謙也君と一緒に帰る
ふっ、と目を覚まして、周りを顔だけで見回した。ここはどこだっけ、と寝ぼけた頭のまま考えて、今の状況を少しずつ把握した。そっか、私、ホームルーム終わった後、教室で寝ちゃってたんだ。
机の上に出しっぱなしだったノートのはしに、
「起こしても起きんし、疲れとるみたいやから、先帰るなー」
と、いつも一緒に帰る友達からメモが残されていた。
そういえば、ぼんやりと起こされたのを覚えている。起こされても起きないとか、どんだけ眠かったんだ、私。
窓の外は、もう暗くなりかけていた。風邪ひいたらいけないし、早く帰ろ、と立ち上がると、背中から何かがパサッと落ちた。その何か、が背中から落ちたせいで、寒くなってブルッと震えた。
何がかかっていたんだろう、と落ちたものを見て、驚いた。
「…毛布。」
それは紛れも無く、毛布だった。ブランケットとかではなく、保健室のベッドで使われていそうな少し固いけど大きくてあったかい毛布。毛布のそばにしゃがむと、毛布のタグには四天宝寺・保健室、と書かれていた。…これ、本当に保健室のだ。
一体誰がかけてくれたのかはわからないけど、助かった。これがなかったら、きっと私は今頃風邪をひきかけていたはず。
帰る前に、保健室に毛布を返しに行こう。そう思って毛布を拾うと、その下にも何かが落ちているのに気づいた。拾ってみると、男物のコートだった。
どうやら、コートをかけて、その上に毛布をかけてくれていたみたい。コートに名前とか書いてないかな、と探すと、「S」というイニシャルが手書きで書かれていた。誰だろう。なんだか少しワクワクする。
コートと毛布を持って教室を出ると、廊下を吹き抜ける風邪が冷たくてブルッとした。
無人の保健室に毛布を返し、靴箱で靴をはきかえる。コートは、明日返そう。誰のかわからないけど、多分クラスの誰かだよね。
「っ、神崎!」
後ろから大声で名前を呼ばれ、少し驚きながら振り返ると、遠くからすごいスピードで走ってくる謙也君の姿が見えて立ち止まった。
「今、帰りなんや!偶然やなっ!」
そうだね、と笑うと、謙也君は帰ろか、と言って歩きはじめ、つられて私も足を進めた。あ、なんか一緒に帰る流れみたい。
「ちょっと教室で寝ちゃってたみたいでね、それでこんな遅くになっちゃったんだ。」
「へ、へぇ、そうなんやー。」
「うん。でもコートと毛布を誰かがかけてくれたおかげで寒くなかったの。」
ほら、このコート、と言いながらコートを見せると、謙也君は何故か明後日の方を向いて、そ、そうなんやー、とどもりながら笑った。
「どうしたの、謙也君。」
一瞬、謙也君がかけてくれたのかな、なんて思ったけど、すぐにその考えを改めた。謙也君は、忍足謙也だから、Sじゃない。
「あ、もしかして、これ、誰のコートか知ってるの?」
私がそう尋ねると、謙也君の肩は大袈裟にビクッとなった。
「謙也君の友達で、イニシャル『S』で、保健室の毛布を借りられる人って、…白石君?」
「いや、えっと、あの、」
言いにくそうな謙也君に、慌てて手を振った。
「あ、ごめん。言いにくいみたいだったら言わなくていいよ。明日返したいから、誰のかなって思ったんだ。」
そう言ってから笑ってみせると、謙也君も、はは、と笑った。
「神崎、そのコート着ぃひんの?」
数秒の沈黙の後、唐突にそう言われ、首をかしげた。
「え、だって借り物だし。勝手に着るわけには。」
「いやいや、神崎にかけたってことは、このコート使ってやってことなんちゃう?」
「そうかな?うーん、でも、やっぱり持ち主に聞かずに勝手に着るのはちょっと抵抗あるかな。」
本当は、今日自分のコートを家に忘れてしまったからすごく寒くて、今すぐにでもこの手に持っているあたたかそうなコートを着たいんだけど。
「持ち主が着てええでって言ったら着るん?」
「そりゃあもう、喜んで。」
力強く頷くと、謙也君は、ははっと笑った。
「ほな、それ着てや。」
「え、だから持ち主が、」
私の言葉を遮って、謙也君が口を開いた。
「『S』って、名前のイニシャルだけとは限らへんのとちゃう?」
「ん、サイズとか?」
「いや、スピードスター、とか。」
「え、」
思わず黙りこんでしまって、沈黙が流れた。
え、スピードスターって、謙也君のことだよね。てことは、これ、謙也君がかけてくれたってこと?
ちらっと隣を歩いている謙也君の顔を伺うと、謙也君もちょうど私の方を見ていた。謙也君の赤く染まった顔を見ているうちに、私まで顔に熱が集まってくるのを感じた。
謙也君は赤い顔のままで、いつものようにニカッと笑った。
「今日、コート忘れたって話してんの聞こえて、それで毛布だけやなくてコートもかけてん。せやから、それ持っとらんと、ちゃんと着て帰ってな。ブカブカやろうけど、あったかいで。」
ほなな、と手を振って謙也君は去って行った。あ、もう駅に着いてたんだ。来た道を引き返す謙也君を見て、駅まで送ってくれたんだ、と少しくすぐったい気持ちになった。
手に持っていたコートを羽織って、手を通すと、すっぽりと体が覆われた。
少しドキドキしながら駅のホームで電車を待つ。冬だっていうのに、顔の熱が一向に冷めないのは、きっとこの自分のものよりもだいぶ大きいコートのせいだ。
明日、改めてお礼を言おう。謙也君は、どんな顔で受け取ってくれるんだろう。またさっきみたいな笑顔を見せてくれたらいいな、なんて思って、一人で小さく笑った。