不二君に見られる
「ねえ、神崎。」
「何、不二君。今、髪くくってるんだけど。」
いつものように微笑みながら話しかけてくる隣の席の不二君に、これまたいつものように視線を向けずに返事をする。
「髪、伸びたもんね。伸ばしてるの?」
「ううん、なんとなく。」
「そう。短かったのもよかったけど、今も似合ってるよ。綺麗。」
綺麗という言葉が私よりもよく似合う不二君は、なぜか私によくその言葉を言う。初めは驚いて、変な反応をしてしまったけど、今は、もう聞こえないことにしている。
なんで、不二君とこんなことになったんだっけ。なおもにこにことこちらを見てくる不二君から考えをそらすために、不二君と初めて関わりを持った時のことを思い返した。
*
放課後になったばかりの、まだ明るい教室に一人。響くのは、カサッという紙のすれる音と、パチンッという規則正しいホッチキスホッチキスをとめる音だけ。日直だからと先生に頼まれたこの作業は、まだまだ終わりそうにないが、それほど嫌ではなかった。規則的な作業は結構好きなんだ。紙がずれないように、角をきっちり揃えて、角で二等辺三角形を作るような気持ちで、ホッチキスをとめる。綺麗に積み上げられたそれを見て、少し笑みをこぼす。と、その時、カタッと物音がした。音を辿ると、同じクラスでつい最近隣の席になったばかりの不二君が教室の扉のところに立っていた。
「あ、不二君。」
「お疲れ様、神崎。日直の仕事?手伝おうか。」
言いながら近づいてきた不二君を見て、慌てて顔をそらしながら首を振る。
「いやいや、大丈夫。不二君、今から部活でしょ?こんな作業、一人でもすぐに終わるから。」
不二君は、そう?とだけ言って、自分の机からノートを一冊取り出して、鞄におさめた。忘れ物、だろうか。珍しい。不二君の手もとを見ていると、その視線に気づいたのか、不二君は、ふふっと笑って、続けた。
「忘れ物、しちゃったんだ。」
「あ、ごめん。不躾に見ちゃって。」
人が忘れ物を取りに来た様をじっと見るなんて、失礼なことをしてしまったと、慌てて顔をそらすと、気にしなくていいのに、と不二君はまた笑った。不二君の笑い声は、本当に、綺麗だ。聞いてると、どきどきして、なんだかわからないけど、少し恥ずかしいような、胸が痛いような、そんな気持ちになる。笑い声を聞くだけでこんな状態なんだ。きっと眼なんてあったら、不二君の魅力にあてられて、倒れてしまうかもしれない。そしてきっと、本当に好きになってしまう。好きになったって、どうしようもないのに。だから私は、不二君の眼は、あまり見ないと決めたんだ。
「それに、忘れ物してよかったなって、思ったし。」
「どうして?」
部活に遅れるかもしれないし、一度出た教室へまた戻るなんて面倒以外の何物でもないだろうに、と不思議に思って不二君の机の方を見ると、不二君はまた、ふふっと笑った。
「ホッチキスをこんなに綺麗にとめる人がいるんだなって、知れたから。」
そう言われて、手元のホッチキスでとめられたプリントに目線をおとす。うん、我ながら綺麗だ。
「ありがとう。こういう作業、好きなの。」
褒められたことが嬉しくて、少し笑いながらそう言うと、不二君は少し驚いたように、え、と短く発した。え、ってどういうことだろう。あ、もしかして、別に私のことを言ったんじゃなかったのかな。うわあ、恥ずかしい。忘れてくれ、不二君。気を紛らわせるために、また手を動かして作業に戻る。不二君は数秒の沈黙ののち、また、ふふっと笑った。
「綺麗って、神崎のホッチキスの技術を褒めたんじゃなくてね。」
ああ、やっぱり違ったんだ恥ずかしい。少しうつむきながら、またパチンッととめる。不二君は柔らかい声音で続けた。
「ホッチキスをとめる、神崎が綺麗だなって、思ったんだ。」
「き、き、綺麗?私が?」
「うん。」
思わず、手をとめ、不二君の顔を見た。不二君は、何かおかしなこと言ったかな、とでも言うかのように、綺麗に微笑んだまま首を少しかしげた。かしげた拍子に耳にかけていた髪がさらさらと耳から落ちる。
「ボクは部活に行くけど、本当に手伝わなくて平気?」
「うん、大丈夫、あ、ありがとう。」
不二君は、また明日、と片手をあげて、入ってきた時と同じように静かに教室を出ていった。また明日、なんて言っても、今みたいに話すことはないんだろうな。隣の席だって言っても、関わることなんてないし。そう思っていたのに、私の想像に反して、不二君はそれから、よく私に話しかけてくるようになったんだ。
*
「ねえ、神崎」
急に名前を呼ばれ、思わず現実に引き戻された。そうだ、今も、その不二君に話しかけられているところだったっけ。
「何?不二君。」
ああ、もう髪の毛をくくり終わってしまった。何か、不二君から気を紛らわせるために別の作業をしなきゃ。そうだ、数学宿題出てたっけ。よかった、それをしよう。机の中から数学の教科書とノートを出していると、不二君は気にせずに続けた。
「前に、写真撮るのが好きだって言ったよね。」
「うん、聞いた。」
それ以外にも、テニスのこととか、弟のこととか、植物のこととか、休日の過ごし方とか、ほかにもたくさん、不二君は自分のことを私に教えてくれた。そして、同じように私のことも知りたがった。
「で、その時に神崎の写真撮らせてもらったでしょ。」
不二君の言葉で、数日前に、ね、お願い。と頼まれ、断り切れずに、どうぞ、と返したのを思い出した。
「それを現像したんだ。見てくれる?」
「あ、うん。」
不二君の手から渡された写真を受け取って、見る。そこに写っているのは私なのに、なんだか私じゃない人みたいな気がした。なんだか、少し、
「綺麗でしょ。」
思っていたことを見透かされたのかと思うようなタイミングで言われ、少し驚く。確かに不二君のこの写真は綺麗。私じゃないみたい。でも、これを綺麗だなんて言ったら、自分で自分を綺麗って言ってるようなものじゃないか。なんて返せばいいのかわからずに、黙っていると、不二君は、笑って続けた。
「神崎は、ボクが綺麗って言うと、少し嫌そうに眉を寄せるけど、ボクから見た神崎はね、いつもこんな風に綺麗なんだよ。」
「なんで、そんなこと、」
私に言うんだ。
恥ずかしくて、思わずうつむく。顔、今、絶対赤い。こんなこと言われたら、不二君ってもしかして私のこと…って思っちゃうじゃん。そんなの、ありえないのに。ああ、もう。
「不二君って、もしかして、天然?」
待っても返事がないのを不思議に思って、うつむいていた状態から顔をあげて不二君を見ると、不二君はうっすらと眼を開いて、笑った。
「ううん、わざと。」
神崎が、ボクのこと意識したらいいのになって思って、と続けた不二君を見て、ああ、もうだめだ、とあきらめた。私は、やっぱり不二君の魅力から逃れることなんてできない。たとえ不二君と眼をあわさないようにしてたって、その事実は変わりようがなかったんだ。
でも、それでもいいか、と少し笑った。だって、
「ああ、やっとこっちを見てくれた。」
そう言って笑う不二君は、本当に嬉しそうだったから。
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