一氏君と雷から逃げる子
伊織の家の前に着いて、待つこと5分。いつもは俺が来る足音聞きつけてすぐに扉開けてくれるんやけど、今日はピンポン鳴らしてもでてけーへん。あれ、今日伊織の家で待ち合わせやんな、天気悪いから中止なんやろか。大きな音を立てている雨と雷を見上げつつ、スマホを取り出す。別に予定変更のメールはきてへん。
もしかしたら、雨の音がさわがしぃてピンポン聞こえへんかったんかもな。そう思って電話をかけたが、伊織は出なかった。
「でかけとんかなー?……って、メール?伊織からや」
電話を切ったすぐ後にメールってことは、今バスの中なんかな。どこにいっとるんやろ。
不思議に思いながらメールを見ると、簡潔なメッセージ。
「連絡すぐにできなくてごめん、今日、急用ができてあえなくなった、か。まあ、そんなとこやろなーと思ったわ」
急用ならしゃーないわな、気ぃつけて帰るんやで、とメールを送ってから帰ろうとして、ふと立ち止まる。そういえば、伊織よく鍵をかけ忘れるけど、まさか今は大丈夫やんな。心配に思ってドアノブを回すと、不安的中で、ドアには鍵がかかっていなかった。
「わ、危ないやんけ。気ぃついてよかったわ」
ドアをもう一度閉め、扉に背を預けてメールを送る。
「鍵かけ忘れてんで。危ないから、帰るまで待ってるなー」
返事は意外と早く来た。
「いや、悪いし、大丈夫。」
「急用でしばらく帰られへんねやろ?危ないやんか」
「いや、用事終わったらすぐ帰るから」
「ほんなら帰ってくるまで待っとくわ」
そう送信すると、今までポンポンと続いていたメールがとぎれる。暇つぶしにゲームをしていると、伊織からのメール。
「ありがとう、じゃあ、頼むね。でも玄関の外は寒いでしょ。待つなら、部屋でくつろいでて」
了解、と返してから、ドアを開けて内側から鍵を閉める。どうして外で待っとるってわかったんやろか。さすが伊織やな。
「伊織が帰ってきたらなにしようかなー。雨やし、外行かんと、部屋でまったりするかー」
一人しかおらんっていう開放感から、思わず独り言を言う。
「部屋、相変わらず、かたづいてんなー。あ、あれ、こないだ俺があげたぬいぐるみやー」
伊織が、これユウジっぽいねって言っていたウサギのぬいぐるみは、かわいらしくて到底俺っぽくは見えない。
「なんで伊織のベッドにおんねん。俺があげたもんやけど、じゃっかんもやもやするわ。おい、お前、伊織の独り言とか聞いてんやろ、毎日どんなん言うてんねん、言うてみい」
ウサギを手にとって、少しかわいらしめの声をあてる。
「うん、あのね、ユウジ毎日かっこいい、日に日に好きになる一方だよって言ってたよ」
「ふっ、まあ、せやろな」
「あとね、ユウジがいないと寂しいなー、電話しようかな、どうしようかなって、30分くらい悩んでるのもよく見るよ」
だんだん楽しくなってきて、ウサギに動きも付けて、声をあてる。
「かーわええー、もう、そないな時ははよ電話せえって背中押したれや、ウサ公」
確か伊織はこんな名前をウサギにつけていたはず。ウサ公は(まあ、俺やけど)呆れた声を出した。
「そこはー、わたしじゃなくてー、ユウジ君が背中押すとこでしょー。むしろ、背中押すより、電話かけちゃえー」
「せやな!せやな!今度から伊織が寂しそうなときは気配察知して電話かけるわ!」
フレーフレーとウサ公の両手を動かす。なんや、さっきより親近感わいてきた。
「あとねー、前ユウジにクッキー渡した時も、これで大丈夫かなーって、とってもがんばって作ってたんだよ」
伊織が何かを作ってくれるのは、とても珍しいことで、今まで作ってもらったのは、そのクッキーだけや。
「あれ、めっちゃうまかってん。ほんでもって、めっちゃ嬉しかったから気合入れてケーキ、お礼に作って渡してん!せやけどな、そしたら伊織に、もうユウジにはお菓子作らないね、って言われてん。なんでや!」
「わかんないね!女心は難解だね」
ウサ公の手を悩んでいるように、顔の横に寄せる。ほんまに難解や。
「せやけどな、今度弁当作ってくれるんやって!ええやろ」
「わー、いいな、いいなー」
「ふっふふーん、が伊織くれるんやったら、塩むすびだけでも、幸せかみしめられるわ」
気分がよくなってきて、ウサ公を連れたまま、鼻歌を歌う。
「ふふんふーん。
おーれーはー伊織の、ええ彼氏ー
伊織の好きなー、ええ彼氏ー
今日のおみやは、ええもんやー
