かまいたがりな幸村君
「伊織、おはよう。」
「おはよう、幸村君。」
眩しい笑顔に目を細めながら挨拶を返すと、ふふ、幸村君だなんて、よそよそしいな、と笑われた。
いやいや、よそよそしいってなんだ。席替えで隣の席になっただけで、下の名前で呼び合おうとするなんて、幸村君は意外とフランクだ。
「あ、ちょっと、動かないで。」
いきなり真顔でそう言われ、少しびっくりして幸村君を見た。
「え、何?」
幸村君は真顔のまま、無言で私の頭に手をのばしてはひっこめ、のばしてはひっこめを繰り返した。なんだか、何かを取るタイミングをはかっているみたい。
はっ、と気づいて、冷や汗がたれた。
「ま、まさか、虫っ?虫が髪についてるのっ?」
焦る私を見ても幸村君は真顔のまま、うーん、と唸るように言った。
「え、やだやだ取ってよ。」
「わかった、目ぇつむっててね。」
言われるがままに目を閉じた。ぎゅっと目を閉じた可愛くない顔を綺麗な幸村君に見せるのは少し抵抗があったけど、虫への恐怖と比べたら、そんなプライドなんてちっさなものだ。
握りしめた手に力を入れすぎて、体がプルプルと震えた。この振動で虫が動いて、顔とか服の中に入ってしまったらどうしよう。
「幸村、君、まだ?」
「うーん、もう少し。」
真剣な声音を聞いて、さらに体が強張った。幸村君がこんなに真剣になるだなんて、一体どんな虫なんだ。もしかしてすっごく大きなクモとか…、だめだめ、想像したらもっと怖くなる。
しばらくたっても、幸村君は、もう少し待ってね、と言うだけだった。
「ゆ、幸村、君、…そんなに難しいの?」
どんな恐ろしい虫なんだと恐れながら聞くと、幸村君は、うん、答えた。
「難しいよ。どの構図にしたらいいかなって。」
「こうず?…って、幸村君、何携帯のカメラかまえてるの!」
こうずってなんだ、と思って、ぎゅっとつむっていた目を恐る恐る開くと、真正面でカメラをかまえる幸村君と目があった。
私と目があうと、幸村君は、はは、気づかれちゃった、と笑った。
「気づかれちゃった、じゃないよ!虫は?ねえ、虫早く取ってよ。」
なるべく頭を動かさないようにしてそう言うと、幸村君は、え、虫?と笑顔で首をかしげた。
「何言ってるのかな?虫なんていないよ。」
虫なんていないと言われ、一気に体から力が抜けた。
「だって、幸村君、虫って、」
「俺、そんなこと言ったかい?」
首を軽くかしげながらそう言われ、会話を思い返した。確かに、虫がいる、とは言ってない。
「だけど、私が虫って聞いたら、うーん、って頷いたじゃない。」
「あれは、頷いたんじゃなくて、うーんって考えただけだよ。」
「じゃあ目つむっててとかは何だったの。」
「目をつむって手に力をいれて、何かに堪える姿が、可愛いなって思って。」
楽しそうにそう言う幸村君を見て脱力した。もう、なんなんだこの人は。
「ふふ、怒った?」
「…疲れた。」
疲れた時には甘いものだよ、そう言って幸村君がくれたのは、薄荷キャンディーだった。
甘くないじゃん。
でも幸村君が笑顔でくれたせいか、ちょっと甘く感じた。口の中で、スースーとした味からだんだんと甘くなっていった薄荷キャンディーはまるで私の気持ちみたい。
同じクラスになった初めは、幸村君のこと、なんとなく穏やかそうな人だなーとしか思ってなかった。それなのに、ことあるごとに構ってくる幸村君のせいで、いろんなところを知ってしまった。
意外と力あるとか、いつも穏やかな笑みだけど寡黙なわけじゃなくて、さっきみたいに人をからかって遊ぶお茶目なとこもあるとか、そういう時に見せる笑顔は、つい怒る気もなくなるくらい楽しそうだとか。
薄荷キャンディーをなめながら、幸村君をちらと見ると、幸村君はやっぱり楽しそうに笑っていた。