白石と冬の日
教室から窓の外を見る。寒いけど、雪は降りそうにない。こんなに寒いなら、降っちゃえばいいのに。ふわふわ舞い散るそれを見たら、きっと少しは気持ちがあったかくなるはずだ。そんなことを考えていると、ふと、頭の中で懐かしい笑い声が聞こえた。
『ははっ、雪があったかいわけないやんか。あほやなー、神崎は。』
あほだなんて言われて、少し腹が立ったんだけど、そう言って、おかしそうに笑った彼の笑顔が、本当にあったかかったから、私も一緒になって笑ってしまったっけ。数週間前の出来事だっていうのに、思い出すと、懐かしくて、少し泣きそうになってしまうのは、それだけ白石と毎日一緒に笑いあうことが、私の中で当たり前で、大切なものになっていたからだろう。話さなくなって、まだ数週間しか経っていないだなんて信じられない。もう何か月も白石と話していない気がする。
白石と初めて話したのは、中学に入学した時だった。同じクラスで、隣の席で。話すきっかけなんて、そんなものだったんだけど、気付いたら、席が離れてもよく話すくらいには、仲良くなっていた。
2年になってからは、クラスは離れてしまったけど、クラスで会えない分、休みの日に会えることが増えて、それはそれですごく嬉しかった。初めて、次の日曜、部活オフやねんけど、どっか行かへん、って誘われた時はびっくりして、夜眠れなくなるくらいどきどきしたことなんて、白石はきっと知らないんだろう。冗談めかして、私とクラス離れたのが寂しいの?なんて聞いたら、照れもせずに、そら寂しくもなるわ、って言ってたっけ。あの時、私も寂しいって言えてたら、また何か違ったのかな。臆病な私は、結局、何言ってんの、って笑って流しちゃったけど。
3年になってからも、その関係は変わらなくて、私はそれに甘えていたんだ。白石が離れていくことなんて、きっとないって。
関係の変化は、初めは気のせいかと思ってしまうほど、自然だった。メールの返事が少しずつ短くなって、遊びに誘われることが減って、こっちから誘っても、断られることが少しずつ増えていって。その流れがあまりに自然すぎて、しまいには、白石と仲良く過ごした時間が、幻だったんじゃないかって思ってしまうくらいだった。
どうして、いきなり白石が私から離れていったのかはわからないけど、今思うのは、離れてからもこんなに想ってしまうくらいだったら、ちゃんと自分の気持ちを伝えたらよかった、ってことだ。伝えたら何か変化がある、なんて思ってるわけじゃないけど、それでも、やっぱり、こんなに好きだって、伝えたかった。
考えていたら、本当に泣きそうになってしまって、それを隠すように、机に突っ伏した。もう放課後で、誰も教室にいないから、隠す必要なんてないんだけど。
すると、タイミングがいいのか悪いのか、私が机に突っ伏したとほぼ同時に教室の扉が開いた。誰か、忘れ物でも取りに来たんだろうか。涙を説明するのがめんどうだから、寝たふりをしてしまおう。
「あ、」
教室の扉を開けた人物は、小さく、そう声を発した。本当にかすかな声だったけど、すぐに誰かわかった。だって、その声は、私がいつも聞きたいと、願っている声だったから。また名前を呼んで欲しいと、思っている声だったから。
その声の主は、しばらく扉のところで立ち止まった後、ゆっくりと教室の中に入って来るのが、足音で分かった。何の用だろう。このクラスにいる白石の友達に会いに来たのかな。白石が会いに来た、その友達が早く戻って来たらいいのに。そうしたら、少しだけでも、また声が聞けるから。
「寝とる、な。」
ふいに聞こえた声に、思わず体がびくっとなりそうになり、急いで息を止める。足音は私の隣で止まり、がたっと椅子をひく音がして、静かになった。
しばらく沈黙が続き、そろそろ寝たふりをやめて帰ろうかと思った矢先、また隣から呟くような声が聞こえた。
「ほんま、しゃーないなー、俺。でも、やっぱ無理やねん、神崎と二人でおるん、もうアカンねん。」
キツイねん、とかすれたような声で呟かれ、また息が止まった。というより、できなくなった。まさか、そんなに、嫌われてたなんて。心の中で、もしかしたら、急に忙しくなっただけで、私が嫌われたわけじゃないのかも、なんて言い訳をして自分を誤魔化してきたけど、もうそれもできないや。
「…くっ。」
涙をこらえた声が漏れてしまい内心焦っていると、隣から、私よりも焦って声が聞こてきえた。