どこぞでこうたー、チョコムースー
山に登って、モンブラーン
ふんふんふーん
雷鳴るのも、なんのそのー
こーのー音はー、俺の愛ー
愛は伊織にいっちょくせーん!イエア!」
適当に節をつけているうちにだんだんのってきて、鼻歌のはずが最後、叫び気味にイエアとこぶしを天に突き上げる。
すると、くっ、ふふっと噴き出す声と物音が押し入れからした。
「だ、誰や」
焦って押し入れの引き戸を開けると、そこには出かけているはずの伊織がいた。
「え、伊織?な、なんでここにおんねん。まさか、どっきりか?おれの恥ずかしい鼻歌を聞くために!」
「や、違うよ、ふ、ははっ」
「笑うなやー、伊織。俺、めっちゃはずい奴やんか」
「ふっふふ、ごめんね。でもね、ウサギの名前はウサ公じゃなくて、ウサ子ね、ウサ子」
「あ、そうやったっけ」
「あとね、ふ、はは、もうお菓子作らないって言ったのは、頑張って作った私の数十倍も、ユウジのほうがうまかったから、ちょっと意地はっちゃてただけだよ」
「数十倍って、んなこたないやろ」
「あるよー。でも、あんなに喜んでくれてるんだなんて、知らなかったな。ふっふふ、結構、嬉しいかも。……だからさ、また作ったら、食べてね」
「おう、めっちゃ楽しみにしてるわ!」
「よかった」
「ほんで、なんで押し入れの中になんておったん?」
「ああ、実はね……」
伊織が理由を話そうとした、ちょうどその時、今までで一番大きな音が部屋に響いた。雷や。
「うっ」
伊織はとたんに耳をふさいで、押し入れの戸を閉める。
「え、どないしたん。ここ開けてや、な?」
返事はなく、さっき俺が伊織の存在に気づく前までのような沈黙に戻る。
「なあ、開けてもええか?」
沈黙ののちに、小さい、うん、という頷く声が聞こえ、ゆっくりと戸を開ける。
「邪魔すんで」
入ったあとに戸を閉めると、押し入れは薄暗くなる。押し入れの中には、物なんて、ほとんど何もなくて、伊織が頭からくるまっとる毛布があるだけ。
「なあ、伊織」
「何?」
毛布の中から、くぐもった声。
「ここにおったんて、別に俺から隠れてたわけやなくて、……雷、怖かったん?」
もぞもぞと毛布の塊が動き、そこから顔だけを出す。
「……そうとも言うね」
毛布から出た顔に、神妙にうなずかれ、笑いそうになるのをこらえる。そうとも言うってか、そうとしか言えへんやろ。
「俺も毛布に入れてや」
「ごめん、これ、一人用だから」
そう言って伊織は毛布に顔をうずめた。
「一人用か、ほなしゃーないな」
毛布にくるまれたままの伊織をあぐらの間に座らせ、毛布ごと抱きしめる。伊織がさっきからくるまっとたはずなのに、毛布は少しひんやりとしとった。
「何?この態勢」
不思議そうに、首だけ回して伊織がこちらを見る。
「くっついた方があったかいやろって思ってな」
笑ってそう言うと、伊織はゆっくりと背中を俺に預ける。
「……うん、あったかい」
「こわいと、体温下がるもんな。まあ、このユウジさんがおんねんから、安心しいや」
わざと少しおどけたようにそう言うと、伊織も、ふっふっ、と笑う。
「ユウジ、雷に勝てるの?」
「おう、さっき、勝てたやないか」
自信満々にそう言うと、腕の中で、名前が不思議がる気配がした。
「ほら、さっき、俺が鼻歌うとーてたとき、雷んこと忘れて、笑ったやろ?あの時は、伊織ん中で、雷に勝ったんや、俺は」
「そっか、……そうかもね」
「せやからもっと俺のこと考えとったら、雷なんて怖なくなるわ」
伊織が安心したように小さく息を吐いたそのとき、タイミング悪く雷鳴響く。ドガガガーンという音のせいで、伊織の身体はまた小さくこわばってしまった。
「ユウジのこと考えても、それでも、怖かったら?」
不安そうな声をまるごと包み込むように、ぎゅっと抱きしめる。
「そん時はな、もっとぎゅーっとしたるから安心しい」
「今よりもっと抱きしめられたら、力強くて潰れちゃうよ」
少し笑い交じりの声。
「潰されんように、腹に力いれときやー!」
きゃー、痛い痛い、とふざけて笑う伊織に、うりゃー、と力を入れるふりをする。ふっ、ふはは、と笑う伊織は、今は雷なんて忘れているみたいだった。よかった。
「ユウジ」
「ん?」
ふいに名前を呼ばれ、うりゃー、とするのをやめて、腕の中を見る。
「ありがとね」
「おう」
押し入れの中の、外と切り離された空間。腕の中には、伊織。なかなかええ休日やな。
prev next