short | ナノ


千歳君と凜とした背中の君


最近学校の近くんバス停で見かける子がいる。制服一緒やけん、四天宝寺生なんやろう。

背がとりわけ高いわけではないっちゃけど、凛と伸ばされた背中を見ると、なんだか…

「背ぇおっきかね。」

つい思ったまま口に出してしまうと、彼女は隣に立っている俺を見上げて不思議そうな顔をした。

「…面白いことを言うね。」

「なんが?」

「あなたの方がよっぽど大きいでしょう。」

「そーかもしれんね。」

いつも凜と背中を伸ばして小説に向けられている目が初めて俺に向いたんが嬉しくて、へらりと笑うと、彼女も不思議そうな顔をしつつ笑った。

名前を聞こう、と口を開くのとほぼ同時に、バスがやって来た。

「私、このバスなの。じゃあね。」

バスに向かって歩く彼女の背中は立っていた時と変わらず凜としとって、やっぱり、目は離せなかった。



*



初めて彼女と言葉を交わしてから数日が経ったある雨の日、またバス停で彼女を見つけた。

いつも本を持っている手には傘が握られとったけど、背筋は変わらず凜としていた。

「雨やね。」

隣に立って声をかけると、彼女は俺を見上げてから、ぎょっとしたように目を見開いた。

こんな顔もするっちゃね、珍しかー。

「っ、なんで傘さしてないの?」

「傘忘れてしまったったい。」

傘を持ってないことに驚いたのか、と納得して笑うと、彼女は驚きと困惑の混じった表情で口を開いた。

「いや、そうじゃなくてね、なんで傘忘れたのに、平然と歩いてるの。」

走るとか、濡れないように何かを頭の上で持つとか、何かあるでしょう、と続けた彼女に、んー、傘忘れたんやから、濡れるのはしょうがなかよー、と首をかしげて笑うと、彼女は困ったような笑顔で、俺の方に傘を傾けて入るように示し、かばんから取り出したタオルを渡してくれた。

「ありがとさん。」

流れでタオルを受け取ったはいいが、ワンポイントの花の刺繍がほどこされたこの綺麗なタオルで、ぐしゃぐしゃと頭や体を拭いてもいいのかと戸惑う。タオルを持ったまま動かない俺を見て、彼女は口を開いた。

「タオル、使ってないものだから、気にしないで使ってね。」

タオルを使うのに躊躇していたのは、別に使った後のタオルやと思ったからじゃなかっちゃけど、と思いつつ、それよりも「使ってないもの」という言葉にひっかかった。

「ん、なして使っとらんタオルを持っとっと?」

わしゃわしゃーと適当に拭くと、しょうがないなー、というような笑みを浮かべた彼女が、後ろも結構濡れてるから、タオル貸して少しかがんで、と言い後ろを丁寧に拭いてくれた。

「で、タオル、なんで?」

一通り拭いてもらってから、また尋ねると彼女は、鞄から取り出したビニール製の袋にタオルをしまいながら口を開いた。

「雨で濡れるかなって思ったから持ってきたけど、濡れなかったの。」

「ん?傘があるんやけん、普通はそんな濡れなかよね?」

土砂降りならまだしも、今日は小降りだ。

彼女は、うーん、と言って少し考えてから、ゆっくり口を開いた。

「私ね、しっかり準備しないと気がすまないの。傘だって、雨予報じゃないときも折りたたみ持ち歩いてるし、ハンカチとティッシュだって、人に貸したりすることがあるかもしれないからいつも2個持ってるし、ウェットティッシュも、絆創膏も、テーピングも、髪止めのゴムとピンも、他にもいろいろ。だからかばんはいつも重いの。」

そういう彼女の鞄は、確かにいつもぎっしりと物が詰まっているように見えた。

「だから、朝から小さな雨が降ってたっていうのに、傘をささずに学校に来られちゃうあなたは、なんだかすごいなってちょっと思う。」

そう言って、少し笑って続けた。

「ゆるやかなんだね、きっと。」

「ははっ、すごくなんかなかよ。ぼーっとしすぎやってよく怒られったい。」

笑って言うと、ふふ、ちょっとわかるかも、と彼女も笑った。

同じ傘に入っている為すごく近くにいる彼女は、いつもより小さく見える。

「俺からしたら、お前さんのがすごかよ。」

「どこが?」

微かに首を傾げる仕種が可愛らしくて少し笑ってから、続けた。

「いつもそれだけ重い物を持ちながらも、姿勢が凛としとるとことか。」

「姿勢?」

「ん、姿勢。いつも凛としてて、綺麗。」

頷いて見せると、不思議そうな彼女の顔は、少し照れくさそうに染まった。

「あ、バス。」

彼女の声を受けて道路を見ると、一つ先の信号で停まっているバスが見えた。

名残惜しいけど、しかたなかね、なんて思っていると、彼女は俺の手を軽くとって傘の持ち手を握らせた。

どうしたのかと聞くより先に、彼女は微笑んで口を開いた。

「私はバス降りたら、家まですぐだから、傘使って。」

驚いて傘を見ているうちに、もう彼女はバスに乗りかけていた。

「次会った時に返してくれたらいいから。」

プシューというバスの扉の閉まる音で、やっと我に返った。

窓ガラス越しに手を振る彼女。

「ありがとう、次会ったとき返すけんね!」

聞こえないだろうと思いながらもそう言うと、だいたい意味はわかったのか、彼女は笑いながら頷いていた。

だんだん小さくなるバスを見送ってから、手元の傘を見る。持ち手の先に付けられたネームタグ。

「…神崎伊織。」

想像通り綺麗な字と、持ち物にフルネームで名前を書く律儀さに、なんだか微笑ましい気持ちになった。

次会ったときこそ、直接名前を聞こう。はからずして知った名前を反芻しながら、そう思った。


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