太一を引き取ってくれた親戚もやはり太一をオメガだとして蔑むが、最低限の衣食住は賄ってくれるので、それだけでも太一はありがたいことだと思っている。
 そんな親戚の家へと戻った太一は門をくぐり、部屋だとあてがわれている物置小屋の鍵を取り出した。

 幸い鍵付きなその物置小屋は、それでもやはり乱雑に物が積み重なり、布団と卓袱台、それから先程のタンスだけで精一杯な面積しかない。
 その入り口で適当にサンダルを脱いだ太一は、風呂に入ろうとタンスから着替えを取り出したが、その時ひび割れたタンスの上にある若かりし頃の母と父の写真を見ては、少しだけ口角を弛めた。


 それから音を立てぬよう母屋の勝手口の鍵を開け(風呂やトイレの度に母屋へと行かねばならぬので勝手口の鍵だけは渡してくれている)風呂を借り、なるべくお前は節約しろと煩く言われているので三日分溜め込んだ洗濯物を回した。
 その間に太一は台所で、叔父、叔母、それからそこの息子である太一より四つ上の大学生の息子の朝食を作った。

 毎朝三時に起き、新聞配達の仕事を終え、少しだけ朝陽を浴びてから、朝食を作り学校へ行く。

 それが太一の毎日の始まりであり、中学二年の夏に引き取られ、中学三年になった今ではすっかり日常となっている。
 そうして味噌汁と卵焼き、焼き魚と手際よく朝食を作った太一は、普段なら味噌汁と白米だけを手に物置小屋へと戻るのだが、今日はどうしても伝えないといけない事があるのだ。と唇を結んだ。
 だがその前にとりあえず洗濯物を干そう。と、ちょうどタイミング良く鳴った洗濯物を干すため、太一は外へと出た。
 大丈夫だろうか。と緊張しながら洗濯物を干し終えた太一だったが、よし。と一度意気込み、顔をパシパシと叩いてから母屋の勝手口を開け、いつの間にか起き太一が作った朝食を居間で食べている叔父と叔母の前に、座った。

「……何だ」

 太一の滅多にない行動に眉間に皺を寄せ呟く叔父と、同じように眉間に皺を寄せ訝しげに太一を見る叔母。それを尻目に、太一が頭を下げる。

「高校に、行かせてください」

 静かな朝に響く、太一の真っ直ぐな声。
 それから二人の顔も見ずに、太一は冷たい床にゴンッと勢い良く額をぶつけた。

 朝のテレビ番組から流れてくる、陽気な音。
 窓から入り込む、眩しい夏の日差し。

 そんなどこにでもある朝の食卓風景のその中で、中学生の少年が土下座をしている姿だけが、やけに生々しく異質として浮いている。
 それでも二人は目を吊り上げ、何馬鹿な事言ってるんだ! と怒鳴った。

「あんたが来てからうちの家計がどれだけ苦しくなったと思ってるの!?」
「バイトもしてるくせに薬代だなんだと家に入れるお金も少しのくせして、なにが高校だ!」

 そう激昂する二人に、それでも太一は黙ったまま、頭を下げ続けた。
 ぎりっと握った拳は力を込めすぎて青白く、噛み締めた唇から少しだけ鉄の味がしたが、それでも尚太一はもう一度、お願いします。と頼み込んだ。



 ──母が死に、見知らぬ土地に連れてこられた一年前。
 太一は慣れない土地と知らぬ人達の目に晒されながら、高い薬代の為になんとか中学生でもできる新聞配達のバイトに励んでいた。
 そんなある日、新聞配達をしていた時にふと目に入った高校の制服が、なんとあの写真の母と父が通っていたらしい高校の制服と物凄く似ている事に、太一は気付いた。
 そして『香南高校』が二人の母校だと知った太一は、高校なんて行かなくてもいいと思っていたのだが、どうしてもこの高校に進学したいと思うようになったのだ。

 もう、この世界に母は居ない。
 してもらった事の感謝を、想いを伝えたくても、もう何一つ伝えられない。

 それでも、母と父から授かったこの身を捨てる事など出来ない。と死んだように生きる事を決めていた太一だったが、せめてもの親孝行として、写真の二人に同じ制服を着た自分を見せたかったのだ。
 しかし新聞配達だけではそんなに稼げず、それも薬代にほぼ消え、残った僅かなお金も生活費として支払っていた太一は、勿論高校に行けるお金などなく。
 だからこうして頭を下げる事しか、選択肢がなかったのだ。


 未だ頭を上げず頼み込む太一に、ふと後ろから、

「どこの高校行きたいのお前」

 なんて声が掛けられ、太一はその底冷えするかのような声にびくりと身を震わせた。

「……すぐそこの、香南高校です」

 後ろから、この家の息子である淳の蛇のような視線が痛いほど刺さってくる。
 それに鳥肌を立たせ、それでも太一は歯を食い縛って耐えた。

「ふーん、家からも近いし、高校くらい行かせてあげればいいんじゃない?」

 淳に何を言われるのかと息を飲んでいたが、なんとも予想外に助太刀してくれるらしく。
 だがそれに、らしくないと太一は底見えぬ意図に冷や汗をかきながらも、それでもこのチャンスを逃すものか。ともう一度頭を下げた。

