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不二君の頼み事


放課後の教室で日直の仕事である日誌を書いていたら、同じく日直の不二君が話しかけてきた。顔をあげると、綺麗になった黒板と、綺麗な不二君の笑顔。すごいな、綺麗な人はものを綺麗にするのもうまいのか。

「ねえ、神崎。人に何か難しい頼み事をするときは、まず無理難題な事を言ってから本当の頼み事をすると、受け入れられやすいんだって。」

「へえ。」

不二君の意図がわからなくて、とりあえず曖昧に相槌をうっておいた。日誌に目を戻して書き進めながら、もしかして、部活に早く行きたいから日誌出すのお願いね、って頼みたいってことだろうか、と気づいた。

後は日誌を書いて職員室に持ってくだけだし、気にしないで部活行っていいよ、と言おうと口を開く前に、不二君が言葉を発した。

「神崎、結婚して。」

「…へ?」

今、なんだか信じられない言葉が聞こえたような。ケッコン?結婚?いやいや、聞き間違いだよ、うん。

私がそう納得して、一人で頷いていると、不二君は、私の机の前にしゃがんで目線をあわせた。

「ボクと、結婚して、神崎。」

「な、何言って、」

聞き間違いじゃなかったのか!と焦る私をよそに、不二君は楽しそうに笑いながら続けた。

「初めの1、2年は二人の時間を楽しみたいな。一緒に旅行に行ったり、美味しいもの食べたり。子どもは3年目くらいに欲しいね。」

「え、いやいやいや、何言ってるの。」

熱でもあるんじゃないかと不二君の額に置いた手は、あっさりと不二君に掴まれてしまった。不二君に、手、握られてるよ、どうしよう!

「子どもは何人がいいかな、女の子だったらキミ似の可愛い子なんだろうね。」

「いやいや、明らかに不二君に似た方が可愛くて美人だよ…じゃなくて!そういう問題じゃなくて!」

流されそうになりつつもなんとか正気を保ってそう言うと、不二君は眉を下げて残念そうに笑った。

「だめなの?」

「だめでしょ!」

「そっか、」

あっさりと諦めてくれてよかった、と安堵していると、不二君が、それなら、とまた口を開いた。

「じゃあ、ボクと付き合って?これくらいならだめじゃないよね。」

「うん、まあ、それくらいなら大丈夫、…へ?」

「うん、これからよろしく。」

嬉しそうに笑う不二君を見て、固まった。あれ、今、何て言われた?結婚とか子どもとかぶっ飛んだ事言われ過ぎて感覚麻痺してないか、私!

「…。」

「どうしたの、黙っちゃって珍しい。」

「いや、あの、これはあれだよね、うん、それだよね。」

なんとか平静を保とうとする私を見て、不二君は笑いながら優しく頭を撫でた。

「何?指示代名詞だけで会話が成り立つくらいのラブラブさだって言いたいの?まったくキミは可愛いね。」

「ちーがーっう!違うよ、何もかも違うよ!気が動転しすぎて、これとかあれとかしか出て来ないんだよ。察してよ!」

「あはは、無茶言うね。でも察せられるように頑張るよ。」

だめだ、不二君のペースに持ってかれたら、平静なんてまったくもって保てない。私は深呼吸をしてから、ゆっくりと不二君を見た。

「あの、不二君?これは『人に何か頼み事をするときは、まず無理難題な事を言ってから本当の頼み事をすると、受け入れられやすい』っていうのを実際に試してみたかっただけ、だよね?」

それなら不二君の不可解な言動も理解できる。

不二君は首を軽く傾けて笑った。そんな仕草一つ一つが、いちいち綺麗だな、もう!

「うーん、違うかな?頼みたい事があったんだけど、普通に言ったら断られそうだから、さっきの説を試してみたって事。」

「頼みたい事?」

首を傾げると、不二君は私と同じ向きに首を傾けて、ふふっと笑った。

「もうさっき承諾してくれたよね。」

「え、」

「ボクと付き合って、って。」

握られたままだった手を、キュッと強く握られた。

「神崎のことが好きなんだ。ねえ、だめ?」

開かれた不二君の瞳は、すごく綺麗でなんだか吸い込まれてしまいそうだったけど、不安のせいか、少し揺れてい。不二君でも不安に思ったりするんだ、なんて、当たり前の事に驚いた。でも、そんな一面を見られた事が、なんだか嬉しかった。

「だめ、じゃない、です。」

軽く手を握り返しながら言うと、不二君は嬉しそうに、よかった、と呟いた。

「改めて、これからも、よろしく。」

普通に言ったら断られそうだなんて、不二君は言ってたけど、きっと私はどんな風に言われたとしても、断れはしなかったんだろうな、とドクドクとうるさく脈打つ心臓をおさえながら思った。


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