short | ナノ


寒い冬に一氏君と鍋


「うう、寒。」

玄関の扉を開き、吹き込んできた冷たい風に、思わず呟く。あたりは、日が沈みかけてきた頃。せめて日中だったら、もっとあったかかったんだろうか。エアコンをつけていた室温と外気の差に少し挫け、もう今日は出かけるのやめてしまおうか、と一瞬考える。今日は友達と約束してるわけじゃないし、何か買わなきゃいけないものがあるわけでもないし。うん、今日は出かけるの、やめよう。

そうと決まったら、こんなに寒い玄関先に留まっている理由はない。早くエアコンの余韻の残る暖かい部屋へと引き返そう。

「あ、メール?」

そんな折、いきなり携帯が震えた。扉を閉め、エアコンの電源を入れてから、携帯の画面を見る。

「from:一氏
 腹減った。」

なんてどうでもいい報告なんだ、と小さく笑ってから、ふと、自分のおなかもすいていたことに気づく。ああ、そうだ。私が出かけようとした理由は、おなかがすいたのに、冷蔵庫に食材がほとんどなかったからだった。寒さから逃れたい気持ちが食欲に勝ってしまったため、メールを見るまで、おなかがすいていたことを忘れていた。どうしよう、一旦思い出してしまうと、さっきよりもさらにおなかがすいてきた気がする。

一言、私も、とだけ返事を返すと、数秒後、電話が鳴った。

「おー、元気か?」

「元気じゃないよ。一氏のせいでおなかへって倒れそう。」

少しうらめしげな声でそう言うと、一氏は、はっと笑った。

「どうせ、飯食べよかーって、出かけようとはしたものの、寒さに負けて部屋でぬくぬくしとんやろ。」

「一氏、あんた、ストーカーは犯罪だよ。」

「あほぬかせ!お前の行動がわかりやすすぎなだけや!」

そんなにわかりやすいか、とぼやくと、おお、わかりやすいでー、とそっけなく返された。

「で、何?いきなり電話して。」

「腹減ったなーって。」

「いや、それはわかるけど、おなかへったって言っても、うちなんもないよ。あと、寒いから食べに行くのもいや。」

「せやろなー。言うと思った。」

じゃあ、本当になんでかけてきたんだろう。少し黙って考えるが、一氏の考えなんて、出会ってからこのかた、わかった試しがなかった。


「今、俺、どこにいる思う?」

「え?」

部屋じゃないの、と言いかけて、電話越しの雑音がいつもより大きいことに気づく。

「あれ、外なの?」

「おう、スーパー行った帰り。ほんで、」

一氏が言葉を続けようとした刹那、玄関のチャイムがなった。誰だろう。宅配便かな。

「ごめん、一氏、なんか宅配便来たかも。あとでかけなおす。」

電話を切って、玄関の扉を開ける。寒いだろうな。できるだけ早くサインして受け取ろう。

「はーい、待たせしました。って、え?」

「ちわーす、宅配便でーす。」

そこにたっていたのは、爽やかな青いボーダーの制服が印象的なお兄さんでも、黒猫がトレードマークのお兄さんでもなく、両手にスーパーの袋をさげた、一氏だった。

「いや、宅配便じゃないじゃん。」

「ええから、はよあげて。寒いねん。」

一氏はそう言うと、当たり前のように私を軽く押しのけて私の部屋に入り、台所にスーパーの袋を置いた。そして、さっきまで私が座っていたハロゲンヒーターの前に陣取り、ああ、じーんとするーと、言いながら手をこすり合わせた。

「いや、何なの?いきなり。」

一氏はハロゲンの前に座ったまま、ん、とスーパーの袋を示した。

「何?見ろってこと?…ふおおおお!白菜、大根、豆腐、ひき肉、鶏肉、練り物、糸こん、人参、しいたけ、えのき、えりんぎ、くずきり…、鍋だね!最高の鍋だね!」

豆腐たくさんあるし。豆腐とひき肉でお団子つくちゃお。しめのうどんも買ってんで、と言ってニシシと笑う一氏に、ぐっと親指を立てる。

「寒い寒い言うて部屋おんねやろなーって思って、鍋の具材買うてきてん。あったまんでー。」

「一氏、ナイス!まじナイス!お礼にだまこ作る!だまこ!」

「なんやそれ。」

「きりたんぽの丸いバージョンみたいなやつ。ご飯つぶして、丸めて焼いて、鍋に入れるの。寒いとこの料理だから、寒いときに食べるとさらに美味しい!」

なんやわからんけど、うまそうやなー、と笑う一氏に、美味しいよ、と笑ってから、台所に立つ。豆腐の水きって、ひき肉とスパイスとあわせて、お団子に。あ、レンコンあったっけ。小さく切って、お団子に入れちゃおう。昨日炊いた冷やごはんをビニールに入れて、つぶして、丸めて、表面に油を少しぬってオーブンで焼いて、野菜、豆腐、練り物を切って、よし、だまこはこれでいいな。もうそろそろ準備終わりかなー、と思いながらオーブンをのぞいていると、さっきまでハロゲンの前で手をこすり合わせていた一氏がぬっと顔を出した。

