神尾君の好きな人
教室の窓の外を見ながら、今日は雨か、と小さくため息をついた。
雨の日はあんまり好きじゃない。
だって雨は、私のささやかな楽しみを奪うから。
雨だから練習ないのはわかってるのに、私はいつもの習慣で屋上に来ていた。
ここからテニスコートがよく見えるというのは、友達とお昼をここで食べたときに偶然気づいた。
それから晴れの日の放課後はここで密かにテニスをしている神尾君を見るのが日課になった。ここからだったらテニスコートからも見てるの気づかれないだろうし。
屋上の扉の隣に背をあずけて座って、はあ、とまた一つため息をついた。
実は今日こんなに気分がおちているのは、雨で神尾君が見れないからだけじゃない。
さっき、まだまばらに人が残っている放課後の教室で、神尾君が友達と話しているのを聞いてしまったんだ。
「なあ、神尾、好きなやついんだろ?どんな子?」
「え、俺の好きな子?えっと、えーっと、…太陽に近い感じの子かな。」
「ぶはっ、なんだよ、それ。」
「あっ、聞いといて笑うんじゃねーよ!」
そのまま楽しそうに追いかけっこを始めた神尾君たちを尻目に、私は屋上に来た。
好きな子、やっぱりいたんだ。
しかも太陽に近い子とか、すっごく明るいってことだよね。
あまりに自分と正反対で、なんだかちょっと涙が出てきた。
空だって泣いてるんだし、私も泣いちゃえ、と我慢せずに涙をボロボロ流していたら、いきなり背中の扉が開いて焦った。
泣いてるとこ人に見られたくないのに。こんな雨の日に屋上に来る変わり者はどんな人だ、なんて自分を棚にあげて振り返って、固まった。
神尾君、だ。
「あ、やっぱりいた、神崎…て、うわぁ、なんで泣いてんだよ。」
「え、いやあの、雨だから。」
雨だから泣いてるとか、何言ってるんだ。もっとマシな言い訳はなかったのかとさらにへこんでいると、神尾君は小さく笑った。
なんで笑ったのかな、なんて不思議に思っていると、神尾君は慌てたように顔の前で両手を振った。
「あ、いや、泣いてるのに笑って悪い。神崎、太陽好きだなーって思ったら、つい。」
神尾君は開けたままだった扉を閉めて、自然に私の隣に腰掛けた。
「それで?なんで泣いてんだよ。」
黙って下を向いていると、神尾君は優しい声で、ほんとは理由あんだろ?話したらちょっとは楽になるかもしれねーし、話してみろよ、と言ってくれた。
神尾君やっぱり優しい。
うつむいていたら神尾君の手が私の頭の上にぽんっと乗った。
話さないつもりだったのに、その手がなんだかあったかかったから、私は気づいたら話し出していた。
「私の好きな人には好きな人がいて。しかも、なんか正反対なんだ。その人の好きな人と、私。」
どうあがいても、私は太陽みたいな明るさは持てないし、神尾君に好いてもらうなんて、無理だ。
私の頭にのせられた手から、一瞬神尾君が固まるのを感じたけど、神尾君はまたすぐに柔らかい雰囲気になった。
「そっか、好きな奴いたんだな。」
「うん。」
あなたのことです、なんて、到底言えないけど。
「つらいな、分かるよ。」
私のことなのに、神尾君は自分のことみたいにつらそうな顔をした。
「もしかして、神尾君も、好きな人に、他の好きな人いるの?」
もしかして状況が似てるから共感してつらくなってるのかな、と思って聞くと、神尾君は苦笑しながらうなずいた。
「そうみたい。知ったの、今さっきだけどさ。」
「そうなんだ。」
何を言ったらいいのかよくわからなくて、少し沈黙が流れた。
せっかく神尾君が隣にいるんだから何か話そう、と話すことを考えていると、それより先に神尾君が話し出した。
「告白とか、しねぇの?」
「うーん、勇気ないな。」
だって、神尾君には、太陽みたいに明るい好きな子がいるんだし。
