short | ナノ


ジャッカルと歩く帰り道


迷子っていうのは、ようは気の持ちようだと思う。他人から見たら迷子に見える状況だったとしても、新しい道を見つけられてラッキーなんて思えたのなら、それは迷子ではなく、冒険だ。だから、今の私の状況だって、冒険なんだ。たとえ2時間以上歩いても知っている道に出られなくても、周りにバス停や駅や交番がなくても、人通りがほとんどなくても、もう足が疲れてこれ以上歩けなくても、そう、これは冒険。

「って、んなわけあるかー!」

自分の無理ある思考を一旦止めるために、空に向かって叫んだ。どうせ人っ子一人いないんだ。誰かに聞かれて恥ずかしいなんてこともない。そう思っていた私は、いきなり背後から聞こえた声に、またしても叫んでしまいそうなくらい驚いた。

「どうしたんだよ。いきなり叫んで。」

「だ、誰じゃ!」

驚きすぎて、舌を噛みつつ振り向くと、スキンヘッドの男の子が立っていた。誰だ。本当に、誰だ。

「はは、誰じゃって、なんだよその話し方。」

そう言って笑った顔は思いのほか優しそうで、つい、今のは噛んじゃっただけだってことを言いそびれてしまった。スキンヘッドだけど、不良とかじゃないんだ。

「立海の制服だろ。こんな学校から離れたところで、どうしたんだよ。迷子か。」

「いや、違うよ、迷子だなんて、ははは。中学生にもなって迷子?そんなわけないじゃんか。」

制服を見ただけですぐに学校名がわかるってことは、きっと同じ中学の人なんだろう。見ず知らずの人ならいざ知らず、同じ中学の人に、こんな歳になってまで迷子だなんて知られたくなくて、つい否定してしまった。

「そうか。勘違いして悪かったな。」

全力すぎて、きっと不自然な否定だったろうに、目の前の彼は、あっさりと引き下がってくれた。なんだこの人、めっちゃいい人じゃんか。意地はって迷子じゃないなんて言わずに、素直に道を教えてもらえばよかったかも。ああ、でも、そんなことを今更思っても、もう数秒前の台詞は戻ってこない。一人うなだれていると、まだ立ち去っていなかったらしい彼が、なあ、と続けた。

「今からもう帰るのか?それともまだ用事か?」

「え?」

質問の意図が分からず聞き返すと、彼は、暗くなりかけた空を指しながら、眉を下げて笑った。

「もう帰るなら、途中まで一緒帰ろうぜ。そろそろ暗くなるしよ。」

「っ!ぜひ!」

願ってもない提案に、思わず食いつくように頷いた。彼は私の必至さを見て、少し笑いつつも、ひいたりはしていないようだった。いい人だ。本当、いい人だ。

「あなたはこんな遠くで何してたの。」

なんとなく無言なのが気まずくてそう聞いた。こんなつまらない質問にも、ちゃんとこっちを見て答えてくれる彼は、やっぱりいい人だ。

「こっちのスーパーの卵がすっごく安売りしてたからさ、買い出し。」

これ戦利品な、と掲げた袋には、確かに大量の卵が入っていた。

「あなた、なんて呼ばれたら、なんかくすぐったいからよ、俺、ジャッカル桑原な。」

その少し珍しい名前を聞いて、あれ、と首をかしげる。

「あれ、なんか聞いたことある名前。」

「あー、ブン太から聞いたんじゃねぇか。」

「え、ブン太?ブン太の友達?」

よく食べ物をねだりにくる幼馴染の顔を思い出しながら聞くと、ジャッカル君は、はは、と小さく笑った。

「そう、ブン太。ダブルスのペアな。」

「ああ、テニスの!」

そう言えば、ブン太からそんな名前の人とダブルス組んでるって話に聞いたっけ。いい奴だぜ、会ってみろよ、なんて、ニヤニヤしながら言うから、絶対変な人なんだと思って極力「ジャッカル」の話題に触れないようにしてたけど、まさか本当にこんなにいい人だったなんて。

