その後 6

 

 群れを雪がしんしんと白く染め上げ、子ども達が雪合戦や雪だるまを作って遊んだり、大人達が暖炉を囲んで暖を取ったりと、寒さにも負けず穏やかに平和に皆が日々を過ごしていた、冬。
 だがそれもやがて雪解け、寒さが和らぎどことなく春の風の気配が感じられるようになった今、ノアのお腹はもうすっかり大きくなっていた。


 出産予定まではあと二週間程で、臨月を迎えたノアは少しだけナーバスになっていたが、シュナはそんなノアから一時も離れず側に居てはノアをサポートし続けている。
 そんな中、貧血もあるからと群れでの出産ではなく病院での出産を余儀なくされたノアに、出産後数日は病院に入院するだろうからと、シュナは今小屋で率先してあれやこれやと準備をしていた。
 ……がしかし、シュナ自身も気が気ではなく。
 そんな二人の様子を見兼ねたロアンが今しがた小屋にやって来ては、これは必要、これは不必要。だと選別してくれている。
 そうして周りのサポートも得ながらノアは二週間後には産まれてくるだろう我が子を心待ちに、だが極度の緊張からか顔色を悪くし続けていた。


「っよし、大体こんなもんだろ」
「……ありがと、兄さん」
「ありがとうございます、ロアン兄さん」
「うん。ところでノア、今からそんなガチガチじゃ赤ちゃんも出てこれないよ。だからちゃんと寝るんだぞ。あと朝に食べやすい物持ってくるから」

 だなんてノアの緊張をほぐすよう言い残し、じゃあ俺戻るから。と二人の小屋を出ていくロアン。
 そのオメガとしてはすらりと高い身長と広い背中に、二人は頼れる兄の背を惚れ惚れと見つつ、見送った。

 それきり、しん……。とした小屋内はどこか緊張が漂い重苦しくて。

 その沈黙を裂くようシュナはガリガリと頭を掻き、それからベッドに腰掛けていたノアの隣に座った。

「……頼りなくてごめん」
「っ、そんな事ないです! シュナさんは最高です!」

 シュナの言葉に弾かれたよう顔を上げ、そんな事ないとノアが声を張り上げる。
 それに小さくはにかんだシュナは、そっとノアの小さな手を握った。

「……もうすぐ産まれるんだ。しっかりしないとな」
「……そうですね」
「ああ……」
「無事に産まれてくれるかな……。俺ずっと……、」

 オメガになんてなりたくない。そう思いながら過ごしてきたからと、その長年のストレスが自身の体に何かしら影響しており、ましては赤ちゃんにまで悪影響を与えるような体の作りになっていたらどうしよう。だなんてノアが表情を曇らせる。
 その不安そうな顔にシュナは震えている背中に掌を当て撫でながら、そんな事なんてない。と慰めにもならない言葉を紡ぎつつ、ノアの体を抱き寄せた。

「大丈夫だ。大丈夫。きっと無事に産まれてくれる」
「……はい」
「大丈夫。お前も赤ちゃんも、絶対無事だ」
「はい……」
「愛してる」
「……俺も、愛してます」

 とうとう、ぐすっと鼻を啜りながらノアがシュナの肩に頭を乗せ、それでも頷いては愛していると返事をする。

 その声は震え、か細くて。

 そんな儚い姿と声にシュナは胸が締め付けられる想いでいっぱいになったが、されどただひたすらに背中を撫で、大丈夫だと繰り返し続けた。




***



 ──そうして、二人がまだ予定よりだいぶ先だというのに不安を抱えながら抱き合い寄り添って眠りについた、その夜。
 だがしかし突然、

「う、ぅ……、ひ、」

 だなんて隣から苦しげな声がし、シュナはパチッと目を開けては飛び起きた。


 そこにはベッドの端で丸くなり、脂汗を掻きながらお腹を押さえているノアの姿があって。

 その光景にシュナはショックでヒュッと息を飲み、しかし慌ててノアの背中を撫でた。

「ノ、ノア!! ノア、ノア!! どうした!? 痛いのか!?」

 当たり前に痛いからだろうに、そう声を掛けるしかない自分の不甲斐なさにシュナがやはり申し訳なくなりながらも、ノアの顔を覗き込む。
 そんなシュナに小さくコクンと頷いたその顔は汗に濡れ、必死に歯を食い縛り痛みに耐えていて。
 だがそんな時に自分はどうする事も出来ず、シュナも歯を食い縛り、これは前駆陣痛なのか、それとも本陣痛なのか分からないとおろおろしながらも、ノアの背を撫で続けた。

「どのくらいから痛かったんだ?」
「っ、い、一時間前くらい、からっ、不規則に、痛くて……、」
「一時間前……」
「でもだんだん、規則的に、痛くなってます……」

 シュナの問いかけに、なんとか答えたノアの震えた声。
 それにシュナはまたしても息を飲み、予定よりもだいぶ早い事態に心臓をバクバクとさせながら、しかしちょっと待ってろと言い残してすぐに小屋を出た。


 夜中の群れはしんと静まり返り、暗く。
 獣防止の松明の灯りだけがゆらゆらと揺れている。

 その平和な静けさのなか、しかしシュナは脇目も振らず、リカードとロアンの小屋へと向かっていた。

 すぐさまロアン達の小屋に着いたシュナがドンドンドンッ!! と扉を荒々しくノックする音が辺りを裂き、しかしハァッと焦りで息を乱したシュナが尚もドアを叩き続ける。
 そうすれば、何事だと目を丸くしながらボサボサの髪の毛のまま出てきたリカードに、シュナは回らない舌をそれでもなんとか動かし、口を開いた。

