24

 

 変わらず空気は冷たく凍え、けれども触れる身体は温かく、互いの間で混じり浮かぶ吐息が緩やかに昇っては消えていく。

 そのひんやりとした心地良さの中、この一ヶ月間ずっと焦がれていたノアがようやく腕の中に居ることに、シュナは肺一杯に満ちる大好きな、だがとても魅惑的なノアの甘い桃の香りを吸い込んだ。

 頬も耳も鼻の先も、寒さとそれだけではない感情から赤くしているノアはひどく愛おしく、……本当に馬鹿げていた。と考えすぎてしまった為にノアをこんなにも泣かせてしまった己を未だ悔いながら、そっとノアの頬を撫でるシュナ。
 それに幸せそうにはにかみ、自らもすりっと頬を掌に擦り寄せてくるノアにはもう、どこにも警戒心などはなく。
 むしろ息を飲むほど可愛らしくて、堪らず少しだけ熱を持ってしまった瞼を労るようそっと撫で、そこにちゅっと口付けをしたシュナに、ノアが身を震わせくすくすと笑ったが、その声はとても穏やかで柔らかかった。

「ふはっ、擽ったいです、シュナさん」
「んー……」

 ノアの抗議にすらなっていない声に間延びした返事を返すシュナが、ここ一ヶ月の足りなかったノア成分を補っているのだ。というよう、唇以外の顔中、こめかみや頬、睫毛に鼻先と至る所に唇を落とす。
 それにシュナの首に腕を回したまま身を捩るも、ノアはやはりくすくすと笑い受け入れるだけだった。


「……この一ヶ月、辛かった……」
「……俺も、です……」

 たかだか一ヶ月のすれ違いだったというのに、まるで何年も離れていたかのようそうぼやいたシュナが、ぎゅむぎゅむとノアを抱き潰す。
 しかしそれはノアも同じだったのか、俺もと呟きながらシュナの首に顔を埋めては匂いを嗅いでいて。そのノアの長い睫毛がうなじをちくちくと攻撃してくるいつもの痒さに、シュナは愛しげに瞳を細めたあと、そうだ。と体を離した。

 そうすれば、何で。というよう途端に不満げに表情を曇らせたノアは分かりやすく、その愛らしさにシュナは指を伸ばしそっとノアのまろい頬を撫でながら、穏やかに笑った。

「渡したい物があるから取ってくる。ちょっと待っててくれ」

 そう言ったシュナの言葉が何を意味するのか、数秒経ったあと理解したのか、コクコクと首を激しく上下に振ったノア。
 その顔はもう何処にも翳りなどなく期待と興奮に満ちていて、シュナは赤くなっているノアの鼻先に一度自身の鼻をすりっと押し付けたあと、立ち上がりその場を後にした。



 それからシュナは、今までの人生の中で一番速く走っている気がしながら、脇目も振らず森の中を駆け抜け、群れへと戻った。
 息は弾み、凍える肺は痛んだが、それでも幸福だけが身を浸していて、自身の小屋へと矢のように飛び込んだシュナは渡す予定など無かった物達を手当たり次第かき集め、それからそれを毛皮で包み、小屋を出た。


「シュナ?」
「……ああ、アストル」
「どこに行くの? ノアとの話は上手くいった?」

 小屋から出た瞬間、シュナを見かけたアストルが驚き声を掛け、それから心配げな表情を浮かべていて。
 それにシュナは安心させるよう笑みを浮かべながら頷き、だから急いでいるのだ。と言わんばかりの態度を取れば、合点がいったのかアストルも途端に瞳をキラリと輝かせながら笑顔を浮かべた。

「ほんとか!?」
「ああ」
「……わー、やっとだよ。ほんとこの二人は……」

 そう感嘆とも呆れとも取れる息を吐きながら、それでもアストルが嬉しげに笑う。
 それは、どうせ些細な事で一ヶ月もすれ違っていたんだろう。という安堵と、それに付き合わされていたこっちの身にもなれ。と群れの雰囲気をピリつかせていた二人に対するちょっとした小言も含んでいて。
 そんなアストルに、すまなかったな。とシュナが素直に謝れば、またしてもアストルが声をあげて笑った。
 その底抜けに明るい笑い声が辺りに響き、シュナもまたこの一ヶ月の間で今日が最も幸せだと口の端を上げ笑ったが、しかしそれから、それじゃあ。と足早に来た道を戻っていった。

 辺りはもうすっかり夜に浸かり暗く、だがしかし迷いなくシュナの背が森に消えたのを見たアストルは、ようやくあの二人が上手くいった。とやはり幸せそうに声を上げて笑ったのだった。




***


 シュナが息を切らしながら、二人だけの秘密の場所である今は咲いていない花畑へと戻れば、ノアはぎゅっと身体を抱くよう座りながら、夜を見ていた。

 その月明かりに照らされた儚い姿はとても美しく、だがシュナが戻ってきたと気付いた瞬間、弾けるよう顔をシュナへと向け笑顔を浮かべるノア。
 それは変わらず愛らしく、キラキラと月明かりに照らされたノアの瞳が細まり、魅力的な唇は綺麗に弧を描きながら、シュナの名を呼んだ。


「シュナさん!」

 甘く柔らかく、だが凛としたノアの声。
 そしてもう待っていられないと言った様子で立ち上がったノアがシュナの元へと駆け、しかし目の前でぴたりと止まっては、ソワソワと落ち着かない様子でシュナを見つめた。

