short | ナノ


柳先輩を振り向かせたい


遠くから足音が聞こえてくる。だんだんと近づいてくるそれは、よく聞き慣れた音だ。

もうすぐ、いつもの声が聞こえてくるだろうと思い、持っていた本をパタンと閉じた。

「やーなぎ先輩!元気ですかっ?私は柳先輩に会えたおかげで元気です。今日も麗しいです!私の愛は柳先輩に一直線!」

「ああ、そうか。」

毎朝恒例となったこれを軽く流す。

神崎伊織。元気がとりえだが、しばしば空回るのが玉に瑕。

お弁当作って来てくれた時、屋上に行ってから箸がないことに気づき、食堂に取りに戻ったこともあったな、などと思いながら伊織を見て、違和感に気づいた。顔色が、いつもより悪い。それにうっすらとだが、目の下にくまができている。

どうかしたのか、と聞くのより早く、伊織はいつもより少し大人しく(それでもにぎやかには違いないのだが)、俺に本を差し出した。

「この本!昨日、柳先輩が面白いって図書室で教えてくれた本!とっても面白かったです。」

伊織が差し出してきたのは、俺が昨日の放課後、何かおすすめな本はないかと聞かれ、教えた一冊の本。

「読んだ、のか、これを。」

「はい、人生観が変わってしまいそうな、壮大な話でしたね。」

俺が内心驚いていることになど気づかずに、笑顔で続ける伊織に脱力した。

一人の人物の10数年に渡る人生を綴った長編の物語。俺はこれを読み切るのに、一体何日を要しただろうか、と考えて、目眩がした。伊織は、これを一晩で読んだと言うのか。

「…明らかに寝不足だな。」

「いや、えっと、本が面白くて、ちょっと、ちょっとだけ、睡眠時間を削っちゃいましたけど、寝不足とかでは、」

目を泳がせながら言い訳をするは、やはり少しフラフラとしていた。

はあ、とため息を一つついて、立ち上がると、伊織は不思議そうに俺を見上げた。

髪をよけ、首に掌をそわす。やはり脈拍が高い。驚いたように見開いた伊織の目の下にある、普段はないくまが、見ていて痛々しかった。

「やはり寝不足だな。脈拍が高い。伊織のクラス、1限目は体育だったな。保健室で休んだ方がいいんじゃないか?」

寝不足のせいで体調を崩したんだな、と続けると、伊織はゆっくり俺を見上げてから、俯いた。そして、震える手を、首にそわせた俺の手に重ねた。

「寝不足だからじゃなくて、柳先輩が好きだから、心臓がドキドキしてるんですよ。」

思わず、首にそわせていた手がぴくと動いた。

好き、だなんて、毎日伊織から聞かされているのに、今回の「好き」は、何故かいつもと違って聞こえた。

「でもやっぱり寝不足みたいだから、私、教室に帰りますね。」

照れたように早口でそう言って、去って行く伊織を、ただ黙って見送ることしかできなかった。

いつもより少し早い自分の脈拍。乱されるなんて、らしくない。

だが、まあ、こういうのも悪くないかもな。





笑かしたモン勝ち企画

遼さんのリクエストで「少しお馬鹿な主人公が柳先輩を振り向かせようと頑張るお話」でした。

リクエストありがとうございました!


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