「なんか手伝おか?」

「ありがとう。じゃ、こたつ、これで拭いてくれる?」

「おう。で、そのあとにこれ運べばええん?」

一氏は言いながら、これ、と私が切った食材を示した。

「そうそう、お願い。」

一氏がちょこまかと動いている間に、だまこも焼け、お団子も丸め終わった。二人で準備すると早いや。

「いただきます!うっま!うまいで、これ!」

「いただきます。本当、美味しい。あったまるねー。」

ぐつぐつと煮える鍋は、見ているだけでもあったかく、食べるともちろん、体の奥からあったかくなった。

「本当、ありがとね!一氏がいなかったら、今頃すっごくひもじかった。買い置きのパスタソースくらいしかなかったよ。」

「美味しいスパゲティ作ったお前!」

唐突に物まねしだした一氏に、ぷっと笑う。そういえば、昔そんな歌が流行ったっけ。

「何?家庭的な女がタイプな一氏、一目ぼれ?」

「いや、てかな、家庭的なんやで、とか言いつつ、レトルトのパスタソース出したら、詐欺やろ、それ。」

「かもね。」

「せやせや。それに、一目ぼれちゃうし。」

「そっかー。」

「お前、意味わかっとる?」

「え?うん。レトルトのパスタソースで家庭的アピールは詐欺ってことでしょ。」

私もそう思う。美味しいけどね、あれ、とうなずくと、一氏は、はーっとため息をついて、肩を落とした。

「パスタはええねん。今はパスタじゃなくて。」

「うん、今は鍋だよね。」

「せやな、鍋やな、せやけど、そういうことやなくて、俺は一目ぼれとかやなくて、神崎に惚れとるってこと。」

「あー、なるほど。」

「せやせや。好きでもないやつのためにわざわざ寒い中、鍋の材料持ってくるわけないやろ。あ、そろそろ、しめのうどん準備しよか。」

「あ、うん、そうだね。」

「神崎は座っとき。」

一氏はそう言うと、うどんを求めに台所に向かった。

え、ちょっと待って。え、惚れてる?誰が、誰に。一氏が、私に?うああああああ!心の中で叫んで、耐え切れず、こたつに突っ伏す。知らなかった、そんな素振り、全くなかったのに。…いや、そういえば、帰り道とか暗くなったらいつも送ってくれてたっけ、なんの予定もない休日、二人でどっか行こうかって誘われることも、ほかの友人より多かったっけ、風邪ひいたときとかはいつも、りんごとスポドリ持ってきて、うどん作ってくれてたっけ。なんだよ、あったじゃんか、素振り。恥ずかしい。なんか、もうわかんないけど自分が恥ずかしい。

「わ、なんやねん。びっくりするわー。何つっぷしてんの?」

「穴があったら入りたい気持ちなの。」

「さよか。まあ、なんでもええけど、とりあえずのびてまう前にうどん食べよや。」

ん、とうどんを手渡され、ありがと、と受け取る。

「美味しい。」

「ん、よかった。」

うどんは、あったかくて、なんだかほっとした。

「ははっ、ほっとした顔しとる。」

「だって、あったかいし、美味しいから。」

ちらと、一氏の顔を盗み見る。普通だ。いや、かっこいいけど、そういうことじゃなくて、いつもと変わらず平常だ。もしかして、さっきのは幻聴?うん、幻聴だ。もしくは聞き間違いか、冗談。だって、こんなにいつもどうりだもん。

「うまかったなー。準備任せてもたから、洗いもん、俺なー。」

「あー、ありがとう。」

一氏は立ち上がって、台所に向かい、あ、と言って振り返った。

「さっき言った、神崎に惚れとるっての、冗談とかやないからな。」

「お、おう。」

「ぷはっ、なんやねん、その返事。おっとこ前やなー。」

はははっ、とおかしそうに笑ながら、一氏は台所に向かっていった。その背中が流し場にたどり着くまで目で追って、ぱたっとこたつに突っ伏す。

あつい、なんかもう、あつい。だけど、こたつのせいでも、鍋のせいでもないこのあつさは、少しむずがゆいけれど、不思議と心地よかった。
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