27

 

 ──どこか遠くで鳴く、鳥の声。

 いつしか空は白み始めていて、シュナは先ほどまでノアを何度も何度も抱いて満ち足りた気持ちのまま、しかし無体を強いたと知っているからか、どこか心配そうな声で口を開いた。

「ノア、寒くないか?」

 それにノアはくったりと身をお湯に沈めたまま、半開きの目ながらも、気持ち良いです。と呟き、ほぅ。と息を吐いた。


 二人が何度目か知らぬ行為を終えた、あと。
 小川のすぐそばにある群れのお風呂までノアを運んできたシュナは今、せっせと薪をくべ、お湯を丁度良い温度に保っていた。

 お風呂場もまた小屋のようになっており、しっかりとした屋根や外壁のお陰で、冬でも寒さに凍えることはなく。
 そんなぬくぬくとした温かいお湯にノアはブクブクと顔を半分埋めたまま、群れの誰かが街で買ってきた良い匂いのするシャンプーやボディーソープで先ほどシュナが全身くまなく優しく洗ってくれたお陰で心の底からリラックスした様子のまま、されど小屋の外で寒さに震えながら一生懸命自分が心地好くなる為だけにと考え世話してくれているシュナの名を呼んだ。

「シュナさん」
「ん?」
「シュナさんも入りましょうよ」
「俺はお前を小屋に連れて帰って眠らせたあと一人でさっと入るから良いよ」
「……なんでですか」
「少しでも風呂がぬるくなったら寒いだろ」
「平気です」
「良いから」

 そう言い切るシュナにノアはむくれ、いつもそうやって自分の事を後回しにするのは良くない。と言わんばかりに唇を尖らせたあと、だがこのまま押し問答を繰り返していてもシュナは首を縦に振らない事ぐらいもう知っていると言わんばかりに、奥の手を使う事にした。

「……シュナさんが一緒に入ってくれないと、俺が寂しいです……」

 わざとらしく悲しげな声を出し、広いお風呂で一人は寂しい。だなんてしおらしく呟いたノア。
 あえて俺がというフレーズを入れ、シュナの庇護欲を刺激したノアの作戦は功を奏したのか、数秒の沈黙のあとシュナが重たい腰を上げたのが分かり、ノアはんふふと満足げに口元を両手で覆いながら、幸せそうに微笑んだ。


 それからお風呂場の小屋の外で寒さに凍えながらもせっせと薪をくべていたシュナが小屋の中に入ってきては服を雑に脱ぎ捨て、近くにあった誰のか知らぬシャンプーやボディーソープでやはり雑に全身を素早く洗い、桶でお湯を汲み頭から被ってはブルブルと体を震わせ飛沫を跳ねさせていて、ノアはそんな姿を微笑ましく思いながら眺めていた。
 だがしかし明るい場所で晒されるシュナの少しだけ陽に焼けた、素晴らしく均等の取れた見事な体をまじまじと見てしまったノアは、……さっきまであの体が自分を激しく抱いていたのか。と見惚れ、気恥ずかしく、そしてまたしても浅ましく腹の奥がキュンと疼いたのを感じ、慌てて邪念を振り払うようお湯のなかに顔を潜らせた。


「なにやってんだ」

 ザブン、と隣に入ってきたシュナがノアの奇行に首を傾げつつ、ほら顔上げろ。と促してくる。
 それに従うようノアが顔を上げれば、シュナはノアの張り付いた髪の毛を撫でては後ろに流し、滴る水を拭いながら口を開いた。

「満足か」
「んふふ、はい」

 照れ隠しのよう肩を竦めながら言うシュナに、やはりノアが幸せそうな笑みのまま、頷く。
 そうすればシュナは、良く分からない。と言いたげに鼻を鳴らしたあと、大きな手で自身の髪の毛を後ろへと撫で付けた。

 露になるシュナの形の良い額と、凛々しい眉。
 流した黒髪がそれでもはらりと横に落ち、そのなんとも言えぬシュナの色気にノアはやはり見惚れながら、そっとシュナへと身を寄せた。


 浴室の縁に腕を掛け、背を壁に預けるシュナの腕のなかに収まったノアがパシャパシャとお湯を掬っては遊び、そんなノアを見てシュナが時折小さく笑い、ノアの肩に顔を埋める。
 それはあまりにも平和で穏やかな朝の始まりであり、シュナはそっと唇をノアのうなじへと触れさせ、猫のようにぺろりと肩口を舐めた。

