校舎の隅に踞り、太一は未だバクバクと鳴る心臓を抱えたまま。
 そして、とっくに始まってしまった入学式が遠くの方で行われているのを聞きながら、最悪だ。と立てた膝に顔を埋めていた。

 体に走った衝撃が尚も脳まで痺れさせ、訳もなくドキドキと胸が痛い。
 それがまざまざと、魂の番いは本当に存在する。という事を否応なしに突き付けてくるばかりで。
 そんな未知の体験に太一は暫し呆然としていたが、いやでも関わらなければいいんだ。と無理やり結論を導き出しては深呼吸をし、ガクガクと震える足に力を入れなんとか立ち上がった。


 未だビリビリと体に走る電流。
 それにぞわりと身を震わせながらも、もう今さら入学式に参加出来るわけがないと掲示板で自分のクラスを確認し、太一は校舎の中に入っていった。

 しん、と静まり返る校舎はどことなくひんやりとした空気を纏っている。
 その静けさのなか、先ほど書かれていた教室までの経路図を思い出しながら、階段を上ってゆく太一。
 ようやく体の震えが収まり、心も落ち着いてきたと安堵しながら、踊り場の窓から差し込む陽が眩しくて目を細めた太一は、気を持ち直すよう春の木漏れ日に小さく笑い、それから階段を上りきりすぐそこの、『一年六組』と書かれた教室の扉をカラカラと引いた。

 整然と並ぶ机。
 大きな黒板。
 窓を覆う白いカーテン。

 そんなどこにでもある、普通の教室。
 だがそれでも、母と父がこの教室で過ごしていたのかもしれない。と目尻を弛めた太一は、【入学おめでとうございます】と書かれた黒板を眺め、出席番号順だろうと先ほど見た自分の番号の席に腰掛けた。

 真ん中の列の四番目、というなんとも微妙な場所。そこにぼんやりと座っていれば次第にガヤガヤと外が煩くなり、ようやく入学式が終わったのか、人が校舎に流れ込んでくる。
 そうしてちらほら人が教室に入ってくるのを格段気に留めず過ごしていた太一だったが、一際大きな笑い声が聞こえ、眉をしかめた。

「いやまじだって!」
「うそじゃん」
「ほんとだってば!」

 だなんて言い合いながら、教室に入ってくるチャラそうな男二人。
 何が楽しいのか知らぬがひどく笑っていて、同じ中学からこの高校に進学してきたのだろうと一目見て分かる二人にしかし、とりあえずうるせぇ。と眉をひそめたまま太一が無視を決め込もうとした、矢先。

「龍之介〜」

 なんて廊下の方から間延びした声が聞こえ、けれどその声に太一はびくんっと身を震わせた。

 教室の扉の枠に手を付き、今しがた名を呼んだ人物を探しているのか、教室を見回す男。
 その男は紛れもなく先ほど桜の木の下で会った男で、太一は咄嗟に顔を隠そうとしたが、

「あっ、さっきの、」

 なんて男が長身ゆえか易々と太一を見付け、声を溢す。

 その声と、ばちりと合う視線にまたもビリビリと走る電流。

 そんな厄介過ぎる生理的反応に眉間に皺を寄せ顔を青ざめさせた太一は、クラスもばれ、しかもなぜか近付いてくる男にこのまま関わらないという選択肢が消えた事を悟って、ガタンと立ち上がった。

「お〜、亮」

 先ほど煩く騒いでいたチャラそうな男の一人が龍之介と呼ばれた奴なのか、手を上げている。
 しかし探していたらしいにも関わらずそれを無視し自分の方へと近づいてくる長身の男に一度舌打ちをしては、「ちょっと面貸せ」と太一は鋭く言い放ち教室を後にした。

 その言葉に素直に付いていく亮と呼ばれた男に、「へっ? 俺に会いに来たんじゃねぇの?」なんてチャラそうな男は手を上げたまま、間抜けな顔をしていた。



 廊下を出て辺りをキョロキョロと見回し、どこか話す場所に最適な所はないか。と探したが、どこを見ても人だかりに溢れていて。
それに、はぁ。と太一が深い溜め息を吐いたその時。

「あそこなら大丈夫じゃない?」

 だなんていつの間にか隣に並び立った男が声を掛けてくる。
 それにムッとしつつも、その男が指した方向を見れば屋上へと続く階段があり、確かに入学早々屋上に用がある奴なんて居ないか。と二人はそこへ向かった。


「お前も、気付いてるよな……」

 薄暗い階段の、一番上。屋上へと続く扉の前で下を気にしながらも、心底嫌そうに太一がぼそりと呟く。
 だがそんな太一の顔に、男はにっこりと笑うだけだった。

「うん。魂の番いってほんとにあるんだってびっくりした。今は大丈夫だけど、最初に会った時はまじで雷に打たれたみたいだった。まぁ、なんか不思議な感じだけど、俺、近衛亮。宜しくね」