「直接あたってみなけりゃわかんねーだろ。」
俺は神崎が幸せならそれでいいから、なんて殺し文句を深い意味もなくさらっと続けて言ってしまう神尾君に、なんだか軽くめまいがした。
「神尾君だって、告白してないんでしょ?」
「いや、俺はいいんだって。」
俺は、好きな奴が幸せなら、まあそれで満足するから、と寂しげに笑う神尾君を見て、私も寂しくなった。
神尾君が、想いを告げることさえせずに、気持ちを諦めるだなんて、なんだかすごくかなしい。
神尾君は好きな子が幸せならそれでいいって言うけど、そんなの私だって同じだ。
神尾君が告白したら、もしかしたらその女の子だって、神尾君に気持ちが傾くかもしれないじゃないか。その可能性を諦めるなんて、神尾君にしてほしくない。
「わかった。神尾君も告白してきなよ。そしたら、私も告白するから。」
神尾君はちょっと戸惑ってたけど、なんとかうなずいてくれた。
「神崎、先に言ってこいよ。」
「いや、私が先に言ったらちょっと邪魔になるかもしれないから、神尾君言ってきなよ。私ここにいるから、神尾君が屋上に帰ってきたら言う。」
こんなのもう神尾君に告白するって言ってるようなものだけど、どうせすぐ後に告白するんだから、と開き直った。
「いや、俺が先に言うと神崎、気にして告白するのやめそうな気がするから、先に言ってこいよ。ここで待ってるから。」
お先にどうぞ、いやいやそっちこそ、と何回か続けてらちがあかないと気づき、私は折れることにした。
「わかった、じゃあ私が先に告白するけど、気にしなくていいからね。本当に好きって伝えたいだけだから、神尾君は気にしなくていいから。」
長い前置きをして深呼吸を一つすると、神尾君は少し不思議そうな顔で、おう、とうなずいた。
多分、告白するのになんで屋上から出て行かないんだろうとか考えてるんだろうな。
「神尾君が、好きです。」
シンプルに一言告げると、なんだか胸が少しだけ軽くなるのを感じた。
「神尾君が好きな子いるのは知ってるから、気にしないで。告白する勇気くれてありがとう。」
じゃあ、と片手をあげてそのままドアノブに手をかけると、今まで固まっていた神尾君がいきなり動いて私の腕を掴んだ。
「え、ちょっと、待って。神崎が好きなのって、…」
「神尾君、です。」
神尾君は私の言葉を聞くと、顔を赤くした。
告白されるの、もしかして初めてだったのかな。ふられるとはわかっていても、こんな顔を見られただけで嬉しいかも、なんて思いながらドアノブに手を伸ばすと、また神尾君に引き止められた。
「あの、俺が好きなのも、神崎、なんだけど。」
「…へ。」
嘘、だって神尾君太陽みたいに明るい子が好きなんじゃないの、となんだかわけがわからない頭で聞くと、神尾君は私の腕を掴んでいないほうの手で自分のほっぺたをかいた。
「あ、さっき教室で言ったの聞いてたんだ。いやあれは太陽みたいに明るいっていうか、いっつも太陽の近くにいるって意味で。」
どういう意味かわからなくて困惑していると、神尾君は赤い顔のまま私を見た。
「なんでか知んねーけど、神崎、晴れの日はいっつもここにいるだろ。知らないと思うけど、実はここテニスコートからよく見えるんだぜ。雨の日は行かないみたいだから、太陽のそばに行きたいのかなって。」
そこまで聞いて、なんだかやっと神尾君がさっき言ってくれた、好きって言葉に実感がわいてきた。
「あのね、神尾君、私太陽の近くに行きたかったから屋上に来てたんじゃないよ。テニスをする神尾君を、見てたんだ。」
神尾君は一瞬驚いた顔をしてから、すぐに恥ずかしそうにはにかんだ。
これからは太陽の近くじゃなくて、神尾君の近くで、神尾君を見ていきたいなって思った。