「ひゃう!」
「はは、間抜けな声」

 突然弱い首筋を舐められ、ノアが悲鳴をあげればからかうようシュナが笑う。
 それに身を捩りノアが抗議の声をあげ、仕返ししてやろうと向かい合いシュナの膝の上に乗ったが、しかしシュナの穏やかな笑顔を見てしまえばそんなものどうでも良くなったのか、ノアはシュナの首に腕を回し、ぎゅっと抱きついただけだった。

 ぱしゃり、と跳ねるお湯。

 湯気が二人を包み、上に乗るノアの体には自分が付けた痕がそこかしこに散らばっている事にやはり満足げに口元を弛めたシュナは、それからそっとノアの首筋を撫でた。

「……良い?」

 穏やかに囁き、すりすりと武骨な指でノアの首を撫でる、シュナ。
 それはひどく優しく、シュナの言葉が何を意味しているのか勿論知っているノアは、瞳を伏せ全身を真っ赤にしながらも、そっと首筋をシュナへと晒すよう、傾けた。

「……はい。俺を、シュナさんだけのものにして」

 そう呟いたノアの美しい声は緊張にまみれ、けれども期待に胸を震わせているようで、可憐でありながらも艶っぽいノアのその仕草と台詞に、シュナは小さく唸り声をあげながらも、そっと顔を寄せ先ほどと同じよう、ノアのうなじへ唇を這わせた。

 首筋からは、シャンプーやボディーソープの匂いに混じってノアの甘い甘い蜜のような桃の香りがしていて、ぴちゃ。と舌を出しそこを舐め濡らしたシュナ。
 その愛撫にノアが震え、ぁ、と小さな悲鳴をあげては背を仰け反らせている。
 そんなノアの背をあやすよう撫でながら、シュナはとうとう口を開いてノアの柔い肌に牙を食い込ますよう、歯を立てた。

 ガリッ、と強く皮膚が裂ける音が頭のなかでし、痛さと、それだけではない刺激にノアが目を見開く。

「あっ! は……あぁぁ、」

 思わず漏れたノアのひび割れた声が風呂場にこだまし、ノアが全身を戦慄くよう震わせている。
 噛まれた所からシュナの熱が伝い、自身の体と溶け合いひとつになるような飽和さは鮮烈で、ヒクンッヒクンッと未だ震えたノアは、ぽろりと一粒涙を流してしまった。


「……ノア、大丈夫か?」

 皮膚を突き破った感触は何とも言い難く、しかし永遠に離れる事は出来ない絶対的な刻印を結んだその衝動は、シュナにとっては激しい喜びでしかなくて。
 自身のアルファ性が興奮し滾るのを感じながら、けれども背を仰け反らせたあとぎゅっとしがみつき耐えているノアに、シュナは労るよう背中を撫で続けた。

「だい、じょうぶです……」

 そう微かに笑うノアの美しい首筋にはしかし、ハッキリと噛み痕が浮かび、血が滲んでいる。

 それを舐めとりながら、シュナは舌先に広がる甘さと自身の匂いを纏い織り込んだノアの新しい香りにやはりアルファ性が満足げな唸り声を腹の奥であげるのを聞きながら、ノアをきつく抱き締めた。

「……まだ痛いか?」
「もう痛くないです。むしろ、その……、き、気持ち良かった、です、し……」

 だなんてノアがもじもじと身を捩り、ぽつりと呟く。
 その言葉にシュナは一度目を瞬かせ、それから、オメガにとってはただの苦痛でしかない行為ではなくて良かった。と破顔した。

 ──番いになるということ。

 それがどれほど素晴らしく満ち足りた気持ちになるのかを知った二人は、広い浴室のなかそれでもぴったりと密着しゆらゆらと揺れるだけで。
 それからようやく衝動が落ち着いたのかノアは恍惚とした表情でシュナの頬を両手ではさみ、すりすりと鼻先を触れ合わせたあと、自らシュナの形の良い唇にそっとキスをした。

「愛してます、シュナさん……」

 涙で濡れた声で呟いたノアの表情は、息を飲むほど美しく。
 愛らしい瞳を細めて微笑むノアのその姿を、射し込む朝の光が輝かせている。

 まるで世界中の美しいもの全てを集めたかのようなノアのその笑顔にシュナは何度目か知らぬ恋に落ちる音を耳の奥で聞きながら惚けた表情をし、それからふにゃりと犬歯を見せる可愛らしい笑顔を浮かべ、小さく肩を揺らした。