「……学費は自分でなんとかします。これ以上迷惑はかけません。だからお願いします」

 そう必死に頼み込めば、息子の言葉と、高校も行かせずに追い出したらしい、とご近所に言われる事を恐れたのか、

「……何か問題を起こしてみろ。すぐこの家から追い出すぞ」

 なんて渋々了承してくれた叔父。
 その言葉に太一はもう一度深く頭を下げ、ありがとうございます。と呟いた。

 それから学校へ行くために腰を上げれば後ろに居た淳と目が合い、その瞳に顔をひきつらせた太一は小さく会釈をしてから、さっさと物置小屋へと戻った。

 ガチャンッ。と鍵を閉め、扉の内側でハァハァと息を乱した太一。
 淳の、蔑みながらも舐めるように見てくる目が太一は大嫌いで。
 なので極力会わないようにしているのだが、久々に見た淳に未だに寒気が走る体を擦り、物置小屋に鍵が付いてて良かった。なんて思いながらも、太一はタンスの上にある写真を取った。

「……頑張るから、見ててね」

 そうぽつりと太一が呟き、しかしその瞳は柔らかく、屈託のない笑みを浮かべていた。




***



 それから季節は夏が過ぎ、秋を超え、冬になった。

 太一はヒートで生じる遅れや、元々あまり頭が良くないからと、全ての時間を勉強に費やしていた。
 そしてやれるだけの事はやったと試験に望んだのだが、けれどその日、よりによってヒートになってしまった太一。
 しんどくて、苦しくて、死にそうになりながらも、それでも太一は薬を飲み、なんとか這うように学校へ行っては、保健室で試験を受けた。
 熱で朦朧とする中、なんて最悪のタイミングだ。と毒づきながらも、なんとか試験を終えた太一は祈るような気持ちで合格発表までの日を過ごした。

 そして、合格発表の日。

 掲示板に貼られた自分の番号を見て泣きそうになってしまった太一はそれでもなんとか歯を食い縛り、持ってきていた母と父の写真をぎゅっと抱き締めては、四月からこの学校に通うんだ。と久しく感じていなかった喜びに胸をときめかせ校舎を見上げた。




 ──そうして迎えた、念願の入学式。
 最初の学費に教科書代、制服代を将来必ず払います。と約束して立て替えてもらった太一は、父と同じの真新しい制服を身に纏い、桜の花が道を作る香南高等学校の門をくぐった。

 ひらひらと舞い、花道に落ちていく白い花弁。

 入学式が始まるまでまだまだ時間があり、人もあまり居ないそのしんとした校舎まで続く道を、太一は一人歩いていた。
 連なり綺麗に並ぶ、圧巻の桜。
 それはあまりにも美しく、ほぅ。と見惚れながらも、自分は父と母のように惹かれあって、運命のように恋に落ちて、誰かと幸せになることはないだろう。と太一はひっそり目を伏せた。

 誰を愛することもなく、誰に愛されるでもなく、人生を終える。

 そう信じて疑わない太一の考えは到底高校生になったばかりの子が思うような事ではないが、花道の脇のひっそりと一本だけ離れて咲いている桜が目に留まった太一は、吸い寄せられるようにその桜に近付いていった。

 じゃり、と靴底で砂利が鳴る。
 そのままその桜の木の下で、そういえば母が亡くなるまでは毎年こうして家の近所に咲く桜を何の気なしに二人で眺めていた気がする。と些細な日常すぎて思い出としてすら捉えていなかったあの日々の素晴らしさを、太一は悔やんだ。

 ……もっとちゃんと、全部覚えておけば良かった。

 そう目を伏せた太一が、そっと桜の幹に頭を付ける。

 さわさわと髪を撫でていく、穏やかな風。
 鼻を擽る、木々の匂い。
 遠くから聞こえる、雑踏。

 それら全てにしばし浸っていたが、ふいに背後でじゃりっと音がし、太一は顔をあげた。


 桜の花がひらりひらりと視界を遮っては、落ちてゆく。
 その向こう側で目が合った男に、太一はひゅっと息を飲んだ。

 茶髪の短い髪に、長身の男。
 同じ制服に身を包み、太一を見る、その男。

 その眼差しから太一も一切目が逸らせず、ドクンッと訳もなく心臓が高鳴り、身体中の血液が沸騰したかのように感じた。
 体は途端に熱を持ち、電流が流れているのではと思うほどのその衝撃に、太一と男が二人とも黙ったまま、見つめ合う。

 しかしその数秒の沈黙を破った、

「っ、えっ……」

 という男の溢した小さな声を、離れていても直接耳元で聞こえたと錯覚しそうなほどしかと捉えた太一は、けれどもハッとし駆け出していた。



 がむしゃらに体を動かし、突き動かされる衝動に身を任せ、どこに行きたいのかも分からぬまま逃げ出した太一。
 ハァッハアッ、と息は上がり、心臓がドクドクと苦しくて。それから太一は、もうダメだ。と校舎裏の隅で踞り、口元を抑えた。

 ……嘘だろ。なんで、こんなことって……。ありえない。

 荒い息を吐きながら、そう心の中で太一がぼやく。
 こんがらがる頭はそれだけしか考えられず、太一は晴れやかな空に響くチャイムの音すらドクドクと鳴る心臓の音に掻き消されてしまいそうなほど胸を鳴らし、暫く呆然と座り込む事しか出来なかった。


 誰を愛するでもなく、誰に愛されるでもなく人生を終えると思っていた、太一。

 しかしその日、太一は母と父が出会った高校で、名前もどんな性格かも知らぬというのにアルファとオメガの間にのみ存在する、けれど都市伝説とまで言われている魂の番いに、出会ってしまったのだった……。



 to be continued……




 

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