伊武君とウェットティッシュ
「何自分の手見てニヤニヤしてるの。気持ち悪い。おかしいのはいつもからだけど、さらに気持ち悪い。」
自分の手を見ながら、幸せにひたっていると、伊武君のぼやきで現実に戻された。
「ふっ、今私すっごく幸せだから笑顔しかでないの。伊武君がどんなにねちねち酷いことを言っても全然気になんないんだから。」
「なんかその笑顔腹立つ。というか事実を言ってるだけなのにねちねちとか言って、酷いよな。」
いつもだったら、うるさい伊武君、とチョップをくらわすところだけど、今の私は幸せ全開だから、伊武君のぼやきさえ素敵なささやきに聞こえてしまうよ。
そんな私を見て、伊武君はなんだか気味悪そうに眉をしかめた。
「で、なんなの?そんなニヤニヤしてる理由は。」
「ふっ、ふふ、聞いてくれる!?実はね、」
「あ、やっぱりいい。聞かない。」
「なんで!まだ始まってもないよ!」
うんざりした顔で、どうせ神尾絡みだろ、と言う伊武君を流して、さっき起きた幸せな出来事を語った。
「実はさっきね、購買で消しゴム買おうとしたら財布から5円玉落としちゃって、追いかけてたら、神尾君の足元で止まって、神尾君が拾ってくれたの。」
「…、で?」
「しかもね、拾ってくれた時に手が触れたの!」
伊武君は、もう、本当幸せ、と思いながら笑う私とは対照的な表情をしていた。
「神尾君と触れたこの手はもう今日は洗わない!」
「汚い。」
「じゃあ、せめて家に帰るまでは洗わない!」
「はぁ、ま、勝手にすれば。というか、じゃあ何?神崎は神尾が小銭拾って、その時に手が触れたくらいでそんな騒いでるの?」
「それだけじゃないよ。5円玉拾った時、神尾君話し掛けてくれたもん。」
「なんて?」
「5円落としたら縁も落としちまうぜ、って!」
神尾君、言い回しかっこよすぎだよ、本当に。
「はぁ、でもどうせ神崎は、はい、とかの相槌だけで、会話らしい会話もしてないんだろ。」
「うっ…、だってクラス違うんだから仕方ないじゃん。神尾君私のこと知らないもん。」
「好きなら話せばいいのに。」
「好きっていうか、憧れっていうか、尊敬っていうか…、とにかく見てるだけで幸せなの!」
「…、ふぅん。あ、神崎、手にシャーペンの汚れついてる。」
「あ、本当だ。」
「ウェットティッシュあげるから拭いたら?」
なんで持ってるんだ、ウェットティッシュ。
でも伊武君も優しいとこあるじゃん。
「ありがとう、伊武君。」
「…、ふっ。」
「え、珍しい、なんで伊武君笑って…、あぁああ!手!手ぇえ!」
洗ってはないけど、ウェットティッシュで拭いちゃったよ!
「セーフ?ねえ、洗ってないからセーフ?」
無表情で、いや、アウトだろという伊武君がとっても憎らしかった。
さっき、伊武君優しいとこあるじゃんって思った私の感動を返せー!
「伊武君のばかー!」
「うるさいな、手くらい俺が触るから別にいいだろ。」
「別に誰にでも触られたら喜ぶわけじゃないもん、ばーか。」
「馬鹿は神崎。」
「いや、伊武君だよ。」
「…、本当、馬鹿だよな。」
そう言った伊武君の表情は珍しく微かな笑みを浮かべていて、それがあまりに綺麗だったからちょっとときめいてしまったのは伊武君には内緒だ。
prev next