きっかけのリンドウ
いつものように、庭を手入れし、いつものように美智代さんとおしゃべりし、いつものように日記を開いて、いつもとの違いに気づき、肩を落とす。
ハンカチの一件から、途絶えることのなかった日記でのやり取り。それが、今日はなかった。
一日くらい、返事がないことだってあるよね。むしろ、今まで毎日続いていたことの方が驚きだ。少しがっかりしたけど、気を取り直して、日記に向かった。
けれど、その次の日も、次の日も、返事はなかった。
もしかしたら、ここ数日用事があったのかもしれないし、部活がさらに忙しくなったのかもしれないし、空腹が激しくてすぐに家へ帰るようになったのかもしれない。もしくは、体調が悪くて学校を休んでいるのかもしれない。だから、数日くらい返事がなかったって気にすることない。
自分でもそう思うのに、なかなか気分が浮上しないのは、返事が来なくなる前日の朝、自分が書いた言葉がひっかかっているからだ。
ハンカチに感謝しなきゃ、だなんて、まるで愛の告白みたいって思ったかな。会ったこともない人にこんなことを言うだなんて、軽薄な人だって思われたのかもしれない。そんなつもりなんてなかったけど、浮かれすぎだったかもしれない。
返事がない日記に書き込むのは、なんだか味気ない。少し前まで、これが日常だったのに。いつものように、今日の庭の状態、気になったことを記録としてつけ、少し迷ってから、ペンを置く。
やっぱり返事がないのに、返事、かけないよね。
パタッと日記を閉じた。時計を見ると、学校へ行く時間はまだ少し先だった。彼宛の日記を書いていないせいで、最近時間がいつもよりあまる。もう一度庭を周ってみようかな、と思ったところで、後ろから足音が聞こえてきた。早歩きのような、小走りのような、この足音は美智代さんのじゃない。誰だろう、と振り返るのとほぼ同時に、声をかけられた。
「あのっ!これさ、次に植えたらいいんじゃないかなって思って。」
そういって花の苗――だぶんリンドウだ――を差し出しているのは、同じクラスの神尾君だった。
「えっと、うん、ありがとう。植えてみるね。」
受け取って、苗を見る。あ、やっぱりリンドウだ。ちょうど、次にリンドウを植えようかと思っていたから驚いて神尾君を見ると、神尾君は、視線を少し彷徨わせながら口を開いた。
「リンドウ、育てるの難しいって言ってたから、探してたんだ。花屋の人が、これなら個人の園芸でも育てやすいってさ。」
リンドウを植えたいって思ってること神尾君に言ったっけ。それに育てづらいってことも――
不思議そうな私を見て、神尾君は少し申し訳なさそうな顔で話し出した。
「実はさ、俺だったんだよ。あの日記で話してた相手。」
驚いて、思わず固まる。神尾君はさらに続けた。
「初めから知ってたわけじゃないぜ?学校で神崎と話してたときに気づいたんだ。――神崎が、ハンカチがなかったら俺と話してなかったのかもしれない、って書いたのを見たとき、俺だけが知ってるの、なんか騙してるみたいかもしれねーって思って、でもいきなり会いに来てもびっくりさせるかなって思って、それで、きっかけのためにこの花を探してたんだ。」
日記の相手、神尾君だったんだとか、日記の内容が不快だったから返事がなくなったわけじゃなかったんだとか、なんだかいろいろな考えがぐるぐると頭の中をめぐる。
神尾君は、少しはにかんで、続けた。
「日記の相手は、俺だったけどさ、またここに来てもいいか?俺、ここが好きなんだよ。」
その笑顔を見て、言葉を聞いて、私の頬も緩むのを感じた。
「私もね、この庭が好き。だから、神尾君にも好きになってもらえて、嬉しい。これからはさ、日記だけじゃなくて、こうやって直接も話したいね。」
にかっと笑って、元気に、おう、と言った神尾君には、なんだかリンドウが似合う。日記の彼が神尾君でよかった。なんとなく、そう思った。
リンドウの刺繍のハンカチがきっかけで神尾君と日記で話すようになって、そしてリンドウの苗をきっかけとして神尾君が直接会いにきてくれて――
「私、やっぱりリンドウ好きだな。」
笑いながら呟く。それを聞いた神尾君も、同じように笑いながら言った。
「俺も、好きになったよ。」
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