その後 7

 

 車に乗り始めてから、約二時間後。
 もう少しで病院へと辿り着く頃、しかし車内は未だに緊張に満ちていた。

「ひぐ、うっ……、」
「ノア、」

 またしても強烈な痛みが襲ったのか、悲痛な声を上げるノア。
 それを見つめつつ、下に柔らかな毛皮を敷いた後部座席に座るノアの背をシュナが必死に撫で、その様子をテアは助手席から振り返り必死に様子を見守っていた。
 その様子に、危ないからちゃんと座れ。とロアンが声を掛けており、車の中はやはり終始緊張にまみれ、シュナも額にじとりと汗を滲ませながらもノアに声を掛け続けた。


「ノア、ノア、」
「ハッ……、う……、だ、いじょうぶですから……」

 背中を撫でるシュナの焦った声に、ノアが大丈夫だと健気に息を震わせながら呟く。
 ぎゅっとシュナの服の裾を握り痛みに耐えているノアは、しかし少しだけ痛みが弱まったと息を吐き、シュナの肩に頭を預けた。

「だんだん痛い間隔が短くなってますけど、まだ、大丈夫ですから……」
「ノア……」

 ハァッ……、と深く息を吐き、それでも寄りかかってきたノアに少しだけシュナがほっと安堵の息を吐いた、その瞬間。

「っ、ぁ、な、なんか、へん、シュナさ、」
「ノア!?」
「ひ、うぅっ……、ぁ、」

 ふるふると震えたノアが、突然か細い声を上げた。

 それにシュナがどうしたと慌てていれば、じわ、とノアのズボンが濡れていき、途端にびしょ濡れになっては下へポタポタ水が落ちてゆく。

「っ、ノア、これ、破水……、」

 じわじわとシートが濡れていくのを息を飲んでシュナが見つめ、しかしノアは制御できずにポタポタと垂れていく水が恥ずかしいのか、ひうぅ、と声を漏らしてはシュナにしがみつき顔を赤くしていて。
 そんなノアに自分が戸惑っている場合じゃないとシュナは心のなかで自身に渇を入れ、ぎゅっとノアを抱き締めてはこめかみにキスをしながら背中を擦り続けた。

「大丈夫だ。何も恥ずかしくない。赤ちゃんの準備が出来始めてるって事だからな。大丈夫」

 そう囁き、よしよしとあやしたあとシュナがタオルを握って、濡れたノアの服やシート、それから足元を拭ってゆく。
 それにノアは恥ずかしそうに唇を噛み締めながらも、シュナの優しさに嬉しそうにコクンと頷いてはシュナの体に寄り添い、身を任せた。

「ノア、大丈夫だ。大丈夫」
「……はい」
「服、濡れたから病院に着いたら着替えような」
「は、いっ……」
「っ、また痛くなってきたのか」

 またしても陣痛が来たのか、うっ、とお腹を押さえ始めるノア。
 その姿を見慣れる事などなく、シュナが慌てて少しでも痛みを和らげようと、腰を揉む。
 そんな二人を心配げに見守るテアはやはりずっと後ろを向いていて、だがそこで車が停まり、いつの間にか病院の駐車場へと着いていた。


「着いたぞ!」
「ノア! 病院だよ!」
「っ! ノア、病院だ。もう大丈夫だからな」

 バタンッと勢い良く助手席から降りたテアがすぐに後部座席のドアを開き、シュナの腕のなかで痛みに耐えているノアに心配そうに声を掛けている。
 その間にロアンはノアの容態を説明するために病院へと駆けていて。
 そんな頼もしい兄とノアを人一倍心配そうしているテアの姿に、やはり二人に来てもらって良かったとシュナは安堵の息を吐きながら、ロアンや看護士と共に病院から慌ただしく出てくる医者を見た。

「先生!」
「どれ、ノアはどんな様子だい?」
「多分四時間前くらいから陣痛が来てて……、それで、さっき車の中で破水もしてます」
「そうか。とりあえずノアを中へ運びなさい」

 どれどれ。と車の中を覗きながら素早くノアの顔色を確認したあと、シュナの答えに頷いては病院の中へ運びなさいと言う医者。
 その言葉に素早く返事をした男性の看護士達は、持ってきていたストレッチャーを素早く開いてはノアに声を掛けた。

「ノアさん、ゆっくり乗せますからね。大丈夫ですよー」

 そう言う看護士に、されどシュナの腕にしがみついて離れたくないと震えるノア。
 その弱々しい姿に胸が締め付けられる想いでいっぱいになりながらも、シュナは一度ノアの旋毛にキスをしてから、そっと背を撫でた。

「ノア、ノア、大丈夫だから」
「ひっ、うぅっ……や、シュナさ、」
「大丈夫、大丈夫だ、ノア。待ってるから」
「う……、は、い……」

 シュナの慰めにようやくコクンと頷いたノアが、痛みとは別に不安からか涙を浮かべつつ、シュナから腕を離す。
 その涙で濡れた目尻にシュナは口付けをし、大丈夫だと安心させるよう、眉を下げながらも微笑んだ。

