命の恩人であるスーパーヒーローと再会出来たかもしれない。と心踊らせた翠は、お礼言いそびれたし帰りに待ち伏せでもしようと意気込んでいたのだが、それは流石に引くだろ。と言う圭と稔によって阻止されてしまい、それなので翌日、翠は早朝の人もまばらな駅に一人ぽつんと立っていた。

 帰りが駄目なら翌朝偶然を装って声を掛けよう。

 というなんとも安易な、しかし本人にとってはどうしたものかと一晩中考えに考えた結果であるようで、そんな間抜けで若干の執念染みた想いで翠は始発から駅に立っているのである。

 もし昨日はたまたまあの時間帯の電車に乗ってたとしたらその時間に行っても会えないし、なら始発から待てばいいや。というやはり安直な考えで、改札から来る人をくまなくチェックする翠。
 だがやはり当たり前だがこんな朝早くから来る訳はなく、しかもあの高校生がこの駅から乗ってくる可能性の方が低いというのにそれは考えつかなったらしい翠はしかし嬉しそうにずっとずっと、ただひたすらに待っていた。


 秋といえどもう肌寒く、すらりとした美しい鼻の先をちょこんと可愛らしく赤く染めた翠が小さく鼻を啜る。
 宝石のような淡い水色の瞳を縁取る長いプラチナの睫毛は朝露に濡れたかのようにしっとりと可憐で、時折寒さで紅を乗せたような綺麗な唇を開いたり結んだりするその様は実に美しく、通り過ぎて行く人々は皆陶酔したようにその姿を見ていた。


 そうして一時間、二時間と過ぎ、人が増えてきた駅内はあっという間に混雑し、もはやこの中であの高校生を見つけることは無理かもしれない。と翠が辺りをキョロキョロしたあと溜め息を吐いたその時。

 雑踏の中から不意に、昨日聞いたあの凛とした声がした。

 その声のする方へとバッと顔を向ければ、どうやら何か落とし物をしたらしい人に声を掛け共に探してあげているようなあの高校生が居て、翠はドクンッと鳴る心臓を感じながら、絶対あの男の子だ! と胸をときめかせた。

 それからすぐに落とし物は見つかったのか、お礼を言う人に同じよう頭を下げながら電車を待っている、あの高校生。
 長い前髪と眼鏡のせいで表情は良く見えず、それでもその落ち着いた佇まいと真っ直ぐ伸びる背筋に、翠はポーッと見惚れたまま、声を掛けようとした。

 だがそこでふと、いやでも突然隣のバカ校の生徒に話しかけられるなんて嫌かなぁ。それに、いつもこんな風に人助けしてるなら俺の事なんて覚えてないだろうし。

 だなんて一度見れば絶対に忘れられる事などない様な美貌の持ち主のくせそんな事を考えた翠は、声を掛けていいのか駄目なのか分からず、うんうんと唸りながらいつの間にか人混みに押されふらふらと歩いていた。


「キャアッ!」

 突然隣で女性の悲鳴が聞こえた翠がハッと顔を上げる。
 その悲鳴はどうやら翠を見て発せられたようで、気付けば線を越えていた翠はホームへと転落してしまいそうになっていた。

 あっ、やば。

 そう翠が思った瞬間、グイッと後ろから強く腕を引かれ、ふらりと揺れる体。

 え、と思ったと同時にトンッと腕を引いた人に体が優しく触れ、慌てて顔を反らして見れば、そこにはなんとあの高校生が立っていた。


「……大丈夫ですか」
「……う、あ、」

 目の前にその高校生の顔があって、髪の毛と眼鏡の奥から覗く一重の目に見つめられた翠が、ハッと息を吐く。
 その瞳は記憶のなかのあの少年と全く同じで、まるで発光しているかのようにその高校生の姿が輝いて見えた翠は、突然の動悸と息切れに見舞われながら目を見開いて固まってしまった。


「……あの、」

 腕を引かれた体勢のまま顔だけで振り返ったかと思うと微動だにしない翠に、高校生が声を掛ける。
 だがその瞬間いつの間にかホームへと入ってきていた電車が閉まり通り過ぎて行ってしまい、その高校生は、あ。と声を上げた。


