銀さんと雷を見る
どんよりとした天気。教室の窓から顔を少し出し、今にも降り出しそうな空に、はーっと息を吐く。
「息、白くなったよ」
後ろの席に座る銀さんを見ながら言うと、銀さんは、食べ終えたお昼のお弁当を片づけてながら、こちらを見た。
「せやな」
私と同じように窓から顔を少し出した銀さんの口から、白い息がこぼれる。私と同じだ。
「雨降りそうだね」
「嬉しそうやな。雨、好きなん?」
私の声音がいつもよりはずんでいたからだろう。銀さんは少しおもしろそうに、そう聞いた。
「うーん、……うん、好きだよ」
銀さんがね、なんて、心の中でだけ呟く。私が嬉しそうに見えたのなら、それは雨が降りそうだからじゃなくて、銀さんと話しているからだ。
「そうなんや。雨の音とか、匂いとか、独特の雰囲気あるもんな」
「銀さんも、雨好きなの?」
「せやな、好きやで」
そっか、と返事をしてから、心の中で反芻する。好きやで、好きやで。
「銀さん、辛い食べ物好き?」
またその言葉が聞きたくて、脈絡のない質問をする。
「唐突やな」
銀さんは小さく笑ってから、うなずいた。
「ああ、好きやな。伊織はんは?」
「うん、私も好き」
なんか、恋人同士の言葉みたい。嬉しくて、顔がにやける。
「えっと、じゃあね、朝日は好き?」
「せやな、見てると気分がよくなるし、好きやで。伊織はんは?」
「私も好き」
こんなにたくさん、銀さんの「好き」が聞けるなんて、今日はなんていい日なんだろう。幸せだ。
「あ、雨降ってきたで」
そう言われて空を見る。
「ほんとだ」
初めはポツポツと小さかった雨粒は次第に大きくなって、窓から入ってきて、私の手を濡らした。
「わ、窓閉めようか」
窓を閉めてから、濡れた手をハンカチで拭く。寒い風にさらしていた上に、雨で濡れてしまったせいで、ひどく冷たかった。
指先を温めるように、ぎゅっぎゅっと手をもむ。うーん、あまり温かくならない。
ふと、銀さんの手が視界に入る。温かそうな、大きな手。おもわず、手を伸ばしかけて、慌ててひっこめる。
「どないしたん?」
「や、なんでも……って、びっくりした」
なんでもないよ、と言うより少し早く、雷の音が響く。結構近かったな、なんて思いながら窓の外を見ると、再び空を切り裂く稲妻が光る。数秒のちに響く雷鳴。
ぼーっと空を見ていると、手に何かがふれて、驚いて手を見る。さっきまで見ていた、銀さんの手だ。
「大丈夫か?手ぇめっちゃ冷たいやないか」
私の手の甲に触れたまま、心配そうに眉をよせる銀さん。
「だ、だだだ大丈夫」
普通に返事をしたつもりが、触れられた手に動揺したせいで、どもってしまった。こんなに焦ってたら、銀さんのことが好きだって、気づかれてしまう。せっかく今みたいに普通に話せるようになったんだから、せめてこの位置を失いたくない。
息をゆっくり吸って、はいて、銀さんを見る。
「うん、大丈夫、なんともないよ」
うまく言えたはずなのに、銀さんはなおも心配そうな声を出す。
「なんともないことないやろ。手ぇめっちゃ冷たいし。えっと、怖いんやんな」
少し言いにくそうに言われ、思わず、手の甲に乗せられたままだった手を握り返す。
「そんなっ、そんなこと、ないよ!」
あまりの勢いに、銀さんは少しびっくりしたようだが、手は振りほどかないでいてくれた。やっぱり優しい。
「さ、さよか。せやけど、めっちゃ手ぇ冷たいし、怖いから緊張してんのかなって思ってんけど」
私の手が冷たいせいで、こんなことを思っていたなんて。
「違うよ、違う。手が冷たいのは、ただ寒いから。緊張は、それは、少しはしてるけど、それは怖いからじゃなくて、えっと」
目線を少し彷徨わせてから、銀さんを見る。不思議そうな、心配そうなその眼は、優しく続きの言葉を待ってくれていた。ああ、やっぱり、私はこの人が好きだ。
「緊張してるのは、怖いからじゃなくて、好き、だからです」
しっかり目を見てから言って、耐え切れず目線を銀さんの机に落とす。いつもこの机で銀さんが勉強したりご飯を食べているかと思うと、机ですら愛しく感じてしまう。
銀さんから何も返事がないな、と思って、おそるおそる顔を上げる。銀さんは、いつも通りの表情だった。あったかく、包み込んでくれるような、余裕のある笑みは、とても好きだけど、一世一代の告白のあとには、もっと別の表情が見たかったな、なんて、贅沢か。
「そんなに好きなんやな。怖いとか言うんは、よく聞くけど、緊張してまうくらい好きやなんてのは、初めて聞いたわ」
「本当?初めて?ちょっと、嬉しいかも」
でも銀さんのことをよく知ってる子は、怖いなんて言わないと思うけど、と心の中で付け加える。本当に銀さんのことを好きなのが、私だけならいいのに。私だけが銀さんのいいところを知っていたのなら、いいのに。そしたら、銀さんも、いつか私を見てくれるかもしれない。
バカなことを考えたせいか、少し泣きそうになって、握ったままだった手を、さらに強く握る。
「好きだよ」
もう一度、目を見つめながら伝える。二回言ったらどうなるってわけじゃないけど、それでも、ただ言いたかった。銀さんは、少しびっくりしたように、目を見開いてから、少し照れくさそうな顔をした。
「ほんまに、好きなんやな」
こくり、と一回うなずく。
「自分のことやないってわかってても、そんな見つめながら言われたら、照れてまうわ」
「そっか、……って、え?」
普通に相槌を返しそうになってから、思わず聞き返す。
銀さんは、なおも照れくさそうな表情のまま、口を開いた。
「好きやねんな、雷」
……。なんてこった、誤解だよ、誤解。恥ずかしい。二回も言ったのに、全然伝わってなかったとか。
「雷、銀さんは好き?」
せめて、繋いだこの手は、振りほどかれるまでは離さないぞ、と強く握ったまま聞く。
「せやなー、うん、伊織はんと話してたら、なんや好きになってきた気ぃするわ。伊織はんも?」
さっきみたいに聞かれ、私は小さく首を振る。
「雷は、好きってほどじゃないよ」
不思議そうな銀さんの顔。繋いだ温かい手に勇気をもらってから、もう一度口を開く。
「私が、好きなのは、……少し緊張しちゃうくらい好きなのは、銀さんだよ」
数秒間の沈黙。耐え切れなくなって、手を離して前を向こうと、握っていた手の力を緩めると、反対に銀さんの手の力が強くなって、驚く。
「雷のことが好きやって言ってるの聞いたら自分まで好きになってまうくらい、自分に対する好きやなくても嬉しくなってまうくらい、ワシも伊織はんのこと、好きやで」
今日、たくさん聞いた、銀さんの「好きやで」 でも、今聞いたのは、さっきまでのと全然違っていて、顔に熱が集まるのを感じて軽くうつむく。
「伊織はんは?」
さっきまでと同じように、尋ねられ、おずおずと顔を上げる。照れくさそうな、でも嬉しそうな銀さんの顔を見ていたら、恥ずかしさよりも、嬉しい気持ちのほうがわきあがってきた。
「うん、私も好き」
気付いたら手は、もう冷たくなくなっていた。
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