謙也君と放課後の教室
「えっと、すまんな、神崎。補習付き合わせてもて。」
「えっ、いや、大丈夫だよ、大丈夫!」
どうしよう。白石君に謙也君の補習を手伝うように頼まれて、つい安請け合いしちゃったけど、教室に二人きりだなんて!いつももっと皆しゃべったりして残ってるのに、なんで今日に限っていないんだ!
というか、どうしよう。別に赤点とったことはないけど、私も世界史そんなに得意じゃないよ。
絶対謙也君も白石君の方がよかったよね。
もうどうして白石君私になんて頼んだんだ、なんて、わかりきってることだけど。
私の謙也君への気持ちに、白石君は気づいているから気をつかってくれたんだ。
「えっと、わからないことあったら聞いてね。」
「お、おん!」
そう返事すると、謙也君は真剣に教科書に向き合った。
真剣な謙也君、かっこいい。
さっきまでは補習付き合うの断ればよかったかも、なんて考えていたけど、こんなに近くで謙也君の真剣な顔を見られるなら、やっぱり残っててよかった。
じーっと見ていると、謙也君はだんだん、難しい顔をしはじめた。なんだか冷や汗もかいてるみたい。
今回のテスト範囲そんなに難しい内容だったかな、と不思議に思いながら謙也君の読んでいる教科書を覗きこんだ。
「…、謙也君。」
「な、なんや!」
どうしよう、これはボケなんだろうか。
私はなんてつっこめばいいか数秒考えてから、普通に指摘した。
「えっと、教科書、向き逆。」
「えっ!?ほ、ほんまや。」
「だ、大丈夫、よくあるよ、うん、よくある。」
「せ、せやな。おおきに!」
何がよくある、だ。もっとましなフォローはないのか、と自分の発言に少しへこみかけたけど、謙也君の笑顔で持ち直した。
謙也君、優しいな。
というか、謙也君優しいから言わないだけで、もしかしたら私邪魔なのかも。
世界史なんて覚えるだけなんだから私いない方が気がちらなくていいよね。
「えっと、謙也君、私帰ろうか、な?」
「え、なんで!?すまん、もう教科書逆に持たんから!」
普通に、おん、またなー、とか言われるかと思ってたのに、勢いよく聞かれて、びくっとしてしまった。
「いや、えっと、別に教科書逆のせいじゃ…。世界史覚えるだけだから、私いらないと思、」
「いや、そんなことないから帰らんといて!」
「わ、わかった、帰らない!」
謙也君の勢いにのせられて、つい帰らないって言っちゃったよ!
謙也君どんだけ必死なんだ。でも残念ながらそんなに必死になって引き止めても、白石君ほどわかりやすく教えられる自信ないよ!
「おおきに。」
謙也君はそう言うと、また教科書に向き直った。うん、大丈夫、今度は向き逆じゃない。
しばらく教科書を読んでいた謙也君が、ふいに口を開いた。
「あんな、神崎、」
「ん、どこがわからないの?」
謙也君は、あー、と言いづらそうにしていたので教科書を覗きこむと、ちょうどルネサンスのところを開いていた。
「わからないの、ここ?ルネサンスは14世紀から16世紀にかけて、イタリア中心に西欧でおこった古典古代の文化を復興しようとする歴史的文化革命のことだよ。ルネサンスは『再生、復興』っていう意味で、つまり、はるか昔のギリシャ・ローマの古典芸術を再生、復興しようっていう革命だったんだよね。どうしていきなり昔の芸術を再生しようっていう革命が起きたかっていうと、当時のヨーロッパの状況に深く関わってるんだ。14世紀のヨーロッパは戦乱とペストとかの流行病で、『暗黒の中世』って呼ばれるくらい暗い社会だったの。だから、昔はもっと明るく生き生きと暮らしていたよね、ってなって、こんな思想がうまれたんだ。ルネサンスと言えばレオナルド・ダ・ヴィンチだけど、他にも芸術家のミケランジェロ、ラファエロは有名だから覚えておいてね。」
「お、おう、おおきに。」
「どういたしまして。」
よかった!やっと謙也君の役に立てたみたい。
「あ、あんな神崎。」
「ん、次はどこ?」
謙也君はさっきと同じくらい言いづらそうにしていたけど、なんとか口を開いた。
「質問やなくて、いや、質問っちゃ質問やけど、世界史の質問やなくて、」
なんだろう?質問じゃないけど、質問?
「…、神崎、このあと時間あるか?」
「え?」
「あ、いや、補習付き合わせてもたお詫びというか、お礼というか。なんか甘いもんでも食べに行こうや。」
「え、い、いいの?」
「おん、神崎さえよければ。」
「い、行く!」
謙也君と、デートだ、デート!謙也君はデートだなんて思ってないと思うけど、私の中ではれっきとしたデートだ!
私がうきうきしながら笑っていると、謙也君も笑った。
「ほな、はよ行きたいから頑張って猛スピードでテスト範囲終わらせるな!」
謙也君、そんなに甘いもの好きだったんだね、と笑うと、謙也君は言うか言わないか、ちょっと考えるような顔をしてから、照れたように笑った。
「甘いもんやなくて、神崎と行くから楽しみやねん。」
一瞬遅れて顔があつくなった私を見て、謙也君はまた笑った。