 その声にようやくハッとした翠は慌てて距離を取り、それから深々と頭を下げた。

「ごごごごめんなさい! あのっ、俺のせいで電車、あっ、それに昨日も今日も迷惑かけてっ、俺っ、」

 申し訳なさや恥ずかしさなどの感情が一気に押し寄せ、しどろもどろになりながら謝る翠。

 ……ほんと何やってんだ俺。迷惑ばっかかけて。

 そう翠が泣きそうになりながら駅のガムが張り付いている汚い床を見る。
 だがそんな翠に、高校生はけろっとした声で言った。

「大丈夫です。電車なんて待ってればまた来ますから。むしろ助けられて良かったです。それより昨日のって、俺の事覚えてくれてたんですね。あのあと大丈夫でしたか?」

 事も無げに言ってのけ、そして昨日の心配までしてくれるその優しさに翠が顔を上げれば眼鏡の奥の瞳や顔がやはりあの少年そのもので、翠は全身が熱くなり、顔が赤くなったのを感じた。


「あれ、顔が……。もしかして風邪引いてます?」

 翠の赤面を熱だと勘違いしたのか、先程よりも心配そうな顔をした高校生が翠の顔を覗き込む。
 その距離の近さに益々心臓はドコドコと鳴るばかりで、翠は本当に熱が出ているのではと言いたくなるほどプシューッと頭から湯気が出るような感覚に陥り、こ、これ、なに!?と一人焦った。

「大丈夫ですか? ちょっとあっちで休みましょう。歩けますか?」

 ふらっと体を揺らし顔を赤くしている翠に本格的に風邪だと勘違いしたその高校生が遠慮がちに、けれど優しく翠の腕を取る。
 その掌が記憶の頃よりも当たり前だがずっとずっと大きくて、それでも変わらず温かくて、翠は何故だか泣きそうになってしまった。

「だ、だいじょうぶだから……気にしないで」
「いやでも、」
「ほ、ほんとに大丈夫だから、ありがと、ごめんね」
「……」

 俯き、目元を潤ませズビッと鼻を啜りながら言う翠に、そんな訳ないだろうと無言で見つめてくる高校生。
 その真っ直ぐな眼差しにやはり胸が詰まってしまい、翠はぎこちなく笑みを浮かべながら、本当に大丈夫だから。と呟いた。

 自分でもなぜこんな感情になっているのかも泣きたくなるのかも分からない翠は気を立て直すよう一度深呼吸をし、未だに納得のいっていない様子の高校生に話題を変えるよう、パッと表情を明るくしながら声を上げた。

「あっ、あのっ!」

 翠が勇気を振り絞り、昨日も今日も迷惑かけたし、お詫びさせて欲しい! と言おうとした瞬間。
 まもなく電車が参ります。黄色い線の内側までお下がりください。というアナウンスが流れ、翠はあっと表情を曇らせた。

 それから程なくして、やって来た電車。

「あっ、の、乗らなきゃね!」
「え? いや、本当に体調大丈夫ですか?」

 自分が遅刻しようがどうしようが気にもしないが流石に相手まで遅刻させるのはと焦る翠を他所に高校生は未だ翠の心配をしていて、その優しさにやはり翠はギュンッと心臓を鷲掴みにされる感覚に陥りながら、本当に大丈夫だから! めっちゃ元気だよ! アハハ! だなんて空回りの勢いで笑った。


 そうして二人して電車に乗り込んだが、未だ通勤時間帯の車内は混雑しているようだった。

「……大丈夫ですか?」

 出会った時も、そして昨日も今日も、今も尚大丈夫ですかと声を掛けてくるその高校生は壁側に居る翠を守るよう腕で囲いながら、至近距離で見つめてくる。
 その格好良さと優しさに翠はひたすらにドキドキとしたまま、胸元で抱えている鞄をぎゅうっと抱き締めつつ、コクコクと頷いた。

「だ、大丈夫。迷惑ばっかかけてほんとごめんね」
「迷惑だなんてかかってませんよ。本当に体調大丈夫ですか? 苦しくないですか?」

 そう見つめてくる高校生は翠を虚弱体質だと思っているのか、それとも常に誰にでもここまで優しいのか分からないまま、翠はやはりどもりながら大丈夫と返事をした。

 揺れる電車。
 その度に少しだけ近寄る体にドキドキとして息苦しく、それでも何か話したい。と翠は声を掛けた。

「えっと、あの、俺、北高の二年の、冬月翠」
「あ、やっぱり。制服の刺繍青色ですもんね。俺は南高の一年の、音無です。音無隆之」

 学ランに入る北高というネームの色は今の三年が緑、二年が青、一年がえんじとなっていて、それをやはり隣の高校だからか知っていたらしいその高校生、もとい隆之が小さく笑う。
 隆之の通う南高校はネクタイの色が学年ごとに違い、今の三年が青、二年がえんじ、一年が緑となっているようで、それを翠も知っていたし記憶のあの子は自分よりも背丈が小さかった事から年下だろうと思っていたため一年という事に驚きはしなかったものの、小さな笑顔と名前を聞いただけで翠は空をも飛べそうなほど嬉しく、おとなし、たかゆき……。と心のなかで名前を復唱した。

