余裕がある一氏君
「一氏ってさ、なんかいつも余裕そう。心底慌てふためくことなんてあるの?」
「こは、」
私の唐突な問いかけに戸惑うでもなく、即座に答えようとした一氏に、待って、と手で制する。
「 小春ちゃん以外で。」
「ないな。」
一氏は、何を当たり前の事を、と言った感じで即答した。
「即答かい、嫌な奴ー。」
私なんて、今こうやって話してるだけで、もう内心ドキドキバクバクなのに、この目の前のこいつが心音を乱すのは小春ちゃんを前にした時だけなんだから。本当、嫌な奴だ。
いっそのこと嫌な奴だからって、嫌いになってしまえば楽なのかもしれない。なんて、そんなこと考えても、どうせ出来やしないんだけどさ。
私が勝手に凹んでる横で一氏はまた口を開いた。
「余裕ないやつには、人笑かすなんて到底無理やからな。」
「そうかい。」
「せやせや。」
そう言って、少し口のはしをつりあげて笑った一氏は、何故かはわからないけど、なんだかヒーローみたいだった。
「じゃあさ、はやく笑かしてきなよ。」
「誰を?」
「誰でもいいから誰かを。」
そしてはやく私を一人にしてくれ。こんな恋する乙女みたいな思考でうだうだ考えるのはもう嫌なんだ。
「まあ、今笑かしたいやつならおるけどな。」
そう言って笑った一氏の顔は、なんだかすごく楽しそうだった。こんな顔をするってことは、笑かしたい相手の名前はもう聞かなくてもわかる。小春ちゃんだ。
なんだか泣きそうになって、我慢するために眉間に力を入れた。私は一体何をしているんだろう。自分から話しかけておいて勝手に凹んで。本当、何が、したいんだろう。
ふいに、何かが、その力を入れた眉間に触れ、驚いて俯きがちだった顔をあげる。私に触れていたのは、一氏の手だった。何?と私が聞くより先に一氏が口を開いた。
「俺の目の前で、何でかわからんけど泣きそうな顔しとるこいつを、今はまず笑かさなやな。」
「え、私?」
「おう。て、何でそんな驚いてんねん。目の前で泣きそうなやつおったら笑かしたりたいって思うん自然やろ。」
一氏は、私が何で泣きそうかなんて知らない。私が一氏を好きだってことも、到底知る由もない。
でも、それでもいいと、思った。私に心音を乱されることがなくても、私の前で余裕をなくすことがなくても、泣きそうな私を見て、笑かしたいって思ってくれるなら、もうそれだけでいい。
「ありがとう。一氏は、なんかさ、ヒーローみたいだ。」
「は、何言うてんねん。」
そう言って口のはしをつりあげて笑いながらも、もう泣きそうやなくなったな、なんて私の変化にいち早く気づいて笑う一氏は、やっぱりヒーローだった。
prev next