千歳君と春の風
「伊織、なんばしよっと?」
「あ、千歳君!」
朝、まだ人の少ない学校の裏庭で傘を広げて歩いていたら、千歳君に話しかけられた。
「珍しいね、こんな時間に学校にいるなんて!」
「こんな晴れた日に傘を広げとるのもたいぎゃおかしかよ。」
笑いながら言う千歳君に、確かにそうだな、と私も笑ってしまった。
「んで、なしてこげな日に傘さしとっと?」
傘さしてたら飛べる気がしたんだけど、やっぱり浮かばないねー、というと、千歳君は、トトロばーい、と喜びだした。なんかわかんないけど可愛い。
「伊織、その傘ちっと貸しなっせ。」
「えっ?はい。」
なんなんだろう、と見ていたら、私の傘を近くの木に立てかけてから、またいそいで私のところにやってきた。
そして千歳君は、ほい、というなんとも気のぬける掛け声とともに私の腰を掴んで持ち上げてから走り出した。
「うっ、わあぁあ、千歳君?」
「はっはは、楽しかねー?」
楽しいって、何が!と聞こうとして、びっくりして閉じていた目を開けると、さらにびっくりした。
「わあ!うわぁあ!すごいね、千歳君!高い!高い!空飛んでるみたい!」
私が喜んだのを見ると千歳君は満足げに笑った。
「楽しかー?」
「うん、楽しい!」
また同じことを聞かれ、今度は勢いよく答えた。
「伊織はほんにむぞらしかねー。」
「珍しいかなー?すっごく楽しいよ!千歳君ありがとう!」
「ははっ、そんなとこもむぞらしかー。」
何が珍しいのかわからなかったけど、千歳君も楽しそうだからいいかー、と思うことにした。
いつもはすっごく上にある千歳君の顔が、下にあって、なんだか楽しくなった。
わいわい言いながら裏庭じゅうを駆け回って、千歳君は私をそっと地面に降ろした。
「千歳君、すっごく楽しかった!…う、わわわ!」
お礼を言って千歳君からちょっと離れようとした私を、千歳君はいきなり腕の中に閉じ込めた。
「なして離れっとね。」
「え、いや、えっと!」
なんだろう、さっきまで近くても、楽しいとしか思わなかったのに、なんだか今はドキドキする!恥ずかしい!
「はは、顔真っ赤でむぞらしかー。」
「こ、こんな状況で赤くならない方が珍しいよ!」
顔を見られるのが恥ずかしくて、千歳君の胸におでこをくっつけて顔を隠したら、また上から笑い声がふってきた。
「珍しいじゃなかよ。む、ぞ、ら、し、い。」
「意味違うの?」
私をさらにぎゅうぎゅうしながら、可愛いっち意味ー、と言った千歳君の言葉に、私はさらに熱が顔に集まってくるのを感じた。どうしよう、今、絶対顔赤い。
「千歳君は、」
「ん?」
「本当に私を飛ばすのうまいね。」
どういう意味だろう、とキョトンとする千歳君の顔を下から見上げた。
「だって、私、千歳君の腕の中にいたら、ドキドキ、ふわふわして、空飛んでるみたい。」
千歳君はまた嬉しそうに笑った。千歳君の笑顔が嬉しくて、私も笑った。
prev next