「お、音無君、本当にごめんね。俺のせいで二日間連続遅刻だよね」

 たかだか名字を呼んだだけだというのにひどく気恥ずかしく、翠は自分でも君付けなんて柄じゃないと知りつつもそれでも嬉しくて、頬を紅色に染めながら今日何度目か知らぬ謝罪を口にする。
 しかし隆之はやはりごめんなどと言わなくてもいい。という顔をしただけだった。

「俺もともと朝弱くて良く寝坊するんです。だから今更遅刻が増えた所で痛くも痒くもありませんから気にしないでください」

 きっと翠の申し訳なさを和らげようとわざとおちゃらけた言い回しをした隆之がそれから、そういえば、と翠に尋ねた。

「そういえばさっき、電車が来る前何か言いかけてましたよね、なんですか?」

 揺れ動く電車のせいでぴたりと密着してしまいそうなほど至近距離になり、ぐっと壁に手を付いて翠を押し潰さないよう配慮しながら聞いてくる隆之のその声が大して身長差がないせいでダイレクトに耳元で聞こえ、翠は更に縮まる距離と耳にかかる吐息、それからふわりと香る爽やかな匂いにまたしても盛大にドクンッと心臓を鳴らし、目の奥でチカチカと星が瞬くのを見た気がした。


「はわわわわ」
「はわ、……え?」

 思わず漏れた翠の間抜けな声に隆之が不思議そうな顔をして、翠を覗き込む。
 その純粋な眼差しが余計に眩しくて、えっ何これ無理死ぬ!! と翠は鞄で顔を隠しながら、はくはくと唇を震わせたあと言葉を紡いだ。

「……あああのっ、め、迷惑かけたお詫び、させて欲しい!」
「お詫び?」
「うん!」
「さっきから言ってますけど本当に迷惑とか感じてないんで、お詫びだなんてしなくて良いですよ」
「……っ、じゃ、じゃあ、お礼! お礼、する!」

 本当に気にしなくて良いと断るその言葉に鞄をバッと下げ顔を見つめた翠が尚も食い下がれば、一瞬だけ呆けた表情をしたあと、ふはっと隆之が笑った。

「それもいいですって。俺がしたくて勝手にしたんですから。あ、でも、ちゃんと前見て歩いた方が良いとは思います」

 小さく笑いながら、まるで幼稚園児に言うような言葉を投げてくる隆之に翠は益々顔を赤くしながらも、う、うん! 気を付けるね! だなんて馬鹿丸出しの返事をしてはコクコクと一生懸命頭を上下に振る。
 その姿は本当に幼稚園児のようで、なんだかツボにハマったらしい隆之はまたしてもふはっと笑みを浮かべていた。



 そうこうしている内に電車はあっという間に学校がある最寄り駅へと着いてしまい、二人は電車から降りた。
 昨日は自分に向けられる視線や言葉にうんざりとしていた翠だったが今日はそのどれもが全く気にならず、むしろ隆之だけに神経を集中させていたようで、今も尚隆之がさも当然というように一緒に並んで歩いてくれている事が嬉しく、天にも昇るような気持ちで一杯だった。

 めちゃくちゃ優しいし、やっぱ超格好良いし、しかも絶対あの時の子だし!

 そう心のなかで悶々としながら、何故か叫びジタバタと暴れたい衝動に駆られる翠はされど、まるで借りてきた猫のように大人しいまま隆之の隣を歩いている。

 その伏し目がちな姿は息を飲むほど美しく、キラキラとした髪の毛や真っ白な頬、長い睫毛や艶々の唇を太陽が完璧な美だと讃えるよう、照らしていた。


「それじゃあ」
「あっ、」

 ポーッと隆之に見惚れながら歩いていれば駅を出てすぐの所にある学校の為、数分でちょうど反対側へと渡る横断歩道へと来てしまい、隆之はそれじゃあと挨拶をした。──のだが、翠は咄嗟に腕を伸ばして隆之の制服の裾をちんまりと詰まんでしまっていた。

 ぎゅっと、控え目に自分の服の裾をそれでも掴んでいる翠に、隆之が不思議そうな顔をする。
 そんな隆之の反応に離れがたくて反射的に掴んでしまった様子の翠はハッとし、慌ててパッと手を離した。

「っあ、ご、ごめんね……」

 何やってんだ。俺。とカァッと頬を染めながら謝り、俯く翠。
 しかしそれを違う方へ解釈したのか隆之は一度考えるような素振りをしたあと、すぐ側にあった自動販売機を指差した。