 少しだけ上目遣いをし、唇を一度噛んだあと、ノアがじっとシュナを見つめる。

 その表情は愛らしいのにどこか妖艶で、こんなにも綺麗な人間が居て良いのだろうか。なんて馬鹿な事をぼんやりと考えながらも、シュナはノアに手を差し出すよう促し、微笑んだ。

「両手、出してくれ」
「……はい」

 緊張からか顔を赤くし、声を震わせ上擦ったまま返事をしたノアが、ゆっくりと手を差し出す。
 その手は震えていて、シュナもまた同じよう心臓をドクドクと高鳴らせながら、渡す事すら出来ないと思っていた物を毛皮に包んだまま、そっとノアの手の上に乗せた。


「……え」

 そう呟いたノアの声が、冷たい空気に溶ける。
 まさか分厚い毛皮の塊のまま渡されるとは思っていなかったのか、困惑するノアを他所に、シュナはその手の上に乗せた毛皮を開き、ノアを見た。

「……これは狩りの時に見つけたやつで、こっちは川で探してきた。これはお前に似合いそうだと思って作った物で、」

 そう言いながらシュナが穏やかに微笑み、ノアの手の上、毛皮に包んでいた物たちを見せる。

 そこには珍しいハート型をしたどんぐりや、綺麗な石、美しい花の栞などが沢山あって、シュナは恥ずかしそうに首の後ろを掻きつつ、犬歯を見せながら可愛らしく笑った。

「……どこに居てもお前を想ってた。全部お前にあげたくて。だがアルファがオメガに物を渡すのは求愛でしか許されないから、ずっとずっと、貯まってく一方だったんだ」

 そっと囁くよう優しく深い声でシュナが呟けば、ノアが毛皮の上に広がる様々な愛らしく綺麗な物たちを眺め、それからシュナを見る。
 その瞳はキラキラと涙で揺れ始めていて、ノアが何かを口にしようとしたが、しかしそれを制するよう、シュナが先に口を開いた。

「でもこれは最初の贈り物じゃない」

 そう言いながら羽織っている厚手の服の胸ポケットから、シュナがごそごそと取り出したもの。

 それは紛れもなく、あの川辺で眺めていた、美しい金色と極彩色の羽根で作ったブローチで。

 そのあまりにも繊細で美しいブローチを見たノアが、ヒュッと息を飲む。
 そんなノアにシュナも緊張したよう咳払いをひとつし、ノアの手の上にある物たちを毛皮でもう一度包み込んでは、そっと地面へと降ろした。
 それからシュナはノアにそのブローチを差し出し、耳の縁を赤くしながら深呼吸を数回繰り返したあと、ようやくゆっくりと囁いた。


「……受け取ってくれますか、ノア」

 緊張にまみれた、だがとても柔らかな深い声で紡がれた言葉。

 その言葉にノアはシュナの手の中で月の光を浴びキラキラと輝くブローチを眺め、それからはくはくと喘ぐよう唇を戦慄かせながら、そっと慎重にそのブローチを手に取った。

「……こんなに綺麗なものを、生きてきて今まで見たことがありません」

 シュナの手から受け取り、自身の手の中にあるブローチを壊れぬようそうっと指先でゆるゆると撫でながら、ノアが呟く。
 その声は神聖さに潜められ、とても美しく、ノアは感嘆の息を吐いたあとしっかりとシュナを見た。

「ありがとうございますシュナさん……。大事にします」
「っ、あぁ、」
「……あなたは俺のヒーローで、そして俺の最愛の人です、シュナさん」
「っ、」
「……シュナさんはさっき、運命だと思える人に会えるよなんて言ってましたけど、俺にとってはシュナさんが俺の運命の人です。俺はきっと、この瞬間の為に、オメガとして生まれてきたんだと思います」

 光も希望もない場所から救い出してくれて、愛を教えてくれたのは、他の誰でもなく、あなただから。
 
 そう言うようにしっかりと真っ直ぐ見つめてくるノアの美しい瞳から真珠のような涙が落ち、けれども美しい顔で微笑んでいる。
 それは心からの喜びであると示すには十分で、シュナは安堵の表情を浮かべながら、ノアの腰に腕を回した。


「……俺も、お前と共に生きる為にアルファとして生まれたと思うよ、ノア。……愛してる」

 この身を突き破らんばかりの愛しさを伝える術はやはりこの言葉しかなく、シュナがもどかしさを抱えつつも、それでも少しでも伝わってくれれば良い。とノアを抱き寄せる。
 そうすればノアも抵抗することなくシュナの首に腕を回し、しがみつくよう抱きつき返しては肩に顔を埋めたが、シュナはじわりと肩口が濡れていくのを感じた。

「……シュナさん、愛してます」

 ぐすぐすと鼻を啜りながら涙声で紡がれた言葉はシュナの身を震わせ、同じようシュナも涙声で、うん。と返事をし、柄にもなく鼻を啜る。

 ……はぁ。と吐き出した唇から漏れてゆく、白い息。

 夜の森はざわめき、けれども月はたおやかに地を照らしていて。
 その中で感じる冷たいノアの髪の毛の感触も、腕のなかにある暖かな温もりも、そして泣きながら愛していると言ったノアの声も、全て一生忘れないだろう。とシュナは心に刻みながら、堪らず空を仰いだ。

 情けなくも溢れそうな涙のせいで、しかし夜がより一層輝きを放っている。

 そのキラキラゆらゆらとした空をぼんやりと眺めながら、シュナはまたしても盛大に鼻を啜った。
 それは、……今この目に映る全てが美しい。と間違いなく言えるほど、綺麗で静かな、夜だった。




 

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