「ノ、ノアが……!ノアが……!」

 上手く口が回らず、たったそれだけしか言えないシュナに、とりあえず落ち着け! とリカードが肩を掴む。
 しかしその横から顔を出したロアンは、シュナの焦りが何なのか悟ったのか、緊張したよう表情を強張らせた。

「待ってシュナ、もしかして陣痛が来たのか?」
「わ、分からない……。前駆陣痛かも……。でも、間隔は短くなってるって……、俺、どうすれば、」
「落ち着け。お前が慌ててどうすんの。どれくらい前から痛いって?」
「っ、い、一時間前って言ってた」
「……一時間。長いな。……よし、今すぐ病院に行こう。素人が判断出来る事じゃないし、異変があるならとりあえず病院に連れて行った方が良い。前駆陣痛でその後痛みが引いたとしても、行かないで陣痛でしたってなるより全然その方が良いでしょ」
「っ、うん」
「荷物、準備しといて良かったな」

 不安で表情を曇らせるシュナに、気分を少しでも明るくさせようとしてかロアンが明るい笑顔を浮かべ、準備が役に立ったな。なんて笑う。
 そのいつも通りの兄の姿にシュナは一瞬呆けたあと、ふっと表情を和らげ、それから自身の顔をバチンッと両手で挟んで気合いを入れた。

「荷物、取ってくる」
「うん。運転は俺がするから車で待ってるよ。お前はノアを連れてゆっくり来な」
「……ありがと」

 お前は心配で運転どころじゃないだろうから。と言外に示す、ロアンの優しさ。
 それにシュナが素直に感謝を述べながら、自身の小屋へと一目散に踵を返す。
 そして小屋に戻りノアの名を呼びながら扉を開けた瞬間、しかし中にはテアが居り、シュナはぱちくりと瞬きをした。


「テア? なんでここに、」
「ノアに呼ばれた気がしたんです」

 そう言いながら、シュナを見ることもなくノアの背中を擦り続けているテア。
 もう真夜中で、きっと寝ていたのだろうテアの髪の毛も寝癖でぐしゃぐしゃだったが、しかし双子だからなのか知らぬその奇妙な絆でノアの様子を見に来たというテアに、シュナが呆けた表情をする。
 だがしかし、うぅ……。とノアの口から漏れた痛々しい声にハッとし、シュナも慌てて側に駆け寄った。

「ノア、ノア、大丈夫だからな。今から病院に行こう」

 そう優しく囁いたシュナの言葉に、やはり脂汗を滲ませつつもノアが必死にこくこくと頷く。
 それにテアが間髪入れず、俺もついていく。と告げ、シュナはアンはどうするのだと言おうとしたが、ウォルがきちんと面倒を見るだろうと考え直し、そのまま来てもらった方がノアにとっても心強いだろうと頷いた。

「よし、ノア、抱き上げるぞ」
「ノア、シュナさんに掴まって」

 二人に声を掛けられながら、シュナの首に腕を回したノアがぎゅっと抱きついてくる。

 ふわりと漂う桃の匂いと、とても強くなったミルクの香り。

 それが幾分か気持ちを落ち着かせてくれ、シュナがゆっくり慎重にノアを抱きかかえた。
 その隣でテアが入院用にと詰めていたカバンを持ってくれ、シュナは刺激せぬよう、あまり振動を与えぬよう、ゆっくりと歩き出した。



 群れから少しだけ離れた場所にある、車。
 そこまでの距離は普段ならなんて事ないというのに、今日だけはまるで終わらないのではないかと思うほど、遠く。
 シュナもじっとりと汗を掻きながら、それでも必死に抱いて歩いては、テアと共に大丈夫だからと繰り返した。

「ノア、もうすぐ車だからね」

 そう優しくテアが声を掛け、ようやくロアンが待ってくれている車のライトが深い森を照らしているのが見えた頃。
 シュナの首筋に顔を埋め痛みに耐えていたノアが、息も絶え絶えに二人にありがとうと呟き、小さく笑顔を見せる。
 その額に光る汗をテアが拭い、シュナは更にそっと自身へと抱き寄せ、二人も微笑み返してはロアンの待つ車を目指した。


「シュナ」
「ロアン兄さん」
「あれ、テアも来たの」
「当たり前です」

 ようやく辿り着き、車の外で待っていたロアンが待ってたよと手を上げながらも、テアが居る事に目を丸くしていて。
 だがしかし、当然です。と言わんばかりに即答されてしまい、……お前もシュナに負けず劣らず心配性だねぇ。と小さく笑みを浮かべたロアン。
 それからロアンもノアの汗で張り付く髪の毛を梳いては、痛いよね。と労りつつ、俺がちゃんと病院に連れていってやるからな。と微笑んだ。

「あり、がとうございます……」

 そう苦しそうに、だがやはり小さく微笑むノアを、そっと慎重に乗せた車がようやくゆっくりと走り出す。

 春の風が優しく吹く、夜の森。

 ライトに照らされた木々達がさわさわと揺れ、これがまるでノアをひっそり見守っているようだった。




 

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