伊武君と雪の日
朝目が覚めて、ぶるっと体が震えた。
ヒーターをつけて、カーテンの隙間から外を覗くと、空からはたはたと降ってくる白いかたまり。
枕元に置いてあった携帯を手にとって、電話をかけると、3コールで電話に出てくれた。
「ねえ、伊武君、雪が降ったの。大きなボタン雪が。」
おはよう、の挨拶もする前にそう告げると、シャーッというカーテンを開けるような音が聞こえた。多分伊武君も今、この雪を見てくれてるんだろう。
「へえ、だから何?」
「なんかね、雪を見たら伊武君を思い出して。元気かなーって。」
なんでだろう。わからないけど、伊武君を思い出したんだ。
「なにそれ。俺が雪みたいに冷たいってこと?」
笑いながら、まあ、あったかくはないかな、と言うと、不機嫌そうに、もう電話きるよ、と言われてしまった。でも、そう言いながらも本当にきったりしない伊武君は、やっぱり優しいと思う。言ったらもっと不機嫌になると思うから言わないけど。
「雪、つもるかな。」
「さあ、つもらないんじゃない。」
会話を終わらせたくなくて、雪を見ながらそう言うと、伊武君は軽くなげやりに答えた。
「つれないなー、伊武君は。」
「だったら他の奴に電話すればいいだろ。本当嫌になるよな。俺がこういうつまんない返答しかしないってわかってて電話しといてさ。」
電話口の向こうでぼやく伊武君の姿を想像して、ちょっと笑みが込み上げてきた。
「つまんなくないよ。」
疑うような沈黙に、思わず少し笑ってから続けた。
「ほら、最初に言ったじゃん。雪を見たら伊武君を思い出したって。だから伊武君と話したくなったんだ。」
伊武君は私の言葉を聞くと、はあー、と長いため息をついた。
「うわー、ため息とかひどい。」
笑いながらそう言うと、伊武君は、今度は小さくため息をついてから、言葉を続けた。
「俺は雪なんか見なくても、神崎のこと思い出してるけど。」
ぼそっと言われた言葉に思わず沈黙を返すと、伊武君は少しイライラしたような口調で続けた。
「何?いきなり黙んないでくれる?というか恥ずかしいこと最初に言ったのそっちだろ。」
ああ、そうか、イライラじゃなくて照れてるのか。
なんとなくそう気づくと、なんだかくすぐったいような、あったかい気持ちになった。
「私、雪見たら伊武君のこと思い出すって言ったけど、本当は月でも花でも海でもなんでも、素敵なものを見たら伊武君を思い出すんだ。だからさ、一緒だね。」
「そう。」
短い言葉だけど、少し嬉しそうな声音は、私まで嬉しくさせた。
「ねえ、雪つもるかな。」
なんとなくその後の沈黙が照れくさくなって、窓の外を見ながらさっきと同じ質問をした。
「わかんないけど、また明日も雪が降ればいいと思う。」
さっきと同じ質問に、さっきと違う答えが返ってきた。
「だって、そうしたら、また神崎は朝から俺のこと思い出すんだろ。」
恥ずかしくなって黙ってしまったけど、今度は伊武君はイライラした口調にはならず、いつもより柔らかい口調で、じゃあまた、と言って電話をきった。
窓を開けて、手を軽く伸ばして、降る雪に触れた。
「ああ、もう。やっぱり、伊武君、好きだな。」
呟いた言葉は、白くふわっと空を舞った。
明日もまた、伊武君に電話してるんだろう。
雪が降っていても、いなくても。
伊武君の声が聞きたいから電話したんだよって、最初から素直に言ってみたらなんて言うかな。
知ってた、と短く、だけどちょっと嬉しそうに答える伊武君が脳裏に浮かんで、ちょっと笑った。
prev next