「……じゃあ、あれ、奢ってください」

 どうやら翠が未だにお詫びだかお礼だかを気にしていると思ったのであろう隆之がそう言えば、一瞬だけポカンとした表情をしたあと、勿論そのモヤモヤもあった翠が途端にパァッと表情を明るくさせた。

「うん! うん! 奢る!!」

 首がもげてしまうのではと言いたくなるほどの勢いでぶんぶんと首を上下に振る翠にまたしても隆之がふっと笑いながら、二人は自動販売機の前へと移動した。

「えへへ、何本でも奢るよ!」
「ふっ、……いや、一本で十分です」

 花をも恥じらうほどの可憐な笑顔に似合わずアホッぽい笑い声を上げながら財布を取り出し見つめてくる翠に、隆之が吹き出しつつ遠慮する。
 それに、え、でも。と今度は残念そうな表情をした翠がとりあえずと財布から小銭を出そうとしたが、何分未だに緊張しているせいで小銭をばら蒔いてしまった。

「あわわわっ」
「あははっ!」

 焦る翠と、堪えきれなくなったのか笑い声を出した隆之。
 翠からすればなぜ隆之が笑っているのか分からず、へ? と呆けていると隆之が道端にしゃがみこみ小銭を拾い始めたので、慌てて翠も自分がばら蒔いた小銭を拾った。


「あぁぁ……、ほんと何から何までごめんね……」
「ふふ、いえ、俺の方こそ笑ってすみません」

 格好悪い所ばっかり見せてる。と翠がへなへなと力なく呟けば隆之が悪いと思ったのか、口元を掌で隠し笑いを堪えている。
 その一見あまり感情を見せないようなタイプに見えるがどうやら違う様子の優しい眼差しにまたしても翠が見惚れていれば、不意にトンッと指先が触れた。

 そんな何気ない、然り気無い接触だというのに翠は顔を赤くし、微かに触れた隆之の武骨な指にときめいてしまって、その手を見た。

 自分の少々華奢な手とは違う、男性らしい筋と血管が浮く、大きな手。

 身長は大差ないのにどうやら手は隆之の方が一回りほど大きいらしく、そんな男らしさに同じ男だというのにキュンッと胸を高鳴らせた翠は、なんだコレ。とやはり謎の苦しさに苛まれながらも、お金を拾い終わり立ち上がった。


「じゃあ、これで」

 そう指差す隆之が選んだのはお茶のペットボトルで、他には要らない? と翠は聞いたがやはりまたしても笑いながら十分ですと言われてしまい、これじゃあお詫びにもお礼にもならない。と翠は少しだけしょんぼりとしながら、ついでにこの自動販売機にしか売っていないお気に入りの苺ミルクの缶を買った。

 ガコンッと落ちてくる缶。

 隆之のお茶を取る前に苺ミルクのボタンを押したため取り出し口でお茶のペットボトルと苺ミルクの缶が重なり、取るのに苦労しながらも翠が、はい! と隆之にお茶を渡せば、やはり何故か少しだけ笑われてしまった。

「ありがとうございます」
「いやむしろ俺の方が色々ありがとうだから!」
「だからそんな事ないですって」

 そうふわりと笑った隆之がタイミング良く変わった信号を見て、それじゃあと歩き出す。
 その背に、あっ。と思ったが今度こそ引き止める事など出来るわけなくて、名残惜しむよう、バイバイ! と翠がその背に声を掛けぶんぶんと手を振れば、隆之が振り返った。


「じゃあまた、冬月さん」

 翠がほぼ無理を言って買わせて貰ったとも言えるお茶を手にして、にこりと笑う隆之。

 その柔らかな低い声が、その優しげな姿がとびきり格好良くて、そしてその薄い唇から紡がれた自分の名字に、翠は目を見開いた。

 そんな翠を他所に隆之は横断歩道を渡りきり学校へと入って行ってしまい、翠はぽつんとその場に佇んでいたかと思うとへにゃへにゃと座り込んでは、深い溜め息を吐いた。

 恥ずかしくて、でも飛び上がりたいほど嬉しくて、幼少期のあの時の事を思い浮かべる際の柔らかな気持ちとはまた違った産まれて初めての感情に翠は目を丸くし頭から湯気を出す勢いで、踞ったまま。
 それから、

「……はは、み、名字、呼んでもらっちゃった……。……ううぅぅ、何これ苦しい!」

 なんて呟き、……体が破裂してしまいそうだ。と翠は晴れた秋空の下で情けなく踞ったまま、もう一度唸ったのだった。






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