 そう良い声で名乗りながら手を差し出してくる男こと、亮。
 その手をじっと見た太一は暫くし、は? こいつ正気か? と眉間に皺を寄せた。

「……俺はお前と仲良くなるつもりはないし、ましてや魂の番いだからって番いになるつもりもない」

 亮の言った通り、初めと先ほどはまるで電撃を食らったかのような衝撃があったが、耐性がついたのか、もう向き合っても平気で。
それにほっと胸を撫で下ろし、太一は高い位置にある亮の顔を睨み付けた。

 美しいアーモンド型の瞳を長い睫毛が縁取り、薄暗いなかでもまるで硝子細工のようにきらりと輝く、太一の綺麗な瞳。
 それでも底知れぬ陰りを潜めたその深さに、見つめられた亮が一瞬、ひゅっと息を飲む。

 しかしそんな亮の戸惑いなど知らぬ太一は、もう用は済んだ。とばかりに踵を返そうとしたが、それから、……あ。と呟いた。

「……あと、俺の事オメガだとか周りの奴らに言うなよ」

 なんて鋭く言い放ち、またしても亮を睨む太一。
 そんな刺々しい太一の態度にぱちくりと瞬きをし、……えー、俺人にこんなつっけんどんにされた事ないんだけど。と亮は思わず口の端をひくつかせ、笑ってしまった。


 亮は元々アルファ純血主義の家系に育ち、親のお陰とはいえ、簡単に財力はもちろん名声も手に入れられる環境にある。
 そして亮自身もアルファで見目も良かった為、いつも周りにチヤホヤされてきた。
 だからこそこんな風に睨まれたりぞんざいな態度を取られたりする事など、初めてで。
 だがそれがかえって亮にとって新鮮で面白いのか、おかしくて堪らない。と笑う亮を見て、は? と太一は状況が良く分からずしかめっ面をした。

「な、なに……」
「あーごめん。なかなか居ないタイプだったから、珍しくて」

訝しげな視線を投げる太一にごめんと言いながらも、亮がにこりと微笑み、太一を見る。

「うん、分かった。君がオメガで、ましてや俺と魂の番いだってことは、俺と君だけの秘密ってことで」

 そう笑う亮の、蕩けてしまいそうなほどの優しい甘いマスク。それが一周回って胡散臭く見え、その顔に未だ警戒したまま、太一は一歩後ずさった。

「まぁ、そういう事。……じゃあ、」
「待ってよ。黙っててって人にお願いするんだったら、名前くらいは教えてくれてもいいんじゃない? 」

 もう俺に構うなよ。と言外に示しながら太一が階段を降りようとしたが、やはり掴み所のない顔で、そう言った亮。
 その細められた目からは感情がいまいち読み取れず、そして取り引きめいた事を口にした亮に、太一は盛大に眉間に皺を寄せた。

「……性格悪いな、お前」
「そうかなぁ? あとお前じゃなくて、亮ね」
「……」
「ん? 名前も言えないの?」
「…………坂本」

 物凄く不機嫌そうに渋々、太一がぽつりと呟いたが、

「坂本、なに?」

 なんてしれっと聞き返してくる亮。
 そんな亮に一度溜め息を吐き、苦虫を噛み潰したような顔をした太一は、それでも自身の名を呟いた。

「……太一」
「たいち……。そっか、宜しくね、太一」
「だから俺はお前と仲良くするつもりねぇんだって。見かけても声かけてくんなよ。じゃあな」

 何が宜しくだ。とまるで牙を剥く獣のような態度でそう辛辣に言い放ち、太一が階段を降りてゆく。
 その後ろで亮がやはりゲラゲラと笑うのが聞こえ、なんだあいつ。気持ち悪ぃ……。と思いつつ廊下に出た太一は、もうホームルームが始まってしまっているらしく人気のない廊下を眺めた。

 あの男のせいで出鼻を挫かれっぱなしじゃねぇか、糞が。

と心の中で悪態を吐き、不機嫌さを隠しもせず、でもまぁどうせ今日は自己紹介だけだからいいか。とクラスの奴と仲良くする気もない太一が、そのまま一階まで降りていく。
 そして靴箱で靴を履き替えた太一は校舎の時計を見て、まぁ早いけど大丈夫だろ。と、ある場所へと向かった。




***



「いらっしゃいませー」

 ヴィーン……。と自動ドアが開いたと同時に店員の声が聞こえ、太一はレジに居た店員に近付き、少しだけ緊張した面持ちで頭を下げた。

「……おはよう、ございます……」
「ん? あぁ、坂本くん」

 太一に向かって、眼鏡の物腰柔らかなおじさんこと、この店の店長が目尻を下げ笑う。
 その笑顔に太一も眉を下げ、ぎこちなく笑った。


 ──高校の合格発表のすぐあと。太一は放課後もバイトをするため、近所の店に手当たり次第電話をし、面接を受けた。
 だが太一がオメガだと伝えればどこも雇ってくれず、最後の望みだと商店街の隅にある古い本屋に直談判だと履歴書を持って、『ここで働かせてください! なんでもします! 』と頼み込んだのだ。