「神崎っ、起きとるん?」
目にぐっと力を入れて、涙を抑えて顔を机からあげる。目線は机に向けたまま、震えないように気をつけながら声を出す。
「うん、えっと、寝たふりを、してたわけじゃないんだけど、…ごめんね。」
いろんな意味をこめた、ごめんね、だ。こんなに嫌われてるなんて知らなくて、ごめん。それなのにまたいつか一緒に笑えるんじゃないかなんて期待してて、ごめん。勝手に仲良しになったつもりでいて、ごめん。
「ちゃ、ちゃうねん。」
私の謝罪を聞いて、焦ったように白石は席から立ち上がった。白石は優しいから、さっきのことを謝ろうとしてくれてるのかもしれない。でも、白石が謝ることなんて、ない。
「ううん、違わないよ、白石。白石は何も間違ってなんかないよ。」
白石が、私のせいで頭を悩ますのが、嫌だった。白石は、悪くなんかない。
「私、白石と、一緒にいられて、本当に嬉しかった、毎日、一緒に笑えて、本当に楽しかった。嫌われてただなんて、知らなくて、きっと、ほかにも、知らないうちに嫌なことしちゃってたら、ごめん。」
白石は、苦しそうな顔をした。なんだか、白石まで、泣きそうだ。
「そんなに、そんなに俺とおるんが楽しいっちゅーなら、俺んこと、好きになったらええやんか。」
絞り出すように、苦しそうに言われたそれは、小さくて、聞き逃してしまいそうなくらいだった。
白石はすぐに、いつものやさしそうな笑みに戻って、変なこと言って堪忍、気ぃつけて帰りや、と去っていこうとした。白石が、どういう意味で言ったのかはわからない。でも、言うなら、今しか、ない。
「待って。私は・・・、私が、好きなのは、白石です。」
言えた。とうとう、言えたんだ。緊張の糸が切れたのか、服を掴んでいた手から力が抜けて、手から服がすりぬけた。白石は、服からすりぬけた手がだらんと落ちる前にその手を掴んで、驚いたように私を見た。
「今、なんて?」
緊張の糸が切れてしまったからか、少しさっきよりも力が抜けて、床に向かって小さく笑った。
「好きなんだ。白石のことが。」
何の反応もないことに少しドキドキしながら顔をあげると、なんと言ったらいいかわからないような顔をした白石が立っていた。これは、嫌がってるのか、驚いているのか。ああ、せめて、ただ驚いてるだけだったらいいな。
「白石の気持ちは、さっきので、もうわかってるからさ、だから返事とかに頭悩ませなくて大丈夫。3年弱だけど、白石と一緒のおかげで、本当に楽しかった。じゃあね。」
これ以上一緒にいたら、また白石を困らせてしまう。どういうふうに言ったら私が傷つかないかと、断る方法を考えているであろう白石の前から立ち去ろうと、私は足を数歩進めた。が、それ以上、前へ進むことはかなわなかった。白石、さっきからずっと、私の手を掴んだままだ。どうしよう。びっくりして、掴んでること、忘れちゃったんだろうか。
「白石?」
小さな声で名前を呼ぶも、返事はなかった。俯いて、私の手を掴んだままだ。
「手、放してくれないと、私、帰れないよ。」
それでも返事はない。距離を置かれてはいたけど、さすがに無視をされたことは今までなかった。もしかして、それほどまでに、困惑させてしまったんだろうか。そうだとしたら、申し訳ない気持ちと、ショックな気持ちが混ざりあって、泣いてしまいそうだ。まあ、なんにしても、家に帰ってからは、たくさん泣くんだろうけど。
そろそろ涙をこらえるのが限界だから、手を放してもらえないかという気持ちを込めて、ねえ、手放して、ともう一度言う。また返事はないのかな、と思った刹那、私の手を掴む白石の力が少し強くなった。さらに強くしてどうするんだ。逆だよ、白石。
「手、放すの、嫌や。」
「どうして。」
「やって、手ぇ放したら、神崎、どっか行くやんか。」
また泣きそうな声。なんで、白石が泣きそうなんだ。白石の泣きそうな声を聞いていたら、私の方もさらに泣きそうになってくる。
「俺、神崎にめっちゃひどいことした。神崎んこと、めっちゃ傷つけた。勝手に近づいて、勝手に距離置いて。」
私のことを傷つけたと謝る白石こそ、今ひどく傷ついている。そうさせたのは、私なんだから、私が慰めたり寄り添ったりする立場じゃないのは、わかってる。けど…。少し悩んだのちに、私は俯いている白石の頭に手をのせて、ゆっくりと撫でた。
