り切れになってた〜」

 なんて言われ、太一はまじかよぉぉ! とアスファルトの上を転がった。

 もう大分砕けた雰囲気の太一に、こんなに明るい子だったんだねぇと優吾が笑い、まぁ最初も変な奴で面白かったけどな。と龍之介も笑う。
 そんな二人の笑い声にむくりと起き上がり、いや俺の事はどうでもいい、パンくれ! と太一が悔しそうにし、龍之介がまぁまぁまぁ、代わりのパン買ってきたから。とチョココロネを差し出してくる。
 それを渋々受け取り袋を開けもしゃもしゃと食べ始めた太一の横に、二人も笑いながら座り込んだ。


「ていうか毎回思うんだけど、パンひとつだけで足りるの?」
「それな」

 バイトを二つしているとはいえ薬代に学費に親戚の家に入れる分にと考えればお金なんてなく、節約する為に昼飯はパンひとつだけの太一だが、二人にそんな理由を話す事でもないと、少食だから。なんて嘘をついていて、またしても突っ込まれたがお得意のポーカーフェイスを発動させ、

「ひひんふぁよ(いいんだよ)」

 なんて太一はその質問を交わした。


「なんて?」
「ふぁふぁらぁ、ひょうひょふなんらって(だから、少食なんだって)」
「なんて?」

 貪るようにパンを食べ、モガモガと喋る太一に龍之介が突っ込み、優吾が笑う。
 そんな穏やかな空気が流れている屋上は未だ太一達しか居らず、龍之介が遅いなぁ。と空を見たその時ちょうど扉が開く音がした。


「遅くなったな」

 ギギッと軋む扉の音と共に入ってきたのは真面目そうに髪の毛をきっちり七三に分けた眼鏡の男で、緑色のネクタイは二年生である事を示していたが龍之介も優吾も、そして太一も、おぅ。と軽く手を上げただけだった。

「明さん、委員会だったん?」

 そう声を掛けたのは、太一。
 明と呼ばれた男こと新堂明は龍之介に紹介され知り合った人物で、秀才で真面目で一見取っつきにくそうだが笑った顔がとても優しい先輩であり、すっかり太一も気を許している。
 初め紹介された時はなぜ二年の明と龍之介が知り合いなのだと思ったものだが、それは龍之介の家柄に関係があった。

 なんと龍之介はちゃらんぽらんな見目をしているがアルファであり、明はベータだが代々秘書として龍之介の家に仕えている家系らしく、小さな頃から明も龍之介の世話係のようなものをしていたらしい。
 それなので頭が良いのにわざわざ明がこの学校に進学したのは一個下の龍之介の学力に合わせた為らしく、まさか龍之介がアルファだとは思っていなかった太一はその話を聞かされた時、目を丸くしたのだった。

 今まで見てきたアルファといえば同じアルファ同士で固まり、俺達はお前達とは違う。選ばれた人間なのだ。というオーラをばりばり出し周りを見下していたイメージしかなく、まぁ明と龍之介の間には家柄によって特別な関係があるみたいだが、龍之介自体はそんなもの関係なく俺が明と居るのが楽しいから一緒に居るんだと笑うばかりで、明も口では仕方なくと言っているが龍之介の事を弟のように気にかけ大事にしているからだろうと付き合いが短いながらも感じた太一は、アルファだろうがベータだろうが関係なくつるむ龍之介のようなアルファも居るのか。と驚いたのだ。

 そうこうしている内にまたも扉が開き、

「ういっす!」

 なんて顔を覗かせたのは、もう昼時だというのに未だ重力に逆らったままの寝癖を付け、シャツをだらしなく出し、上履きではなくスリッパで近付いてくる男こと、小山亘だった。
 この男は隣のクラスだが、龍之介達とは中学からの仲らしく、ぶっ飛んでいるそのキャラと天才さに太一も毎度毎度、腹が捩れるほど笑わされている。
 そうして龍之介を中心にして出来た、なんとも癖の強い友人達。
 こんなに沢山の友人が出来るとは。と太一自身驚きながらも、馬鹿やって騒げる事が楽しくないわけがなく、毎日充実した日々を過ごしている。

 けれどもやはり、自分がオメガだと打ち明ける事は、出来なかった。

 幸い太一は少々華奢だが比較的体つきも普通でフェロモンも発情期以外出ることはなく、ベータ寄りのオメガらしい。
 それなので普通にしていればベータとなんら変わらず、だからこそ皆にはオメガだとバレてはいないだろう。
 ましてや言ったところでこのメンバーが態度を変える事はまずないだろうとは思うが、まだ小学生の頃に植え付けられたトラウマから脱却する事が出来ずにいて、なんだか情けねぇなぁと自分を卑下していた太一だったが、亘が来た事によって途端に先程より三倍ほど煩くなり、