『ほんとに、なんでもします!』

 呆気に取られている店長に再度頼み込み、頭を下げた太一。
 まだ発達途中の少年らしい男の子がそうまでして必死に頭を下げる姿を見た店長は面食らった顔をし、暫し太一を見たあと、ふむ……。と顎に手を当て、口を開いた。

『……今年から高校生?』
『は、はい』
『……うーん、うちはこんな小さな店だしバイト募集はしてないんだけど、もし雇えても最低賃金しか払えないよ?』
『っ、それでも、全然いいです! 雇ってもえるなら、なんでもします!』

 ようやく見えた希望にそう息巻いた太一を柔らかく見つめ笑った店長が、

『じゃあ、四月からお願いしようかな』

 なんて優しく言ってくれ、その決断の速さに今度は太一が呆けてしまい、しかしそれから気まずそうに俯いた。

『っ、あ、ありがとうございます……。あ、でも俺実は、オメガ、で……、』

 今まで、その言葉で態度を一変させ、発情期で長期間休まれたらたまんないから。だとか、オメガを働かせてるなんて知られたら店の信用が落ちるから。だなんて嫌そうな顔をされ断られてきた太一は、やっぱりここも駄目かな……。と唇を噛みしめる。
 けれども返ってきたのは、

『まぁ、そうだろうとは思ったよね。こんな商店街の外れにある求人広告も出してない本屋に頼み込んでくるなんて、普通はないから』

 という、なんとも意外な言葉だった。

『そんな必死に頼んでる子を無下には出来ないよ。それに実は僕もオメガなんだ。だから他人事とは思えなくて』

 そう笑った店長に、太一は今までそんな言葉を大人からかけられた事がなく、ましてや母と自分以外のオメガを見たことがなかった太一は驚きに満ちた表情で店長を見やったが、やはり柔らかく笑い返されるだけだった。

『とりあえず詳しい話しをするから事務所まで来てくれるかな?』

 よいしょ。と立ち上がり、スタスタと歩きだす店長に呆気に取られたまま、あ、はい。と着いて行こうとした太一だったが、一度くるりと振り返り、

『うちは意外と力仕事だからね。頑張ってよ〜』

 なんて少しだけ意地の悪そうな顔をし店長が言う。
 それでもその言葉も態度も優しく、太一はようやく働かせてもらえると実感し、『だ、大丈夫です! 俺力あるんで!』と念願のバイト先を見つけ嬉しそうな顔をしたのだった。





 ──それが入学式の数日前の話であり、そして今日が初出勤だった太一は優しく迎えてくれた店長に頭を下げ、事務所に入った。
 ぎっしりと在庫が積まれた、段ボールの山。
 どことなく埃臭いそのなかの小さなロッカーの前でブレザーを脱ぎ、ワイシャツの上から黒いエプロンを羽織った太一は器用に後ろ手でリボン結びをしてから、よし。と意気込み売り場へと出ていった。

 そうして太一は、まずは棚の位置と本の種類を覚えてね。と言われメモを取ったり、在庫を運んだりと、慣れない仕事と膨大な情報量にキャパオーバーになりかけつつも初日をなんとか無事に終え、肉体的にも精神的にも疲労困憊になりながら親戚の家の物置小屋へと帰った。

 帰宅した頃にはもう、夜の九時半を過ぎていて。
 それに慌てて部屋着に着替え、春先だとはいえ未だ冷たい外の蛇口で歯磨きと洗顔をし、もう風呂は朝にしよ……。と太一は薄い煎餅布団の上にぐったりと沈んだ。
 新聞配達のバイトもそのまま続けるので三時には起きなくてはならず、色々ありすぎた今日の疲労さに既に夢の縁に足をかけていた太一だったが、それでも夢のなかに入る直前、衝撃的な出会いをした亮の顔を思い出してしまった。

 外国人めいた甘いマスクと、柔らかな笑顔。
 しかしその裏で、何を考えているのか分からない、掴み所のない態度。
 瞳が合った時の、人を易々と従わせてしまいそうな、アルファのオーラ。

 今まで数人のアルファを見てきたが、魂の番いを抜きにしてもあそこまではっきりとアルファだと分かったのは、初めてで。

 厄介な奴に出会っちまった……。

 そう深い溜め息を吐き、全然人の話しを聞く気がなさそうだった亮の態度に、また絡まれたらどうしよう。と頭を悩ませた太一。
 だが、疲れに疲れすぎているせいでもう一ミリも何も考えたくないと脳が拒否しているのか、太一はなんとも言えぬ不快感にも似た気持ちを抱えつつ、沼に引きずり込まれるように眠りについてしまったのだった。




 

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