「私のこと、気をつかってくれてありがとう。白石がそれだけ私のことを考えてくれただけで、私は、もう充分だよ。ありがとう。」
白石は、やっと顔をあげて私を見た。やっぱり泣きそうな顔だったけど、こんなに近くで顔を合わせたのは、ひどく久しぶりだ。こんな状況なのに、久しぶりに目があったことがすごく嬉しいと思うなんて、本当に私は単純にできている。白石が好きだっていう、すごく単純明快な気持ちで、できている。白石は、しばらく私の目を見てから、意を決したように目をぐっとこすって、口を開いた。
「聞いて、欲しいことが、あんねん。」
「うん。」
なんでも聞くよ。白石が言うことなら、なんでも。
「1年の頃から、友達として仲良くて、いつの間にか友達とは違う気持ちになっとって、クラス別れてからもなんやかんや理由つけてあったりして、それなりに仲ええと思っててんけどな。」
誰のことだろう。一瞬、私のことかも、なんて思ってしまって、そんなことあるわけないのにと嗤った。だって、もし私のことをそんなふうに思ってくれていたのなら、いきなり距離を置くわけない。たぶん、その好きな子と、最近付き合うことになって、だからただの女友達の私とは距離を置いたんだろう。彼女いるのに、女友達と二人では、遊べないよね。
「告白しようかって、何度も思ってんけど、ふざけて笑いあえる関係が心地よくて、これを壊してまうんちゃうかと思うと怖くて、告白でけへんかった。」
白石でも、私と同じようなこと、考えるんだ。
「そんなときに、あの子彼氏おるんちゃうんーって友達から言われて、…せやけど、俺、そんなことないって思ってんやんか。休日もほとんど俺と遊んでるし、俺以外の男と遊んでんのあんま見んし。」
白石は、少し息を吸って、吐いて、また続けた。
「それやのに、ある日、見てしまってん、友達に彼氏おるんって聞かれて、少し寂しそうに、『白石と友達やってるの楽しいから、今はまだ彼氏とかはいいやー』って寂しそうに笑うのを。」
心臓が、激しく脈うつのを感じた。さっきの、私が言った言葉だ。白石に聞かれていただなんて。いや、それよりも、なんというか、ということはもしかして、今、白石が話しているのは、私のこと、なの?
「それを聞いて、俺と一緒におるせいで、好きな奴と話したり遊んだりでけへんねんなって、思って、それで身をひこうって思ってん。いや、そんなかっこいい言い方、ちょっとちゃうな。身をひこうっていうよりな、俺以外に好きな奴がおる神崎をそばで見とるんが、辛くなってん。そんな、ちっさい奴やねん、俺は。」
今、確かに、私の名前を、言った。私が驚いて目を見開いていると、白石はまるで祈るかのように、懇願するかのように、自分のおでこに、両手で掴んだ私の手を寄せた。
「こんなに傷つけた俺が、言ってもいいのか、わからへんけど、聞いてほしい。好きや。神崎のことが、好きやねん。」
さっきから、白石にはよく驚きで息をとめられる。でも、今回は本当にすごく嬉しい、驚きだった。白石はまたかすかな声で続けた。
「臆病になってもて、すまん。勝手なことばっか言って、ほんますまん。せやけど、俺、神崎が好きやねん。…こんなこと聞いても、まだいいって言ってくれるなら、また好きやって、言ってくれへん?」
「白石は、考えすぎだよ。」
白石は、おでこに寄せていた私の手を少し下ろし、私を見てから、ぎょっとしたように目を見開いた。
「な、なんで泣いて…」
感極まって泣いてしまったみたいだ。溢れる涙を軽く拭ってから、続けた。
「白石のこと、近くで、ずっと見てたんだよ。少し臆病なとこがあることだって、たくさん考えすぎて勘違いしてしまうことがあることだって、全部ぜんぶ、もう知ってるんだよ。私はさ、」
大きく息を吸って、白石の目を見た。
「私は、そんな白石が、好きなんだよ。」
そう言って笑ってみせると、白石も少し泣きそうな顔で笑ってくれた。
「おおきに。俺も、神崎が好き。」
久しぶりに見た白石の笑顔。また、一緒に笑いあえるんだ。なんだかそれが嬉しくて、また少し泣きそうになってしまった。
窓の外は、相変わらず、風が吹いて寒そうだ。それでも、もう、さっきまでみたいな泣きそうな寒さではない。白石のおかげであたたかくなった心を感じながら、また顔を見合わせて笑った。
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