「俺も愛してる」

 やはりそれだけしか伝えられず、それでもそれだけで十分なのかもしれない。とシュナはノアの背を撫であやしながら引き寄せ、お互い美しく微笑んだまま、優しいキスを何度も何度も繰り返した。




***



「シュナさん、抱っこ」

 名残惜しみつつもお風呂から上がり、ノアを丁寧にタオルで拭い綺麗な服を着させたシュナが自身の身支度も終えた、その瞬間。
 ずいっと目の前に差し出されたノアの一回り小さな手。
 そしてその仕草と共に寄越された言葉は無遠慮で甘えきっており、シュナは近くを流れる小川の音を聞きながら、初めて出会った日の事を思い出し、笑ってしまった。

「もう子どもじゃないんじゃなかったか」

 そうくつくつと喉を鳴らし笑うシュナにノアが一度首を捻り、それから頬を染めたが、しかし尚もシュナに腕を差し出しては、口を開いた。

「はい。俺はもう子どもじゃありません。でも俺はあなただけのオメガですよね? アルファは番いのオメガに優しくする必要があります」

 えっへん。とふんぞり返り、誇らしげな表情をするノア。
 その姿はあまりにも可愛らしく、シュナは堪らず顔を掌で覆い、可愛さに死ぬ。と内心のたうち回りながらも、シュナさん? と不思議そうな声をあげたノアの体を勢い良く抱き上げた。

「うわぁ!! ちょ、急にはやめてくださいよ!!」

 突然の浮遊感にノアが驚きの声をあげ、抗議する。
 されどそれはほんの一瞬で、嬉しそうにぎゅっとしがみついてきては幸福の吐息を漏らすノアにシュナはやはりメロメロになりながらも、寒くないようにと持ってきていた毛皮でノアを包み群れへと戻った。



 朝陽はキラキラと森の木々を輝かせ、空はどこまでも澄んで青く、浮かぶ雲はなだらかに流れていく。

 その美しい朝の風景をシュナに抱き抱えられながら眺め、数年前まではこんな未来など想像すらしていなかった。と自身の体を包むシュナの匂いのする毛皮や優しく抱き締める腕の強さ、そして混ざり合うお互いの匂いに心からの安堵の息を吐いて、ノアが小さく鼻を啜った。

 それは想像もしていなかった、けれどもとても素晴らしい未来で。

 そしてそれを全てくれたのはシュナさんだ。とノアはまたしても泣きそうになりながら、しかしぎゅうぎゅうとシュナにしがみつき、この幸せは絶対に手離さない。と心に強く誓ってはシュナの首筋に顔を埋めた。

 強くて、優しくて、穏やかなシュナの匂い。

 それを肺一杯に吸い込んだノアが自分は世界一幸せな人間だ。と表情を弛ませ、シュナもまたぎゅうぎゅうと抱き付いてくるノアから幸福な匂いを感じ、微笑んだその瞬間。


「ウォルがアルファになった!」

 という群れの誰かが大声で叫んでいる声が聞こえ、思わずピタリと足を止めた。
 それからシュナとノアは顔を見合わせたあと、それはとても素晴らしい事だ。と表情を明るくさせた。

「シュナさん、今の聞きましたか!?」
「ああ」
「あはは、凄い!! これでテアもウォルと番いになれます!!」
「そうだな」

 誇らしげに笑うシュナに、ノアも嬉しげに微笑み返す。
 そして、自身の魂の片割れであるテアもこの幸福をきっとあと何年後かには手に入れるだろうとノアも誇らしく幸せな気持ちになりながら、早く群れに戻りましょう! とシュナを急かした。

 その言葉に小さく、こき使うな。と鼻を鳴らしたシュナだったが、やはりノアの望み通りにしっかりと抱き抱えたまま走り出し、その躍動さと過ぎていく木々にノアが楽しげな笑い声をあげる。

 その声は本当に美しく、幸せに満ち溢れており、変わらず穏やかで幸せな毎日が今日もまた始まるという期待に胸を高鳴らせながら、シュナもやはり頬を弛め笑った。

 朝陽はそんな二人を優しく暖かく、ただそっと見守り照らしていて、それは全てが完璧な、とても幸せな朝だった。



(完)




 

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