丸井先輩と鈍い恋
目の前でチロルチョコを机の上で綺麗に整列させるという奇行にはしっているこいつが俺の好きなやつだなんて、我ながら理解不能。
というか、放課後、教室に二人っきりだってのに、なんでこいつは俺じゃなくてチョコばっか見てんだよ。あー、もうわけわかんねー。なんで俺がこんなやきもきしなきゃいけないわけ?
じーっと伊織を見ていると、視線に気づいたのか、伊織が顔をあげた。
「あ、だめですよ、丸井先輩。手が止まってます。早く部活行きたいでしょう?ちゃっちゃと課題終わらせちゃいましょ。」
「わかってるよ。」
ああ、そうだよ、わかってるよ。放課後の教室で二人っきりっていったって、現実は「課題を出されて部活に行けない先輩(俺)が課題を放り出して部活に行かないように見張る後輩(伊織)」ってだけなんだから。…つまんねー。
伊織と初めて会ったのは、校内の練習試合の日だった。
真剣に食い入るようにフェンスにしがみついて俺のテニスを見ている奴、それが伊織だった。
なんとなくその真剣さが気になって近寄って行くと、俺より先にジャッカルが伊織に声をかけた。「来てたんだな」「うん、すごかったよ!」という二人の会話を見て、自分の勘違いに気づいた。
なんだ、見てたの、俺じゃなくて、ジャッカルかよ。
思いの外がっかりしている自分に気づいて、少し驚いた。…今思えば、あの時には惚れてたのかもな。
その後ジャッカルに聞いて、神崎伊織という名前で、ジャッカルと家が近所だということがわかった。
それから何度かジャッカルを通して話したりして、今ではこうやって二人でも話せるくらいにはなった。
「丸井先輩、進んでます?早く部活行かないとジャッカル困っちゃいますよ。」
…といっても、いまだに伊織の中ではジャッカル>俺だけど。
今日こうやって見張ってるのだって、ジャッカルに頼まれたからだし。なんか複雑。
「ああ、進んでるって。…ていうか、丸井先輩ってのやめろよ。なんか固い。」
平静を装いながら、下の名前で呼んで欲しいと暗にしめしながら言うと、伊織は少し考えるような顔をしてから口を開いた。
「え、丸井?」
…なんだそれ。もっとほかにあるだろ。ブン太先輩とか、ブン太君とか、いやもう、ブンちゃんでもいいよ。とにかく、俺が求めていたのは「丸井」ではない、断じて!
「あ、すみません。やっぱり呼び捨てとか馴れ馴れしすぎましたよね。丸井先輩だと長いから固く感じるんですね、きっと。これからは先輩って呼びます。」
明るく宣言され、ため息をついた。苗字さえ呼ばれなくなるとか、後退してね?
はあ、と体の力が全て抜けるようなため息をつくと、伊織が心配そうに眉を寄せた。
「課題、そんなに難しいんですか?」
「ああ、もう、すっげー難しい。」
ただ、俺が悩んでる「課題」は手元にある紙のプリントではなく、目の前の伊織が、どうしたら俺のこと好きになってくれるかってことなんだけどさ。
こんなこと言っててもしょうがないからさっさと課題(プリント)すませっか、とシャーペンを握りなおすと、ふわっと頭になにかが触れた。伊織の手だった。
「え、何?」
いきなり頭を撫でられてびっくりして、少しそっけない口調になってしまった。
伊織はそんな俺のそっけなさに動じたりはせず、笑いながら口を開いた。
「難しい課題をがんばってる先輩に、いい子いい子、です。」
柔らかく笑いながら、いい子いい子、と頭を撫でられ、顔に熱が集まるのを感じた。
「っ、もう、いいって、それ。」
「そうですか?」
あっさりと引っ込められた手に、少し名残惜しさを感じた。
「課題終わったらこのチョコあげますから、がんばってくださいね。」
伊織はまたチョコを整列させる作業に戻って、手を動かしながらそう言った。…なんかチョコたくさんあるなって思ってたけど、課題終わりのご褒美だったのか、これ。
「ご褒美くれんなら、チョコじゃないのがいい。」
「ふふ、しょうがないですね。でもそう言うかなって思って、ガムも用意してますよ。」
楽しそうに笑いながらガムを取り出そうとかばんに伸ばした手を、掴んでとめた。
いきなり俺に手を掴まれ、不思議そうな顔をしている伊織を見ながら、ゆっくり口を開いた。
「チョコもガムもいらねぇから、ブン太って、呼んで。」
「え、」
嫌とかいうなよ、と半ば懇願するような気持ちで伊織を見た。
「名前、呼んで、いいんですか?」
おずおずと確認するように聞かれ、驚いた。
伊織のことだから、笑いながら、そんなことでいいんですかー、とか軽く言うだろうと思ってたのに。
「おう。」
「…ブン太、先輩。」
消え入るような小さな声で名前を呼んだかと思うと、伊織はバッと勢いよく立ち上がった。
「わ、たしっ、用事があるんでした!うっかりしてたなー、もう!ということで、さようなら!」
タタタタと走り去る伊織を、ポカンとしながら見送った。
「…かばん、忘れてるし。」
というか、え、あれ、何だ?
そういえば、前、ジャッカルに、「いいよな、ジャッカルは、あんなに真剣に応援してくれる可愛い後輩がいてさ」って妬み半分で言った時、ジャッカルは苦笑しながら「家帰ったら丸井先輩がああだった、どうだったとかしか言わねぇけどな」って言ってたっけ。あの時は、家に帰ってからも仲良く話してんのかよ、って妬いちまって、あんまり深く考えなかったけど、え、まさか、伊織が見てたのって、…俺?
一気に顔が熱くなるのを感じて机に突っ伏した。
置き忘れたかばんを取りに、きっと伊織は戻って来るだろう。
その時は、もうさっきみたいに逃がしたりなんてしないから、覚悟しとけ。
自然とにやけてしまう口元を隠しながら、心の中で呟いた。