「あ、私はね、」

そういえば、私の自己紹介がまだだった。これを機に仲良くなってしまおうなんて思いながら口を開くと、ジャッカル君に「知ってる」と制された。

「え?」

「神崎伊織だろ。」

なんで私の名前を知ってるんだ、と一瞬考えてから、すぐに納得した。そうか、ブン太が話したのか。私の表情を読んだのか、ジャッカル君は、ブン太から聞いたんだろうなって、思っただろ、と言ってきた。

「ブン太から聞いたのは、確かにそうだけど。ブン太から話してきたわけじゃないぜ。」

どういう意味だろう。ブン太から聞いたけど、ブン太が話したわけじゃないって、なんだそれ。

「なぞかけ?」

私がそう言うと、ジャッカル君は少しおかしそうに笑った。

「あ、分かった!口で言ったんじゃなくて、文字に書いたんだね。もしくはメール。」

それなら、ブン太から聞いたけど、ブン太が話したわけじゃない、も納得できる。私の得意気な顔を見て、ジャッカル君はまた笑った。

「違うな。」

「じゃあ何?」

正解だと思ったのに、と少しふてくされながら聞くと、ジャッカル君は笑いを含んだ声で、すねるなよ、と言った。

「ブン太が話したわけじゃない、じゃなくて、ブン太から話したわけじゃない、な。」

何か違いがあるんだろうか、と考えていると、ジャッカル君はさらに続けた。

「ブン太から神崎のことを話してきたわけじゃなくてな、俺から聞いたんだ、神崎のこと。よく一緒にいるあの女子誰だってな。」

「なんかそれって、」

何も考えずに発しそうになった言葉をあわてて飲み込んだ。あぶない、すごい自意識過剰発言するとこだった。すんでで言わずに済んだと胸を撫で下ろしていると、隣から、それって、の続きが聞こえてきた。

「それって、まるで神崎のこと好きみたい、ってか。」

「わあ、恥ずかしいな。わかってても言わないでよ。私、すごい自意識過剰みたいじゃんか。」


「別に恥ずかしいことじゃねーよ。本当のことだし。」

「な、私が自意識過剰だって言うのか!ひどいな、ジャッカル君。」

いい人だって思ったのに、優しそうな笑顔でなんてことを言うんだ、と思っていると、ジャッカル君は苦笑しながら口を開いた。

「そっちじゃねーって。俺が神崎のことを好きって方が、本当のこと。」

「あー、そっちかー。」

「そうそう、そっち。」

なんだ、私を笑顔でけなしてたわけじゃなかったんだ。よかった、と胸を撫で下ろしてから、ん、と何かひっかかった。あれ、今、ジャッカル君なんて言った?

「ブン太がさ、俺が協力してやるぜ、とか張り切ってたけど、なんか言ってなかったか。」

そういえば、少し前から、食べ物もらいに来るついでに話す内容は、ほとんどジャッカル君の話ばかりだったし、今まで、いい奴だから会ってみろだなんて、私に自分の友達のことを紹介したこともなかったけ。じゃあ、なに、あれがブン太なりの「協力」だったってわけ?いやいや、あんなニヤニヤしてたら絶対変な裏があると思って、近寄りたくなくなるに決まってんじゃんか。

「お、家、そろそろなんじゃないか。ブン太の幼馴染ってことはブン太ん家の近くだろ。」

「あ、うん、もうすぐそこ。」

もしかしなくとも、私が帰り道わからないことに気づいて、ここまで送ってくれたんだ。

「あ、ありがとう。」

「いいって。」

にかっと笑った笑顔の後ろで夕日が輝いていた。





「ただいま。」

「おー、おかえり。」

うちのリビングのソファーでくつろいでいたのはブン太だった。あ、そういえば今日はすき焼きだったけ。食べに来たんだな。野菜、野菜、肉、と言いながら隣に腰かけると、肉、肉、肉、と返された。

「ってか、お前遅かったじゃん。迷子だろ、迷子。」

「違うし。」

たとえ帰り道がわからなくても、素敵な出会いや発見があったのなら、それは、やっぱり冒険なんだ。

「冒険してきたの。」

不思議そうに、なんだそれ、と首をかしげるブン太に向かって、私は満足げに笑った。


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