「っあ、ちょ、それ俺のパンッ!」
「うるせーー!!」

 と突然龍之介からパンを奪われ焦る亘と、横暴に奪い取ろうとする龍之介というミニコントが始まり、ははっと笑い声をあげた。


 必死に手を伸ばし、龍之介の手とビニールごとはむっと咥えた亘に、きたねぇ! と龍之介が叫び、それを見た優吾の笑いにつられるよう、薄く明も笑っている。

 晴れた空にこだまする、弾けるような皆の笑い声。
 屋上の空気は柔らかく、静かに過ぎて行く。
 しかしその穏やかさを裂くよう、

「お前らうるさすぎ。階段の下まで聞こえてたよ」

 と不意に扉の方から声がし、太一はびくっと小さく身を震わせた。

 その声は勿論忌々しい(?)、なんの因果か知らぬが魂の番いである亮で、呆れ笑いをしながら近付いてくる亮に、太一は目を伏せた。


 話しかけるな、近寄るな。と宣言したあの日から、約一ヶ月。
 お互い龍之介の友人なのでどうしてもこうして顔を合わせる機会は増えるわけで、あんな啖呵を切っておいてと気まずい想いでいっぱいの太一は、けれど俺はやっぱりお前と仲良くはなれない。と人知れず唇を噛み締めた。
 お高くとまっているわけではなく、やはり龍之介の友達なだけあって亮も人当たりは良さそうなのだが、けれど自覚があるのかないのかやはり分からないが龍之介とは違ってどこからどう見てもアルファだと言わんばかりのオーラが溢れている、亮。
 そんな亮が居るからこそこの屋上には他の生徒が寄り付かないという事を、太一は知っている。
 邪魔しちゃ悪いので屋上には立ち入り禁止。という暗黙のルールさえたった一ヶ月程度で生み出し全学年に浸透させてしまうほどの圧倒的な亮のアルファのオーラに会うたびにぞわぞわとしてしまって、やっぱ仲良くするのは絶対無理。と体に走る震えをなんとか抑え、太一は立ち上がった。


「ごめん、俺もう行くわ」

 ぽそりと呟き、亮を見ずに歩き出す太一。
 そういって太一が居なくなるのが毎度の事なので、太一いつも何してんの? なんて亘が他意なく問いかけたが、太一は、ちょっと。と笑う事しか出来なかった。


 一歩、一歩と足を踏み出すたびに火傷しそうなほどの視線を、亮から感じる。
 見つめられていると分かっていて、上手く呼吸ができず息が苦しくなる太一がそれでも深呼吸をしてすれ違おうとしたその瞬間、亮が太一の腕を取った。

「あのさ、太一、」

 ばちっ、と合う視線。
 触れた、体温。

 見つめてくる亮は何か言いたげだったが、触られた所からあっという間に熱くなる体にびくっと震えその手を太一は反射的にパシッと弾いてしまい、一瞬屋上にピンとした空気が張り詰める。
 その何とも言いがたい空気に、くそっと心のなかで舌打ちをした太一は、

「……ごめん、近衛」

 とやっと絞り出した声でなんとか謝り、俺急ぐから。と堪らず駆け出した。


 バタバタバタ、と乱暴に音を鳴らし階段を降りる太一。
 たった数秒腕を掴まれただけなのにやけに心臓がバクバクと煩くて、人気のない踊り場に踞り、ハァハァと乱れる息を整えようと太一は必死に深呼吸をした。

 ざわざわと煩い昼休みの、校舎。

 その喧騒を遠くで聞く太一だけが暗い顔をして立てた膝に顔を押し付けては、魂の番いなんて糞だ。と項垂れながらぎゅっと拳を握っていた。





 一方、太一が去っていった屋上にはなんとも言えない空気が未だに走っていて、しかしその空気を壊したのはやはり龍之介だった。

「……亮、お前太一にすげー嫌われてね?」

 そう失礼にも程がある言葉を吐く龍之介に皆がどっと笑い、亮もふっと表情を和らげては、そうかなぁ。だなんて輪に加わる。

 ドサッと座った亮に皆はもう各々好き勝手に過ごしていて、それでも弾かれた手を凝視している亮に気付いたのか明がこっそり、

「……亮、お前太一に何かしたのか?」

 と囁いた。
 亮と龍之介の家も昔から仲が良く、当然明の事も幼少の頃から知っていて慕っている亮は一瞬明に相談してみようかとも思ったが、黙ってろ。と言った太一の鋭くて暗く、底すら見えないほど深い、けれどとても美しいあの瞳を思い出し、亮はへらりと笑った。

「まさか。何もしてないよ」

 掴み所のない顔で笑う亮に何かを察したのかそれ以上明は何も言ってこなかったが、亮はそれからも手を見ては、うーん。どうしたもんかな……。と考え込み、高く広く、どこまでも綺麗な青空に小さな溜め息を浮かべたのだった。



 to be continued……






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