 そうしてシュナから離れたノアを慎重にストレッチャーへと乗せた看護士が素早く病院の中へと運んでゆき、それを車から降りストレッチャーに付き添ってギリギリまで見守ったシュナは、パタンと閉じられた集中治療室の扉の前で、ハッと不安から息を吐いた。


 夜間点灯だけがぽつぽつと灯る、薄暗い廊下。
 病院内はしんと静まり返り、その暗さと静けさがより一層不安を掻き立ててくる。

 しかし集中治療室には勿論入れる筈がなく、そわそわと落ち着かないシュナが腕を組みながらうろうろと廊下を彷徨っていれば、ロアンにポンと肩を叩かれた。

「落ち着けシュナ。お前がそうしてたってノアが良くなるでもないんだから、座りな」
「っ、……うん」

 廊下の隅にある、古い木の長椅子。
 そこにテアは既に座っており、だが心配げな表情をしては集中治療室と書かれたプレートを見ている。
 その横にシュナも大人しく座り、それに頷いたロアンもその隣に座った。



 それから約、十分後。

 集中治療室の扉が開き、中から出てきた医者にシュナ達は弾かれるよう立ち上がった。

「先生! ノアの容態は、」
「大丈夫だよ。だが陣痛の間隔も短くなってるし、破水もしてる。いつ産まれてもおかしくない状態だから今から手術室に移動して出産の準備に入るよ」
「っ、はい……」
「ただ、予定日より大分早いし、ノアの体力や様子を見て、私が厳しいと判断したら帝王切開になる事もあると思っていて欲しい」

 いつもの穏やかな顔を潜ませ、真剣な眼差しで医者がシュナを見る。
 その強い瞳にシュナは息を飲み、帝王切開……。と唇を開いたが、しかしそれから不安をぐっと飲み込んでは頭を下げた。

「……はい。ノアと赤ちゃんを、宜しくお願いします」
「うん。じゃあとりあえずこっちに来て同意書にサインしてもらおうかな。でも大丈夫だよ。そんな心配しないで。今のところ帝王切開にする気はないからね」

 深々と頭を下げるシュナの肩を優しく叩き、安心させるよういつもの笑顔を見せる医者。
 それから、こっちで。と受付に案内されたシュナは、医者に背中を撫でられながらも移動した。


 ──通常、女性とは少し違うがオメガ男性も肛門から自然分娩する事が出来る。
 それは生命の神秘と呼ぶに相応しく、ヒート時と同じように子宮口の少し上にある直腸の弁が閉じる事で便が排出される事がなくなり、また多量に分泌される粘液が直腸内の洗浄と潤滑の役割を果たしてくれ、そして括約筋が弛み拡がる事で赤ちゃんが通る道ができ、出産する事が出来るのだ。
 そうしてロアンやテアも自然分娩で子どもを産んでおり、ノアもそれを望んでいるのを勿論知っているシュナだったが、されど帝王切開に関しての書類を息を止めながら読み込んだ。

 やはり手術となるとリスクは格段に上がり、大量出血や感染症などの懸念は拭いきれないだろう。

 もしそんな事になれば。と最悪の事態を想像して足元がぐらつき目の前が真っ黒になっていきそうになったが、しかし自分がしっかりしないでどうする。とシュナは渇を入れ直して、震える手でそれでも同意書にサインをした。

 今のところ自然分娩で行くと言っているし、もし帝王切開になってもあの先生なら何の問題もなく手術してくれるだろう。

 そう深呼吸をしたシュナは記入漏れがないかチェックした看護士が大丈夫ですと言うと、会釈をしてから直ぐ様先程の廊下へと早足で戻った。


「シュナさん、今ノアが中に……」

 覚束ない足取りながらも戻ってきたシュナに、テアが不安からか顔色を悪くしながら、呟く。
 そんなテアが指差した先の、手術室。
 そのランプが禍々しく赤く点灯しているのを見て、シュナは息を飲み込んだ。

 ノアは今どういう状態なのか。赤ちゃんはどのくらいで産まれるのか。

 何一つ状況が分からず、しかし待つだけしか術がない事など知っている三人がやきもきしながらも、椅子に座りじっと待つ。

 ドクドクと絶えず鳴り響く心臓が耳の奥で聞こえる気がし、広げた足に肘を乗せ両の掌で顔を覆いながら、ハァッと溜め息を吐いたシュナ。

 三人ともが辛抱強く、しかし逸る気持ちからか貧乏揺すりをしていて。

 ──けれども、一時間、二時間、三時間と時が過ぎても手術中のランプが消えることも、何の音も聞こえず、いつの間にかもう空は白み始めていた。



 病院の窓から差し込む、朝陽。
 その光が結露を走らせる窓ガラスをキラキラと輝かせ、美しく。

 だがそれすらもどこかぼやけ霞むなか、ただひたすらに祈るよう椅子に深く腰かけていたシュナだったが、しかし突然隣に座るテアがバッと弾かれるよう顔を上げたのを見て、眉間に皺を寄せた。

 一点を見つめているテアに、どうしたんだ。とシュナが心配し声を掛けようとした、その瞬間──。

「ノア……!」

 だなんてテアが呟いたと同時に、【手術中】と書かれた部屋の奥から、微かに声がした。




 

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